第十一話 滅びの奇跡
カツン、カツンと、ただただ開けた空間に無機質な音が木霊する。外套を纏った小柄な人物が一つひとつ足を持ち上げ、その身体を上へと持ち上げていく。
巨大な摩天楼の中、そこにあるのは中心に長く伸びた支柱と暗く見えないほど遠くにある壁のみ。
階段も部屋もない空間をその人物はひたすらに上を目指して登っていく。彼女が足を上げれば、その下に純白の光を放つ足場が現れた。
そして、カツンと音を立ててまた一歩、高みへと至る。
焦る様子も、急ぐ様子もなく……ただ永延にも思える道で彼女は悠然を歩を進めていた。未だ天井も見えない摩天楼の中で、しかしそんなことはどうでもいいと言わんばかりにただ足を進めるのみだ。
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薄暗い空間でその者は目を通していた書物を閉じると、ゆっくりと背後へ視線を向け、その先にあるのは高く厚い扉。それは軋むような音を立てて一人でに内側へ開き始める。
赫々と燃える鉄扉の向こう、魔族にしては相当小柄な人影が佇む。有象無象の弱者の如く、覇気もなく、それでいて植物のように気配も感じられない。
「『魔導王』ギィバルド・グラーダン」
どこまでも澄み切った声は綺麗な響きを持っていて、それでいながら底知れない何かを感じさせた。
鉄すらも焼けるほどの熱気を纏って、黒い外套が揺れている。魔界で有数の猛者すら上回るほどの力を放つ人影が、ゆるりと剣を抜く。
錆びついた鈍を構えると同時に、熱気に煽られたフードが外れてその尊顔が顕になった。
発光しているかのような白い長髪。
生の熱を体現したかのような赤く輝く瞳。
そんな彼女が手に持つのはあまりに不釣り合いな粗雑な剣。
一見すれば誰しも笑い飛ばすような姿形の少女。
しかし確かな眼を持つ魔導王はそんな彼女の姿に、身体の芯から震えがった。
"与えられた"記憶にある中では、彼の魔王に直面した時以来だろうか。
だが、その力は遥か遠く……彼の魔王には決して及ばない。
「……貴様が魔王の使徒か?」
力強い声が彼女の正体を問う。
「いいえ。私は『滅びの王』が放った刺客です」
冥府へ向かう者へ少女が最後の慈悲として己が正体を明かす。彼女が明かした正体にさしもの魔導王とて目を見開き、自身の耳を疑った。
驚愕に目を開いたのはのは一瞬のことで、すぐに納得したような表情を浮かべ──
「そうか、奴が……。して、どうする? 私を殺すか?」
「私は『魔導王』レドゥズビアを殺せと命をうけてここにいます。彼を寄越してくれるのであれば、見逃しましょう」
「断る、と言えばどうする?」
「であれば、残念ながら貴方を抹消した上でレドゥズビアを殺します」
「いいのか? それでは手がかりを失うことになる」
「構いません。今更、何を言い出すと思えば……まさか、命が惜しいのですか?」
煽るような口調の少女に魔導王が眉を顰める。どうにかして、コレが纏う化けの皮を剥がしてやりたい、とそう思ってもいかせん掴みどころが見当たらない。
そもそもとして──
「何故、私が『魔導王』の影武者と知っている?」
「答えたところで無意味です。私が知りたいのは貴方がレドゥズビアと繋がっているかどうか」
「……貴様はどちらだと睨んでいる?」
淡々と己が欲求を口にする少女へ、男は逆に問いかけた。
「聞けば彼は用心深い男と聞きます。貴方を操り人形のように遠隔操作をしていても、精神へ対する攻撃は防ぎ得ない。
ならば、貴方は彼の傀儡。その記憶や力の一部を添付しただけの劣化品です」
「随分な言いようだな」
「…………否定、しないのですね」
無言のまま鋭い眼光にて少女を見据える。少ないヒントから正解を手繰り寄せる曲者の、その思考を見透かさんと──
「どちらも貴様がどうこう出来る存在では無い。であればそれはどこから手に入れた情報ではなく、貴様の憶測が多分に含まれている」
「いかにも、貴方の言う通りです。ですがひとつ……世の中は貴方が思っているよりも存外、耳や目は多いものなのですよ」
身体の向きを変え、円を描くようにして少女が歩き出す。
「確かに虎視眈々と、生き馬の目を射抜くような世界で、自身が墓場まで持っていけなかった秘密など何の意味もない。だが、やはり貴様はおかしい……」
