第九話 可能性の誕生
魔王城を中心とした魔界の末端、遠く離れた地。巨大な摩天楼が聳える麓は絶対的支配者たる四天王の元、無法地帯が広がっていた。
彼を絶対支配者とし、それ以外の有象無象が水面化で序列を競う。力無き者は瞬く間に淘汰されそうな地で、以外にも力無き者もまた多かった。
力こそがルールである魔界。そのルールもまた機能しないが故の無法地帯なのだろう。
そしてこんな魔界でも尚、金は一定の価値を持っていた。故に、彼女は娼婦として尚も生き残ることが出来ていのだ。
だがそれは一定の、それも不安定な条件下でのみで──
マリーナはその日最後の客を見送ると扉を閉めた。
月明かりが差し込む部屋の中、乱れたシーツを横目に脱ぎ散らかした下着を拾う。微かに湿り気のある下着をそのまま身に着けて、彼女はベッドにダイブすれば、美しい横顔が枕に埋まった。
今日は色々なことがあって疲れた。今朝に至っては外を出歩けいた際に危うく強姦に襲われるところだのだ。
幸い用心棒を付けていたから助かったものの、金で雇われたその用心棒もまた信用し切れない者で、神経を擦り減らす毎日を送っている。
更に言ってしまえば、客の質だってあまりいいものでもなかった。
──もう寝よう……
本来なら彼女達は寝泊まりの寝泊まりする場所は他にあるが、そんなことはもうどうでもいい。別にそこへ帰らなくとも、仕事をこなせていれば誰に何を言われることもないのだ。
「んー……」
しかし、湿ったシーツと部屋の匂いが不快で、マリーナは溜息を吐いて窓を開けた。むせ返るような匂いが薄らぎ、再びベッドに戻ると横になる。
間もなく睡魔が押し寄せ、それを合図に一日中が終わる。
翌日、間もなく日暮れに差し掛かる時間にマリーナは身支度を整える。
もうすぐ客引きの時間だ。
13歳で売られて5年間この町で過ごした。魔人の血を引きながら弱小の体躯と、力無き彼女が色町に行き着くのは必然とも言えるだろう。
命があるだけまだマシな方で、無法都市に来たばかりの住人は誰もが外に戻ることを考える。だけど時間と共にその思いは薄れて、いつしか無法都市に染まっている。
マリーナはまだ諦めていなかった。
でも、諦めてしまえば楽になるのかもしれない。最近そう思うようになっていた。
マリーナは色町でも有数の娼婦だが一番ではない。女将は彼女が本気になれば頂点を掴めると言っていた。
きっと、そうやって生きるのも間違いではないのだろう。何もかもすべて忘れて一夜の愛と快楽に溺れてしまえば……
「はぁ……」
久しぶりに外のことを考えた。こうして皆この街に染まっていくのだろう。それでも、必ず無法都市を出て下界へ降りる。
身支度を続けている内に、いつもの香水を切らしていることに気がつく。別に無くてもいいが、毎日のように身を洗うことは出来ず、水浴びの出来ない時はただ濡れたタオルで身体を拭くだけに匂いが残り易い。
それを香水で誤魔化しているのだが、生憎と昨日は水浴びすることは出来ていない。客を取れなければ金が入らず、それを踏まえれば香水の出費を惜しむことは出来ない。匂いが残っていることを考えれば、尚更だ。
ふと、時間を確認する。幸いにも香水を買ってきても十分な時間があった。
ついでにと他にも少なくなっている物を確認して、買い出しな出かける。色町内は外に比べて比較的治安はいいのだが、それでも護衛を付けることに越したことはないだろう。
一言奥に買い出しに出かけると言えば、適当な護衛が選別されて彼女に付き従う。そんな男を連れて、日暮れ前の街へ出る。
