第三章終話 She will become the true goddess.
石張りの地面を踏み締めて、一人の少女が巨大鳥居を潜って姿を現す。
悠然とした風格、傲慢なほど緩慢な動きで彼女は石張りの広場を横切るように歩いている。
何よりも目を引くのは、彼女の背中に携えられた三対六枚の巨翼だろう。それはまるで花吹雪の如く、周囲へ羽毛を舞い散らしていた。
喪色の桜花びらが舞い散る中、それよりもなお無色の長髪を靡かせている。気ままに揺れる前髪の下で、無色にして万光の瞳が座った輝きを宿している。
見に纏うのは花嫁衣装を模したような純白ロングフィッシュテールで、悉く白い少女からはまるで生気が感じられない。──その中で唯一彼女が生者たる証となり得るモノは、闇色の瞳孔のみだろう。
全てが洗練され、完成された姿。歩き方一つ、指先にまで意識の行き届いた動き、視線の動きまで全てが見るモノを魅了して……小柄な身体でありながら背筋を伸ばし、悠然とした姿勢は王者の風格そのもの。
これこそが絶対強者の在り方だと言わんばかりの、傲慢なまでの在り方に……そう、誰もが自ずと道を開けるだろう。
遠く、広い、広すぎる石張りの庭の向こうに見える巨大な社。その前に並び立つのは巫女装束に身を包んだ少女達だ。
その誰もが彼女の通り道を開けるようにして跪き、ただその首を垂れていた。
その中の一人、濡烏色の髪が特徴的な少女の前で彼女は立ち止まった。ゆるりとその瞳を跪く少女へ向け、そして白い陶器のような手を伸ばせばその娘の顎に触れる。
「うん、やっぱり。君が次代の『龍神巫女』だね」
顔を持ち上げさせて、その瞳を覗き込む。万光を宿した瞳とは裏腹に、どこまでも底知れぬ闇を宿した天眼が彼女を釘付けにする。
それでもなお、目を逸らすことなく真っ向からその視線を受け止めた。
「先代に引き続き、『龍神巫女』は皆いい目をしているね。どこまでも透き通った、強い信念を持っている」
フッと彼女が目を細めただけで周囲の空気は凍りつき、その場に居合わせた少女達の顔からみるみるうちに血の気が引く。
「そう怯えなくていい……僕はただ、嬉しいんだ。まだ未来を信じてくれてる人がいることが……そして、それを確固たるモノにする君達の主人を尊敬していんだよ」
どこまでも慈愛に満ちた柔らかい口調であるはずなのに、何故だろうか。──その言葉を聞いた者達の心が、まるで凍てつくような錯覚を覚えるのは……
「そう、虐めてくれるな。皆、儂の可愛い娘達なのじゃぞ?」
どこまでも透き通っていて、それでいながら強く魂にまで響く声が大気を震わせる。ゆっくりとした動きでそちらへ視線を向ければ、そこに佇むのは青白い光を纏った龍だ。──龍族としては珍しく鱗は持っておらず、代わりに全身を白い体毛が覆っていた。
「よく来たな、『虚無者』の意志を継ぐ者よ……『狂王』の飽くなき旅路に寄り添う、哀れな娘よ。──時間、きっかりだ」
「久しぶりだね、『龍神』アフィ=ヴァエナ。君の方は変わりないようで安心したよ」
彼女に名を呼ばれ、ソレは儚げなでありながら確かに嬉しそうな笑みを浮かべた。幾星霜もの時を超えて、古き友とこうして相見える喜びを噛み締めているように──
「中に入るがよい。積もる話しもあろう」
「それじゃ、お言葉に甘えまして」
徐に踵を返して社の中へと消えていった彼女の背中が見えなくなると、白い少女が軽い足取りでその後を追う。
薄暗い室内にはすぐに慣れ、しかし先に消えた筈の龍の姿は無かった。代わりにあるのは、白い長髪と瑠璃を帯びた琥珀の瞳が特徴的な少女だ。
そして、それは彼女は数十年前にも見た顔で──
「そっかぁ、先代の巫女さんはもう……」
「ああ、彼女の容姿は儂が引き受けた」
「……彼女には、色々と良くしてもらっていたんだけどね……」
「ほざけ、儂の方が世話になっておったわ」
「代々、亡くなった巫女の姿を模すのには何か理由が?」
