第一話 大海原へ
月の明るい夜だった。
帰る場所もないその日暮らしで、今日も今日とて我が身可愛さに道ゆく旅人を襲い、身ぐるみを剥ぎ取る。
そんなことを繰り返していれば、いつしか罰が回ってくるモノで、生憎と彼には覚悟もない。──しかし同時に諦めてもいて、そうなって当然と言う自覚もあった。
そして、その瞬間が訪れたのはいつもの夜。
やることは何も変わらない。
彼の指示で男達が馬車を襲う。馬車に乗っていた男を殺し、女を犯し、金品を掻っ攫う……ただそれだけの日常。
その中で唯一違うのは、一際美しい少女がいたことだろうか。夜風に無垢金の髪を靡かせた美しいその少女は、鮮血を滲ませたような鮮やか瞳をしていて……それは夜闇の中でもなお色褪せることはない。
「こいつは上玉じゃねぇか」
手下の一人が舌舐めずりしながら大型のナイフを取り出す。それを持った手をもったいぶった動きで軽く振りながら、その少女へと近づく。
「──っ!? おい待てっ!」
何か分からない。しかし何かおかしいと思った彼はその男を制止する。──だが、肝心の部下はまるで操られているかのように不用心にその少女へと近づき……
「え……?」
「は……?」
彼女の周りに立っていた男達の首が弾けた。湿った生々しい音を立てて頭部が吹き飛んで、そうして首無しの胴が遅れて倒れ込む。
それを目の当たりにした他の男達が漸く事の重大さに気が付いたのだろう。慌てたように女から距離を取り、しかしその誰もが身体のどこかを失う。
「「「ぎゃぁぁあああ!」」」
瞬く間に五体満足で立っているのが半分以下に減って、その目により険しい色が見えた。
──奴は何をした……?
──これが魔法と言うものか……?
──それとも、別の何か……?
理解出来る範囲を大きく超えた光景にたじろぎ、しかしもう引くにも引けない状況だ。
気が付けば狩る側だった彼等は、既に狩られる側へと変わっていて……素早く周りへと目配りする。
──ダメだ、皆怯え切っている……
冷静さを取り戻し、まるで彼女を遠目に囲うように立っていたと思っていた彼等は……しかし、全く違う。──ただ怯えて、動けないだけだったのだ。
それもそのはずだ。今まで自分よりも弱い人間を痛ぶるだけで、本気で命のやり取りなどして来なかったのだから……
──逃げようにも、不可視の攻撃が飛んでくる……
気を抜けばすぐにでも思考を放棄しそうになる頭を懸命に回して打開策を練る。しかし、いくら考えたところで逃げられる見込みはなく──
「は……?」
ただ瞬きをしただけで、次の瞬間にはその女は目の前に立っていて……そうして彼女越しに、その背後で生き残っていた部下達の頭が弾け飛ぶ。
「あはっ!」
ずっと動くことなく俯いていたその顔がようやく持ち上がり、長い髪の下に見えるのは身の毛もよだつような禍々しい笑み。
「いいわね、その表情」
怯え、動けない彼の頬に触れて女が場違いなほど柔らかい声で囁く。こんな状況でも思わず魅入ってしまうほど美しい顔が、文字通り目と鼻の先にあって、しかし彼女から漂うのは生々しい血の匂い。
「……お、お前は……一体?」
ただそう言うことしか出来ない男の目を覗き込んで、そうして金縛りにあったように動けない彼をまるで嘲笑うかのようにその笑みを深める。
「う〜ん……いいわぁ、教えてあげる」
大して悩む悩むことなもなく呆気らからんとそう言ったかと思えば、彼女は自身の指を一つ切り落とした。
それを男の口へと突っ込み、えずく彼の喉に自身の血を流し込む。
「第四階位血族、レミナス」
ドクンドクンと痛いほど心臓が大きく脈打ち、その度に自身が全くの別物へも変化する恐怖が心にのしかかる。
冷たく美しい少女、その鮮やかな瞳から目を離すこともできず……記憶の全てが赤く染まって──
「はっ、ぁあ……っ!」
全身を大きく震わせて飛び起きれば、最初に感じるのは強い喉の渇きと身体の気怠さだ。
「くそっ、嫌なことを思い出した……」
悪態をつき、身体を起こせば周りを見渡す。目の前に広がるのは無骨な岩肌で、それを目にして舌打ちすればガンガンと痛む頭に手を置いた。
この無人島に漂流してからもう二週間近く経っている。なんとか水と食べ物の調達は出来ているが、血族である彼にはそんなものよりも必要なモノがあった。
──そう、人の生き血だ。
そろそろ理性を保っていられる時間もなく、間もなく血に飲まれるだろう。いや、それこそが彼にとっては最も相応しい末路なのかもしれない。
「海岸に船はあるが……」
生憎と彼一人では陸に上がっている巨大な船を海まで持っていくことはできない。それに船上に置かれた航海図を見れば、最短で本土を目指しても三週間以上はかかるだろうか。
その間、飲まず食わずでいる訳にもいかず……何よりも、もうそんな余裕もない。
「くそぉ……」
少しでも消耗を抑えるためにこうして洞窟内で太陽光を避けているが、時限は刻一刻と迫っていた。
「……?」
──なんだ、人の気配……?
