第十五話 目醒めし悪夢
──夢を、見ていた……
例え夢を見ていたとして、それが夢であると言う自覚は滅多にないものだ。しかし彼女にはそれが夢でいるという確証があった。
何故かはわからない。しかし何故だかそう思い、そして一度気付いてしまえば夢とは何とお粗末なモノだろうか。
一貫性のない出来事にあまりにも現実離れした光景。そう、こうして目の前に自らと同じ姿をした少女が立っているのだから。
「……貴方は……?」
自身と比べて少しばかり幼い容姿の少女とそう問いかけた。何とありきたりな問いかけであると言う自覚はある……しかし、同時にそれ以外の言葉が見つからない。
『僕は……』
言葉に詰まる少女が綺麗な眉をハの字にして……困ったような、それでいながらどこか悲しげな表情を見せた。
『そう、だね。一言で言うのなら、君の持つ未来眼そのものだよ』
「私の力は、貴女が所以ですか?」
『そう、とも言えるのかな? ただ僕は故人だからね。死人に口無し、何が出来る訳もない」
「いいえ、貴女は"彼"に斃ぼれた方ではない。そうでしょう?」
感情の篭らない、しかしそれだけに的確に相手の隙を突く言葉に目の前の少女が僅かにたじろぐ。
「貴女は……本当に、『神』ですか?」
『違う……と口でだけなら、いくらでも否定出来るよ。事実、僕は神になり得ない。でもね、僕が僕自身をどう思うかじゃない……人々がどう思うか、なんだ。──信仰とはつまり、そう言うことじゃないかな?」
どこまでもやるせなげでありながら、しかしどこまでも悟り切ったその言葉に思わず黙り込む。
『今や太陽は陰り、世界は闇に覆われようとしている』
そう言う少女が振り返れば、遥か彼方の空に浮かぶ太陽へと視線を向けた。彼女の視線を追いかけてそちらへと目を向ければ、視界に映り込むのはポッカリと暗い穴の空いた太陽で──
「日食、とは違う……」
誰ともなく溢れた言葉が聞こえなかったのか、小さな少女が言葉を紡ぐ。
『でも、いいんだ。光が陰った時、それは彼等の世界』
両の手を広げて、その小さな身体で残る光を目一杯浴びるように彼女は天を仰ぐ。その姿はまるで太陽を覆い尽くす月の様だ。
『呪われた亡者が蔓延り、自らの墓標を超えて彼等は再び歩き出す。それは永遠にも似た光景で、いつかきっと──』
そんな彼女の背後に現れたのは五対十枚の巨翼。無色にして万光を纏うそれは無垢と全能を象徴するようで、それでいながら何故だか酷い虚無感を宿しているようにも見えた。
「貴女にとっては、世の出来事の全てが必然と?」
怒気を滲ませた声を背中に浴びて、幼気な少女が白羽を翻し振り返る。幾度となく目にした薄ら寒い笑みを口元に、目元に浮かぶのはかつての仇とも相違ない。
「…………」
何かを見定めるように目を細めるそれすらも、白い少女は愉快そうに──否、それは快楽的な感情などではない。
あまりに歪に歪んでいて、今の今まで気が付くことはなかった。──あるいは、これからも気が付かずにいられればどれほど幸せだったのか。
「何をそんなに悲しんでいるのですか?」
もし、神はサイコロを降らないと言うのなら、彼女は何を悲しんでいるのだろうか。果たして、その感情を笑みの裏に隠す意図に意味は……何よりも、何故今になってその仮面が無機質に見える様になったのか。
『…………』
放たれた問いかけに、核心を突くはずの言葉を受けてなお彼女は笑みを仮面を外すことはない。あるいは、彼等が被る仮面は他人へ向けたものではなく……自分へ向けたもの、自分自身を騙す為にあるのではないか。
何の確証もなく、心の中に浮かび上がるのはそんな疑問だった。
『…………そっかぁ。分かっちゃうんだね』
左手を顔に、そうして暫く……漸く手が降りたかと思えば、その下から現れたのは今にも消え去りそうなほど儚い少女そのものだった。
隠しきれない悲痛感の滲む顔、眉尻を下げた目元は今にも泣き出しそうで……今の今まで思い描いていた、幾度となく脳裏に浮かび上がる『神』はあまりにかけ離れている。
『ルルも同じ表情をしているから……ずっとこんな表情を見てきたら、流石に察しがつくよね?』
「彼女は、貴女の何ですか……?」
今まで何度か『神』について聞かされたことがあった。彼女が話す神とは何なのか、今までいまいち想像がつかなったが今ならよく分かる。
目の前に立つ少女こそが彼女の言う神で、そして魔女が執着する理由だ。
『あの娘は……僕の、妹。鬼を仇に、神を憎悪する憐れな娘……』
訝しげに眉を顰める少女へ、彼女はまるで救いを求めるような眼差しを向けている。神と比喩されていながら、誰よりも小さく見える少女が手を伸ばす。
「あの娘を救って欲しい」
「──は、いいのですか?」
妹の身を案じる少女が朗らかな笑みを浮かべる。今まで仮面としていたそれは全く違う……何の陰りもない純粋な笑みで、少女は笑っている。
『神様は、ね……誰かに救われるほど弱くないから』
何よりも、と彼女が遠くの空を見上げる。
『誰も彼を救えない。だからせめて、僕は彼の側に寄り添いたいんだ』
