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死座ノ黒星 〜彼女はきっと神になる〜  作者: 枝垂桜
第三章 磔が嗤う常闇の饗宴
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第二十四話 さようなら

 酷い倦怠感で身体が思うように動かない。

 強い空腹で嘔吐感すらもして、気を抜けばすぐにでも意識が落ちてしまいそうなほどの眠気。


 翼の顕現と超越者としての権能はあくまで力の前借りでしかなく、戦闘後急激に訪れた倦怠感で動けなくなった。先程まで近くにいたアイリアと言えば、そんな彼女を置いてルルのいる城壁へと向かった。──否、彼女自身がそう頼んだのだ。


「まずは、食べる物を……いや、せめて飲み物だけでも……」


 このままではまとも移動も出来ない。そう判断してサティナは未だ原型の残る建物の中へと足を踏み入れた。中は逃げ惑った人によって大きく荒れていて、そこらに血の跡が残っている。


 広い食卓はこの宿泊施設の広場で、その奥に調理室キッチンがある筈だ。逃げ出すにあたって誰かが食べ物を持ち出している可能性は高かったが、乾いた喉を潤す水ぐらいは残っているだろう。


 両開きの扉に手をかけて、しかし木作りの扉はびくともしない。もしかして、何かが引っ掛かっているのだろうか。


 しかし、今の彼女にはそんなことはどうでもいい。細い指がバキバキとその扉に食い込めば、力任せに扉を引き剥がした。

 存外軽い扉をその場に放って、前に見える台座へ手をかける。おそらくはテーブルが何かなのか、杖代わりにしていた剣を振り翳せば、容赦なく叩きつけた。


 切ると言うよりは叩き割る様な勢いで真っ二つに折れた机の上を歩いて──


「ヒッ……!」


 バキバキと木片を踏み砕いて中へと入った彼女の耳に小さな悲鳴が聞こえた。ゆっくりと重たい首を動かしてそちらへ視線を向ければ、幼い少女の口を押さえて蹲る少年の姿が見える。


 見たところ兄妹か、妹の悲鳴を消そうと兄が彼女の口を抑えている。しかし時既に遅し、サティナの視界にははっきりと二人が写り込んでいて……そして幼い二人もまた見つかった自覚があった。


 その幼い顔を絶望に染めて、血の気の引いた顔で声もなく涙だけを流している。


「……大丈夫、ですよ。私は、貴方達に危害を加えるつもりはありませんから」


 出来る限り優しくそう言う声は掠れていて、その兄妹からは怯えの表情は消えない。しかしそれでも、兄は妹を庇う様に自身の背後へ押しやうとサティナの目を真っ直ぐと見据える。


「あ、あんたは……外で、あの死体の化け物と戦ってた人だろう? な、何が目的なんだ?」


 水が欲しい、と口を開きかけた彼女の言葉を遮る様にその少年が声を張る。一度吐き出してしまえばもうとどまることを知らぬ、と言わんばかりに彼女へ不満の全てをぶつけるように──

 どうせここで死ぬのなら思っていること全てを吐き出してやる、とでも言っている様だった。


「死体の化け物も、血の女も……あんたも、だっ! 何の目的があってこんなことをしたんだっ!? 死体の化け物はオレ達の父さんの、母さんの亡骸をまるで道具の様に──っ!」


 悔しいのだろう。

 許せないのだろう。

 張り裂けんばかりの声で、ただ訴えるしかなく。


「沢山人が死んだ! 見知った顔もあった! 突然やってきて、オレ達の街を──!」


 直後、大きな揺れが全身を突き抜ける。明らかに自然の災害ではなく、それは──


 ──まさか、『撃墜王』……!?


 その力が巨城の上から感じて、サティナの全身から冷や汗が噴き出す。


 ──誰彼構わず攻撃するとでも言うのか……?


 当然そんな揺れに半壊した建物が耐えられる筈もなく、嫌な音を立てて天井が落ちる。そんな異常事態に何の変哲もない人間が反応出来るはずもなく、何が起きているのか分からないと言った様子の二人の上には質量の塊が迫っていた。


