第十三話 渇望の眼差し
「優雅に時間を貪る。これこそ不老なる存在に許された特権だねぇ」
宿の一室、その広々としたベッドに仰向けに寝込むルルがそんな呑気なことを呟いている。
巨龍の目撃後、その翌日には最寄りの街には着いていた。門番は前の街同様に仮装して入り、こうして一週間、何もない街で足を止めているのには訳があった。
ルル曰く、「僕達は互いを知らなすぎる」、「じっくりと親睦を深める時間が必要だ」などと言って何も得られない時間をこうして過ごしている。
サティナもまた暇まで仕方なく窓際に身体を預けて、ただ無心で干し肉を齧っていた。
「君もそう思わないかい?」
「魔女が暇を持て余すほど恐ろしいことは無いですよ」
ただ好奇心と言う原動力があれば一国すらも滅ぼす悪魔が、こうして暇を持て余していると聞けば、大国の王ですも裸足で逃げ出すに違いない。
ただの暇つぶし、とか何とか言って街に火を放っても不思議でないのだから。
しかしだからと言って、魔女が何かすればどこかで災害が起きてる。
故に魔女達が暇を貪っていることに越したことは無いのだが、いつ火が点くか分からない導火線のような彼女達だ。
ほんの気紛れで……それこそ子供が火遊びでもするような感覚で導火線に火を点けることだろう。
「ふふっ、暇を持て余すなんて勿体ない。僕はちゃんと暇を謳歌しているんだよ」
「それは、結構なことで……」
一体何を言い返せば良いのか分からず、曖昧な返事を返した。そんな彼女の様子をさして気にした様子もなく、彼女は満足そうに寝返りをうつ。
「戻ったわ」
と、そんなことを話していると部屋の扉が開け放たれ、その奥から姿を現したのは男装したアイリアだ。
「んっ。思ったよりも早かったね」
物資の買い出しに出掛けていたアイリアをルルが向かい入れる。そうして彼女が収納魔法から取り出した物々を確認すると、ルルが満足そうに頷く。
「うん、これだけあれば充分だね。それじゃ──」
一通り確認を終えて、物資を三人で分けていると三人の耳に絶え間なく声が響いてくる。
「なんだか騒がしいですね」
「……確認、したほうがいいわね」
耳を済ませて、外から聞こえてくる声は穏やかじゃない。三人は顔を合わせ、頷くと慎重に宿を出て外へ出た。
「何かありましたか?」
と、外に出てすぐ近くに立っていた兵士にアイリアが声をかける。そんな彼女を追いかけてルルとサティナも兵士が放つ言葉に意識を向けた。
「何も近くの街で魔女が出たと言うんだ?」
「…………本物、ですか?」
身に覚えのある事象に、サティナは念の為にと確認を取る。彼等はなんの罪もない少女を魔女として吊し上げる事を何とも思っていない人間だ。
魔女と一言に言うが、それが本物だと言う保証はない。──いや、それ以前に本物とそれらの区別を彼等が付けられるのか。
「実際、魔女が出たかは分からなが……最も近くにあった街が焼け爛れていてな。住人達も皆、黒焦げだったと言うんだ」
「なんて酷いっ! それじゃ間違いなく魔女の所業じゃないかっ!」
と、それを聞いていた魔女が大袈裟気味にそんな事を言い放つ。確かに彼女は気圧されたような表情を見せているものの、その視線はただ面白そうに元凶を見ていた。
「「…………」」
ルルの反応にアイリアとサティナが頬を引き攣らせていると、そんな彼女達の反応を、魔女へ対する憎悪や嫌悪の表情だと勘違いしたのだろう。
「ああ、まさにその通りだ。そのためにも、我々聖騎士は魔女撲滅に尽力しているのだ。街を焼き払った魔女も必ず我々が打ち滅ぼしてくれる」
聞いてもいないのにその騎士は声高らかに宣言し出した。
「ど、どうかお願いします! 数世紀にも渡って厄災をばら撒いてきた魔女どもに鉄槌をっ! 罪もなく奪われてきた人々の無念をどうか、どうか……!!」
芝居がかったで騎士の男を焚き付ける元祖魔女の言動を目の当たりにして、アイリアとサティナの顔が更に引き攣る。
「紛うことなき魔女ね」
「まさしく魔女ですね」
アイリアとサティナが誰にも聞こえない小声で同調した。
面白がって人の心を弄ぶ彼女の様子に、二人の少女はただ引き気味な視線を向けている。──そうしている間にもルルが騎士を焚きつけ、彼もまた興奮して魔女撲滅の意志を高らかと宣言していた。