純粋に誰かを想うだけの少女。──何故彼女が神と呼ばれるのか。そして、恨まれなくてはならないのか……あるいは、何かが──
「最後に一つだけ聞いていいですか?」
『一つだけとは言わずに幾らでもどうぞ』
慈愛に満ちた表情で言う少女。その言葉に首を振り言葉を紡ぐ。
「いいえ、一つだけで十分です。私に残された時間は、あとどれぐらいですか?」
『…………分かっていると思うけど、もう長くない。具体的なことは言えないけど、雪が溶けるようにいつの間にか…………』
そう言う少女の言葉にどこか納得すらもしている自分がいた。──時間の積み重ねが人を形作る。故により多くの時間を重ねてきた彼女の人格に勝ることはないのだ。
しかし、そんな彼女へと再び向き直った少女の……その顔に浮かぶ慈愛に満ちた表情を前に、何故だか恐怖は感じられない。
『何を憂うことはないんだ。だって、君と僕はこんなにも似ているじゃないか』
そう、彼女達はどう転ぼうとも同一人物であることに変わることなく……きっと辿り着く結果は同じだ。
「私は生まれ変わり、記憶を失ってなお彼の側に立つことを選んだ。その時から同じ末路を辿る運命だったのですね」
驚くほど穏やかな心境で柔らかく言葉を紡ぐ。家族を失って以来、いつも心の中には激情が吹き荒れていて……荒野の如く荒んだ心には無かった平穏。
達観した心境、悟りすらも開いたようなそれはきっと……そう、きっと悟りとは程遠いのだろう。──ただ、何も感じられなくなっただけかも知れない。
「結局、私は……僕は、人でなしのままだったのですね」
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
希薄な気配を感じてゆるりと目を開ける。長い睫毛の下、赤銀色の瞳が気配の正体を捉えた。
長い影を下ろして、朝日を浴びて輝くのは無色の神。それは緩やかな風を受けて柔らかく靡き、そんな彼女の瞳からは見慣れた色が失われている。
「…………」
無理なく背筋を伸ばす少女を前に目を細め、そうしてその細い身体へと怪訝そうな視線を向けた。
「おはようございます」
ゆるりと動いたのは彼女が最も嫌悪する白光色の瞳。万光を宿したそれはまるで全能を象徴するようで……全てを見透かしているような眼差しは、何故こうも無機質なのだろうか。
「…………貴女、私の知る半魔ではないわね?」
胸の前で組んでいた腕を解き、もたれ掛かっていた樹から身体を放す。
今までとは比べものにならないほど希薄な気配。
植物よりも薄い存在感はまるで不死者に通ずるものがあり、そしてそれは生者たり得ぬ証。
いつも何かに怒りを抱いていた瞳は無機質で、その奥に救う闇は……長く、永く生き過ぎた者達特有の無感情が垣間見える。──しかしそれは一瞬のことで、酷く達観した瞳の奥には強い感情が見えた。
だが、やはり違う。彼女の持つ強い感情は怒りとは異なり……むしろ、その逆にも等しい。
「いいえ、私は私です。結局、人の本質は変わらないのですから」
「先日の貴女とはまるで意見が違うわね」
鋭く刺さるような視線を受けて、肝心の白い少女はまるで響いている様子はない。それどころかそんな指摘にすらも興味を示していない。
「これはまた、寧ろ好都合でしょうか。昨日の今日で面白いモノが見れましたね」
口を開きかけたアイリアの背後から現れた妖狐が愉快そうに言葉を投げかける。ゆるりと動いた二者の視線が交わり、温度差のある眼差しが交差した。
昨晩とは何ら変わりない姿形。力の解放により顕現する光眼は珍しいながらも既に何度か目にしたモノで、エゾラとて事前に聞いていた情報だ。
違和感を感じる点は多いが、しかし同時に決定的な変化もないが故に両者共に踏み込めずにいる。
「だが、こちらとしては好都合だ」
そう言い目配りする先にいるのは、アイリア同様に大木にもたれ掛かる男だ。そんな彼は妖狐の視線を敏感に感じ取ったのか、片方の瞼が持ち上がり、その下から天色の瞳が覗く。
「私は何でも構わない。結果も変わらない」
そんな彼の言葉を聞きながらアイリアが次に目をやったのは少し離れた所に腰を下ろしているグランナだった。だがやはりとも言うべきか、干し肉を噛みちぎる彼女もまた他人に興味など抱かない。
「私も同意見。ソレの中に何がいるのか……私はもう、知るつもりもない」
我関せずの態度でそう言う少女が腰を上げ、そうして冷ややかな視線を過剰な反応を示す二人へと向けられた。
「触れぬ神に祟りなし、貴様等も余計な散策はせぬことだな。さもなくば、龍王と同じ末路を辿ることになろう」
彼の言葉に訝しげに眉を顰めるアイリアとは裏腹に、『龍神の桜巫女』たるエゾラが険しげな表情で視線を逸らす。
そんな彼女を横目に今一度目を向けた白い少女はどこか困ったような顔を見せた。
「先を急ぐぞ」
目の前にいるのはサティナであって"彼女"ではない。これ以上の会話は不毛なだけで、執拗に噛み付くことは互いにとって悪影響しかないだろう。
彼女達もそれを理解しているのか、何も言うことなく踵を返した。




