第一章始話 始まりの約束を
遥か太古、それは約束の日。
「わかっては、いたことだ。少なくとも、物心がついた頃から……」
それがいつの頃かは、もう思い出せない。燃える景色の中で、震える手の中に抱えられたのは白い少女。
いつか、いつの日か……眼前に立つのは黄金の太陽を瞳に持つ少女。深い闇の中に沈み込もうとする大地の遥か上、ソレは決して人らしからぬ能面を貼り付けた表情で男を見下ろす。
「……俺は世界の理から逸脱した化け物。この手では決して望むものには届かぬことくらい、とうに気がついていた」
純白が空を支配し、闇の海が広がる大地の間。黄金の太陽は冷たい眼差しのまま佇むように宙に浮いていた。
「この身は渾沌の権化。崩壊破壊の最中、秩序は失われて混沌が蔓延る世界で力を増します」
そう言う彼女の言葉を裏付けるように、そこから放たれる力は尋常ではない。滅び去る瞬間の世界、そこに存在する全てを掻き集めたように彼女の持つ力は強大で……何よりも、混沌としていた。
「『深淵僭主』、深みの落とし子。貴方はどうして、自分の運命を受け入れようとしないのですか?」
調停者は、裁定者は無機質な声でそう問いかける。今の今までまるで疑問などいかず、機能の一部のようにただ淡々と自身の役目を全うしていた筈の少女が初めて、はっきりと疑問を口にしたのだ。
「面白いことを聞く」
ぽつりと溢すようにそう呟き、すぐに顔を上げるとその瞳に黄金を写して力強く唱えた。
「単純明快、俺が人間だからだ。貴様のような訳のわからない化け物とは違う」
「そう、ですか……」
その時、初めて少女の顔に陰りが見受けられた。一切の感情を移さない能面に悲しみを宿して、しかしそれも一瞬のことですぐに無機質な能面に上書きされる。
「……そうして、また繰り返すのですか?」
「……………」
男は無言だ。
──もう、とっくに分かっている。知ってしまったのだ。
「何度繰り返そうとも同じことです。──彼女は、我が恩師は変わらず同じ夢を見るでしょう。決して叶わぬ夢を……」
優しく言い聞かせるように、それでいてどこか責めるように少女は言葉を重ねる。
「どうか、目覚めさせてあげてはくれませんか。決して終わらぬ悪夢の中であっても貴方がいる。きっとそれは夢心地なのでしょう」
感情の一切が感じ取れない少女がはっきりと、誰かの為に話しを続ける。それがどれほどの意味を持つのか、今の男には図り知れないことだ。
「だからせめて貴方自身が、その手で……きっとそれは残酷なことなのでしょう。しかし果たして、甘美な夢の中に浸り続ける彼女にとっては、運命に囚われ続けるのとどちらが堪えると思いますか?」
「コレは……」
未だ、男は答えられない。しかしその答えは喉元まで出かかっていて、だと言うのに踏み切れずにいるのだ。
「師匠は常に貴方のことを想っています。今もきっと、あるいはこれからも……何度繰り返し、記憶を失おうとも、貴方だけを想い続けるでしょう」
ゆっくりと闇の中へと舞い降りて、黄金の少女は言う。残酷と慈悲を兼ねて、無機質な声は柔らかな音色を奏でる。
「その度に、貴方は彼女に痛みを刻みつけますか?」
「俺は……」
腕の中の少女を見下ろして、そうして言い淀む。黄金の少女の言葉は的を得ていて、だからこそ白い少女が最後に遺した言葉が忘れられない。
「また、忘れるのですか? このまま同じことを繰り返して、また傷ついて傷つけて……それでも、彼女が側にいてくれれば満足ですか?」
「…………」
ただ無言のまま白い少女を見下ろして、その瞳に強い陰りが差す。決めあぐねているのだろう、迷っているのだろう。
悪夢を繰り返すか、あるいは彼女を地獄にまで引き摺り落とすか。──選ばなくてはならない。選ばなければ、またしても彼女を傷つけてしまう。
「形振り構わない強さがこそが貴方の本質。しらがらみなど殴り捨てて、一切合切の全てを飲み込む闇であった筈です」
思い出すのは白い少女が放った今際の言葉。──彼女は男を闇と言った。全てを飲み込む闇で、それは同時に底無しの優しさであると。
「ああ、そうだな………いいだろう。今より俺はしがらみ無き鬼となり、形振り構わない強さをもって必ずや仇を討ってみせようぞ」
