第十二話 きっと胸を張って
日が暮れる前、街に出たと言うアイリアが戻った。その気配を敏感に感じ取った二人の少女がゆっくりと閉じられていた瞼を持ち上げ、間もなく赤い少女がその姿を現す。
「夕食は部屋まで持ってくると言っていたわ」
外套のフードを外してそう言いいなが、彼女もまた二人の前に腰を下ろした。
「それまで今後の方針について話しておきましょう」
外套を脱ぎ、片膝を抱え込んだ姿勢で僅かに顔が下がる。しかし長い睫毛の下から覗く瞳は間違いなくサティナへと向けられていた。
「龍王はこの島国、その列島の北端にいるわ。対して私達が当初目的地としていたのはその道中を少し逸れたところあるの」
それは恐らく彼女へ向けられた選択だ。当初の目的通り、その地へと赴くか……あるいは魔女を回収したのち、戻っていくか。
「私は、先にそちらへ行こうと思います」
「そう。でもレドゥズビアは主人の所へいち早く辿り着くことを選ぶわ」
「それでしたら私を置いて行ってください。あとから追いかけます」
「そう……。それなら私から言うことはないわね」
とその時、ふいに部屋の扉の奥から声が聞こえてきた。それはどこか澄んだ声で、最も近かったアイリアが出迎える。
「失礼します。お食事をお待ちしました」
「ありがとう」
洗ってはいるのだろうが、それでも落とし切れない汚れが目立つ白い割烹着を見に纏った二人の少女が、アイリアと共に手際よく部屋と運び入れる。──そうして間もなく、彼女達が持ってきた夕食を全て部屋に入れると二人の少女は軽く会釈をして部屋をあとにした。
「…………」
前に並べられた食事を三人は無言で口に運ぶ。サティナからすれば実に一週間ぶり、アイリアに至ってはもういつ食べたのかも覚えていないほど久方ぶりに食事を口にした。
しかし、肝心のそれはまるで味気ない。いや、事実として美味しいと言える分類ではあるのだろうが、生憎と不死であるアイリアは食べる喜びを感じられないのだ。
さりげなく周囲へ視線を向ければグランナは住んでいる場所が違いすぎる為にか、食べ物を口にするたびに不思議そうに首を傾げている。
「…………」
そうして次に視線を向けたのはサティナで、彼女に至ってはその顔から食事の感想はまるで読み取れなかった。──いや、彼女もまた食を楽しむと言う感覚はないのも知れない。
とは言えど日頃から命をやり取りをしているせいか、目の前に出された食事を残すなどと言うこともなく三人は大した時間もかけずに皿を空にした。
サティナもグランナも、また不死であるアイリアでさも過去にまともな食べ物にあり付けず飢えた経験が記憶に色濃く残っているのだ。
「普通に食べられるのですね」
「まぁ、一応ね。好き好んでは食べないけど……」
食べ終えたサティナがふとアイリアへと疑問を飛ばす。
「味は分かるのですか?」
「灰の味に重なって、ならね。意識しなければ完全に灰の味しかしないわ」
皮肉げに笑ってそう言う少女へ、サティナが悲しげな目を向けた。
「それ以前に無理矢理腹に物を詰め込んでいる時ような、満腹時のような拒絶感があるから味がわかっても美味しいとは感じられないわ」
「そう、ですか……。グランナはどうですか?」
今度は食べる物がまるで違うであろう半魚人の少女へ問いかける。
「初めて食べる物だけど……美味しい、には美味しい。血族になってからも味覚が敏感になったお陰で味も良く分かるけど……でも、初めて血を飲んだ時には遠く及ぼない。
それに血を飲んだ時の五臓六腑が潤うな感覚がない。何と言うか、食べ物を口にしているような感覚がないと言うのか……空腹感もないけど、腹が満たされるような感覚もない」
彼女もまた食事をお気に召さなかったらしい。何とも不憫な身体だが、それもまた仕方のないことなのだろう。
きっと彼女達は命を奪い過ぎたのだ。
だから命を口にした時の恩恵が得られない。
何を食しても味気なく、ただあるのは虚しさだけで……いや、そもそも食事自体が苦痛を伴う。
「まぁ、いいわ。もう分かりきっていることでしょう」
