第八話 重ねる者
船体が大きく揺らぎ、軋むような音が響くと同時、白い光が結界のように広がった。
「何があった?」
駆けつけたアイリアがグランナに問うが、彼女にも何が何だかわかるはずもない。ただ驚愕に目を開き、何があったのか探ろうと甲板へと移動する。
「なんだ、これは……?」
「素直に驚いたね」
アイリアとサラ=ティアナの声が重ねる。青かった海は血に染まり、水面を炎が覆い尽くしている光景にグランナが絶句した。
「まさか、君が生き残っているとは……」
空すらも赤く染まった真っ只中、細波一つない海面に立つ人影。聖職者に相応しい装束に身を包みながら、しかし彼女の手に持つのは禍々しい大鎌。
息が詰まるほど濃厚な死の気配、肌がひりつくほど冷たい空気に意思に反して身体が固まる。
「これはどう言うことだ?」
アイリアが隣に立つグランナへと問いかけるが、彼女は海面に立つ少女へと釘付けになった答えない。代わりに背後へと振り返れば、一人の男が答えた。
「死の海域。長い間、そう呼ばれている理由はわからず幻だけの存在だと思っていました」
それを聞きながら歩み寄る少女へと視線を戻せば、その容貌が記憶に蘇る。──アイリアの記憶ではない。失ったはずの姉が持つ古の記憶。
「……『死神』タナトゥス・カイハク……」
自ずと自身の口から溢れたのがその名称、灰色の髪を靡かせた彼女が纏う気配は尋常ではない。能面の仮面、その向こう側から除く乾いた血のような瞳。
「伏せてッ!」
「──っ!?」
アイリアが手の届く位置にいたグランナの頭を押さえたのに一瞬遅れて、鈍い音が複数と響く。珍しく視線を険しくきたサラ=ティアナの周囲で、唯一立ってるのは白い少女ただ一人。
「意思一つで他者の命を奪う。相も変わらず、凄まじい権能だ」
片翼を顕現、ふわりと浮き上がった少女が海面に降り立つ。その眼前、十分に声が届く位置にて立ち止まった死神がゆっくりと能面を外す。
「お初にお目にかかります」
能面を薄い胸に当てて、未だ幼さの残す少女が長い睫毛を下げた。
「私は異端審問教会……最高審判官、『大聖女』灰白と申します。そして──」
濃い死の気配とは裏腹に柔和な笑みを浮かべて、その少女は名乗り出る。優雅な一礼、その後に顔を上げた時そこに浮かぶ笑みは禍々しいモノへと変貌していた。
「──改めて、俺は『死神』タナトス」
「懐かしいね。死の権化、見違えたよ」
強い敵意を秘めた笑みを浮かべながらも死神は油断なく白い少女を睨みつけている。しかしその視線はふと持ち上がれば、彼女の顔には驚愕の色が浮かんだ。
「そんなことが……」
サラ=ティアナの背後、ゆるりと甲板の上に現れたのは鉛色の髪を持つ赤い少女だ。身体の周囲には糸のように細く編み込まれた鮮血が揺蕩い、その瞳に浮かぶのは生血の色。
「……お前、『血神』か?」
「いいえ、私は『不死者』アイリア。未来永劫、抗い続けることを宿命付けられた不死の一角よ」
死神の言葉を真っ向から否定して、決して死ぬことのない少女が悠々と名乗り出る。終焉と死滅を司る奇跡の力を持ってしてなお、不死身の化け物は変わらぬ姿で立ち上がるだろう。
「なるほど、どうやら龍神様の警告は正しかったようですね」
殺伐とした口調は打って変わって、聖女と名乗る少女に相応しい物腰柔らかいものに変わっていた。そんな少女は一度俯いたかと思えば、鋭い瞳でサラ=ティアナを睨め付ける。
「神秘の象徴、可能性の権化。全て、お前の掌と言うわけか?」
「さて、ね……僕の天眼でもそこまでは見えないよ。──それに、ね。盤上の全てを覆す化け物がいるんだから」
だからこそ、と白い少女はアイリアを指し示して続けた。
「彼女のような不死が現れた。秩序も理もない、法則は失われては遊戯は成り立たない」