血族になってから五感は鋭くなり、より一層人の気配にも敏感になっていた。ゆっくりと重い身体を持ち上げて、陽光に顔を顰めながら歩き出す。
もし本当に人がいるのなら好都合だ。血を奪って喉を潤し、その上で拘束して餌として飼う。
もし船を持っているのならそれも略奪すればいい。それに、血族となった彼なら人間が何人いようと相手じゃない。
渇きと疲れで回らない頭に浮かぶのはそんな蛮行。それがかつて己の首を絞めたことなど考える余裕もなく、しかしそれを目の当たりにした時、全身の血液が逆流するような錯覚を覚えた。
遠目に見えるのは三人の人影。騎士服に身を包んだ男と外套を羽織った白髪の女……しかし、彼を心の底から震え上がらせているのは彼等と並んで歩く白金の長髪を靡かせた女だった。
「う、そ……だろう」
かつて手も足も出なかった第四階位血族、それすらもまるで矮小に映るほどの最上位者。
「第三階位以上……もしかすれば、二階位か……」
一段階上がるだけでも全くの別物であるはずが、その少女はまるで次元が違う。最悪、最上位の可能性すらもある。
そして皮肉にも、彼の予想は的中していて──
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「さて、どうしたものかしらね」
広い、広過ぎる大海原を前にしてアイリアが嘆息の声を漏らした。そんな彼女の隣に立つサティナも同じ感想で、皮肉なほど美しい海を前にもう何度目になるか分からない溜め息を吐き出す。
転移門を潜って出たのは無人島で、彼の地に渡るにはこの海を越える必要がある。とは言えど、定期的に『龍王』の所まで出向いているだけあり、暫く進んだところに船があるようだ。
「海を渡り終えるのにはどれぐらいかかりますか?」
「海路は二つある。一つは危険が伴うが魔法を使えば一週間ほど」
「二つ目は?」
「安全だが一ヶ月以上はかかる。本来ならこちらを取るが、今は時間がない。それに──」
と、彼はサティナとアイリアを交互に見やる。
「幸い、我々のしぶとさは折り紙つきだ」
「…………素直に喜べないわね」
不死者が二人と、人外の化け物が一人。言わずもなが前者の二人は不眠不休かつ飲まず食わずでも問題なく、サティナもまた航海前に十分な休息と補充が出来れば一週間ぐらいは持つ。
「私達が丈夫でも、難破したらどうするつもりかしら?」
「そしたら、泳ぐしかあるまいて。どちらにせよ、道半ばでくたばる選択肢はないのだから」
「あまり遊泳は得意じゃ無いのですが……」
軽口を叩けるだけの余裕が見えてきた三人は、土に足取られるのも胃に介さず、急足しで海岸沿いを進んでいく。
「なるほど、これはまた……」
「随分と立派なものね」
広い海岸に打ち上げられたように乗り上げるいくつもの船。それを見上げて二人の少女が素直に感嘆の声を漏らした。
「ああ、だが今回求めるのは見えよりも速さだ」
船の間を縫って歩くレドゥズビアを追いかけて二人もまた船へと、値踏みするような視線を向ける。見るからに荘厳な作りの船をいくつも通り越して、彼等が立ち止まったのは至って単純な外見の船だ。
当然その大きさには目を見張るものがあるが、漆塗りの黒い船は独特な雰囲気を出していた。固定されずにただ垂れ下がっていだけの黒い帆が風に靡き、まるで幽霊船のようにも見えるそれからは異質な雰囲気を感じる。
「不気味、ではあるけど……随分と、綺麗な船ね」
一見すれば不気味さすらも漂うその船は、しかしよく手入れされて美しく、再び大海原へと旅立てることにさえ恍惚としているようにしていた。
「よし、行くか……」
