第十話 それはどこまでも憑いてまわる
昔どこかで聞いたことがある警告……いや、どこかではない。あの夜は珍しく黒い男が饒舌に話しを聞かせてくれたのだ。
──とは言っても、ほんの少し忠告されただけだ。それでもいつもなら何かを尋ねても一言返して無言を貫く彼が、珍しく重ねて警告をくれたのだからいつものり覚えている。
「気をつけろ、勇者は恐ろしいぞ」
どうして、とあの夜はそう返したような気がする。勿論、勇者の強さは身をもって体験してあるが、彼等の強さと恐ろしさと言う部分がどうにも繋がらないからだ。
「勇者の代名詞である初代。歴代最強かつ最高傑作の三台目……」
男がぽつりぽつりと呟く。
「……では、二代目は何だと思う?」
サティナとその噂は聞いている。世界最大の国の、その国王の側近にして最も有名な勇者であるはずだ。
しかしまた一つ、同じ噂が立つ。紛うことなき伝説の初代と三代目と違い、二代目はあまりにも身近にあって……何よりも、彼自身が自称していたと言う。
──谷の二代目……
勇者の中でも最弱であると、他でもない彼自身がそう自称している。サティナも当時は噂程度ではあったが、それでも初代を目の当たりにしてからはそれも強ち嘘ではないと思っていた。──否、真実であって欲しかったのだ。
「いや、違うな。最も恐ろしい勇者は、二代目だ」
どうして彼が使える国が世界最大級にまで膨れ上がったのか。長い間、勇者は初代と三代目が不在であり……尚且つ、三代目にいたっては未だに不在のままだ。
「アレは神に祝福された不死身の化け物。彼が仕えるのはただの一柱……主の意向ならば、あるいは彼女に危険が及ばぬ為からどんな手段でも取る」
そんな中で何故、彼だけが残り続け……誰一人としてそのことに疑問を抱かないか。──いや、抱いた者もいるのだろう。しかし疑問を抱いところで意味はなく、何よりも誰一人としてその答えなど知り得ないのだから。
「『滅びの王』に次ぐ二人目の不死者。『次代勇者』レドゥズビア・アル=フレート……」
血沼の中、毅然として立つ男がいた。燃えるような赤い髪と、夕焼けを体現したのうな朱金色の瞳。
例に漏れず端正に顔に能面の如き無表情を貼り付けて、最も恐ろしい勇者は立っていた。
死者の如く気配は希薄であるはずなのに、得も知れぬ重圧がのし掛かる。能面のように感情の一才を喪失したような表情であらながら、その目には強い意志が宿っていた。
「なぜ……」
不死者特有の不気味な存外感を前に竦み上がる身体を意思の力で押さえ込み、ゆっくりと一歩前へと出る。
「なぜ、彼等を……?」
途切れ途切れで要領の掴みにくい問いかけではあっただろう。それでも彼女の疑念は十分に伝わったはずで、男は僅かに剣の位置を変えた。
「何故、と……。本気でそう思って?」
「他に何を──」
それ以上に言葉は続かない。彼女が繰り返す問い返すよりも早く、男の眼光に鋭さが増したからだ。
「敵あれば容赦する必要などない。ソレらは愚かにも敵を自ら懐に入れ、無力化したつもりなのだろうな」
しかし男は彼等の想定を上回り、逆に彼等を虐殺するに至った。ただそれだけの話しで、敵同士にある者同士が殺し合っただけに過ぎない。
それ以上でもそれ以下でもなく、必要なことを為したのみ。そこに割り切った意味を問うのなら、きっと何を言っても理解できないだろう。
「して──」
黙り込むサティナを他所に男が向き直る相手は銛を片手に佇むグランナ。勇者とはまた違ってどこか感情の読み取れない顔のまま、彼女は構えることもなくただ勇者を見据えるのみ。
「──貴女は、それで納得してましょうか?」
「納得はしてないが……理解、できない訳ではない」
かつて彼女が繰り返し行ってきたことと同じで──しかしそれでも、女の周囲では彼女の激情を表すかのように紫電が走る。
「屍を切り刻む必要があるのか?」
「ここは呪われた海域。旧神が三柱、本気で何もおこらないと思ったのですか?」
男の視線が動き、それを追って目を向ければアイリアを除いた二人の少女の顔が途端に青ざめる。骨と皮だけの屍がゆるゆると錆びた得物を片手に、こちらへと近づく姿。
それも一つや二つではなく、見渡す限りの建造物の隙間から湧き出すように這い出てくる。
「アレはなんですか?」
「死神の置き土産よ。随分とあっさりと手を引いたと思ったけど、こう言うわけだったのね」
一歩、足を踏み出すだけで無数の血の槍が突き出し、屍の悉くを貫くとその死体の内側から無数の棘が飛び出す。
「これで暫くは動けないわ」
話して、と無言の圧力を向けて勇者へと向き直る。
「あれば生死を司る化け物。この海域で朽ちた者達を蘇らせることなど造作もないこと」