「何があって始まったことでは無いのだがな……気が付けば、これが当たり前になっておった」
適当な茶菓子が用意出来れば、二人は軽口は程々に対面で席に着く。
「本当に、人間の命は儚いね」
「ああ。故に、我等とは相入れぬのだ」
人間は脆い。簡単に病にかかるし、心臓をひと突きで死んでしまうし、血を流しすぎても怪我の損傷が大きくても同じこと。いくら長寿な人間だとしても百年生きることなど出来ず、力ある者であっても千年生きるのは極々稀だ。
「それでも何故、君は人間を近くに置くんだい?」
「…………彼等が花を愛でるのと同じ、だと言えば?」
「儚いからこそ美しいと?」
「まぁ、それもあるかも知れぬな」
ため息混じりに茶を口に含んで、彼女は白い少女の顔を覗き込む。その瞳に映る偽りの色を見透かすように、透明な目でただ彼女を見つめていた。
「儂が口で言うまでも無い。何よりも、汝がよく知っているのでは無いか?」
「ふふふっ、そうだね」
ゆっくりと動いた目が見るのは社の外。広場の奥に並び立つ桜の木で、その花へ視線を向ける彼女の顔は、どこなく憂いて見える。
「儂は何故汝が、今世の『狂王』に付き従わぬか知りたいのう? よもや、久方ぶりに姿を現した繋がろう?」
「察しがいい、のかな?」
「まさか。汝を知る者でれば誰もが同じ思いを抱くだけじゃ」
「そんなに、分かり易い?」
視線を戻して、眉下げた困り顔で彼女が問いかける。そんな少女に対してアフィナが向けるのは、どこか呆れたような顔だ。
「何か良からぬことを考えているな?」
「そうでも無いよ」
そんな彼女の言葉に、龍は目を細める。
「汝、その師である奴が死に……そして生まれ変わるたびにその下に付き、手となり足となっていた。最初の『天主』であり、かつて三界までを統べながらも自らその座を放棄し、気が遠くなるような時間を彼奴に付き従う理由があったのだろう?」
「…………本題に入る前に、少し昔話しをしようか…………」
そう言うと、彼女は茶を一口含んで語り出した。酷く重い口を開いて、まるでどこまでも哀愁が滲むような声で──
「君の言う通り、僕は幾度となく生まれ変わる彼に付き従い続けた。力を失って満足に動けない彼の手となり足となり……記憶を失って僕を忘れた彼に何の疑念も抱くことなく、その大願の礎となる」
軽く背中を仰け反らせて白い少女が両の腕を広げて、声高らかに言い放つ。自身が繰り返して来た過去を、その行いの先に何があるのか理解していながら……しかし、彼女は止まることはなかったのだろう。
「僕はね。初めて彼に出会ったその時から……その姿に、その在り方に惹かれてたんだ。理不尽の全てを薙ぎ倒して断行する彼の言動に……誰も彼もが恐れ慄き、まるで身を守るように突き出した腕がその背中へ伸びている」
恍惚とした表情で彼を語るその姿は盲目的にも映って、アフィナの目には身の内から狂気に蝕まれた化け物にも映った。
「初めて彼を目の当たりに時、既に賽は投げられていたんだ。僕は彼と契約を交わし、その母胎となることを承諾した……新たな世界を創り出す、母となることをね」
それがどれほどのことか、彼女ほどの者であれば十分に想像出る筈だろう。にも関わらず、まるで道具のように扱われることに何ら疑問も持たず……いや、それどころか悦んでいるようにも見えた。
「でも、今や彼は自分を見失ってしまっている。繰り返し生まれ変わった彼は、もう何の為に戦っているのかも分かっていないんだよ。ただ血を求めて戦場を渡り歩き、亡霊のように未練がましく。──生まれ変わった彼に会いに行く時、いつも忘れられている。それは、きっと罰なんだ……彼を救えない、誰も救えない僕に与える唯一の罰」
先程までの恍惚とした表情はなりを潜め、代わりに映るのはまるでどこまでも深い憂いを帯びた瞳。