間もなく行きつけの店に着き、そこで必要な物を買い入れると護衛を連れて外に出た。
──マズい……
しかし既に日は暮れ始めており、時間はそう残されていない。思ったよりも時間を食ってしまったことに驚きながらも、すぐに歩き出す。
「時間がないわ。少し急ぐわね」
そう護衛へ声を掛ければ彼も察したのか一つ頷くと彼女の後を追いかける。
そんな中で、マリーナは細道へ目を向けた。人目のある大通りながら事件に巻き込まれるリスクが大きく減るため、一人の時は何があっても細道へ入ることはないが、今回は護衛が付いていると言う慢心と時間からくる焦りで細道へ足を進めた。
とても褒められた行動ではないが、彼女の護衛も時間がないことを理解してるが故に、何も言わず彼女の後を追いかける。それには自身の腕に自信があることの表れでもあり、そしてこの魔界に於いてその慢心は隙を見せる行為にも等しい。
ゆらりと何か影が視界の端に映り込んだ直後、凄まじい衝撃音が響く。いつの間にか彼女の前に出ていた護衛の男が持つ剣が、暗がりの中で怪しく光る。
しかし、そんなことは目に入らない。ただ見開いた視界の中に捉えるのは、気味の悪い笑みを浮かべた一人の男だ。
「クックックッ、知ってるか? 女の肉は柔らかくていいんだぜ」
何の脈絡もなく放たれた言葉は、しかし狂気に満ち満ちたものだ。その狂笑を目にしてマリーナが思わず、後ずさった。
身体の芯まで底冷えするような感覚に襲われて、恐怖で焦点の定まらない視界の中で嗤う男の姿が霞む。
直後、護衛の剣が甲高い音を立ててへし折られ、彼女の頭が理解に追いついた時には既に彼の首から上は失われていた。
──殺される……
直感的に、そして本能からそう感じた。尤もただ殺されるだけならどれだけ良かったか。
狂笑を浮かべる男がゆっくりと近づいてくる。血のついた自身の剣を恍惚とした笑みを浮かべて舐めとり、ねっとりと絡みつくような視線を彼女へ送る。
そんな男の目を見て、彼女は確信した。
犯され、穢された果てに生きながら喰われるのだろうか。
あるは弄ぶように殺された上で己の屍を辱められるのか。
少なくともまともな死に方は出来ない。
それだけは理解してしまった。
その直後だ。男の手が目と鼻の先にまで迫った時、男が動きを止める。
そんな血走った彼の目は見開かれ、彼女の背後を凝視している。
「おいおい、こいつァ冗談じゃないぜ」
さっきまでの浮かべていた歪な笑みは鳴りを顰め、そこにあるのは天敵に出くわした哀れな獲物の図だ。
へたり込んだ視線のまま、恐る恐る視線を後ろへ向ければ、
「え……?」
思わず声が零れ落ちる。
それもそのはずだ。目の前の化け物が恐れ慄く存在は、非常に小柄な人物だったのだ。
覇気もなく、気配も希薄で、暗がりの中、確かに目にしているのに今にも見失いそうになる。
無害どころか有象無象の塵芥と何ら変わりもない。そもそも、ここまで生き長らえていることすら不思議なほどだ。
そう、彼女の纏う匂いが無ければそう思っていただろう。
──魔王の残り香……
魔王城の近くまで至った者達が身に纏うそれは、何故かこの人物からは強く漂っていた。魔王の放つ力にあてられ、その力が身体に染み込んだものが纏う空気。
時間と共に薄れるそれを、何故だか魔王城から遠く離れたこの地で尚ここまで濃く残している。その濃さはまるで魔王城の麓まで辿り着き、そこから超短時間でここまで来ると言う離れ業でもなければ実現出来ない筈だ。
そして、今目の前の人物はそれが出来たのだろう。
気がつけば狂気に満ちた男の身体が縦に引き裂かれる。頭から股まで、背骨すらも含めてゾッとするほど鮮やかな切れ口だ。