それだけ言うとアイリアは空になった食器を端によけ、二人の少女に向き直った。
「食器を下げたら風呂に入ったほうがいいわね。丁度この旅館は大浴場があるようよ」
「清潔な状態は魔法で保てますが?」
「もしかして水浴びが苦手なのかしら?」
「生憎と、そうですね」
アイリアの言葉に白い少女が心底嫌そうな顔で答えた。珍しく露骨に感情を露わにする少女に怪訝そうな顔を向けて、しかしアイリアはどこか皮肉の効いた言葉で口を開く。
「あら? 汚れは落とせても臭いまでは消せないのでは?」
「…………嫌味、ですか? 汚れが落とせるのですよ。臭いも落とせるに決まっているでしょう」
「自分自身の臭いは気づけないものよ」
「…………」
揶揄うような口調でそう言うアイリアへサティナが凄んで見せる。しかしそんなもの魔女とまで比喩された彼女に通じるはずもなく、皮肉じみた笑みを深めるだけだ。
「…………水浴びは嫌いです。無防備だし、水と一緒に生の緊張感が流れていくようです」
「そんなに気張っていては持たないわ」
「それを貴女が言いますか?」
「生憎様。少なくとも貴女よりは不死である私の方が自己管理が出来ていると思うわ」
嫌味な言い方ではあるが、横で聞いていたグランナはすぐに気が付いた。──これは彼女なりの優しさなのだ。いつまでも自分の扱いがぞんざいなサティナが、少しはその見方を変えられるようにと彼女は寄り添っている。
それでもこんな言い方をしていることを鑑みれば、彼女の性格が良いものだとは言い切れないのだが……
「…………分かり、ました…………」
と、そんな彼女意図が伝わったのかサティナはそれ以上何も言うことなく頷いた。
間もなく先程の少女達によって食器が下げられて暫く……今後の方針について話し終え、夜も更けてきた頃に三人はその足で銭湯に向かう。
「そう言えば聞いていなかったわね。いや、聞くまでもないと思うけど、貴女達はこう言うのは初めて?」
「海底でも一応湯に浸かると言う習慣はあったが、私は彼女同様魔法で済ませていた」
「一言余計です。それと、私は時々水浴びするだけで湯を使ったことはありません」
少しムッとした様子でサティナは目も合わせずに答える。しかし本気で機嫌が悪い訳ではなく、あいるいは人生初めての経験に多少の期待を抱いているようにも見えた。
夜も更けていると言うだけあって脱衣所には人一人おらず、先に入っている人がいるのかと軽く見渡した感じでは一人くらいだろう。
「空いていた方がいいでしょう」
服を脱ぎながらそう言うアイリア。人の気配があると落ち着かない二人の少女へ、それは彼女なりの配慮だったのだろう。
そんな彼女へ一瞬だけ視線をやると、サティナもまた先に脱ぎ出した二人に続いて身に纏う衣類に手をかけた。
一糸纏わぬ姿のまま中へと足を踏みれれば、先客の姿が目に入る。さしたる問題でないとすぐに視線を逸らしたサティナの横で、アイリアが無遠慮に先客に近づいていく。
「何だ? 貴様等も来ていたのか?」
「それはこっちのセリフよ。貴方はこう言うのに興味ないと思っていたのだけど?」
まるで隠す気などなく堂々たる佇まいで腰に手を当てて、その豊満な胸越しに湯船に浸かる男、レドゥズビアを見下ろす。
「主の元に行くのだ。身を清めるのは当然であろう」
彼がそう言えばアイリアが心得たような表情で片眉を吊り上げた。
「そう? まぁ、丁度よかったわ。こっちは奇数で背中を流して貰うのにもう一人相手が欲しかったところなのだけど……?」
顎をクイっと上げてそう言う彼女の言葉に、男は一つ息を吐き出すと鍛え抜かれた身体から水を滴らせて湯船から立ち上がる。
「して、誰の背中を流せば良いのだ?」
そんな彼の言葉を受けてアイリアが後ろを振り返る。そんな彼等の視線に映るのは二人の少女だ。
流れ的にてっきりアイリアとレドゥズビアで流し合うかと思っていたサティナとグランナが、二人の視線を受けて目をぱちくりとさせる。
「何故私達を見るのですか?」