両の翼を顕現、神秘の鎌を片手に白い少女が立つ。
「賽子は正しい目を出させず……それでも、僕等は配られた手札で勝負するしかない。僕や君よりも、不死者の方がそれをよく知っているようだけど?」
いつの間にかサラ=ティアナの横に立ったアイリアが手に持つのは鉛色の両刃剣。湾曲きた双頭刃を軽く回して、それをなんの躊躇いもなくサラ=ティアナの首元へと突きつけた。
「興味深い選択だ──しかし、理解に苦しむね」
「何も不思議なことではないわ」
寸前で腕を差し込んで挟み込むサラ=ティアナ。敵うはずもない相手に刃を突きつける少女を興味深いと感嘆する冒涜者へ、赤い娘は血走った眼で見遣る。
「『亡神』サラ=ティアナ、貴女は危険」
「放っておければ僕はじきに消える。何も死に急ぐ必要はないと思うけどね」
「笑止、私は不死身の化け物よ。だからこそ、貴女はそこの死神を警戒して私の側にいた」
「なるほど、ね。──存外頭が回るようだ。不死者とは言え最年少と、侮っていた自分が恥ずかしいよ」
でも、でもね。──と、凍りつくような冷たい笑みを浮かべて、白い少女が突きつけられた刀身を握りしめた。
「君達では僕に敵わない」
「面白い、試してみよう」
グッと力を込めれば鉛色の刀身が砕け散り、それを火切に赤と灰色の少女が駆け抜ける。迫り来る死神の鎌をくぐり抜けて、無数の羽毛が飛び交う中を飛躍。
「力を失い、神体を失い……それでよく大層な口を叩けたものだ」
避けたはずの神鎌がサラ=ティアナの胸を貫く。その直後、全身の血を抜かれたように身体の温度が失われた。
ガクリッと力を失い、胸を貫く神鎌に吊るされるようにして項垂れる少女。生気を根こそぎ奪われて、その全身からは既に血の気が消え失せている。
「それこそ君にも言えることじゃないか?」
──だと言うのに、死したはずの少女はそれでも色褪せた瞳を動かして、低い姿勢から神鎌を持つ死神を覗き込む。
「生身を持つ僕を殺すのに随分と手間取っている様子だけど?」
「減らず口を」
両手で神鎌の柄を握り、引くようにしながら横へと薙ぐ。そうすれば胸を貫いていた刃がその薄い胸を切り裂いて鮮血を撒き散らした。
夥しい量の血が溢れ出し、自らの血沼に沈もうかと言う少女を目掛けて、赤い閃光が走る。両刃を掴むアイリアが全霊の力を込めて血の刃を叩きつけた。
「源滅光」
命を燃やす極光が球体螺旋を描きながら拡大。周囲一帯を焼き払うような純白の光が二人の少女を飲み込んだ。
しかし、それも一瞬のことで……気がつければ全ては静寂に包まれて、光も音もない世界が訪れる。
「忘れたか? 俺の目に映る全ては原点に還る」
光も音も、破壊の奔流すらも終焉へと誘われて消え失せる。ただあるのは場違いなど穏やかな景色、その真っ只中で口端から血を流す少女がいた。
──だが、思わず目を見開いたのは死神で……そんな彼女の眼前。白い少女は口角を伝う血を指で拭いとると、それを摘むようにして指鳴らす。
「裁定式罰十字──」
瞬間、死神を挟み込むように彼女の三方向から黒結晶の大槍が出現。海面を突き破って現れた三本の結晶槍が死神の身体を食い破り、交差するようにして衝突した。
「──零点」
一瞬、黒電が迸ったかと思えば罰印の中に掲げられた死神目掛けて膨大な滅びが落雷する。滅びの奇跡がその一片、目を細めるサラ=ティアナの眼前……滅びの雷を浴びながらもその死神は掲げられた歪な十字架を引き千切り、ゆるりと神鎌を振りかぶる。
「流石だね。──でも、それじゃ零点だ」
死神に引き裂かれて滅びの雷に打たれ、結晶槍に模られた十字架は粉々に砕け散っている。──だと言うのに、砕けたはずの欠片は落ちることなく宙に残っていた。
「忌々しい、亡霊の遺物が……」
「『滅びの王』の名の下に告ぐ」
