第十話 紅き流星
その夜もサティナは一晩分の金をマリーナへ手渡して中へと足を踏み入れた。変わらず窓際の椅子に座る彼女の様子を不思議そうに眺めながら、他愛ない話しをする。
その過程でふと魔法について聞いてみれば、
「存外にも魔法に詳しいようですが、貴女は魔法は使えるのですか?」
「何度か客に教えてもらったことがあるけど、大したものは使えないわ。強いて言えば日常生活が多少楽になるくらいね」
そう話していると、ふとある疑念が頭をよぎった。今まで見た者達の中で、彼女は四天王に並んで力ある者だ。
──もしかすれば、教えてくれないのか……
「もし、良ければ……魔法を教えて貰ってもいいから? 勿論その分の代金も払うし、何なら宿代を出さなくてもいいわ」
「そう、ですね。確かにこうしていても暇なだけですから。代金は不要ですよ、だって面白そうじゃないですか」
蠱惑的に少女が笑う。魅入られるような、それでいてどこかゾッとするような笑みだった。
「えっ? い、いいの?」
「ええ、勿論。私が宿に寝泊まりしている間、貴女に魔法を教えましょう。人に師事するこもで私もまた理解を深められます」
「私から言い出しておいて今更だけど、教えいいようなものなの?」
本来、魔法とは基本的には弟子でもなければ他者に教えることはない。魔法の所有は個人の強さを現すものでもあり、おいそれと他人に教えることではないのだ。
当然、初歩的なものであればいいのだが、そうでないものは相手を殺してでもその研究結果を奪うほど重宝されている。
「貴女にそれだけの才能があるのなら、より強力な魔法も教えましょう。尤も、私にもあまり時間がないのでそこまではいけないでしょうけど」
「な、何でそこまで……?」
「言ったでしょう? 面白そう、と。それに……」
指を立ててサティナが微笑む。
「私の教えるのは魔法だけです。他の技術が欠けていては到底その能力を発揮することは出来ません」
「尤も、そこまで教える時間はないので……」
さて、とサティナは窓に向かっていた身体をマリーナの方へ向ける。そうしてゆっくりと手を伸ばすと、
「貴女は何故、魔法を学びたいのですか? 教える時間には限りがあり、貴女が何を欲するかによって教える魔法が変わります」
「私は──」
それから暫く彼女が何故自分が娼婦をしているのか、そしてこれからどうしたいのか。なんとしてもここを出たいと、自由が欲しいと訴える。
目の前にいる彼女に比べれば自身が辿ってきた道は生温い。だが、それでも強く生きたいのだと、そう訴えかけた。
「ええ、いいでしょう。ではまずは──」
サティナが手を伸ばす。どうすればいいのか一瞬迷うも、何気なしにその手を取った。
「……っ!?」
直後、世界が回る。上下左右の失われた世界で、気がつけば彼女はベッドの上に倒されていた。
「如何ですか?」
「……えっと、なんの魔法かしら?」
訳が分からない状況で、辛うじて聞き返せたのはそれだけ。しかし少女は首を振ると、
「あれは魔法ではなく、体術の一環です」
「……体術?」
「そう、力無き者のための技術。しかし、力無き技に意味はありません。
まず教えるのは身体強化の魔法からでいいと思っていましたが、今のを見たところ最低限の受け身も必要ですね」
全く受け身を取る気配もないままベッドに叩きつけられた少女を見下ろして、サティナが言う。
本来であれば初歩的な戦闘魔法、身体強化を教えるつもりだった。ありとあらゆる身体能力が向上し、肉体の耐久力も上がる。
戦闘になった際にも攻撃力、機動力、そして防御力までも上がる尤もたる魔法。肉体が強化されれば攻撃を受けた際のダメージを軽減することができ、致命傷を負っても強靭な肉体のお陰で延命することも出来る。
サティナが宙に魔法陣を書き出した。それは魔法回路であり、能源を流し込むだけで効果を発揮することができる。
魔術とも呼ばれる比較的簡単な法術であり、初心者が必ず通ると言ってもいい道だ。
「それが身体強化の魔法陣かしら?」
「ええ。ですが魔法時もはあくまで魔法が使えまるで補助に過ぎません」
能源を流し込むだけで魔法を行使することが出来る魔法陣は確かに便利だ。しかしそれは秘匿性に欠けており、魔法を行使する度に魔術陣が見えてしまえば前もって何がくる相手に教えるようなものである。
何よりも魔法陣を描いてからではどうしてもタイムラグがあり、術の行使に当たって能源の一部が光などに変化してしまう。