「貴女達は銭湯の秩序を知らないでしょう? グランナは主人である私が教えるから、貴女はレドゥズビアに教わればいいわ」
確かに言われてみれば背中を流せすこと一つ分からない。グランナも同じ様子で、二人の少女は意図せずに互いの顔を見合わせていた。
──確かにまともな洗い方も知らない二人でペアを組んでも仕方がない……
どちらともなくそう思えば、サティナがその申し出を承諾した。
「確かにその通りですね。では、お言葉に甘えてお願いしても宜しいですか?」
あっさりと承諾した少女へレドゥズビアは頷きかけると、その視線が彼女の隣り足元へと向けられた。そこは法術の回路が埋め噛まれた蛇口の前で、その上にシャワーが掛けられている。
彼が何を言わんとしているのか気が付いたサティナが小さな椅子の上に腰を下ろせば、間もなく彼女の背後に男が陣取った。
「後ろに立たれるのに抵抗はないのか?」
「それは立つ前に許可を取るべきでは?」
少女の後ろに屈み込みそう言う男にサティナが呆れ気味に言い放つ。そう言えば彼は何とも言えない視線を鏡越しに彼女へと向けた。
「まぁ、何となく聞いてみただけだ。他意は無い」
「逆にダメじゃ無いですか……」
思わず溜め息が漏れる少女をよそに、レドゥズビアは手際よく彼女の長い白髪を束ねる。
「随分と慣れているのです」
「歴代の王達も私が手を焼いていた」
通りで手際いいはずだ。そう思うサティナが一人納得して、軽く頷くとゆるりとその視線を背後に座る男へ向ける。
「それはまた、随分と献身的ですね」
「従者として当然のことだ」
そんなことを話していれば彼女の背中に硬いタオルが押し当てられる感触がした。僅かに身体を震わせたサティナを気遣うように、その柔肌が硬いタオルで傷付かないようにと体調にその背中を洗っていく。
硬いタオルしか無い今の時代、きっと彼は人間として標準的な水準にある主人を傷つけまいと、いつもこうして細心の注意を払っていたのだろう。
サティナの身体は人間はおろな、魔人を水準にしてかなり頑丈だ。ちょっとやそっとでは傷付かない上、多少のかすり傷程度魔法を使わずともすぐに治る。
故に彼が主人にやるように気を使わなくてもよい筈なのだ。それを彼も知らぬ筈でもないのに、しかし彼の手つきは残酷なほどの慈愛に満ちていた。
「身体が強張りすぎだ。もう少し力を抜いてみろ」
と、そんな彼女の苦悩を知りもしないレドゥズビアがいつも通りの抑揚のないの声でそう言う。
「緊張状態が続けば疲れは溜まる、視野も狭くなる、力が入って固いから急な変化に対応できない。
必要のない力は抜き、柔らかく構えて何にも対処できるよう脱力する必要があろう……あるいは、貴様の師はいつもそんな力んでいるのか?」
自身の背中に手を当ててそう言う彼の言葉にサティナが目を見開く。そんな彼女の脳裏に横切るのは、いつも自然体で構える黒髪の男の姿だ。
何を考えているかも分からない無表情。無理のない姿勢で、しかし悠然とした自然なその姿のどこにも無駄な力は入っていない。
「……流石、ですね。それも年の功が為せる業でしょうか?」
「確かに自分で気が付くのには時間がかかるであろうな」
不死としてサティナなど比較にならない時間を過ごしてきた男。そんな彼が言う何気ない言葉は、しかし彼女の見えなかった物事の真髄を的確に捉えていた。
そして聞くだけなら簡単そうに見えて、実際にそうしてみても意識に行うことは難しい。気が付かないうちに身体には無駄な力が籠ってしまって、それを無意識的な行う彼等がどれだけの胆力持ち、どれだけの鍛錬を積んだのか想像もつかない。
必要ない力を正しく抜く……ただそれだけのことですら、も彼女が思うよりも難しいのだ。
「終わりましたか? それでは次は私の番ですね」
いつの間にか手の止まっている男に気が付き、サティナがおもむろに立ち上がる。その手にはアイリアから渡されていた硬いタオルが握られていて、当然彼女はその肢体を隠そうともしない。