「幾星霜もの昔から奴等はこの世界に蔓延り、人々に厄災をばら撒いてきた! 今こそ、奴等には己が積み重ねてきた悪行の数々を、その罪の重さを知らしめなくてはならない!!」
「ええ、まさしく騎士様の言う通り! 罪には罰が必要です! 奴等が数千年以上に渡って好き勝手やってきた時代は終わりを迎えました! その証として人間の社会を支配する法が不届き者を断ずるのです!」
忌み嫌い、たった今も罵詈雑言を浴びせて止まない魔女本人にこうして、いいように踊らされている騎士を見てると……何故か魔女がどうだとか、聖騎士が何だとか言うこと自体がどうでもよくなってくる。
「そう! 今や時代は、世界は変わり──!」
「他を当たりましょうか?」
「ええ、そうね……」
相乗効果で止まることなく興奮していく二人を置いて、サティナとアイリアは別で情報収集するために移動し始めた。
「街の噂ばかりで先日の巨龍に関する話しはありませんでしたね」
「もしかすれば誰も気付かなかった可能もあるわね」
街中を歩き回り、人々の声に聞き耳を立てていたサティナがそう口にすればアイリアがある可能性を答える。
「凄まじい轟音が響いていたけど、アレは空高く飛んでいた。闇に溶け込み、あまりの巨大故にアレそのものが空と化していた」
黒い影が空全体を覆い尽くしていた。まるで地平線にまで繋がる雲の如く、それは空と化していたのだ。
例え見上げたとしても厚い雲が何かと思ったに違いなく、ましてやアレが一つの生き物であるだなんて誰も思わないだろう。
「空を切る音も雷鳴に似ていたし、何かしらの自然現象として片付けられている可能性も高いわね」
「…………そう、ですかね」
些か腑に落ちないと言った様子ではあるものの、今の街中を見れば納得せざるを得ない。何よりも例の巨龍に関しては触れたところで、元より何の手がかりも無いのだから無意味なのだ。
「それに、私達の目的はあの龍ではないわ」
「……ええ……」
アレが何であれ、彼女達の目的に何の影響もないなら考えるだけ無駄だ。そう言い放つアイリアに、最後にはサティナも同意した。
「それよりも問題は魔女関連の騒ぎね」
魔女の異名を持つ彼女達にとってそれは重要な問題で、しかし同時に誰が知る由もない。
「ええ、貴女が言いたいことは分かるわ。でも、その異名は私達が背負った業なのよ」
彼女達が魔女の異名を持つのは過去にそれだけの理由を持っていて……何よりも不思議と彼女達が負った業は未来永劫拭うことは出来ない。
魔女の業を背負って、そしてこれからも魔女を名乗ることだろう。
「もし、私達がその名を捨てる時は……」
スッとアイリアの瞳が横を歩くサティナを見やる。そんな彼女の視線を受けて、そんな彼女もまた悟ったような表情で暗い空を見上げていた。
「……ええ、よく分かっていますよ……」
『赤銀の魔女』とも呼ばれる彼女が、その名の象徴とも言える赤銀色の瞳をサティナと同じ方へ向ける。魔族のそれと見間違うほど鮮やかな瞳は、しかし彼等のような独特な紋様はない。
「でも、貴女は違うのでしょう?」
どこまでも達観した表情とは裏腹に、その横顔にはどこか憂いが滲んでいいるようにも見えた。
「貴女の未来眼には何が映っているのかしら?」
スッと目を細め、そう問いかけるれば彼女は瞳を閉じたまま薄らと笑う。そうしてゆっくりと首を振ると、
「……何も、視えていませんよ……」
どこか憑き物が落ちような表情と共に放たれる言葉には嘘偽りを感じられない。何故そう言い切れるのか分からないが、瞳を閉じて微笑む彼女の横顔はあまりに──
「私の眼では超越者は視えないんです」
ゆっくり瞼を持ち上げれば、白光色の瞳が顕となり……全てを見透かすような透き通った天眼は酷く憂いていて──
「……そう、ね。その方が、ずっといいわ……」
そんな彼女の瞳に捉われて、しかしすぐに柔らかい微笑みを浮かべるとアイリアもまた瞳を閉じる。
「貴女が瞳を抉ることに躊躇しない理由がわかったわ」
瞳を閉じた暗闇の中で彼女は徐に口を開く。
「瞳を抉ればこんな腐った世界を見なくていい。罪無き者が理不尽に踏み躙られる様を見ることが、酷く耐えられないんじゃないのかしら?」