「……いいでしょう。答え合わせです」
そう言うと、少女が自身の左目を指差す。
「私は未来眼を持っています。これでお分かりでしょう?」
男は目を見開き、そして絶句した。──しかし同時に博識である彼は知っている。未来眼などはそんな便利なものでは無い、と。
「私も色々と探してみましたが、事実として貴方の秘密を知る物には出会えませんでした。ですが、思いの外上手くいったようです」
ゆっくりと歩く少女は言う。
「何故、ここまで貴方は私の存在を勘付けなかったのでしょうか?」
「何を言って──……っ!?」
そして、気がついた。
「……なるほど、な………」
彼女の未来眼を使えば、無から有を見出せるのだ。それが今この瞬間であり……だが同時に、一つ取り除けない気掛かりが残る。あくまで彼女の視れる未来は可能性であり、可能性が無い未来は映らない。
そして、彼の本当の秘密を知る者は二人しかおらず、そして彼女は正真正銘の『無』を──
──であれば、さすれば未来眼など無意味で……
「やはり、分からぬ。何故貴様は、それを知っている?」
「……まだ分かりませんか」
どこか呆れたようにそう呟くと、少女が足を止める。そうしてゾッとするような笑みを、それでいながらこんな状況でも思わず目を奪われるほど美しい微笑みを浮かべると──
「貴方自身が教えてくれたのですよ」
それは彼の記憶に無い答えだ。
それは未だ起きていない現実だ。
それは、これから起きる事象だ。
身体の五感が遠のく。
理解出来なければどれだけ良かったか、しかし不幸にも理解出来る頭が彼にあった。
「貴方の死後の世界線にて、レドゥズビアは必ず動き出します。自身の影武者が殺されたと分かれば、当たり前の反応ですから」
「なるほど……だが、貴様の未来眼にも全ては見えておらぬ」
答えを聞いてどこか心得たような表情を見せた魔導王。しかし次の瞬間にはそんな驚愕の表情はなりを潜めて、確固たる自信に満ちた声が響く。
「いいや、逆か……。貴様は物事の根本がまるで見えておらぬ」
未来眼には欠陥が多いことは彼女も理解しており、そこに映る光景は参考にするかどうかもよく考えて行動してきた。──しかし彼女には決定的に足りないモノがある。
「やはり、貴方もそう言うのですね」
だが、一瞬驚愕を滲ませていた少女の顔には何故だか笑みが張り付いて……弧を描いた口が動く。
「全く、その通り……私の眼は、彼に出会ったその時から何も見えていないんですよ」
皮肉めいた言葉とは裏腹にその顔に浮かぶ仮面は場違いなほど穏やかだ。どこまでも達観したような……否、その仮面の裏にあるのは諦観にも近いのだろう。
「最後の警告です。貴方がレドゥズビアを呼び寄せてくれるのなら、命だけは助けましょう」
錆びた剣を構え、尚も態度を崩さない少女を睨みつける。
「断る。どちらにせよ、私の未来は変わらない。何よりも貴様なら視える筈だろう……私では魔導王を呼び寄せられない、と?」
「やはりそうでしたか……もしかすれば、と思ってそう説いただけです。生憎と、貴方が私の警告を聞き入れる未来は存在しないのですから」
言い終える前に、魔導王の姿が霞む。
だが、少女の赤い瞳は確かにその姿を捉えていて──
自身の喉元へ伸びる結晶刃を錆剣で弾く。すかかず懐へ飛び込んだ魔導王へ膝を打ち込めば、辛うじて彼は腕にてガードする。
弾かれたように吹き飛ばされて、着地した後も暫く地を滑る。そんな彼へ追い縋る少女の影が見えると同時にして、視界に鮮血が舞った。
辛うじて躱したと思ったものも束の間、左腕が失われている。
「魔導王が近接戦とは、一体何を考えているのですか……」
「何故聞く? 貴様の未来眼に映っているだろう?」
「生憎と私の未来眼には無数の可能性が映っています。ここは戦場であり、私や貴方は無数の選択肢と可能性が存在し、その中から最善たり得るを模索しているのですよ」
「なるほど、こんなところで未来眼を使っても情報過多で思考速度が鈍るのか……昔聞いたいた通り、随分と使い勝手の悪い能力だ、なっ!」
今度は瞬く間に距離を取り、しかしサティナがそれを許す筈もなく──残像すら残さない速度で迫る。
──そう来ることは分かっている……!