それは、その者の実力をありありと映し出していた。
ふと、その人物がゆっくりとフードを外し、その顔を顕にする。
その下から現れたのは黄金比にまで整った顔立ちだ。まるで人の理想を体現したかのような美しい顔立ちと、暗がりの中ですら発光しているかのような白い髪。
何よりも目を引くのは独特かつ色鮮やかな色彩を持つ赤瞳だ。それは魔人の証であり、そしてその血を持つ者としては彼女はあまりに小柄で──
「あ、あの……助けて、いただきありがとうございます」
しかし何故かそんな彼女が怖く無くなって、自然と感謝の言葉を口に出来た。──否、気がついた……警戒出来ないのだ。
彼女の無意識に、その本能な部分に安心感を与えているから。
それに気がついた時、彼女はまた得体の知れない感情を抱く。怖い、と思いたいのに恐怖を感じない、警戒出来ない。それが、その矛盾が気持ち悪くて……でも助けて貰ったのだからそんなことを思うのも失礼だと感じ、必死に表情に出ないように堪える。
「一つお尋ねします。どこか、泊まるのに良い場所はありますか?」
不思議な響きのある声だ。どこまでも底知れない安心感を与えるような声は、しかしどこか感情の籠らない無機質な音を奏でている。
「え? それなら──」
先導するマリーナの後を白髪の少女が続く。そんな彼女から漂う残り香故か、道行く者達が我先にと自ら進んで道を開けていた。
そんな状況に少女はどこか居心地が悪そうで、それとは対照的にマリーナはどこか安心感にも近い感情を抱いてた。彼女がいれば誰に襲われることもないのだ。
「一つお聞きしても宜しいですか?」
「な、何かしら?」
不意に投げかけられた声に驚きながらも、返事を返す。
「何故、ここの人達は私を避けるのでしょうか?」
「……えっ?」
──まさか、気が付いていない……
もしかすれば、とよぎる疑問。避けられている原因の分からない少女へマリーナが言葉を選びながら、口を開いた。
「え、えっと……貴女の身体に付いた匂い、というか残り香かしら? それは魔王の力を浴び続けた者に滲み、時間と共に薄れるのよ」
「匂い、ですか?」
「ええ。貴女の身体から漂う残り香は強すぎるの。それこそ魔王城の麓近くまで行った者と同程度よ。
それに、時間の経過で薄れるからここまで濃い状態を保つこもは出来ない筈なの。つまり貴女がここまでの長距離を短時間で移動できる力を持っている証明にもなるのよ」
「そうでしたか。では、どうして貴女達はその濃さで私がどこまで魔王城に近づいたか分かるの?」
ここまでの話しで彼女が疑問に思うのはそれだ。ここは魔王城が遠く離れた地であり、おいそれと行き来できる場所ではなく、何よりも力ある者しかあそこには近づけないのだ。にも関わらず、誰もが彼女の纏う残り香の濃さを理解している。
「ここの支配者。四天王が一角、魔導王が魔王城帰りに貴女と同じだけの残り香を持って来るからよ」
「そう言う、ことでしたか」
心得たように頷く少女。そんな少女を引き連れて、漸く娼館まで戻れた。
「お帰り、ってそっちの人は誰? それに護衛の人は?」
「彼は道中で殺されたわ」
「そ、そう……。珍しいことじゃないわね。兎に角貴女が無事でよかったわ。それと、そっちの彼女は……」
「その時助けれてくれた人よ」
「やっぱりそうだったのね。それじゃ、お礼をしないといけないわね」
そう言う娼婦の先輩は白髪の少女に近づくと、自身と同じ位置にある目線の彼女に話しかける。
「もしかして貴女って魔人?」
「ええ。そうです」
「それにしては、その……」
