第三話 喜劇の狂笑
辿り着いたのは巨大な魔法陣の上。半壊した魔法陣はその効力を失っているが、サティナ自身が幼少期に過ごした村に残る伝承と酷似している。
今の彼女にソレの修復は不可能だ。となれば、やはりあの男が──
その時、背後から気配もなく人影が現れる。
悠然と、気配は断っているものの隠れる素振りも見せずにその存在は佇んでいた。
──まさか、彼が敗れるなんて……
驚きはしたものの、意外なほど心は落ち着いており、振り返る動作に躊躇いも見せなかった。
ゆるりと振り向いた彼女の視線に飛び込むのは、白い髪の下で光る青白い瞳。冷たく鋭い視線は無感情に彼女を見つめ返して──
「驚かないのですね」
開口一番で放たれた言葉を受けて、サティナは瞳を閉じる。視線を奪われた世界で、残された感覚が一層鋭く研ぎ澄まれる感覚を今一度確認する。
「いいえ、確かに意外でした。ですが、強い者が勝つ……そんな弱肉強食の世界に於ける当たり前も、現実ではいとも容易く崩れ去るものです」
強い者が勝てる、現実はそんな甘い世界ではないのだ。いつ、何が起こるか分からない……弱き者が強き者を喰らうこと自体、そう珍しいことでもない。
「ええ、そうですね。確かに私は運がよかった……。それだけのことです。
しかし、それは貴女にも言えることではありませんか?」
皮肉めいた言葉を受けて、サティナが僅かに頬を固くする。そうして、かつての仇へ向けて腕を伸ばした。
「まったくその通りです。あの時の私は運が良かった……そして、彼女達は運が悪かった。ただ、それだけのことです」
どこか達観したような、それでいて諦観した素振りを見せるサティナが目を開く。
白光色に染まった左眼。
背中から見えるのは半透明の左翼。
伸ばした手の中には、光が濃縮されたような十字剣。
かつて見せた光輝たる姿が再び──
「だからこそ、今度こそ……貴方は私の手で──」
光の如き速度で懐へ飛び込むサティナ。そんな彼女の姿を捉えるよりも速く、レドが聖剣を薙ぐ。
音もなく交わる二つの刃が宙に光の波紋が作り出す。かつては一切の抵抗感なく切れた筈だったレドの獲物は、十字剣を持ってしても傷一つ付けることは叶わない。
──だけど……
「なるほど、既に手遅れでしたか……。既にあの方は──」
驚いたように僅かに目を見開くも、すぐに心得たかのように瞳を閉じる。鍔迫り合いの中、それでも剣を押し込めずにいるサティナが訝しげに顔を顰めた直後──遠くで雷鳴が轟く。
不協和音の混ざるソレは酷く効き覚えるのあるモノで──
「やはり、彼もまた──」
その雷鳴を耳にして、レドが瞳を開いた。初めて目にした時とは違い、その瞳には強い理性が宿り、それでいてどこまでも底知れない力を感じた。
「何のつもりですか?」
「何のことでしょうか?」
「彼へとどめを刺していないのでしょう?」
そう言い放てば、初めて目の前の男が驚愕に目を見開いた。しかし、それもまたすぐに無の仮面に隠れて──
「貴女は『不死者』と言う存在をご存知ですか?」
初めて耳にする単語。
到底信じられる筈もないその言葉。
しかし、それでいて彼女の中で辻褄が合う。あの時、冷たい雨の夜……首を落とした筈の彼がこうして目の前に立っているのだから。
「初めて不死者が確認されたのは16年ほど前……そう、貴女がこの世に生を受けたその時です」
ただ淡々と語る男の言葉に耳を傾ける。本来であれば狂人の戯言と切り捨てていた筈のそれは、驚くほど説得力があり──
「『滅びの王』。あのお方こそが、最初の不死者……我々は、『原点』と呼んでいます」
「そして、貴方もまた不死者と?」
「ええ、私は一年前……貴女に首を刎ねられたその時覚醒しました。しかし、不死者の中にも段階が存在します」
そう言い放つ男の視線が僅かに動く。その視線が一瞬向いた方向は、先程雷鳴が轟いた地点で──
「あのお方は、その中でも『鬼』と呼ばれる分類に入ります」
「鬼? 何故?」
「簡単な理由です。実にシンプルな……」
そこで一息つき、彼は語る。