砕け散った結晶の間を次々と黒電を駆け抜けて、それぞれの欠片を繋いでいく。間もなく現れたのは巨大な球体魔法陣。
「過去の遺物は滅び去り、世界は本来のあるべき姿を取り戻す」
ゆっくりと闇の帳が降りる。死も生もなく、全ては常闇に沈もうとした時……海中より巨大な銀影が浮かび上がる。
「……鉄の処女……」
光の奔流に飲まれて消えたはずの少女が立つ。ゆっくりと口を開けた鉄の処女が膨れ上がる闇をも飲み込む。
「裁定式罰十字──」
巨大な影が虚無の闇を飲み込むと同時、重ねて白い少女が唱える。
次に狙うのは赤い少女……否、死神をも含めた二人だ。両者は同時に大きく跳躍、三本の棘を躱すも……しかし身体の芯にまで至る衝撃と内部を焼かれるような痛みが襲い、気が付けば磔にされた二人の少女。
あり得ましない現実に瞠目し……そうして気が付いた時には二人の細身を結晶槍が貫き、先と同じ光景が目の前に浮かぶ。
「──磔刑」
耳を劈く雷鳴が轟き、それは不協和音を奏でて遥か彼方まで響き渡り……落雷地点では時空間すらも崩壊して、景色が一変している。
如何なる因果をも超え、絶対必中の磔刑は執行される。咎人にそれを避ける術はなく、断罪の雷を振り下ろさんと白い少女が滅びの王へと祈りを重ねた。
「我が献身なる騎士よ。君が主の声に応え給え──」
顕現するの光十字剣。それは膨大な黒電を纏い、磔にされた二人の少女が次の手を打つよりも早く彼女等の身を穿つ。
滅びの雷は二人の少女諸共、黒結晶によって造り出された磔を砕く。欠片の一つ一つを黒電が繋ぎ合わせれば、間もなく二人の少女を巨大な魔法陣に飲み込んだ。
「──滅式零審判」
無数の欠片が黒電を纏って拡大……それぞれの結晶欠片が四方八方へと棘を伸ばし、無数の黒星が白い光を放って輝くような光景が浮かび上がる。
内側に閉じ込められたのならば、無数の破片が拡大するように爆ぜたことですり潰され、その傷口を黒き電雷が焼く。
──だと言うのに、結晶星の塊は砕けることすらなく消え失せて、現れたのはのは無傷の聖女と血を纏う魔女の姿。
しかしそれすらも知っていたと言わんばかりに光十字剣を掲げれば、白い少女を目掛けて黒雷が落ちた。
天を仰げば頭上に浮かぶのは稲妻で描かれた幾何学模様。膨大な破壊と滅びを内蔵して、それは術者すらも焼き払わんと荒ぶる。
膨大な電雷は天地を繋ぐ柱と化し、近づく者全てを焼き払う。──しかし直後、驚愕に目を開いた死神の眼前、雷はその勢いを弱めていく。
「鉄の処女──」
小さな呟きが聞こえたかと思えば獄門が口を開き、サラ=ティアナの背後に現れた。白い少女もろとも膨大な滅びの雷を飲み込み、時空間の果てに葬り去らんと巨大な門が嫌な音を立てて閉じ始める。
「──第弍門」
滅びの雷が如何に荒れ狂おうとも空間の歪みが全てを飲み込む。どこまでも果てしない闇を内蔵した門を睨め付けて、白光色の瞳に浮かぶのは闇十字を模した四芒星。
可能線の権化たる少女がその力を解放して、空間の歪みに底がどこまで続いているか試す。膨大な滅びと無限の可能性を内蔵した力が溢れ出し、底の見えないはずの闇が崩れ始めた。
「手伝って」
アイリアがそう言うよりも早く、飛び出した死神が大鎌を振り抜く。さすれば黒雷の柱がその姿を消す……直前、それよりも早く光十字剣が死神の薄い胸を貫いている。
「──一手、誤ったな」
投擲された光十字剣に胸を貫かれながら、しかし死神は冷たく微笑む。渾身の力を込めて放たんとした黒雷は姿を消し、最早サラ=ティアナには打つ手はない。
「……それは、どうかな」
なす術なく空間の果てに飲み込まんとするはずの少女が、一体なんの間違いだろうか。投擲されたと思っていた光十字剣を確かに掴んで死神の眼前に立つ。
白い光の輪郭を纏い、半透明の姿を持ち……正常とは言い難い少女はしかし、その瞳に闇十字を宿して確かに立っていたのだ。