彼女をここまで変貌させた化け物を慰る姿はあまりに痛々しくて、しかしそんな彼女へかける言葉が見つからない。
「どこまでも……僕の未来眼でも、千里眼でも見通せないほど遥かな未来を、その可能性の向こう側をいつも見据えていた」
いつも眼光鋭く睨まれた。いくら話しかけても何も言ってくれなかった。──同時にその鋭い瞳は彼女の心を釘付けにして離さなかった。
「今やその瞳は曇ってしまって……いくら話しかけても何も言ってくれなかった彼が、何かに耐えるような顔をしている」
死んで繰り返す運命に戦慄いて、いつも戦場には彼の痛々しい呻き声が木霊しているのだ。
己が在り方を見失ったソレはまるで亡霊の如く、未練がましく現世を漂うばかりで……それでも諦めきれないのだろう。──かつての行いを、その冒涜的所業を繰り返している。
いつか、いつの日か、その手が彼方に届くと信じて──肉が剥がれ落ち、骨だけになっても伸ばした手は遥かなる可能性を疑うことなく。
「君は人が「力」を求めるのはどんな時だと思う? 誰か、大切な人……あるいは失いたくない、守りたい何かがある時か? それを奪われるわけにはいかないと、躍起になった時か?」
──否、断じて否だ……
「守るべきものを失った時だ。無惨に奪われ、陵辱の限りを尽くされて初めて人は本当の意味で「力」を求める」
──二度と失わないために……?
「違うね。だって守るモノなんてもう残ってなくて、ただ失ったモノの幻影を追いかけているだけ。未練たらしくて、あまりにも滑稽じゃないか?
──でも、でもね……
「それが全てなんだ。その代償がいかほどであろうと、構うことなどなく……だから『彼女』もまた、形振り構わない強さを手に入れた」
遥か遠く、決して届かない高みへと手を伸ばすように……彼女はその細い腕を明後日の方へと伸ばして、その指先を見つめる少女の目には何が映っているのか──
「無論、僕も例外じゃない。力を求め、手に入れた。死者すらも生き返らせられるほど強くなった。森羅万象に干渉し、時間の流れにすらも逆らい……そして時を超え、未来に控える『彼女』に腹あるほどに」
そんな言葉とは裏腹に「力」を手に入れたと、そう語る彼女の顔は何故こうも暗いままなのか。まるでその全てを否定されたような、自分の存在を否定されたような子供みたいな顔をしているのだろうか。
「でも、無意味だった。誰か分かりもしない人を生き返られるのに……何度も彼を目の前で死なせてしまった。
時間にも干渉できるのに、何故だか過去は変わらない。そう、過ぎた事柄は決して変わらない……受け入れて、前を進むしかない。もう、振り返れないんだ」
まるで悟り切ったような表情で、悲しみを語る少女。その顔には諦観にも、達観にも近い色が見えていて──
「もう、僕が僕ではないような気がして来た。初めて『彼女』に触れ合った時から、あの娘が日に日に僕を蝕んでいる。記憶と時間の重みが個人を作っているんだから当然のことで、もうすぐ僕は『彼女』の存在に押し潰させるだろうね」
ゆっくりと伸ばした腕を下ろして、その瞳が目の前に座する龍王を見据える。そして、その目を見て気がついた……彼女は最後の友に、せめてその別れを言いに来たのだ。
「失われた全てを取り戻す為に、かつての彼の在り方を今一度取り戻す為に「力」を求めた。
皮肉だよね。もう、守るモノなんて残っていないのに……」
俯き、そしてまた言葉を紡ぐ。最後まで、その全てをせめて信用できる者に遺していこうと言う。
「過ぎる「力」は身を滅ぼす。間もなく僕の人格は消え失せて、そうすれば必然的に『彼女』が降りてくる。『彼女』自身それを望んでいる訳ではない……言ってしまえば、僕は『神』に触れてしまったんだ」
そう語る彼女の表情には不思議と悲観はなく、それどころかどこまでも悟り切った表情はスッキリとしていた。
「ふふっ、触れぬ神に祟りなしだね。後悔先に立たず? 或いは時既に遅し、ってやつかな?