それから三人の行動は早かった。それぞれ船を囲うように三方向へと散らばると、船を固定していたロープを外す。そうして押し出し、引っ張ればそれは存外軽々と動き出す。
本来でれば大人数でやっと動かすそれは、しかしたった三人の腕であっさりと海の中へと進んでいく。
「上に上がったら錨を上げろ」
船が徐々に海に沈んでいき、それを確認するよりも早くアイリアが器用によじ登る。そうして最後の固定である錨を巻き上げると、船を押すサティナがレドゥズビアへ視線を向けた。
「私は最後に登ります」
帆の張り方はおろか、ロープの結び方ぐらいしか知らないサティナでは上に登っても何もできない。それを察したレドゥズビアは一つ頷くと、軽く膝を曲げて、そうしてたった一度の跳躍で甲板に飛び乗った。
「ふっ……」
一つ息を吐き出し、彼女の細い腕が縦通材を突き出す。船から微かに軋むような音が聞こえ、サティナは自身の足裏に水を感じた。
さらにゆっくりと力を込めて船を水上へと押し出し、一歩一歩確実に歩を刻む。──間もなく彼女の身体の半分以上が水に沈み、船がその浮力を発揮し始める。
「もう、十分だろう。そろそろ下の奴も上がっていい」
上での作業もおおかた終わり、レドゥズビアが少し離れたところでロープを結んでいたアイリアへそう言う。そんな彼の言葉に頷くと、彼女は身を乗り出して下へと声を飛ばした。
直後、白い影が甲板に飛び乗り、そして二人の指示に従って作業を続けていく。
「まだ船体が海底に着いたままです」
「構わん。まずは帆を張れ、そうすれば問題は無くなる」
彼が一体何を考えてそんな言っているのか理解出来ないまま、しかしそれ以上サティナも何を言うことなく彼の言葉通りに帆を張っていく。
「これで、全部ね」
漸く帆を張り終えると、レドゥズビアが甲板へ移動する。そうして一度下の海を見やり、ゆるりと振り返った彼がその顔を持ち上げる。
「何かに捕まっていた方がいい」
そう言う彼の言葉に従い、サティナとアイリアは互いに帆柱に巻かれた縄を握る。──直後、強く……そして重い風が全身を突き抜け、船が大きく揺れる。船の至るところから軋むような音が鳴り響いて、そうして船底を海底に擦りながら船体が動き出した。
「随分と力技なんですね」
漸く揺れが収まってくると、サティナが軽く手を払いながら戻ってくるレドゥズビアへと言い放つ。そんな彼女の言葉を受けて、彼は軽く肩をすくめると遠く水平線へと目を向ける。
「奥の部屋に航海図と羅針盤がある。今後の方針をそこで話そう」
歩き続ける彼に連れて二人の少女が歩き出す。そんな彼が一つの扉に手をかけて……しかし直後、眉間を顰めてその顔を曇らせる。
「いかがないさましたか?」
不思議に思ってそう問えば、レドゥズビア何度かドアノブを回して……そして諦めたように手を離すと、溜め息混じりに答える。
「…………何かが、つっかえている?」
「どいて」
些か乱暴にレドゥズビアを押しのければ、アイリアは何の躊躇いもなく扉を蹴破った。緻密な紋様が刻まれた木作りの扉が哀れなほどあっさりと砕け散り、その破片が部屋の中へと四散する。
「…………え?」
あまりに早く出た思い切った行動に呆気に取られるサティナを横目に、容赦なく破壊工作に及んだ少女は散らばった木片を踏み付けて部屋の中へと足を踏み入れる。
「さて、これはどう言う了見かしら?」
アイリアが目を細めて凄む。そんな彼女の視線の先にいるのは青ざめた顔で部屋の隅に立つ男の姿で、突然入り込んだ三人を警戒するような視線を向けている。
何よりも特徴的なのはその瞳で、魔族特有の独特な紋様はないものの、代わりに魔人と見間違うほど鮮やかな瞳を持っていた。
──鮮血のような瞳、まさか血族……?