そう言えば三人の視線がグランナの方へと向けられた。彼女がこれまで侵入する船の悉くを襲い海の底に沈めてきたのは周知のことで……今回、死神の手によってそれを逆手に取られたのだ。
「積み重ねた罪からは逃れられはしませぬ。いつの日か重ねた分だけ自身の身に降りかかるでしょう」
ゆるりと目を向けてやれば更に追加で屍の群れが現れて……次の瞬間、更に血の槍が地面から壁から突き出す。
「貴女方も合流出来たのなら長いは無用……それと、可能なら満足に動けなくなるまで破壊しておいてください」
「言われるまでもないわ」
身体を貫いた棘が更に枝分かれ、その肉体を内側からぐちゃぐちゃに引き裂いく。恐らくここにくるまでの屍が全て破壊されていたのは勇者による保険だったのだろう。
死んだここの住人までもが動く屍にならないとも限らないと、彼は死んだ者達の肉体がその機能を完全に失うまで破壊した。
「生き残った者達は貴女の眷属に任せています」
手短にそれだけ言うと彼は振り返ることもなく歩き出す。そんな彼の行先では散り散りに引き裂かれた屍が灰となって消えていく。
その悪趣味な光景にさしものサティナとて露骨に顔を顰めた。
散り散りに引き裂かれた屍。蘇ろうともまともには動けないようにと、彼は死した者達の尊厳を辱めてまで被害が拡大することを防いだと言うのに、その元凶は灰も残らずに消えてしまう。
「…………ここだ」
間もなく辿り着いたのは半壊した神殿。その奥へと足を踏み入れる前、サティナは錆剣を片手に足を止めた。
「私はここに残りましょう」
ゆるりと振り返る少女の視界に映るのは動く屍の山。黒い波のように押し寄せるそれを目の当たりにしてグランナが目を見開き、反対にアイリアは双剣を携えてサティナの横に立つ。
「付き合うわ」
「それは……」
何かを言いかけて、しかしアイリアが一睨みするだけでそれを制する。
「……いいえ。助かります」
一つ頷くと、白と赤の少女が並ぶように立つ。そんな彼女達を一瞥、勇者はグランナを連れて神殿の中へと消えていく。
暗闇の中を暫く、見慣れたはずの神殿内はしかしまるで別世界だった。所々に見受けられる血の跡、灯も失われて光は殆ど得られず、澄み切った匂いのあった廊下は血生臭さが充満していた。
まとわりつくような湿った空間を肌で感じながら奥へと進み……そうして漸く、その姿が眼前に映り込む。
「……姫様……」
澄み切った薄青い瞳がどことなくグランナを見つめ返す。痛々しい表情を浮かべて自身を見つめ返すその瞳は右半分を失っていて……薄紅色の髪は所々で引きちぎられたように乱れていて、きめ細かな肌には無数の裂傷が見受けられた。
「グランナ……よくぞ、無事で」
満身創痍の姿でありながらも、それでも姫も呼ばれた少女は毅然として口を開く。痛々しい見くれとは裏腹に、彼女は毅然とした態度で背筋をのばして立ち上がるとレドゥズビアの前に立つ。
「遅ればせながら、礼を言わなくてはなりませんね。私の不甲斐なさが招いた現状、貴方や彼がいなければ被害はもっと拡大していたでしょう」
姫の言葉に、しかし勇者は無言を返す。そこから何を感じ取ったのか、姫は柔らかく微笑むとグランナへと向き直る。
「生き残ったのは貴女だけですか?」
「ええ。私が不甲斐ないばかりに、部下は皆……」
表情には出さないものの、彼女の声は微かな震えている。悔しさからか、はたまた怒りからか……声を震わせながらも、彼女は力強い瞳で姫の目を見つめ返した。
「……いえ、その話は後にしましょう」
気持ちを切り替えるように頭を振るグランナが主の痛々しい身体を見遣り、その顔を顰める。
「姫様も、ご無事とはいかない様子で……」
「私のことは構いません。まずは──」
──直後、神殿を揺らすような轟音。外から消える奇声の数々に思わず身震いして、反射的に振り返る彼女の眼前、レドゥズビアが聖剣を持って立つ。
「貴女方の乗ってきた船は?」
「ここから少し離れた場所に……そこまで逃げ切れば、なんとかなるか?」
レドゥズビアの問いかけにグランナが端的に応える。強力な結界の施された船体、それを最大限活かす事ができれば意思もなく動くだけの屍人など近づけまい。
「──っ!?」
そう考えているうち、奥から足音が聞こえて思わず顔を上げた。ヒタリ、ヒタリと……まだ水気のある床を裸足から響く足音が聞こえる。
暗がりの中、唯一見えるのは白一色の十字剣。それが何を示しているのか、すぐに理解したレドゥズビアが僅かに剣先を下げた。
「外の状況は?」
「思っているより屍人は多くありませんでした。殆ど殲滅は完了して、残党はアイリアは処理しています」
聞かされた朗報に僅かに身体の力を抜くと、グランナは振り返りその姫に判断を仰ぐ。出来る事ならこのままここを離脱するのが好ましいと、そう考える彼女の前で姫は首を横に振った。