──その存在に触れてから、日に日に僕の存在が消えていくのを感じる。『彼女』にその気がなくとも、人如きが『神』に触れればどうなるか、火を見るよりも明らかだって言うのにね……」
自虐的に笑い、そして一つ息を吐き出して手を仰いだ。その横顔が何故そんなにも晴れやかなのか、恐らく龍王たる彼女でも一生分かることはないのだろう。
「して、汝は何を……?」
「ふふっ、昔話しはこの辺にしてそろそろ本題に入ろうか。それを聞きたくて、君は僕を呼んだんだしね」
今までの話しから彼女がこれから何を言わんとしているのかいる程度察しているのだろう。しかし、それでも敢えて問う彼女へと軽く微笑んで……不思議とその表情からは女神の如く、どこまでも深い慈悲を感じた。
「もう一度問うぞ。何か良からぬことを考えておろう?」
「ふふっ、何も憂う必要ないんだよ。ただ、空白に戻るだけ……僕は僕だ。例え死んでも、人は変われないんだから」
直後、目を見開いた龍王が身を乗り出して……目の前に座る少女を見た瞬間、金縛りにあったように動けなくなった。
「もう、時間がないんだ。だからせめてもの手向として、僕は彼と交わした契約を果たす」
「何、を……」
絶句する龍王を前に、白い少女が妖しい笑みを浮かべた。そう、全てを忘れてしまう前にせめて彼と交わした契約を果すと、彼女は言ったのだ。
「僕の全てを持って彼を祝福する。代わりに僕は彼の手で呪詛を刻んで貰うんだ。──それに、ただ死ぬわけじゃ無い。残った力の全てを捧げ、『転生の奇跡』にて生まれ変わる……だってほら、僕が彼を忘れるなんてあり得ないから」
うっとりとした目を細めて、あどけなさの残る顔に妖麗な笑みを浮かべて……そうして龍王の顔を覗き込むと、くすくすと喉を震わせた。
「僕は強くなり過ぎた……最早、自力では死なないほどにね。だから、最期は彼の手で──綺麗な僕に戻して貰うんだ。ただ最期に『奇跡』が起きればいい……そうすれば、記憶と力を来世に引き継げる」
まるでそれが当然のように、サラッと答えると少女はふんわりと何の屈託も無い笑みを浮かべた。そんな彼女が純粋な気持ちのまま口にするのは、あまりにかけ離れた狂言だと言うのに……
「ずっと、ずっと……僕は遠くにその背中を見ていることしか出来なかった。そんな彼が初めて僕を見てくれる。そしてその手で、死を──それは、とっても素敵なことだと思わない?」
最早、彼女が口にする言葉の羅列は狂人のソレに近くて……話を聞き終えた龍王は、ただやるせなげ首を横に振ることし出来なかった。
「そこまでして、生まれ変わって……お主は一体、何を為す?」
「……そう、だね。最期くらい、答えてもいいか……」
悟り切ったような表情で、少女の瞳には余計な感情も感傷も映っていない。ただあるのはひたすらに未来を見据え……来る時、来る日、かつて過ぎた日々を憂う色だけだ。
「──今一度、僕は最後に『神』となる」
おもてに浮かぶは笑みの仮面。
誰かはそれを、狂気と呼んだ。
これにて三章完結です。ここまでお読みいただきありがとうございました。
次章もまた大まかなストーリーが決まり次第投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけるのであれば、書いている身として作者冥利に尽きます。
予定よりも字数が重なりましたが、ここまで辿り着けて嬉しいです。もうすぐこの作品を描き始めて一年になりますが、三章完結を機にこれからも本作品の完結を目指して頑張って書いていきたいと思いました。
何卒、これからも応援宜しくお願いします!