疑問符を浮かべるサティナの前にアイリアが踊り出れば、彼の顔に強い怯えの色が浮かび上がる。
「器用に気配を消して隠れたものね。始祖である私ですらも、眷属である貴方に気が付けないほど……」
そう言えば、男が懐から冷たく光るナイフを取り出す。そんなモノで彼女達をどうこうできる筈もなく、しかし彼に残された抵抗の手段はそれしか無いのだ。
「……このまま、俺を連れて行って欲しい」
更に一歩、前へと出たアイリアへ彼がそう持ち出す。だがそんなことはお構いなしに、彼女は男の前に出ると自信よりも高い位置にある瞳を睨め付ける。
「その権利があると? 生憎と私達に貴方を抱えていられるほどの余裕はない」
「それは同感だ、足手纏いは命取りになる」
アイリアの言葉にレドゥズビアが賛同する。不死者が命を惜しむような発言に引っかかりを覚えながら、しかしサティナもまた何を口にすることもない。
「……頼む……」
顎を引いて強くアイリアの瞳を見つめ返す彼の胆力にサティナは内心関心して、そうして一つ助け舟を出した。
「理由くらいは聞いてもいいのでは?」
「…………もしくだらないことだったら、海に投げ捨てるわ」
「感謝、する」
そう言うと彼はナイフを下げて、重々しく口を開いた。自身の乗っていた船が難破したこと、気が付けば流れ着いたのがあの無人島であること……そして、せめて人のいる本土に戻りたいと言うことだった。
仲間の生死は分からないままで、ずっとあの島に取り残されていた。船を動かそうにも一人では海まで持っていくこともできず、そこに丁度現れた三人が船を動かしたのを目の当たりにして忍び込んだと言う。
「……そう……」
まるでため息でも吐くようにそう吐き出す彼女のすぐ左後ろにサティナは付くと、軽く耳打ちする。
「信じられそうですか?」
「それはどうかしらね。ただ彼は私達との実力差は理解している様子だし、それに血族は本能的に自分よりも上位の相手に恐怖を抱くわ」
故に彼は特にアイリアを警戒しているのだろう。血族の本能として、眷属が主人に牙を向かないために、そして眷属自身の生存本能として自身よりも始祖に近い血族に恐怖心を持つ。
「でも、絶対ではないのですよね?」
「ええ、私達の間でも下剋上はあるわ。位の低い者は位の高い者の血を大量に取り込むことで、より強大な血族となる」
とは言えど、アイリアは始祖と現在生き残っている血族の中で最も位が高い。そんな彼女が今更こんな男程度に遅れをとるはずもなく、超越者たる彼女に彼が勝てる見込みなど天地がひっくり返ってもあり得ない。
軽くサティナの質問に答えると、その瞳がゆるりと男を見据える。血も凍るほどの冷たい目で射抜かれて、彼の肩が跳ねた。
「けど、いくつか問題がある。──まず第一に、血族は陽光に弱い。この船の上で日光を避けるのは難しい」
それに、彼女の瞳が再びサティナを見やる。
「私は血が必要ない『真祖』よ。けど、彼は違う」
そう、彼女は姉の力をそのまま継承している。全ての血族の長であり、そして最凶の血統として完成されていた。
「でも彼は血が必要。私の血を分け与えた場合、もし耐性が有ればより強力な血族となるだろうけど、無ければ自壊を起こすわ」
そして彼女の瞳が扉の前に立つレドゥズビアへと向けられる。
「彼はダメ、不死者は生きながらにして死んでいると言っていい。血を飲んでも何が起こると言うこともないけど、養分にはならないわ」
となれば消去法で彼に血を分け与えるのはサティナの仕事となる。その事実をつけられて彼女は怪訝そうに眉を顰めると、ナイフを持つ男へと視線を向けた。
「貴方、難破するまでは船に乗っていたと言ったわね」
「あ、ああ……」
「その時はどうしていたのかしら?」
「同じ乗組員に、血を分けて貰っていた」
そんな彼の答えを聞いて、彼女はサティナへとその目を向ける。無言の圧で選択を迫られて、一つ口を開いた。