サティナが踏み込んだ地点から熱線が噴き出し、空気を焼く。反射的に跳び退いて避けるも、足を止まった彼女を逃すほど彼も甘くなかった。
「っ……!」
無数の魔法陣が彼女を取り囲むよう現れると同時に炎弾が吹き出し、同時にして純白の極光が視界を焼く。
炎すらも焼き消す極光が消えうるよりも疾く、魔導王の目の前に彼女は迫り──万雷が弾けた。
遥か上空で、しかしどこまでも彼方まで轟く雷鳴が響き渡り、鮮やかな雷光が煌びやかなほどに輝く。
バチバチと紫電を纏った両者が焼けた石の上に足を着くと、互いを中心にして円を描くように歩き始めた。
「……愚かな娘よ。貴様は彼奴が何を為そうとしているのか知っているか?」
「…………」
「奴が血眼になって求めているのは転生の奇跡だ。死をも克服するそれは、不死たる奴には不要の長物。にも拘らず、何故奴はそれを望む?」
「死の克服、それがそんなにも忌み嫌われるものなのですか?」
かつて家族を失った身として、それは甘味な響きにも聞こえる。しかしその残酷さを彼女は知っていた……知っていて、あえて聞いたのだ。
「死ねばそこで終わり。それはあまりに当たり前のことであり、生きとし生けるものモノにとっての絶対だ。何よりも、新たな生を受ける者へ対する冒涜ではないのか?
生まれてくる命には限りがあり、力ある者が転生魔法を行使すれば新たなる無垢な命を押しのけ、自らが新たな生を受けるのだ。
それがいかに冒涜的な行為か……それが人々に何をもたらすのか想像出来ないほど愚かではあるまい。それでも何故、奴に協力する?」
油断なく男を見据えて少女が思案する。
「この世界には不死が生まれたのですよ。それは死という絶対的な概念が覆った瞬間であり、そしてまた私達が世界に引いた弓が届くことの証明です」
「それは世界が持つ絶対的法則を失いつつある証拠だ。秩序を失い、理を欠き、混沌が支配する世界の結末が想像つかない訳ではあるまい」
互いに立っていた位置を入れ替え、そうして漸く両者は足を止めた。それでも油断なく互いを見据える二人の間に先ほどの熱線で溶けた天井が落ちてきて、
「そう言うレドゥズビアは彼が研究していたそれを奪い、その挙句に彼と同じように転生魔法の研究をしていたのではないのですか?」
「話しをずらすな。彼奴と私は同じようで別物だ。少なくとも私はそれを行っていない」
「……なるほど、確かにそう言い切ることも出来ますね」
ひとつ、瞳を閉じて思案するような仕草を見せるも、すぐにそんな同情するような表情はなりを潜めた。
代わりにその仮面に映し出されるのは、諦観を滲ませたような……否、諦めではない。そこにあるのは、強い反発心だ。
誰に対する反抗心か。
彼の言葉に対する強い反感なのか。
それとも彼の者へ対する嫌悪感なのか。
あるいは、人々の営みを踏み躙る神へ対する憎悪か。
「一つだけ教えておきましょう。私や彼に在るべき姿を問うのは、間違っています。
我々は我々のやり方で、事を為すだけですから。例え敗れることが宿命づけられていようと、我々は不可能に挑み続けます」
「……それは傲慢だぞ」
「虚勢を原点とした傲慢こそがまさに王たる所以。無を有と言い切る横暴すらも貫き通すその覚悟が、貴方にはありますか?」
「ほう? 実に的を得た言葉……それだけに、貴様は危険だ」
紫電が迸り、地面に稲妻状の亀裂を拡大する。持ち上げた足にて地面を踏み抜けば、紫電が噴き出す。
足元の亀裂から迫る電撃をどこかつまらなそうに見下ろす少女。動く気配もなく剣を振り抜けば彼女へ襲い掛かる紫電は、魔導王の意志に反して錆剣の方へ引き寄せられた。
ゆるりと少女が身体を揺らすと同時に魔導王が駆け出す。幾本もの稲妻が迸る空間を駆け抜けて、澄み切った結晶槍を突き出した。
青電を纏った結晶槍はしかし、少女の胸の服……ただ一枚を切り裂いて止まる。そんな彼が睨みつけるのは、青電に手を焼かれてなお気にもとめない彼女の手だ。
結晶槍を掴み止め、釘付けにして……硝子が砕けるような音を立てて槍がへし折られた。──直後、無手になった魔導王が流れるような動きで懐へ飛び込めば、突き出した手にて、彼女の胸に空いた穴へ手を触れる。
「……っ!」
──青炎が爆ぜた。
石造りの部屋すらも瞬く間に溶け出すほどの灼熱。──その中心にて影が揺らめく。
足を踏み出して進むのは小柄な人影。
あれほどの灼熱を帯びてなお、悠然と佇む姿はまさに異形。
全身を焼かれ、肉が焼け落ちて、そんな中でもなお……彼女は足を止めることなく魔導王へ近づき、剣を振り翳す。