「チッ……」


 鉛のように重い身体に鞭打ち駆け出せば、二人の幼子をその腕に抱く。白い光が爆ぜ、周囲の建物もろとも天井を吹き飛ばし……視界が晴れたことで彼女の目は絶望を見た。


 遥か遠く、今や崩れかけた巨城の上に座するのは暗い色の鱗を纏う龍。その巨大が震えるたび大地が揺れる。

 遠くで火が噴き出して、赤く染まった空が遠ざっていく様な錯覚を覚えた。


 しかし意外にも揺れはそう長く続くことはなく、改めて龍を見やれば広げた翼を閉じていて……何を考えているのか、ピクリとも動かない。


「……大丈夫……?」


 腕の中にいる二人を解放して、ゆっくりと立ち上がる。そうして再び龍を見上げて、


「…………な、何なんだよ!?」


 そんな彼女の背中へ向けられて怒声が響いた。


「あんたら一体何なんだ!? 何がしたくて、何が欲しくてこんなことを……!?」


 半狂乱に近い状態で、血走った目がサティナを睨め付ける。そんな彼の目を見ても、ただ彼女の中には悲しみしか広がらない。


「どうして……」


 力無く俯き、悔しさに拳を握りしめている。何かを言っているようにその口を時折り動いているが、言葉は聞き取れない。


「お兄ちゃん……?」


 心配そうにその顔を見上げる妹が彼を呼ぶ。自身を呼ぶ妹の声で漸く我を取り戻したのか、虚ろな瞳に感情が見える。

 酷く絶望した目で、それでも自分が何をしなければならないのか理解している。


「あぁ、ごめん。ごめんなぁ……」


 小さな妹を抱きしてただ泣くことしか出来ず、そんな自分が何よりも許せなくて……ひとしきり泣いた男が、ゆるりとサティナを見上げる。


「なぁ、聞きたいことがあるんだ」


 力無く、しかしどこか年不相応なほどの理性的な声で問いかける。そして、サティナもまたそんな彼の言葉に首を振る権利などない。


「あんたは、何が目的だったんだ?」

「私は、ここの王に拝見する予定でした」


「血の女、も?」

「ええ、そうです」


 そう言うと彼はぼんやりと遠く、聖女が死したであろう地点を見やる。


「死体の化け物は、何故オレ達を……」

「……それは──」

 一瞬言葉を詰まらせて、それでもとサティナへ彼は視線を戻した。


「──何が彼女を駆り立てのか、知りたいですか?」

「…………知っている。いや、ずっと聞こえていた」


 あの少女の痛恨に染まる叫びを聞いながら、彼等は嬉々としていた。その自覚が、今の彼はあるのだろう。


「オレはアレが正義だと思っていたんだ。悪い奴だと、魔女を焼くことは正義だって……」

「仕方ありません。年端もいかない子供が大人達の言葉を疑うことなんて出来ませんよ」


 それは一種の洗脳に近かった。未だ年端もいかぬ子供に善悪を教える、その大人達の姿がアレなのだから。


「それは、違う。オレは人殺しが悪いことだって知っていて……それなのに、罪人は死んで当然だって思っていたんだ」

「残念ですが、死んだ方がいい人間はいるのは事実です」


「違うんだっ!」


 彼の行いを肯定するサティナの言葉に、首を振って否定する。


「人殺しを正義なんて言っている奴が一番狂ってる。善人だろうが、悪人だろうが人が死ぬ姿に嫌悪感も無かったんだ」

「人殺しは、癖になるモノです。一度殺してしまえば、タカが外れてしまう。次同じ場面に居合わせた時、躊躇うことなく手を下す……そしていつかはあまりに軽い理由で人を殺すようなる。

 ただ人殺しを正当化するために、罪の意識から逃げるために大義名分を並べて……そうしていく内に自分自身がその思考に毒され洗脳されて、正しいことをしていると思い込み、正義を執行する自分に酔う」