まるで羞恥心の一切がないような彼女を見上げ、レドゥズビアが透き通る天の色を体現した目を細める。
「少しは羞恥心と言うものを持つべきだ。淑女としての品性が思いやられる」
「私が、淑女……ですか……? それはまた、笑えない冗談ですね」
呆れ気味にそう言うレドゥズビアへサティナはまるで食い下がる。
「これが私の在り方です。堂々と胸を張って、何を恥ずことがありますか? ──私は思うのですよ。他者の痴態を嘲笑う者に、無遠慮に他者を値踏みする者に、その姿を劣情の投影膜越しに見る者に……何故、気を遣つ必要があるのでしょうか? どうして自分を卑下する必要があるのでしょうか? そんな価値のない有象無象のそれに、何を感じろと言うのですか?」
だから彼女はどんな時でも胸を張ると決めている。きっと正しいと思う道を選べるように、そこのどこに恥ずべきことがあると言うのか。──そう言い募る彼女の瞳がジロリとレドゥズビアを見下ろす。
「見るべきものを見ようとせず、ただ見たいものを見る」
そう言う少女はまず自身の目元に細い指を触れ、次にその指で自身の胸をなぞる。
何か心に卑しい想いを持つ者ほど、それを見透かされることを恐れて目を逸らす。相手の瞳、その奥に最も大切なものがあろうとも……しかし、それにすらも目を向けようとしない。
ただ見たいものだけ見るために幾度となく向けられてきた劣情の視線。彼女の何たるかを知ろうともせず、ただ卑しい気持ちのままにその上辺だけを見ているのだ。
「貴方が違うでしょう?」
彼は今もサティナの目を見ている……本当に見るべきものを、彼女が見て欲しいものを目にしているのだ。嘘偽りのない彼女を知ろうと、本当の彼女が如何なる者なのか推し量るために……彼はいつも少女の、その目の奥を見ているのだ。
「さぁ、くだらない話しは終わりにして、早くこっち来てください。背中を流しますよ」
「本当に貴様は……"変わらない"な」
諦めたように溜め息を吐き出せば、彼は少女の言葉に従いその立ち位置を入れ替える。そんな彼が溢した言葉に一瞬違和感を覚えてながらも、余計な思考を追い出すように軽く頭を振り、その背後に座り込むと彼に倣って全く同じようにて手を動かした。
互いの背中を流し終えて、それぞれ自身の身体をも洗う。一足先に来て既に身体を洗い終えていたレドゥズビアは既に銭湯に浸かっている。
きっと彼は既に背中も洗い終えていた筈なのに、ただサティナの練習台になるためだけに態々出向いて相手してくれていたのだろう。
何も言わないが、誰かに似たその優しさに秘めた後ろ姿を目にして眩しげにサティナが目を細めた。そんな彼女の視線に気が付いたのか、彼は一瞬だけ白い少女を見やれるもすぐに興味が失せたようにしてその目を逸らす。
──と、そんな彼の前にこれ見よがしにアイリアが現れた。彼女もまたその身をまるで隠そうともせずに、しかし焦った様子もなく湯船の中に身体を沈める。
「彼女が気になる?」
「アレの師は誰だ?」
先程は彼女を師を例えとして出したが、実のところ彼はサティナの師を知らない。ただ知っているのは彼女に師がいると言うこということ、それは決して碌な人間ではないと言うのだけだ。
「…………『滅びの王』よ」
暫くの沈黙ののち、アイリアが重々しく口を開く。そんな彼女の言葉を耳して、さしものレドゥズビアでもその顔に驚愕を隠しきれなかった。
「まさか、そんな……」
「ええ、分かるわ。彼には似つかわしくないほど、彼女は優しい……。だから、いつかきっとその重圧に耐えきれず潰れてしまう」
だが、同時に本人はそれを知りながら尚も彼に寄り添い続けると言うのだ。その真意を知りたいと思う一方で、おいそれと踏み入れるべきではないと分かっている。
故に彼女は今まで幾度かそれとなく話題を振ってきたが、その答えははっきりさせようとはしなかった。
「そう言うものか」
「そう言うものよ」
少しの無言が過ぎたかと思えば、二人の男女はどのか心得たようや顔で頷く。そんな二人の視線はぎこちなく身体を洗う少女へと向けられていた。