「血を分けるって、どうすればいいのですか?」
「軽く切り傷などを付けて血を流せばいいわ。あとは漏れ出る血を啜って貰うだけ」
「量は?」
「普通の人間にとっては少し多いわね。コップ一杯分くらいで、日光を避けて力を使わ無ければ数日は待つわ。それに彼は暫く血を飲んでいないのか、少し禁断症状が出ている。もし同行を許可するのなら、今すぐ分ける必要もあるけど……」
それを聞いたサティナは黙ったまま瞳を閉じた。無言の承諾を受けてアイリアが再び男へとその視線を向ければ、ここまでの話しを軽く伝える。
「いいわ。だけど、同行は本土に着くまで。それと、貴方に血を与える役目は彼女……血は一週間に一度で、順調に旅が進めば二回だけ」
彼女がそう言えば男は驚いたような顔を見せる。まさか、こうもあっさりと承諾されるとは思っていたなかったのだろう。
拍子抜けたような顔のまま、その目を血を分けると言うサティナへ向けて、彼女はその剣で自身の手首を傷つけた。
「もう暫く血を飲んでいないでしょう?」
そう言うサティナの腕を見て、口の中に唾液が溜まるのを感じた。強い渇きに理性が擦り減るのを感じなら、それでも動けない。
しかしいつまでも耐えられる訳もなく、ジリジリと動き出せばアイリアよりも前に立つ彼女の細く華奢な腕を掴み……そして、流れ出る純血に口を近づけた。
「──っ!?」
喉が潤い、欲が満たされていく。久しく感じる生への強い悦びに酔いしれて、そんな彼が目にしたのは酷くか弱い少女の顔で……一捻りすれば軽く死にそうなほど、あまりに弱々しい目てくれの少女。
しかし何故だろうか。決して手を出してはいけない何かを感じるのは……初めて、血族を目にした時と同じ感想を抱くのは──
「……助かった……」
気が済むまで血を啜り、そうして彼女の腕を解放すると男は口を拭う。そんな彼とサティナの間にアイリアが身体を滑り込ませると、その目を覗き込んだ。
身体が跳ね上がるのを感じながら、しかし釘付けになったようにその瞳から目が離せない。
「貴方の名は?」
「ルイド……性は、ない」
「私の目を見なさい」
「──っ!?」
直後、全身を焼くような痛みに悶えた。まるで全身の血が溶けた鉄に変わったかのような強い痛みと、全身の重さに耐えきれず床をのたうち回る。
「な、何をしたんですか!?」
それを見たサティナが声を荒げてアイリアの肩を掴み、しかし彼女はまるでそれに取り合わず抑揚のない声で答える。
「名を媒介として彼の支配権を上書きしている。どうやら彼を血族にしたのは私よりも下位の血族……いや、私より上位はいなかったわね。ソレから支配権を略奪し、私の眷属としたわ」
彼が決して裏切らないよう、その主従関係を刻み込んでいるのだろう。彼女が名を聞いたのはそれが理由で、間もなく男が動かなくなる。
そして彼の前に跪くと、その目を覗き込んだ。
「さて、貴方の支配権は私が奪った。これがどう意味か、わかるかしら?」
彼女の問いに、ルイドは力なく頷く。それを目にすると、今度こそアイリアは彼を解放して去って行った。──そんな彼女の後を追ってレドゥズビアも必要な物だけ持って部屋を出た。
「大丈夫、ですか?」
二人が見えなくなるとサティナは屈み込み、ルイドの顔を覗き込む。あれだけ悶え苦しんでいた筈なのに、何故からその顔色は会った時よりも良くなっていた。
「あ、ああ。問題ない」
力なく頷き、そして彼はサティナへ礼を言う。
「血を分けてくれて助かった。それと聞きたいんだが、彼女は何階位なんだ?」
「……彼女は、始祖です」
答えていいものが一瞬迷ったものの、口止めされている訳でもなく、何よりも彼はもう逆らえない。それを思い出して答えれば、その顔には驚愕と同時にどこか心得たようなような色が滲んでいた。
「やっぱり、か……」
そう言うと、彼は疲れ切った様子で大きく息を吐き出した。