「ただ、『神』の対義語が『鬼』と言うだけです」
「それだけ?」
「ええ、本当にそれだけの理由です。
伝われば言葉や単語など、何でもいいのです。意味などと言うようなモノは、後から付いてくるのですから──」
一体何を言っているのか理解できない。そもそも、不死者が存在するとなれば世界は混沌を極めるだろう。それこそ、誰も想像できないほどの強大な戦争が起こるほどに──
「現状、存在する不死者は何人ですか?」
「正確には把握しておりませんが、今のところは十人にも満たないでしょう」
期待はしていなかったが、念の為にと聞いた質問に思いのほか素直に返ってきた答えを訝しむ。そもそも、彼の口から発せられる言葉に信憑性があるのだろうか。
そんなことを考えていると──なんの前触れもなくレドが跳び退く。
何のつもりだと睨みつければ、彼は剣を鞘に納めて振り返った。
「最早、今の私では手の打ちどころがないほど事が進んでしまっています。故に──」
先程とは打って変わって強い感情を宿した瞳がサティナを見つめ返す。鋭く冷たい視線が身体の芯を突き抜けるような錯覚を味わい、僅かに身震いした。
「私は、必ず戻ってきます。世界を混沌の渦中へと突き動かす貴女を必ず──」
そう言い残すと、瞬きの間もなくその姿が視界から消え失せる。と、一瞬遅れて黒電を纏う黒髪の男が現れた。
「奴は?」
「退きました」
「……そうか」
頷く男は、レドが消えた方向へ視線を向ける。恐らくはまだ追うことが出来るのだろう。しかしそうはせずに再び振り返り、サティナを見やると──
「奴から、何を聞いた?」
「貴方と彼が不死者だと」
鋭い視線がジロリと彼女を射抜く。どこまでも冷ややかで、無感情な視線がどこまでも遠く感じて──
「貴様はそれを信じるか?」
何のための質問なのだろうか。その意図は分からないが、質問に対する答えは既に決まっている。
無言の肯定を示す少女から男が視線を外す。そうして、目の前に広がる魔法陣へと視線を向けると──
「なるほど、奴が破壊していったか」
魔法陣へ手をつき、半分ほどの紋様を失ったそれへ視線を這わせて、そうして諦めたように息を一つ吐き出すと立ち上がり、再びサティナを見やる。
「して、貴様はどうするつもりだ?」
「貴方は私をどうしたいのですか?」
同時に質問を投げかけた。互いに相手の意図を探るように注意深くその瞳を見つめ、暫くの間無言の時間が過ぎる。
「貴方は私に何を期待しているのですか?」
「何故そう思う?」
「そうではなくては、命を賭けて私を守りますか?」
「俺は不死だ。命を賭けることは出来ぬ」
再び沈黙が二人だけの冷たい世界を支配する。そんな中で、強い意志を込めた視線にて男を射抜くと──
「四年前、私の村が襲われたのは貴方の手引きですか?」
「何故、そう思う?」
再び同じ質問。質問を質問で返す男に苛立ちつつも、納得できる答えが得られるまでは引き下がるつもりもない。
「三年間も、貴方の側にいれば分かります。貴方には何かしらの大いなる目的があり、私の村を訪れたのも、この聖域へ現れたのも……私を二度も守ったのも何かしらの理由を持っての行動です」
黙って耳を傾ける男に訴えかけるように、言葉を連ねる。ただただ、この無情な男へ訴えかけるように……否、その罪を叩きつけるように──
「貴方の中で何かしらの一貫性があっての行動だった筈です」
「それを俺が答えると?」
「それなら力ずくにでも聞き出します」
「無理だな。俺は不死ぞ、終ぞ死ぬことのない永遠なる存在。文字通り死んでも話すことはない」
最もたる現実を叩きつける男の言葉に、悔しげに顔を顰めるサティナ。しかしそれでも、彼女を見下ろす男へ尚も食いつく。
「私の村に伝わる小さな信仰。その伝承に存在するこの聖域を、貴方は目指した。一体、何のために……!?」
「先の戦いで、私を後継とすると言いながら……貴方は私を欲していない。それなのに、何故守ったのですか?」
彼女が既に気がついている関係性と、矛盾点。それらを指摘してなお、男がその無表情の仮面に変化はないまま──