膨大な力が渦を撒き、辺り一帯を飲み込むように膨れ上がる。深みより這い上がってきた深淵が全てを飲み込むように、白い空を闇色に染め上げた。
「しかし、分からぬな」
「…………?」
白い少女を抱き抱えて立ち上がる男の眼前、崩壊の始まった世界で男は黄金の少女に問いかける。
「よもや、貴様。何者だ?」
「私はサティナ・サラ=ティアナの弟子。ただそれだけの肩書きがあれば、それ以外のものなど必要ありません」
彼女の言葉に男は訝しげに眉を顰めると、一歩前へと出る。そんな彼の下へと、滑るように潜り込んだ少女が初めて笑う。
柔らかく、それでいて儚く、何よりも悲しげに彼女は微笑んだ。どこまでも深い憂いを帯びた瞳で、高い位置にある男の瞳を覗き込む。
「しかしそれでも、最後に我儘を言っても?」
「…………聞くだけだ」
長い間を空けて、それだけで言うも黄金の少女は満足げに頷く。
「私は混沌の権化。世界の秩序が失われるその時まで、きっと認知されることはなでしょう」
──だから、だからこそ。
「それでも、貴方はずっと私のことを気にかけてくれました」
「記憶にないな」
素っ気なく言う男に、それでも少女は変わらぬ笑顔で言う。
「ええ、今の言葉はこれからの話です。──ですからどうか、私のことも覚えていてはくれませんか?」
「保証は出来ぬぞ」
男の答えは尚も変わらず、しかし少女は柔らかい言葉を重ねていく。
「約束してください。それだけで、報われた気持ちになるんです」
「……………」
呆気に取られたように固まる男を見上げて、黄金の少女は両の腕を広げた。小さく脆く、華奢な身体でもなお、強く振る舞おうとする姿はいつかの白い少女に重なって見える。
「どうして、そんなことに拘る。貴様自身も、忘れるような約束を交わして何の意味がある?」
「さっき、貴方も言った筈です。形振り構わない強さを持つと……だからきっと、次が最後になると思ったんです」
彼女が何を言わんとするのか、それを察していても男が首を縦に振ることはない。それを知っているからこそ、彼女はどこか遠くを見遣るようにして目を細めた。
「俺はしがらみ無き亡霊、形振り構わない強さを渇望する幽鬼だ」
「もし邪魔だと言うのなら、滅ぼしてください」
言い募ろうとする男の言葉を遮って彼女は言う。しがらみになるのなら、邪魔だと言うのなら滅ぼしても構わないと。
「だからどうか、約束して頂けませんか。きっと私を思い出してくれると、また会った時にその目で変わらず私を見てくれると」
「…………」
稲妻の如く苛烈な視線を受けて、彼女はその瞳を指差す。強い拒絶の言葉を受けようとも下がる気はない。
「何の意味もない行為だ」
「意味がなくては、駄目ですか?」
「理解出来ぬな」
「ええ、きっとそれが普通です」
何を言おうとも彼女は一度は肯定して、それでも最後には我を通す。どれだけ拒絶の言葉を並べようとも最早無意味と悟ったのか、男は何も言わない。
ただ無言の時間だけが流れて、このまま世界が滅び去るのを……時間切れを待つつもりなのだろう。
「かつて、貴方は私達に言ってくれました。もう一度、その言葉を聞かせてはくれませんか」
それを知っていながら……しかし少女は黄金の太陽を閉じ込めた瞳でジッと男を見つめてる。酷く残酷な選択を迫っていると知っているからか、あるいはもっと別の理由ならあるのか。
どちらにせよ、彼女もまた無言を選んで男が次の言葉を口にするのを待っていた。
「私達は、いつまでも待っています。貴方のことを、いつまでも──」
「……………」
如何に残酷なことをしているのかわかっている筈だ。これほど愚かな男はいまいと自分を軽蔑する思いで、それでも彼女の想いには応えられぬと……拒絶の言葉を並べて、挙句には無言を貫く。
それが如何に卑怯で卑劣なことか。誠実さの欠片もなく、最早誇りなども地に落ちたと言われても仕方ない。騎士の一角に在りながら、自身を想う少女一人に拒絶する言葉を紡ぎ続けることすらも出来ずにいる。
それでいてどうして、白い少女の大願を果たせようか。全てを破壊し尽くして、咀嚼し、溜飲しようとする男が見せる態度ではない筈だ。
──知っている。知っていながら、そんな態度だなのだ。どこまでも軽蔑したくなるような姿が、果たして彼女が望んだものだと言うのだろうか。
これが、しらがみなき姿なのか。
これが、形振り構わない強さか。