口籠る先輩の言わんとしていることは皆理解していた。しかし、失礼なことを口走れば何をさせるか分からない。
それこそ助けてもらった相手に首を刎ねられることもザラにある。
「小さい、と? ええ、自覚しております。やはり小柄だと何かと悪い印象でも?」
「い、いえ! 貴女の纏う残り香を見ればここにいる誰もが恐れ慄きます!」
先程まで覇気の一つもなかった少女から僅かに威圧的な雰囲気が漂う。彼女が見た目通りの者であれば、その程度のことなど軽く流していただろう。
──だが、違う。
目の前に立つのは魔王城の麓にまで辿り着き、さらにはそこからここまでの長距離を短時間で移動できる化け物なのだ。
思わず敬語に変わる先輩の様子を目にして、少女から威圧的な空気が消え去る。
「冗談です。驚かせてしまって申し訳ありません」
「い、いえ……気にしてないわ。それより、何故ここへ?」
「客と言えば、どうしますか?」
直後、周囲の空気が凍りついた。
一体誰がこんな化け物の相手をすると言うのか。万が一にも白羽の矢が当たった者は重荷を課せられ、当たらなかった者達もまた犠牲になった者に命を預けるようなものだ。
一つ失礼を働けばば娼館ごと消されかねないのだから。今も彼女を恐れてか、他の者達が一生懸命客引きをしても誰一人として近づこうとしない。
「もしかして、同性は対象外でしたか?」
「い、いえ! そんなことは……!」
娼婦とはあくまで男を対象としており、まさか女が来るとは夢にも思っていなかった。しかしだからと言って、それがダメだと言う決まりもない。
それよりも問題なのは──
「いえ、忘れてください。私は彼女に礼の代わりとして何泊か泊めて貰うよう頼んだだけなので……」
「そ、そうなの?」
「命の恩人なのだから、それくらい出来なくてはいけないでしょう? それに彼女の纏う残り香では……」
「あ、ああ! そ、そうね……。それじゃ、どこも断られたわよね……」
そう、彼女の纏う残り香ではどこの宿も泊めたがらないだろう。しかしそれは当然ながら彼女達も同じで、こんな危険人物を泊めて良いものか迷う。
「勿論、お金はお支払い致します。その間、私の所為で逃げられてしまった客の分も──」
「だ、大丈夫よ! 何せ命の恩人だもの!」
そう言うと先輩は中へと駆け込んでいく。それから暫くして出てきたかと思えば、
「一応、お客様として扱うようにと言われたわ。それと泊まっている間は彼女の、マリーナのお客様だから」
そう言われたマリーナが表情を引き締める。白髪の少女はあくまでマリーナの客としてここに泊まらせると言うことだろう。
数日もすれば残り香も減り、客もまた戻って来るに違いない。そう判断し、今日のところは中に戻ろうと動き出した。
そうして部屋に案内した直後、後ろの少女から頭がくらつくほど強く漂っていた残り香が急に減る。
そう思ったのも束の間、すぐに元の強さに戻るが、それも数秒でまた匂いが少なくなった。
「何をしているの?」
「先程、私も残り香を感じられるようになったので、今度はどうにかして消せないかと思いまして……」
そう言いながら、徐々に残り香が減っていく。強弱にムラのあったそれは次第に落ち着き始め、数分も経てば殆ど感じなくなった。
その証拠に外で客引きをしている他の娼婦仲間達が徐々に自分達の客を捕まえ始める。
「そんなことができるの?」
「現段階では秘匿魔法での誤魔化しです」
それだけを言うと少女は外套も脱がずに椅子に腰掛け、机に頬杖を着くとそこから見える窓から外を眺め出した。