刹那よりも尚短い瞬間で生死が別れる戦場に於いてそれはあまりに命取りで、光が出ては闇討ちも出来はしない。
しかし、それでも使い方次第では無類の強さを誇っていた。
他にも同じようで僅かに違う魔法を魔術陣を通して使用する場合、既存の魔術を自分で変換する必要があり、逐一そんなことをしている暇はない。
それでも魔法の行使にはイメージをする必要が、つまるところ思考を割く必要があった。大して魔法陣を使用した場合は多少の使い勝手は下がるものの、思考の代わりを魔法陣が代行するために並行して複数の魔法が使い易くなる。
では、そこに結界魔法を合わせてみてはどうだろうか。能源さえあればそちらへ思考を割く必要はなくなるではないだろう。
そう、都合の良いものではない。魔法陣を通して魔法の発動する際は常に魔法陣が顕現しており、知識のある者が見れば一目で結界魔法の穴が丸わかりになってしまう。
何よりも、魔法陣を直接消されてしまえば魔法は効力を失う。
つまるところ魔法の弱点を晒すようなことであり、魔法を事前に、そして途中で中断させることが容易になってしまう。
──まぁ、そんなことを話しても仕方ないか……
わざわざ話さずとも経験を重ねればすぐなわかることだ。
百聞は一見にしかず、経験してみることが大切だ。
「それでは、身体強化の魔法陣を顕現した上で使用して見せてください」
「え? そんないきなり……」
「他の魔法と要領は変わりません。なにも急に爆発するようなものでもないですから、物は試しです」
「わ、分かったわ」
そう言うと、彼女の身体を覆う魔法陣を展開する。淡く魔法陣が光れば間もなくその効力が発揮され、
「身体が、軽い……。それに──」
すぐに効果を感じ取れたのか、目を丸くしてその実感に浸る。身体は驚くほど軽く、強化されて研ぎ澄まされた五感の中で身の回りのモノがその存在を強調している。
神経伝達の速度も跳ね上がり、スローモーションがかかったかのような世界で顔を綻ばせてサティナを見やり、
「……えっ?」
何かが弾けたような音と共に上下の感覚が失われて、世界が傾く。暗転していく視界の中で彼女の身体を掴む少女の姿だけが映って──
「うっ、ぅん……」
頭が打たれたように痛く、ひどい耳鳴りに魘されながら目を覚ます。と、そんな彼女の横でサティナが見下ろしていた。
起き上がろうとして、思わず強い吐き気に襲われて再びベッドに倒れ込む。
「気をつけてください。研ぎ澄まされた感覚は時に弱点になります」
「……何をしたの?」
「ただ貴女の耳元で強い音を鳴らしただけです」
そう言うとサティナが新しく魔法陣を描きながら説明を続けた。
「結果、貴女の聴覚は鋭い音に絶えきれずに不具合を起こしました。耳の奥にあるバランス感覚を司る器官がダメージを受け、一時的に麻痺しだけです」
そう言うとサティナが完成した魔法陣を見せる。
「これは治癒魔法、と言うよりは回復魔法ですね。対象の回復力を高め、厳密には前借りして傷や病を素早く治す法術です」
これで先ほど私から受けたダメージを治してみてください。と、少女が続けた。
見よう見真似で魔法を行使すれば、瞬く間に体調を回復し始め、少しもすれば吐き気も治まり、立ち上がることが出来るようになった。
「百聞は一見にしかず。荒っぽいことになってしまいましたが、経験して貰うのが一番早かったのです。
経験しているかそうでないかは、今後に於ける生死の別れ目で大きく出てきますから」
それから更に暫く、そう大した時間ではないがサティナから魔法を教わった。しかしサティナほどの体力を持たない彼女では早くも疲れが滲み始める。
そんな彼女を見てサティナもこれ以上は酷だと判断すると、取り敢えず今日のところは体力回復のため寝るように言った。
それから十数日。昼間は街に出て情報を収集し、夜は宿代がてらマリーナに魔法を教える日々が続いた。
体力のある内に軽い座学を教えるとすぐに実践に移し、彼女の体力が持つだけ魔法を使わせる。そうして泥のように眠りに付く彼女の横で、サティナもまた万全の状態を維持するために睡眠を取っていた。
結局、この短い期間で教えられるのは簡単な護身術と生存能力を伸ばすことが出来る護身用の魔法のみ。それ以上のことは時間も、彼女の才能も足りていなかった。
「今日で最後です。私は間もなく旅立ちますから」
「そ、そうなのね……。色々とありがとう」
