第二十五話 遥かなる旅立ち
身体を小刻みに震わせる魔女が、その顔を左手で覆っている。それでも細い指の隙間から覗く瞳が愉快な色を宿して、そんな彼女を巨大な龍が見下ろす。
「なるほど、ね。そうなると……」
ゆるりと向けた瞳が城の下を覗く。何かに気がついたように彼女の視線を追う巨龍がその顔に皺を寄せた。
直後に現れたのは白金の髪……否、鉛色の髪を靡かせた一人の少女だ。きめ細かかったあの髪は今や失われていて、代わりに映るのは冷たい鉛色の長髪。
彼女達とは少し離れたところに着地すると、焦ることもない悠然とした動きで振り返った。赤銀色の瞳がゆるりと『撃墜王』を見上げて、そんな彼女の全身からは波の超越者など比にならない力が渦巻いている。
「…………」
そんな彼女の姿にさしもの彼も声を詰まらせて、しかしその瞳には何の変化も見られない。ただ不可解そうにしながらも、決して何かに感情を動かされている訳ではない。
「初めまして、『撃墜王』。まさか生きているうちにお目にかかれるとは思っていなかったわ」
「『水銀の魔女』、あるいは『吸血姫』か?」
しかしそんな彼女へ返ってきたのはどこか思案するような問いかけだった。
「私は、もうどちらでもない。ただ、『吸血姫』は私の姉だった、とだけは言っておくわ」
「ほう? となれば、貴様は『龍王』が言っていた『血銀の女王』か?」
「そんな異名は知らないわ」
「ふむ。知らぬのならよい」
耳にしこともない別称にアイリアが真っ向から否定するが、肝心の巨龍はさしたる問題もないようにあっけらかんと言ってみせた。
「さて、それで……? あまり度が過ぎるようなら、私は貴方と殺し合わないといけないのだけど?」
「笑わせてくれる。貴様等不死者と殺し合いが成り立つと思うのか?」
「あら? 龍族最強の一角が人間相手に随分と腰が引けてるじゃない?」
「安い挑発よ。不死身の化け物を果たして誰が人間として扱う?」
両者は笑みに似せて、死の色を模したかのような白さを持つ牙を剥き出す。
「ふふっ、尤もな意見ね。それなら、どうするつもりかしら?」
「くっくっ、なかなかどうして……」
そんな彼女へ向けるのは獰猛な笑み。彼女の誘いにまるで、抗うつもりなどないのだ。
「それはまた、存外心地よい響きを持つ誘いよな。──思う存分潰し合おうぞ」
口ではそう言いながら、しかしその力が膨張する気配はない。全く臨戦体制に入らない奴の様子にアイリアもまた、不敵な笑みを浮かべたまま構えもせずに佇んでいた。
「いいわ。でも、今回は保留としておきましょう」
それが互いの為だった。巨龍は龍王の命令を優先する必要があり、そしてアイリア自身まだまだ成さなければならぬことが残っている。
殺し合うのはまたの機会でいいだろう。──少なくとも彼や彼女には無限にも近い時間があるのだから。
「ほう? 貴様は目の前で仲間が連れ攫われるのをみすみす逃すと?」
「仲間ではないわ。利害が一致しているだけ……それに、貴方は彼女達を殺さないでしょう?」
「食えぬ奴だ」
「それはお互い様ね」
その言葉を受けて、彼はその暗い色の瞳を細めた。そんな彼は三人の少女を見下ろして、巨龍の周囲で空間が大きく歪んだ。
「刻限だ」
彼がゆるりと視線を向けるのは、遥か遠い地平線。そこから覗くのは淡い光で、その言葉と同時にルルがアイリアへその視線を向けた。小さくその口が僅かに動いたことを確認すると、彼女は返事代わりに瞳を閉じる。
「行ってしまったわね」
一人ポツリと呟き、そうしてゆるりと背後へと振り返る。
「黙って連れられてしまっては、騎士の名折れではないかしら?」
ジッと赤銀色の瞳が見据える先、悠然とした態度を姿を現したのは一人の男だ。
天色の瞳と、燃えるような赤髪。見に纏うのは一切の飾り気もない騎士服で、その上には今や滅びた国の紋章が描かれた片側マントを羽織っている。
「それは主が決めたことだ。説得はするが、逆らうことはない」
「自身の信念を突き通すのが騎士でしょう?」
そう言いやれば、彼は一つ目を閉じて何がを復唱して……すぐに伏せた顔を上げた。
「自身の主が道を誤ると言うのならそれが正すのが我々の使命。だが、今回も彼女は正しく……そして、主に止まって欲しいと言うのは私の我儘に過ぎない」