「ベッドは貴女が使ってください。私は椅子があれば十分のなので、心配せずともしっかりと代金もお支払ますから」
そう言うと少女の瞼が下がる。
「えっ?」
無意識に拍子抜けた声が出た。そんな彼女の様子など気にせずに少女は規則的な寝息を吐く。
一見すればおどけなさの残るいたいけな少女だが、その実態は──
数秒もせずに眠りについた様子の少女。あるはそう訓練された彼女の姿を暫く観察していると、ふいに部屋に流れ込んだ風に少女の髪が揺れる。
ただの純白とはまた違う、発光しているような不思議な髪。ふと興味が勝り、ほぼ無意識的にそんな彼女の長髪へ手を伸ばした。直後──
「……っ!」
鮮やかなほど赤い瞳がマリーナを射抜く。鋭い視線が一瞬、彼女の瞳を捉えた。
どうすればいい。
何て言い訳しようか。
焦る彼女を余所に少女は再び瞳を閉じると、再び眠りにつく。警戒心の強い彼女へ手を伸ばせばどうなるか、予想も付かなかった自身の軽薄さに思わず呻きつつ、伸ばした手を戻してベッドへ横になる。
そうして再び彼女の方へと視線を向ければ変わらず穏やかな寝顔で、ただ規則的な寝息だけが微かに聞こえきた。
──見てても仕方ない……
もうあとの祭りだ。彼女はしっかりと金を払うと言ってくれ、その上でマリーナは客の相手をすることなく寝ているだけで同じだけの金を貰える。そんな破格の条件に甘んじて今夜は寝ることにした。
翌朝、マリーナが目を覚ましてもまだ純白の少女は寝ている様子だった。
窓から入る風が彼女の髪を靡かせ、朝日がその少女を神秘的にまで映し出している。
昨日の今日で何も学んでいないと思うだろう。そう自分自身でも感じながら、誘われるようにしてゆっくりと手を伸ばし、その髪へ触れた。
今度の彼女は目を覚ますことはなく、そのことに安堵しながら少女の髪を梳く。微かに冷たい髪はサラッとした感触で、宝石のように煌めくその髪へ目を凝らす。
しかしどんなに目を凝らしても、神秘的な輝きの正体は掴めない。こうして間近で唯一分かるのは、光の反射の仕方に何か理由があるのだろうと言うことだけだ。
そして、それ以上に気になるのは──
──手入れはどうしているのかしら……
彼女の髪は毎日のように手入れしているはずのマリーナのそれとは比較にもならないような……否、この娼館の誰よりも綺麗に手入れされているようにさえも見えた。
他者を魅力することを生業とする彼女達とは対照的に、血で血を洗う戦場に身を置く彼女が何故こうも綺麗なままなのだろうか。
ただ不条理としか言えない現実に、何とも言えない感情が流れ出し、その綺麗を眺める。透き通るような美しい白い肌と、化粧も施さずに朝日を浴びて輝く横顔。
そんな穢れを知らないような純白を体現したような少女が、無性に憎く感じられた。
無意識に数多の男達と体を重ね、穢れた自身と彼女を比べてしまう。
力があると言うだけで優遇される彼等とのあまりの対比に声にならない呻く。
──何故……!
「どうかしましたか?」
「……っ!?」
大きく戦慄き、反射的に少女の顔へ視線を向けた。さすれば心配するような、それでいてどこか困ったような表情をした少女がいる。
「こ、これは……」
「好きなだけ触っていていいですよ」
慌てて髪を手放すマリーナに少女が優しく笑いかける。しかしその笑みはどこか悲しげで、今にも壊れてしまいそうな儚ささすら感じさせた。
──嗚呼、そうか……
──彼女もまた……
その時、気がつく。こんな痛々しくも、幼気な笑みを健気に浮かべる彼女もまたこの理不尽な世界の犠牲者に過ぎないのだ。