どこまでも達観した表情でそう語る彼女を、サティナはぼんやりと見上げていた。
「何を見ることなく、認知しなければ……何も知らずに過ごせれば、どれだけよかったか。私も考えなかった訳じゃないわ」
立ち止まり、天を仰ぐ彼女の横顔には深い哀愁が滲んでいて……己の姿がどこか彼女と重なっているようにも見えた。
「全ては救えない。目の前にある命を救えるだけの力を持っていながら、それすらも救えなかった」
徐に持ち上げた瞼の下から見えるのは悲しげな瞳だ。
「生き馬の目を射抜くように、虎視眈々と他者の悉くを奪い合うそんな世界で……どこに耳があるのか、目があるのかわからない。
誰かを守ろうとすればそれが弱味になる。誰かが狙われる、たちまち喰い物にされる。情があることが知られれば、必ずつけ込まれる」
ゆっくりと下ろした瞳はただやるせなげに無機質な地面を見下ろして、そんな彼女に未だ答えの出ないサティナがかける言葉などない。
「盤上の全てを覆せるだけの力を持っていれば、降り掛かる数多の火の粉を軽く払い除けるだけの力があれば変わったのかしら?」
無理だ。血に飢えた猛者が蔓延る世界で、先日のような聖女にも似た狂人が嗤っている以上……誰とて正義を執行することなど出来はしない。
いつ何時、どこでつけ込まれるかなど分かったことではない。弱味を見せれば瞬く間につけ込まれ、情があると知られれば利用されるだけだ。
──だから、彼は……
脳裏によぎるのは黒髪の男。いつもいつも無表情を貼り付けて、まるで情の一切を失った亡霊の如く狂気の沙汰に立つ男。
人知を超えた力を持ち、その名を耳にすればどんな狂人も震え上がる絶対強者。それだけの存在でありながら、彼は一切の隙を見せることはなかった。──見せられなかったのだ。
思い出せば全ては同じこと。『魔王』も『勇者』も、そして『彼』ですらも……情を殺し、情けを捨てて、ただただ突き進んでいる。
狂気にも似た凶行を貫く彼等の、その瞳はしかし……誰よりも透き通っていた。ただ誰かのために、と身を粉にして人知れず戦っていたのだ。
誰にも知られることのない彼等の尊き戦い。
遠く、いつか訪れる勝利を信じているのだ。
「思い出せば一目瞭然だったわ。彼等の姿形が、その行動が、その言外に込められた言葉の意味が……全て語っていたのよ」
「だから、真実を求めているのですか?」
「ええ、その通りよ。私の姉を奪った怨敵は、果たして──」
そこまで話すのが限界だったのだろう。唇をきつく縛って、彼女は瞳を上げた。そんな彼女の目には力強い意志が宿っていて……そして直感した。──彼女もまた彼等と同じ末路を辿るのだろう、と……
誰よりも正しい剣を振るいながら、誰にも知られず朽ちていく。──そんな未来が視えて、いくら振り払おうとも決して消えることはない。
「彼女は真実を知っているのですか?」
唐突として現れた元祖魔女。『初代勇者』エル=フレイドを引き連れる彼女は、果たしてどこまで知っているのか。
「きっと、彼女も殆ど知らないわ」
返ってきた答えにどこか同情してしてしまう。
「…………エル=フレイドは?」
「彼なら何かしら知っているかも知れないわね。でも、話してくれるとは思えないわ」
腰に下げた二振の剣。その内の一つに触れながら、彼女は言葉を紡ぐ。
「いいえ。もしかすれば彼等もまた無知なのかも知れないわね」
「…………」
どこまでも達観した横顔は酷く憂いていて、そんな彼女の顔には不思議と身に覚えがあるような気がした。
「知れば知るほど己の無知を痛感するものじゃないかしら? 彼等はきっと、血眼になって真実を求めているのよ」
レドが『初代勇者』と呼ばる所以も、あの男が『滅びの王』と忌避されるのもまた同じこと──
「彼等が何を見てきたは知らないわ。でも、譲れない理由があったことだけは確かだから……。私はそれを知りたいの──」
相手の何を知らぬまま、果たして敵と言えるのだろうか。故に彼女もは求めている……彼等が見てきた光景を、そして己が敵だと断ずる理由を──
「……これが終われば、きっと私は自由になれる……」
そう言う彼女の瞳には冷たい赤銀が輝いていた。