「私はここに残ります」
「な、なぜッ!?」
それではダメだと、説得しようと他の者達へと目を走らせるも他の者達も同じ目をしていた。一目で説得など無理だと分かりながら、それでも言い募ろうと口を開きかけた少女を姫が力強い瞳を制する。
「あの屍人はここの海域で死んだ者達。私達の罪が、そのツケが回ってきただけのことです」
無遠慮に彼等の住処である海域に侵入した者達を手にかけてきた。その怨念が、怨嗟が……なんの因縁か、死神の手によって呼び覚まされただけのこと。
しかしそれでも、これは他でもない彼等の招いたことで……もし海域に侵入してくる者達に対してもっと寛容的になれれば、過去の恨み辛みに任せて血に濡れた得物を掲げることをしなければ怒らなかったはずだろう。
「でも、貴女は違う」
「いえ……いいえ。罪と言うなら、私が他の誰よりも命を──」
尚も食い下がろうとする少女の言葉を姫は手を上げて止める。
「これは私達魚人の罪と罰。貴女までをも道連れにするのはお門違いでしょう」
「し、しかし……」
そう言う彼女の眼前、魚人の一人が銅色の短槍を片手に歩め寄る。絶句する少女の手前、彼はグランナの手から銛を取り上げると、代わりにその短槍を手渡すように差し出した。
「何故……」
「強く生きなさい人の子よ。せめて今際の時、私達は罪に報いよう」
かつて地上の人間と対立した海人はそれでも、少なからず彼女を受け入れていた。人間の身でありながらも、捨てたれた人の子を助け育てるだけの慈悲は持ちわせていたのだろう。
「これが私達の罪滅ぼし。それに、貴女を巻き込めれば、終ぞ私達の魂は穢れたままでしょう」
「…………」
無言のままのグランナへ、姫は優しく微笑んで言う。
「さぁ、行きなさい。もしまた生きて会えたら……」
「……ええ。その時は──」
そことで言葉を区切ると一度俯き、しかし力強く前を向くと槍を片手に後ろに控えるレドゥズビアの横に立つ。
「──いつの日かまた」
「ええ。貴方達の行先に、その使命が果たされんことを」
思わず目を見開くサティナを他所に、レドゥズビアは深く頭を下げると踵を返して行く。遅れてサティナもまた彼等の後を追い……その途中で振り返り、そして海人の姫を一瞥。
「悲しみ運命を背負った娘よ。罪と死を重ねた数だけ、己の道に疑念を持ちましょう。──しかし例え、後ろ髪を引かれようとも立ち止まりませぬよう」
「…………」
何を言っているのか分からなずとも、しかし彼女がサティナの未来を憂いていることだけは理解出来た。故に彼女はレドゥズビアがしたように頭を下げると、小走りでその場を後にする。
「遅かったわね」
外に出れば、鉛色の髪を靡かせて赤い少女が立っていた。無数の屍人が蠢いていた先程の光景が嘘のように、周囲には塵一つとしてその気配はない。
ゆるりと赤銀色の瞳が四人を見遣り、それに答えあるように先に前へと出たのはサティナ。
「行きましょう」
話しはまとまったと、そう言うサティナに一つ頷きかけると足早に船を止めた方へと足を進めた。そんな彼女に倣って後を追う。
その途中、やはりと言うべきか何度か屍人の襲撃を受け、その度にレドゥズビアとアイリアが率先で迎撃した。
「呪われた海域と水夫に噂され、事実呪われた化け物が闊歩する死海と化した。積み重ねた罪の跡がこれでは、実に滑稽だとは思わないかしら?」
船の前に着き、ゆるりと振り返るアイリアが未だ俯くグランナへと挑発的な言葉を投げかける。
「…………何が言いたい?」
低くドスの効いた声で唸る女を前に、アイリアは尚も軽蔑を示すような口調で煽る。
「生かされた、生き残った。それを貴女は随分と後ろ向きに捉えているのね」
「貴様に、何が分かると……?」
屍人の一人を短槍で貫き、その姿勢のままアイリアへと鋭い視線を飛ばす。
「分からないわ、分かりたくもないわね……ただ、その面だけは気に入らない。──まるで、自分こそが世界で一番不幸だとでも言いたげ」
「…………」
衝撃に目を見開き、そして返す言葉もなく黙り込む女。それを前にしてもアイリアは言い募る言葉を止めようとしない。
「……少し、話し過ぎたわ」
一つ大きく息を吐き出すと、アイリアもまた他三人を追って船へと飛び乗る。遅れてグランナも船内へと乗り移り……直後、船全体が淡い光を放つ。
「話しは終わりましたか?」
アイリアへと……それ以上に、グランナへとそう言うサティナ。言外に後戻りは出来ないと言う彼女を一瞥……次に変わり果て、屍人の溢れる故郷を見遣ると大きく息を吐き出して頷く。
「ええ、もう出して貰って結構だ。──また、いつか戻ってこよう。私が私じゃなくなった時……ここが、私の死に場所だ」
その言葉を火切りに船が轟音を立てて浮上し始めた。