何の穢れも知らない恵まれた者ではない。血反吐を吐くような思いで生きてきた者の一人であり、その過程が違うだけでマリーナ達のように今日を生きるために身を削る思いで戦っているのだ。
「宜しければ名を伺っても?」
そうして気が付ければ、彼女自身が投げかけれたのはそんな他愛もない疑問だ。
「……サティナ」
「私はマリーナよ」
それを知った時、この少女を少しは理解できた気がした。
「ねぇ、サティナ。もし時間があれば貴女の身の上話を聞かせて貰いたいわ」
何故か、気になったのだ。こんな少女が何故これ程までの力を得るに至ったのか。
「面白い話ではないですよ?」
「構わないわ。だって、今の貴女は今にも壊れてしまいそうだもの」
「だから、ね? 話しを聞かせて」
そう言うマリーナにサティナが驚いたような表情を見せる。そんな露骨に表情に出ていたのかと、自身の顔を触って確認するもやはり、分からない。
当然と言えば当然だ、普通なら気が付くことはない。マリーナが気が付けたりのはたまたま彼女が察しが良かったのと、彼女もまたサティナと似たようなな思いで命懸けで生きてきた者だからだ。
「私は七つの時、生まれた故郷を追いやられました」
言うと彼女は自身の瞳を指で指し示す。
「見ての通り、私には魔人の血が流れています。私の生まれた故郷はそれが許されなかったのです」
生まれながらに罪を背負わされた少女が語る。
「七つになるまで罪人同然の扱いを受け、鉄格子越しに食事を渡されました。そうして七つの時、本来であればもっと早い段階で殺される筈の私は当時の長の気紛れで追放と言う形で生かして貰えました」
マリーナの人生が狂った時よりも遥かに幼い歳にて、彼女は過酷な人生を義務付けられたのだ。それがどんなに残酷なことか、マリーナには十分以上に理解出来てしまった。
「幸いにも野垂れ死ぬ前に、ある小さな村に拾われました。そこで私は十二になるまでの期間、暖かい生活を送ったのです」
そういう少女は当時に想いを馳せるようにどこか懐かしそうに目を細め、しかし同時に彼女の顔には陰りが映り込む。その表情が彼女を襲った理不尽の残酷さをありありと映し出していた。
「ある時、村に略奪者が来ました。彼等は村に火をつけ、何の罪を犯していない村人達を異教徒と断じて惨殺し始めた」
そういう少女の顔には微かに悔しさが滲み出ている。それは何度も鏡の前で目にして来た表情で……そう、それは力無きを悔やむ者の顔だ。
「義両親は殺され、私を逃すために義姉は奴等に犯され、殺されました」
言い放たれた言葉に、思わず身を強ばらせる。気が付ければ全身に鳥肌が立っており、ただ想像するだけで吐き気すらも感じて……しかしそれを語る少女は淡々としていた。まるで、どこか諦観しているようで──
「本来であれば、森へ逃げた私もまた遅かれ早かれ同じ末路を辿る筈だったのでしょうね。ですが、そうはなりませんでした」
そう言う少女の瞳は力強く、確信めいた何かを感じさせた。
「ですが、神様が彼等を虐殺しました。私達の恨みを体現したような呪われた力を持って、仇なす者達を滅殺して見せたのです」
「……神、様?」
唐突として放たれたある名に思わず聞き返す。もし神があるとすれば、きっと彼は──
「神様とは私が勝手に呼んでいるだけです。彼には名が無いようで、皆は各々好きな呼び名で彼を呼んでいました」
「えっと、何か共通した呼び名とは無かったのかしら?」
人を神様と呼ぶ異常さに思わずそう聞き返していた。せめて何かしら人らしい呼び名は何のか、と──
しかし、
「そうです、ね。私が聞いた中で最も多い呼び名は『滅びの王』でした」
──滅びの王……!