「それは、アンタの体験談?」

「…………」


 サティナは何も答えない。しかしそれは無言の肯定で……


「オレも最初はそうだったんだ、人が死ぬ光景を見て戸惑った。──でも、怒れなかった。父さんが言ったんだ、死んで当然の悪人だって」


 きっと魔女の処刑に居合わせた時だろう。


「それを聞いたらさ。オレは"そっかぁ"、って思って、それが正しいことなんだって……気が付いたら、人が死ぬのを楽しんでいた」


 涙に腫らした目でサティナを見上げる。まるで懇願するような痛々しい眼差しで、不思議とそこに怯えはなかった。


「当然の末路だったんだ。人を嬉々として殺していた奴等にその順番が回ってきただけ。そして、オレも……」


 そう言う彼はサティナが握る剣を見下ろす。


「なぁ、オレはどうなってもいい。でも、コイツだけは……」


 一人言葉を募る彼の声をサティナが軽く手を上げて遮る。


「何を勘違いしているか分かりませんが、私は貴方達を殺しません」

「な、んで……? オレは聞いたぞ、アンタは本物の魔女なんだろう? ずっと虐げられて、中間や家族が殺されたんじゃないのか!?」


「ええ。貴方の言う通り、私は家族を殺され……そして幾重もの罵倒を浴びてきました」

「なら、どうしてオレを殺さないんだ? 憎く、ないのか?」


 尚も言葉を募る男が、その目を見開く。どこまでも深い憂いを帯びた瞳、その奥に巣食うのは底知れぬ闇だ。


「もう、疲れたんですよ。人を殺しても罪が増えるだけで……数えきれないほど罪を重ねてきましたが、今更怨みつらみで人を殺そうなんて思えない」


 どこまでも諦観が滲んだ表情。疲れ切ったその顔に映るのは、それでもなお諦めきれない何かだった。


「そう、か……」


 俯き、そう溢すと彼は自身の懐から何かを取り出した。


「それは……?」

「干しパンと、水の入った袋……飲み物や食べ物が欲しかったから、アンタは厨房に来たんだろう?」


 その言葉に絶句したのはサティナの方だ。未だ幼い筈のは彼は、先程からあまりに年不相応なほど知的な言葉を重ねていた。

 最初こそは年相応に自身の置かれた状況に感情的なっていたが、結局は自分達が行ってきた過去の言動を振り返り、そして当然の報いだと諦めるだけの思考能力を持っていた。


 そして今、サティナの行動からその目的を察するほどに賢く──


「……違った?」

「有り難く、頂きます」


 サティナが固ままでいることで、彼は怪訝そうな表情を見せる。本来であれば子供から食べ物を譲り受けることはないが、さしもの彼女とて既に限界は過ぎていた。


 受け取ったそれを人目も気にせず喉に流し込む。その食い付きにやや驚きつつも、二人は黙って待っててくれた。


「助かりました」

「ああ、それじゃ。気を付けて……?」


 そうして漸く思考がハッキリしてくると踵を返したサティナの背中へそんな言葉が投げかけれて、


「……これを」

「え……?」


 再び二人へ向き直ると、彼女はその手に持った剣を兄へ渡す。素人でも一目で分かるほどの業物……神々しい光を放つそれは伝承に聞くような神聖武器。


「それは……?」

「『聖光のつるぎ』ヲルドゥビス。太古の伝承にも語り継がれる伝説の剣、その一つ」


 力強い光を放つそれを鞘に納めると、彼の手に乗せた。ズッシリとした重さは確かに命を奪う道具である証拠で、しかしそれはかくも美しい。


「それを売れば貴方達が一生贅沢出来るだけの価値があります」

「何故、そんなモノをオレ達に……?」

「何も不思議なことはありません。ただ、食べ物を分けて貰ったからです」


 分からないと言った顔をする男に、サティナは初めて微笑んで見せる。


「食や水は命を繋ぐのに必要不可欠……でも、限りがあります。それを分け与えて下さった恩、言わば貴方自身の命を削ってまで私は命を救われたと同義なんですよ。それに比べればそんな棒っ切れ程度、安いぐらいです」


 いくら価値ある金銀財宝であっても、食べ物が無ければ意味もない。金の価値を保証する国は既に滅びていて、再建には相当な時間がかかるだろう。


 例えいくら価値があろうとも、それは命あってものモノ。今最も価値あるものは命を繋ぐためのモノであって、莫大な財産ではない。

 いくら金になる伝説の剣を持っていたとしても、そんなものただガラクタに過ぎない。──そして同時に、サティナは食べ物に報いれるほどの価値あるものを持っていないのだ。


 故に、せめてもの気持ちとして生き残った先で彼等の命が繋げるよに……その恩に少しでも報いれるように聖剣を贈った。


「それでは、さようなら」


 そう言う少女は軽やかとは言うのはやや思い足で駆け出して、彼女の向かう空には強大な龍が座していた。

 腹は満たされ、喉は潤っても回復し切れていない。それでも、白い少女は次なる高みへと突き進む。


 そんな彼女の背中が見えなくなると、彼は自身の手の中に収まっている剣を見下ろした。無駄な装飾は一切なく、単純シンプルながらもその紋様は残酷なほど緻密だ。

 ゆっくりと刀身を半ばまで抜き放ち、光り輝く刃に目が奪われた。どこまでも深みの美しさと、穢れのない姿は命を奪う道具にはあまりにも皮肉で……それ故か、その刃にはどこか哀愁が漂っている様にも見えた。


「さぁ、オレ達も行こう」


 剣を再び鞘に収めて、それを背負うと妹の手を取る。脆く小さなその手を取り、先の見えぬ暗い道を征く……しかしその足取りに迷いはなく、未だ不安げに揺れる瞳にはそれでも強い決意が滲んで見えた。


「……さようなら……」


 知らず知らずのうちに人知れず溢れた言葉。それは誰に向けてのものか、はたまた未だ亡き何かか──

 何と無しに振り返ったかのじょの瞳に映るのは、もう帰ることの出来ぬ故郷。その変わり果てた姿だった。

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