何が正したことなのか、それは彼も痛いほど分かっている。その上で主に止まって欲しいと言うのはただの我儘でしかなく、説得しようとはするが強制は出来ない。
だが同時に、もし主が道を誤ると言うのら力尽くにでも正すべきだとも──
「私はただ、『龍王』の所へ主を迎えに行くだけだ」
「そう、ね。私達も彼女を回収する必要があるし……貴方も私達と行動を共にするつもりはあるかしら?」
「利害は一致していると思いたいが、まずは話し合いからだな」
「ええ。そう言っている間に、来たわね」
どこか他人行事で、互い目を合わせることもなく言葉を連ねる。そんな彼等の下に降り立ったのは白い少女。
「お待たせ致しました」
疲れの隠しきれない声を耳にして、二人の視線が彼女へと注がれる。気まずげに身じろぎした彼女から視線を外すと、男が手に持っていた剣を鞘に納める。
「さて、私はこれから『龍王』の所へ行き、ルルを回収する予定よ。貴女はどうするのかしら、サティナ」
「私は……」
今後の動向の意思を聞かれてサティナが口籠る。正直に言えばもうルルがいないのなら、この旅も終わりとするつもりだったが……今更手ぶらで戻るのは違う気がしていた。
何よりも、知らなければならないのだ。彼の意志を、その狂気じみた言動の根源を……
「私も付いて行きます」
「と、こっちの話しはまとまったわけだけど……」
そう言って視線を向けるのはずっと瞳を閉じたまま俯く赤髪の男だ。閉じられた瞼のした、その眼球が忙しく動いて何かしらの思考を巡らせていることは分かった。
「…………ああ、こちらとしても都合がいい。険しい旅路になる故、背中を預けられる仲間が欲しかった」
「あくまで私は理外の一致よ。もし損害を負うような事態になったら、容赦なくその背中を刺すわ」
鋭く言い放てば、その男が顔を持ち上げる。ジロリと睨め付けた瞳には意外なことに敵意はなく、ただ値踏みするような色だけが宿っていた。
「ああ、お互いにな。だが、あっさりと仲間だと言う奴よりはよほど信用できる」
「そう言えば、名を聞いていませんでしたね」
「ああ、そうだな。っと、それらの話しは歩きながらしよう。時間が押している」
有無を言わさず先を歩き出した彼の後を、二人の少女は黙って追いかけた。
「ちなみに、名を聞く理由は?」
「…………単純に、不便だと思って…………」
突然に投げられた疑問。その意図が分からず首を傾げたサティナの反応を見て、彼はどこか思案するような表情を見せたのち、
「そうか。私は……オルビス」
どこか躊躇うのに、しかし次の瞬間にははっきりと自身の名を口にした。
「オルビス・アル=フレートだ」
スッと一瞬だけその視線を横に立つ少女へ向け、そう名乗った。
『騎士王』オルビス・アル=フレート。──それこそ『二代目勇者』である、彼の命名だ。
かつて下界に現れた魔族の悉くを滅ぼし、より強大な敵を求めて魔女に仕えた『初代』。いつしか正しき意志を宿した剣は、裁きを下すだけの凶刃に変わっていて……世に蔓延る罪を切り捨てる姿は勇者とも崇められた。──しかし、その本質はどこまでも攻撃的であったと言う。
対象に二代目である彼はひたすらに守ってきた。世のため人のために剣を握り、代々主人が変わろうとも彼等に仕え……そして、幾星霜もの年月戦い続け正気を失った彼を先代王は牢獄に閉じ込めたと言う。──せめて人として殺すことが、長く彼等を守ってきた大英雄へ対するせめてもの供養だったのだ。
そして、今日……末代である主人を取り返すために魔女二人と手を組んだ。
軽い自己紹介を終える頃には城の地下室に付いていた。そこに刻まれたのはいつか見た魔法陣で、その完成形だった。
しかしそれは彼女の師が求めるモノとは少しばかり違っていて、疑問符を浮かべるサティナの前でオルビスが徐に魔法陣に手を触れる。
「これは転移門の一種。我が主人は代々『龍王』と契約を交わしており、時たまに契約者同士の顔合わせに使われていた」
「これを使えば『龍王』の下に?」
「そんな簡単じゃない。これを使ったところで、ただ途方もない距離の一部を短縮出来るに過ぎない」
サティナの疑問に返ってきたのは非情な答えだった。しかしその答えにはどこか納得していて、そして再び魔法陣の細部へと視線を向ける。
「そんな無防備な筈がない、と言う訳ね」