もはや忘れられたも同然の噂以下の伝説だ。マリーナ自身でその名をどこで聞いたか忘れたが、その逸話はまるで昔話を大袈裟にしたようなもので、あまりに信憑性がなかったのだ。
何よりも、どの話も滅茶苦茶で辻褄が合っていない。いくつか話しを聞いたり目にしたりしているが、共通した内容のものがないのだ。
まるでそれぞれ違う人物を『滅びの王』と称しているかのように、それぞれの話しに出てくる彼はあまりに一貫性がない。
「信じていませんね」
言葉を詰まらせる彼女へサティナが言う。しかしその声は責めるようなものではなく、どこか納得しているかのようで──
「いいのですよ。実際信じられないのも無理はないです。私も色々と調べてみましたが、物語りごとに出てくる彼はあまりに違い過ぎしたから。
それこそ『滅びの王』と言う名前を使って別の人物を描いているかのように──」
ですが、と彼女は続ける。
「彼は実在しています。初代勇者であるエル=フレイドもまた彼をそう呼び、私自身も彼が呼び起こす滅びの奇跡を目にしていますから」
「初代勇者って、もう死んでいると聞いたけど……?」
「彼は不死者です。未来永劫死ぬことはなく、ただ己が使命のために朽ちぬ身を持ってひたすらに突き進む化け物ですよ」
「え? 不死?」
何が何だか分からない、と言う彼女にサティナは優しく微笑む。
「いつかきっと分かります」
「そ、そうね。それで生き残った貴方はそのまま、その……『滅びの王』に育てられたのかしら?」
「いいえ。それから三年以上の間、私は勝手に彼を追い回し、その合間で罪人狩りと称して人殺しを繰り返していました」
「人、殺し……?」
「ええ。人殺しです」
人殺し、どんなに綺麗事で飾ろうとも決して誤魔化すことの出来ない大罪。しかしそれは、この魔界では珍しいことでもなく、むしろ日常茶飯だ。
しかし、それを語る少女の顔は罪を悔いる罪人のそれで──
「三年間、私は彼の技や術を見て盗み。力を付けては、過去の八つ当たり紛いに罪人を殺して来ました」
かつては最愛の姉が犯され、殺されるのを見捨てて逃げるしか無かった無力な少女。そんな彼女は見よう見まねで他者を圧倒するほどの力を付けたと言う。
それは紛れもない天賦の才であり、そして残酷なほど悲しいみに満ちた天からの授かりものでもあった。
必要な時に力を持つことが出来ず、そして未熟な心のまま力を持った結果……それに溺れて罪人狩りと大義名分を掲げ、嬉々として力を振り翳して人を殺して来たのだ。
「それから三年。私は偶々奴隷にされた子供達に巡り合い、彼等を故郷に送り届けようとしました。それは私が唯一正しい形で身につけた力を使った時でしょうね」
そう言う彼女はどこかやるせなげで、その表情だけで結果がともわなかったことが分かってしまった。
「彼等の故郷が間近に迫っとき、刺客に襲われました。私が罪人なら誰彼構わず殺して来たが故に目をつけられていたみたいで、何よりもその犠牲になったのは……」
彼女が払ったその代償は彼等の命だった。そう察してしまう。
「何よりもエル=フレイドが刺客の一人として放たれました」
「……っ!?」
彼の初代勇者が刺客として放たなくてはならない化け物、それが彼女だ。たった三年間独学で力を身につけた程度の者に、それだけの刺客が放たれると言う異常さに耳を疑う。
しかし、先日目にした彼女を思い返せばそれもまた納得出来て──
「当時彼は不死者としては未覚醒状態で、理性も残っていませんでした。ですが、同時の私にはあまりに手の余る存在で……」
当然だ。力を失い、理性を失っても彼は初代勇者と呼ばれる程の化け物だ。この魔界と言う地に於ける魔王と遜色ない絶対的化け物の一角なのだ。
敵うはずがない。
「当然、エル=フレイドを相手に彼等を守り切るなんて出来ず……また──」
悔しげに顔を歪めながらも、彼女は尚も続ける。
「エル=フレイドの首を取るも私はそれから約一年ほど心無き廃人のようになっていたと言います」
「無理も、ないわ……」
暫く二人の間を沈黙が支配する。その間、身の回りで動きのあるものと言えば、外から聞こえてくる人々の声と、風に靡く二人の髪だけで──