「いえ、こちらこそゆっくりと身体を休めることが出来る宿を借りられて助かりました」
ベッドの上で横になり、いつも通り眠りにつこうとするマリーナ。そんな彼女の様子をどこか遠い目で見て……しかし思い出したように口を開いた。
「そう言えば一つだけ。これは貴女が寝たあとに私が独り言を呟いているだけです」
既に瞳を閉じていたマリーナは、しかしその言葉を聞いて目を開けることなく耳だけ傾けた。
「間もなくこの地は戦火に呑まれます。絶対的象徴たる摩天楼は地に叩き堕とされ、その麓は火の海と化すですしょう」
ここの住人、その絶対たる象徴すらも脆く崩れ去る。そう言う少女の言葉にマリーナは黙ってみまを傾けた。
「そうなるのは私が選んだ道の結果です。今までもこれからも、他の誰でも無い自分が選ぶ道ですから……どんな結果になっても──」
ポツポツと彼女は溢すように呟く。
そんな少女の声は震えていて、初めて耳にした無機質な響きは失われていた。
それは彼女もまた心を持つ人なのだと、ありありと証明していた。
マリーナの身を案じて、彼女は今後起こりうるであろう騒動に乗じて自由に……自分で自分を決めて生きろ、と言っているのだ。
今まで流されるように生きてきたのは彼女の選択であり、誰を責めることも出来ない。故に今度こそ、自由に生き……それ以上に自分で選び、未来を掴み取るしないのだ、と──
翌朝、机の上に置かれた大金だけを残して純白の少女はその姿を消していた。明らかに宿代だけでは済まない量の金額に目を見張りながら、その袋を手に取り──
「貴女は一体……」
直後、身体の芯にまで響く衝撃波が突き抜けた。弾かれたように吹き飛ばされて、数度壁や床に叩きつけられたのちに漸く頭が回るようになる。
娼館の一部は吹き飛ばされて、彼女の部屋も半壊していた。そんな中で身体を内側から掻き混ぜられたような不快感と吐き気が突き抜けて、サティナに教わったようにして回復魔法を施す。
漸くまともに身体が動くようになって、何が起きたかと壁の剥がれ落ちた窓だった場所へ視線を向ける。
「なっ……!?」
無法都市でも摩天楼から離れた花街。そこから見える光景に言葉を失う。
「摩天楼、が……」
遥か上空、その頂も見えないほど高い摩天楼から無数の焼けた残骸が降り注いでいた。それは破壊された摩天楼の一部で、溶けた大理石が無法都市に火を放つ。
流星の如く降り注ぐ紅き彗星が、こん状況でも身を奪われるほど綺麗で──
「……っ! み、みんな!?」
そして思い出すのはこの娼館にいる仲間達。サティナに魔法を教わっていたために大してダメージを負わずに済んでいるが、彼女達はそうではない。
部屋を出ようと扉に飛びつき、しかし歪んだそれは開かない。身体強化による魔法で強引に扉を引き剥がして廊下に飛び出せば──
「──っ!」
生臭い鉄のような臭い。
そして廊下にばら撒かれた赤い斑点。
「死んで、る……?」
身体があり得ない方向にひしゃげた屍。
崩れた壁へ天井の下敷きになる屍。
次の瞬間、建物全体からミシミシとした嫌な音が響き渡る。もう長くは持たないだろう。
廊下に散らばる屍を飛び越えて次々と扉を開け放ち、目に飛び込む光景に唇を噛み切り──
「なん、で……? どうして貴女はこんなことを……」
自分以外に助かったものがいない建物から外に出れば、外には逃げ場を求めて人々が彷徨っている。そんな彼等の悲鳴すらも遠くに聞きながら、他者の命を容易く奪う狂人を思い出す。
ただただ視点の定まらない視線は見えもしない摩天楼の頂上へ向けられていた。
そこに居るであろう最上位者へ向けて何とも言えない感情を抱きながら、ただただ眺めていることしか出来ない傍観者でのままであることが許せない。
何よりも、自分の知らないところで世界が変化していくのが怖い。
故に知らず知らずの内に噛み切っていた唇を治して建物の中へ戻ると、必要かつまだ使えそうな物を手に取る。
粗雑ななまくらを手に、外套に身を包むその姿は、皮肉にもあの少女と同じで──そしてそれは、原点でもあった。
もう立て直すことも出来ないであろう花街をあとに、少女は顔を上げる。外套に隠れたその美しい顔は激情からか僅かに歪み、燃えるような力強さを持った瞳は強い決意が滲み出ていた。
今や無力なはずの少女。何度となく自由になることを望んだ彼女の姿は、牢獄から逃げる者のそれではなく──力強い瞳には決死の覚悟が滲み出ていて、悠然と歩みを進めるその姿は弱者のそれでは無かった。