振り下ろされた縦一閃の斬撃は熱を帯び、魔導王の背後に聳える石造りの壁を焼き切った。
全身が黒く焼け爛れた焼死体のような姿であっても、赤く鮮やかな瞳が爛々と輝く。
間もなく焼け落ちた筈の肉が戻り、美しく穢れひとつない白い肌が蘇った。焼けて抜け落ちた筈の髪もまた、熱気に揺られて妖麗に靡く。
一糸纏わぬ姿のまま、赫く焼けた剣……その切っ先を男へ向ける。
「不死身の化け物め……!」
肉体的な強度が人間の比ではない魔族とて、全身の肉が焼け落ちるてもなお平然としていられる筈はない。
「貴方は転生魔法を大罪と言いました」
まるで花嫁装束のような純白のワンピースドレスを纏い、その少女は云う。
「私が黙って彼を見ていただけだと思いますか?」
彼女の左眼の色が白光色へ変わる。
「これは私が幾重もの年月をかけて創り出した蘇生術。天へ弓引く者へ、世界へ報いる一矢とならんとする者へ捧ぐ今際の奇跡」
赤き剣が純白の光を纏い、大気を焼くほどの灼熱を放つ。
「貴方の覚悟に敬意を称して……死の克服などまだ、序章に過ぎなぬことをご覧に差し上げましょう」
未だなお底の知れない少女へ、魔導王が顔を引き攣らせる。それと同時に、何故あの超越者が彼女を側に置いたのかを理解する。
少女の姿がブレる。──否、二つに割れたのだ。
分身術により左右から迫る彼女の動きは、先程に比べてやはり遅く……左から迫る方へ突き出した槍を掌で受け止めれば、反対の者の掌からも鮮血が舞った。
速度が遅いのは分身術によって割ける力が等分以下にまで落ちる上、思考は一つ故に二つの身体を操る際は、一つ一つへ割く意識が散漫になる。
攻撃してない方の個体まで同じようにダメージを受けるのは、元は一つであることの証明でもあった。
等分以下にまで落ちる能力の低下。
的は増えるのにダメージは共有すると言う危険。
故に便利とは言えど実戦にて使うにはあまりにお粗末なそれを、彼女は行使した。確かに意表を突たもののそれも束の間で、すぐに弱点たる急所を狙う。
片方が致命傷を受ければもう片方も同様のダメージを負い、最悪の場合動けなくなることもある。
──そうなれば……
だが、血を流しながらも手を貫かれなかった片方の分身が剣を振り抜く。即座に剣を作り出し、それを防ぐが──
「くっ……!」
手を貫かれた方までもがそのまま剣を振り抜いたのだ。反射的に槍を引くとその剣を防ぐ。
分身術によって力の落ちた攻撃は思いの外軽く、右の個体が両手で振るう剣すらも片手でもって易々と弾き揚げて見せた。
攻撃が捌かれたことを確認すると両者は跳び退き、分身術が解除された。あくまでそれは不意の一撃であり、既に見破れた状態では足枷にしかならない。
床から噴き出した鎖が身体に巻きつく直前……錆剣を振り抜き鎖を切り払う。焼けた鉄鎖を切り裂き、そのひと束を左手に掴み……鎖を捌き終えるよりも早く次なる一手が迫る。
ゆるりと瞳を動かして迫る無数の光弾を剣にて捌き、身を低く駆け出した。
まだ剣の間合いよりも遠い位置、しなやかな全身を捻り、渾身の力で焼けた鎖を鞭のように叩きつけた。三又の鎖が空気を焼きながら迫り、しかし瞬く間に熱によって蒸発すると影も形も失う。
白光を放つ剣をサティナが突き出す。
魔導王の伸ばした手が白炎を纏った。
両の手で突き出された渾身の一撃が手を貫き、しかしそこまでだ。──貫いた剣が勢いそのままに彼の胸に迫ることも構わず、魔導王が手を閉じた。
白い火花を放って閉じられた手の中で剣が止まり……それよりも疾くサティナは剣を手放す。
「……っ!?」
捉えたっと思ったのも束の間、懐へ潜り込むと彼の腹へ手を触れた。
全身の身の毛がよだつのを感じた。と、同時に白い炎が迸り──
「チッ……っ!」
少女の腕が肘の辺りから切り落とされ、魔法の発動が強制的に中止される。確かに届いた一手を失い、一度少女が立て直そうと背後へ跳ぶ……そう読んで魔導王が踏み込んだ。
しかし、腕を失った筈の彼女もまた踏み込む。
「化け物めっ!」
地面に這うように低く、滑るように迫る少女を踏み抜く。しかしまるで手応えはなく、空振った足が分厚い石に沈み……ハッとしたのも束の間、少女は彼の背後にて背中合わせの状態で立っていた。
一際巨大な立体魔法陣が二人を呑み込む。
白い線が強い光を放ち、今その力を具現せんと震えていた。
「滅びの王……」
体制を立て直し、背後に立つ者へ迎え撃たんと身を捻る彼の耳が、彼女の口から溢れ出た呟きを拾う。
直後、白い魔法陣は瞬く間に黒く変色し……しかしその黒線の輪郭を白い光が縁取っている。
──なんだ……!?