「可能性の顕現か……俺が、ソレを知らぬと思ったか?」
分身体の少女越しに、その本体へと目を向けてやれば白い少女は処女の胎内へと飲み込まれた後だ。あれだけの力を持ってしても、そろそろ力尽きる頃合いだろう。
故に彼女は飲み込まれる直前に残った力をかき集め、こうして分身体を顕現した。本来ならばあり得ないはずの現象を起こす奇跡の所業、彼女が時空間に飲み込まれなかった世界線を現世に重ねる可能性の顕現。
「何も不思議なことじゃない。君がかつて、言ったことだ」
最早、死に損ないの悪足掻き。まともな抵抗など出来やしないと……少なくともあの恐ろしい神を知らぬ者なら思うだろう。
しかし目の前にいるのは他でも『果亡き亡神』。力を失い、神体を失い、記憶をも朧げで……今や自分自身からをも切り離した刹那の可能性。
どこまでも行っても終ぞ儚さから抜け出せぬまま……故に彼女は自ら諸共その裁きの雷を落とす。全身を貫く衝撃をも置き去りにして、場違いなほど細い腕にグッと力を込めてやれば、胸を貫かれたままの死神を掲げるようにして十字剣を振りかぶった。
「この身こそが神秘の象徴、奇跡の権化」
底無しの亜空間に飲まれたはずの滅びが再び現世に顕現。それもまた可能性の話し過ぎず……しかし本来あり得ないはずの現象を確かに、彼女の力は現世に顕現して見せた。
──これは滅びの奇跡が底無しの亜空間すらをも上回った世界線。故に先程とは比較にならないほど強大な滅びを内蔵して、黒き雷は視界に映る全てを飲み込み、溢れんばかりに膨れ上がった。
「……血界……」
天地を繋ぎ一振りの巨大な剣と化した刃を振り下ろす。破壊と滅びが赤い海に落雷、不協和音の雷鳴が遥か彼方にまで響き渡る。
それとほぼ同じくして、血の結界を定義。最後にありたっけの力を込めて、赤い少女が足元に広がる果てしない大海をその血肉と化す。
「へぇ……」
間もなく破壊の奔流は過ぎ去り、本来あり得ないはずの存在が薄れていた。本体を遥かに上回るほどの力を誇りながらも、ソレはまるで夢や幻の如く嘘のように弱々しい消えていく。
「……これは、見事と言わざるを得ないね」
あれだけの破壊の奔流を受け、満身創痍ながらもアイリアは両の足で立っていた。対して死神は死に体──半身が消し飛んで、残ったから部分にも無数の亀裂が浮かび上がって焼け爛れている。
「アイリア、君の一人勝ちだ……」
間もなく白い少女はその姿を消し……しかしその後ろでは破壊の奔流を受け、本体を飲み込んでいたはずの鉄の処女が崩壊していた。
未だ意識を失っているのか動く気配はなく、もし少しでも歯車が狂っていれば、処女の胎を食い破ってあの白い少女は蘇っていただろう。
「さて、協力関係はここまでね」
海の色は元に戻っていて、白い少女は海面に浮いているだけ。死神も半死の体で何とか海面に立っているが、もう動けるようには思えない。
「抗い続けることを宿命付けられた不死身の化け物……よく、言ったものだな」
波紋一つ立てずに歩み寄るアイリア。その両手には鉛色の刃が握られて、滅びの呪詛に蝕まれてもなお赤銀色の瞳には好戦的な色が見て取れた。
「──いや、やめておこう。これ以上、こちらも手を出すつもりはない」
「それで私が納得するとでも?」
死神は少し迷ったように視線を落とすも、それはすぐに穏やかな表情を見せる。
「納得して下さらねばなりません。お互いのために、ね」
「…………いいわ」
生憎とアイリアとは言えどこれ以上の継戦は可能だった。心配はせずともサラ=ティアナはおそらくもう戻らず、現時点では死神に対抗できるとは思っていない。
「交渉成立ですね」
サラ=ティアナを回収するアイリアを横目に、死神を冠する大聖女が冷たく微笑む。