「……それでも、ある方のお陰で私は心を取り戻せました。それと同時に、理性を取り戻したエル=フレイドと『滅びの王』がぶつかりました」
「二者は全盛期に比べて大きく力を失っているものの、腐っても超越者です。私ではとても……」
「何故、彼等はぶつかることに?」
ふと疑問に思うのはその動機。彼等ほどの存在が何があってぶつかることになったのか──
「原因は私みたいです」
その言葉に耳を疑う。彼等ほどの存在がたった一人の少女のために争うのか。それこそ自惚れも感じるような言葉を口にする少女の目は力強く、それでいながらどこか決意を滲ませている。
「エル=フレイドは私を危険視していました。何かある前に処分しておくべきだと……」
確かに彼女の力は相当なものだ。魔王の残り香からすれば、もしかすれば四天王にすら匹敵しかねないほどの力を持っている。
しかし、それだけだ。
本当にあの初代勇者が危険視するほどのことだろうか。
今まで下界に手出しなかった魔王を相手に勇者である筈の彼は、一度として敵対しなかった。当然、四天王達にも何をすることもない。
それだけに彼女の存在は例外的とも言えるのか。
「対して『滅びの王』は……いえ、これ以上はやめておきましょう」
「えっ? でも……」
話しすぎてしまった、とサティナが話しを無理矢理終わらせた。反射的に食い下がろうとするもの、すぐに客の個人情報に首を突っ込み過ぎないようにしろ、と言われたことを思い出して口を結ぶ。
あまり首を突っ込み過ぎれば消されかねないのだ。だが、逆に言えば少なくもとこれ以上の話しを聞かなければ、消されるほどのことにはならない。
「また何か機会がありましたら、続きをお話しし致しましょう」
そう、彼女に知る権利があれば……あるいは話してもいいと思えるような何かがあれば、もっと込み入った話しをしてもいいとサティナが言う。
「少なくともこれ以上の話しは、私だけの秘密では終わらないのです。だから、ね?」
しかし最後に、まるで年相応のあどけない……それでいて悪戯っぽい子供のような笑みを浮かべると彼女は立ち上がる。そうして机に多めの金貨を置いてから扉に手をかけると、
「私は一度出かけて来ます。また今夜も泊めていただいて宜しいですか?」
「え、ええ。もちろんよ」
投げかけれた問いに反射的に頷けば、彼女は満足げに頷き部屋を出ていった。そんな彼女のいなくなった部屋で一人、マリーナはベッドに仰向けに倒れる。
「はぁ……。やっぱり、楽をしている人なんていなのね……」
違うと理性的な部分が分かっていながら、それでも心のどこかでは力があればラクだと思っていた。現に力を持つ客達の話しも聞いたことがあるが、彼等の自慢話ような語り口からは苦労が感じられなかったのだ。
しかし、今彼女を目の前にしてその考えを本当の意味で改めざるを得なかった。
彼女は彼等とは違う。何度も何度も、血を吐くような思いを繰り返した上にあの圧倒的な力を得て、その上で更なる高みに挑む者なのだ。
滅びの王に、エル=フレイド、次第には魔王にまで肩を並べるかも知れない……そんな存在なのだろう。
この魔界では生まれながらに力を持つ者も少なくない。そんな彼等の殆ど自身の力に胡座をかき、それでいながらどんなに手を伸ばしても手の届かない絶対強者に挑もうともしていない。
今まではそれでも平気でいられる彼等の神経に苛立ちさえも覚えていたが、彼女の姿を見て僅かに心変わりしている自分がいた。
誰よりも才能を持ちながら、しかし生まれながらに力はなく。ただ罪だけを背負って生きてきた彼女は、後天的に誰よりも力を持った。
そんな彼女は存在はマリーナなにとっては英雄のようにも映り……人の努力を、その苦しみの全て嘲笑う腐った世界に見えた一筋の光だった。
──やれば出来る。
それが証明された瞬間だった。
誰にでも可能性はあるのだ。
「私もいつか、飛べるのかしら……」
どこまでも届かない高みへ手を伸ばすように、ただ上へ向けて伸ばした手は虚しく虚空を掴んだ。
──いつか、この手の中に可能性を掴み取ることは出来るのだろうか。
そう、あの純白に輝く少女のように──