──何をしている……!?
──何か不味い……!
こんな状態でも美しく目を奪われるほど洗練された魔法陣。芸術的なまでのそれが次の瞬間、大きく歪んだ。
それは世の理に当てはまらぬ異形であることの証明なのか……しかしそれでも己が存在を力尽くにでも肯定せんと、歪に歪んだ幾何学模様が脈打つ。
「……盤上の全てを覆す我等が神よ」
身体の反転を終えようとした魔導王の耳元に雷鳴が轟く。だがそれは彼のよく知るモノではなく、不協和音の混ざるそれはまるで彼の王の再臨だ。
直後、摩天楼の呑み込むほどの滅びが落雷する。
瞬きの間もなく、摩天楼が崩れ去り……足元を失って落ちていく二者の間で尚も黒雷が荒れ狂う。
「今こそ彼の者の奇跡を──」
空を引き裂くような雷鳴がどこまでも彼方へ響き渡る。魔界の空が闇色に染まり、それでいながら地上を白く照らし出す。
天を貫くほど高く聳える摩天楼を込み込み。代わりに滅びの雷が天地を繋ぐ柱の如く、顕現する。
崩れ、壊れ、落ちゆく摩天楼を咀嚼する彼の奇跡。それは何故、こうも眼を奪われるほどに美しいのか──
瓦礫の殆どが灰塵と化して、黒き灰が降り注ぐ無法都市。その中心に積み重なる瓦礫の山にて、サティナは魔導王を見下ろしていた。
身体の殆どを食い破られて、滅びの奇跡故に治癒魔法もその意味を為さない。間もなく迫り来る死を待つしかない無い彼を、そのやるせなげな顔をただ見下ろす。
「……感謝する」
しかしそんな表情とは裏腹に、彼の口から紡がれた言葉にサティナが目を見開いた。
「どちらにせよ、私は間もなく魔王の使者に殺されていた」
そう言うと懐から何か紙を取り出して突き出すそれを少女が受け取る。
「魔王から招集だ。レドゥズビアが行かなければ私は使徒によって見せしめに殺され、奴もまたどうなるか分からない」
「最初に私へ使徒か、と聞いたのはそれですか……」
「ああ。加えて、皮肉にも魔王の命令とて私ではレドゥズビアへ接触を取ることは出来なかった」
「やはり、そうでしたか……」
「貴様なら視えているのだろうが、それ故に私が殺される未来は変わらない。それでも死に方ぐらいは選びたかった」
力無き者は死に方も選べない。
魔導王の手によって創り出された傀儡たる彼は、生まれながらにしてその権利を失っていた。
「……だが、最期に……彼の奇跡を、垣間、見えたことは幸運だった……とも、言えよう」
さすがに話すのも辛くなってきたのか、言葉が途切れ途切れとなり出す。そんな彼の言葉をサティナは黙って耳にして──
「こんな出来、損ないには……十分、過ぎる名誉の、死だ。故に……其方に、は感謝して、いるのだ。
まだ無名だが……他の誰、でも無い。彼の、滅びの王が……見定めた、其方の手によって……」
途切れ途切れに語る彼の身体が崩れ始める。
「冥土の……土産まで、持たせてくれるとは、な。滅びの、王にも伝えてくれ……意味のある、死を与えて、くれたことを感謝、している、と……」
何とそこまで言い終えると、彼の身体は黒き灰となって崩れ落ちる。佇む彼女の頬を風が撫でれば、風は彼だったモノを手に持ち去っていった。
そんな光景をどこか遠く見つめて、それでいながらその瞳には決死の覚悟を滲ませている。
──まだ、終わりでは無い……
そう、まだ『魔導王』は倒せていないのだ。
彼女が手にかけたのはただの影武者で、本当に倒さなくてはいけない者は未だにどこかで身を潜めている。
ゆるりと踵を返すと、『魔導王』ギィバルド・グラーダンが眠る墓を後にした。