──否、断じて否である。
ただ一人の少女の願いに報いることすら出来ず、その想いをも踏み躙るように無言を貫く。拒絶し切ることも出来ぬと知って、そんな不誠実な態度。
大きく息を吐くと一つ瞳を閉じる。
「…………」
一度閉じた瞼をゆるり持ち上げれば、その下から覗くのは禍々しく猛り狂う瞳。超新星の如く赫く赫く邪眼で以って、男は目に映る全てを燼滅せんばかりに睥睨する。
そんな男の眼前、黄金の太陽を宿した少女は悲しげに肩を落とすと、長い睫毛を下げた。
「残念ながら、時間切れのようですね。間もなく世界は滅び去り、全ては繰り返される」
先程までの表情はなりを潜めて、能面に戻った尊顔で事務的に予言を告げる。そんな彼女の前へと踏み出し、男がゆるりと青白い手を伸ばす。
「──っ!?」
「最期だ、名を聞こう」
顎に手を伸ばし、俯いた顔を持ち上げるようにして二組の瞳を合わせる。黄金の太陽と赫く赫く超新星が交わるようにして、二つの視線が交差する。
能面を貼り付けたような表情で、無機質な声で予言を告げていたはずの少女の目尻からは涙が流れている。それすらも黄金の少女は隠そうともせず、ただ流れ出すままに禍々しい瞳に釘告げるになっていた。
「……ロマネスク・ロマンシア……」
呆然と誘われるように、未だ一度として名乗ったことのない名を口にする。ただ一度この時だけ彼女は恩師から貰い、そして終ぞ名乗ること来なかった名を口にしたのだ。
それがどれほどの意味を持つのか、きっと彼なら理解している。無償にそう信じていて、例えそれが彼女の思い違いだとしてもそれでいい。
──何よりも、もっと重要なことがあるのだから……
「貴方は……?」
長く、長く彼のことを知っているはずのに初めて男の名前を知らないことを自覚した。だからこそ、残りの少ない時間……もう一つしか答えられないかも知れないと、そう考えた時に脳裏に過ったのがその質問。
最早、迷いはなかった。
故に、彼女は後悔した。
「生憎と、俺に名はない」
「……そう、でしたか……」
それは彼を覚えた置く必要はないと言う暗示なのか、はたまた彼は本当に名もない化け物であったのか。
きっと、彼女が知ることはないだろう。もっと早くに気が付いていれば、知る由はいくらでもあっただろうに今際になって気が付いてしまった。
「約束だ」
後悔する少女の耳に、声が届く。無機質でどこまでも深く、深淵の底から響くような聲。
「今度は俺の方から、貴様に会いに行こう」
「ええ……ええっ! きっと、いつか必ず! ずっと、いつまでもお待ちしております」
破顔させて、何よりも誰よりも美しい顔をぐちゃぐちゃにして少女が涙を流して笑う。どこか感情が抜け落ちたようなどこか無機質で、作ったような表情を貼り付けた少女が初めて本心を見せた姿。
それは皮肉なほどに人間らしくして…だからこそ、何よりも残酷なのだろう。きっと彼女は男の言う通り約束を忘れて、また自分自身すらも見失って悲しみに暮れるはずだ。
「…………その時はまた、貴様の恩師を連れて行こう」
腕の中の白い少女を見下ろし、長い髪を払うようにしてその顔を覗き込む。今や黄金の少女はその姿を消して、遥か彼方に見える黄金の太陽が唯一彼女が存在した証。
破壊と滅びを宿命付けられた化け物が一角。思い通りにならぬのなら運命すら、世界をも滅ぼして突き進むだろう。
今この時、九柱の神に誓ったのだ。
己の全てを賭けて世界を滅ぼそう。
この盛大に踏ん反り返った世界に目に物見せるため。
誰か為に自己をも犠牲にする優しい少女に報いるため。
「見ているか、聞いているのか。奇蹟の象徴、冒涜の権化──何を憂うことがある」
ぽつり、ぽつりと溢れでるのは失われた信仰への祈り。遥か遠く、どこまでも届かぬナニカへと渇望するように紡がれた祝詞。
「爛れた血糊が唯一我等の共通点。──汝、十字架を背負い立つ者よ」
失われた視界の中、それでも脳裏にこびりついて離れない姿がある。もう二度と失う後悔はあるまいと、今や重さすらも感じられなくなった少女を抱きしめる。
「積み上げた罪と犠牲は何の為。努々それを忘るるな」
闇の中、赫く赫く超新星が嗤う。禍々しい光は深淵の闇すらをも滅尽せんと猛り狂う。
「故に俺は『滅びの王』……飽くなく潰滅を貪る、狂王であろう」