距離と言う絶対的な壁を全て取っ払うほど『龍王』も馬鹿ではない。とは言えど契約者どうし、話し合いも出来ないのではやはり問題が起こりうるのだろう。
少なくとも世代が変わった時、一度は会わなければならない。そして、なぜ『龍王』自ら出向かないのか──
「肝心の『龍王』は何処に?」
「東の果て、その北側だ」
サティナとアイリアが驚愕に身を見開く。彼女達の目的地は東の果てであり、図らずともその至る道と隣接しており、あまりに出来すぎた偶然にアイリアが目を細めた。
「よく考えれば、あの魔女のことよ。大人しく『撃墜王』に連れ去られたのも、これを見越しての上かしらね」
「数千年前までは『桜龍』と呼ばれ、土地神として崇められていた。我々が初めて契約を交わしたものその時からだ」
「何故、『龍王』に……?」
「数百年ほど前に当然そう呼ぶよう言われた。尤もそれよりも前から一部の龍族からは既に龍王呼びされていたから、何ら不思議なことでなかった」
故に彼等は特に疑問を浮かべることもなくその龍を王と呼び、そして今までと何ら変わりなく契約を交わし続けた。
「『龍王』の、その……性格は……?」
少し躊躇いながらも、聞かずにはいられずサティナがそう問う。アレほど強大かつ凶暴な『撃墜王』を従えていると言うのなら、力以外にも相当な何かがある。
「そう、だな。確かにカリスマに優れているが、それでいながら酷く穏やかな性格だ。我々が知る限りではもう何万年も争いごとはしていない」
「…………何故それが突然、『龍王』なんて?」
疑問に思うことも当然で、一切争うことなく龍族達はその者に畏敬と崇拝の念を込めて『龍王』と呼んだと言うことになる。──そう、そして『撃墜王』も、また。
「競い争うまでもない、と言うことだろう。一眼見るだけで、誰もが首を垂れるだけの存在と言うけだ」
争わない、と言うよりは争えないのだろう。誰も彼もがその姿を見ただけで恐れ慄き、自ら進んで服従する。
その在り方はどこか『魔王』に通ずるものがあり、そして同時に彼等が全くの別者である事の証明だった。
「基本的は動くことすらなかった。これもまた知る限りだが、もう何千年も寝たまま動いていない。数十年ごとに会見に行っているが、いつも目を開けることなく念話だけで済ませされている」
何たる傲慢な態度だろうか。しかしそれが許させるだけの存在であり、そしてその者自身、それだけの自負があるのだ。
「連れて行かれた二人は無事だと思う?」
続いて質問したのはアイリアだ。質問の内容の割には落ち着いた態度から、何となく分かっている様子だが、やはり確信が欲しいのだろう。
「ああ、間違いなくな。奴は客人を傷付けるようなことはしない……いや、そもそも動かない」
「失礼を働いて、でもですか?」
ルルの性格を思い出してそう問えば、彼は迷いなく首を縦に振った。
「ああ。昔、従者の一人が奴の無礼極まる態度に耐えきれず、声を荒げ矛を突き出したことがあったが、全く我関せずの様子だった」
「なる、ほど……所詮は虫が威嚇している程度にしか映らないのね」
例えばその辺の道端で虫が威嚇していて、誰が気がつくだろうか。例え気が付いたところで、興味も抱くまい。
「そんなんで、私達の言葉に耳を貸してくれるのですか?」
「一応、はな……」
どこか歯切れ悪くそう答えるオルビス。彼等の言葉に耳を傾けてくれているのかどうか、彼自身よくわかっていないのだろう。
「だが、今回契約を反故したことで使いをよこしたこと鑑みれば……」
「決して他人行事でも上の空でもない、と言うことね」
頷き、何かしらの作業をしていたオルビスがようやくその腰を持ち上げる。
「さて、残りの話しは向こうでしよう。間もなく夜明けだ……この機会を逃せば次がいつになるか分からない」
魔法陣の使用には月の満ち欠けが関係しているのだろう。そして今夜時は満ち……魔法陣は光を宿していた。
ルルはこのタイミングを待ってサティナやアイリアへ声をかけていた。その思惑通り、彼女達は今日……
「準備を待つ時間はない。すぐに行く、引き返すなら今決めるんだ」
「行こう」
間髪入れずにその言葉を切り捨てたサティナに頷き、アイリアも前に出る。互いに頷き合い、それを合図に魔法陣が強い光を放った。