「やはり、何も答えはくれないのですね」
悲しげな声で嘆く彼女を見下ろして、男が冷たい視線を突きつける。どこまでも無情な視線が、彼女の心を再び強く削り、それでいて折れることのない芯を露出させた。
毒を食らわば皿まで……
「──分かりました。今は、今だけは貴方の思い通りに……ですが覚えておいてください。いつか必ず、私が貴方の罪を暴き、その全てを否定して見せます」
「……ほう。貴様に、それが出来ると?」
まるで見下すようなそんな言葉に、しかし彼女はそれを睨み返し……強い意志を込めた視線にて、その黒光りする瞳を射抜く。
「出来ないと、思いますか?」
「……面白い。ならば、好きにするがいい」
踵を返し、背を向けて歩き出す男の背を追いかける。今度こそ、その全てを我が武器として必ずや──
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薄暗い通路の中で青白い瞳が浮かび上がる。その眼光は何者よりも力強く、しかしどこか感情を失ったかのように無機質にも見えた。
そんな彼が歩むのは夜の闇に呑まれた薄暗い通路。左右の薄明かりの中、ただただ財力を誇張するかの如く無駄に豪華な作りには一切の品が感じられない。
そのことに何とも言えない不快感を抱きながら、彼はある扉の前に立った。扉の前に立つのはこれまた無駄に金をかけた軽鎧を纏う二人の近衛騎士。──と、そんな二人が彼に気がつくと顔を険しくした。
「何用だ? ここには近づくな、と聞かなかったか?」
「取り急ぎ国王へ報告があります」
そんな二人へレドは眉一つ動かさず言い放てば、二人の騎士は威圧的に前へと進み出る。そうして彼を囲むようにして立つと、剣に手をかけた。
「取り込み中だ。我々が話しを聞こう」
「直接お話し頂かねばならない緊急の報告です。取り急ぎ面会をお願いします」
「言っても聞かぬ奴だ。命惜しくば後にしろ」
何の前触れもなく二人は剣を抜き放てば、レドに突きつけた。しかし肝心の彼は無駄に飾り付けた剣をつまらなそうに見下ろすと、再び視線を上げて二人を見やる。
冷たい光を宿した無機質な瞳。覇気も殺気も感じられない筈なのに、その眼に見られただけで二人の背筋を悪寒が突き抜けた。
「なるほど、そちらがそう言うのであれば……」
傲慢なほど緩慢な動きで彼は腰にかけた剣に手を振れる。それだけで周囲の空気が凍りつき、また二人の顔からは血の気が失せた。
「わ、分かった」
震える声で彼等がそう言えば、二人が剣を納める。
「神聖なる王城を血で汚すわけにはいかないからな」
「ご理解頂き感謝致します」
軽く頭を下げる彼に二人は背を向けると、再び扉の前に立ち部屋をノックした。しかし中から声は聞こえず、騎士二人は不可解そうに眉を顰める。
「如何ないましたか?」
すぐに異変に気がついたのだろう。レドがそう声をかければ、しかし彼等もまた不可解そうに顔を見合わせるだけだ。
「……いや、おかしい……」
一人がポツリと呟くと、今度は大きめに扉をノックする。しかし相も変わらず内からの反応はなく、今度こそ彼等の顔に焦燥の影が浮かぶ。
「どうなっている?」
「中を確認した方が宜しいのでは?」
「しかしそれは……」
「いや、流石に何かがおかしい。確認する他ないだろう」
致し方なし、と二人の騎士達はそれぞれ両開きになっている扉を同時に開く。──直後、三人の鼻腔を突き抜ける生々しい血の匂いがむせ返る。
「おや、これは関心しないね」
耳に飛び込むのは脳髄まで溶けるような甘ったる声。まるで人の心を惑わす悪魔の囁きにも似た響きを持った声の主は、窓から差し込む月明かりの中で薄気味悪い笑みを浮かべていた。
「女性の情事を除くなんて紳士のすることじゃないよ?」
そういう彼女は一切の衣を纏っておらず、生まれたままの姿でベッドの上に座り込んでいる。──否、座っているのではない。何かに跨っているのだ。
「き、貴様……っ!?」
そんな彼女の下、月明かりに浮かび上がるのは男の姿。しかしその顔は恐怖に歪んで青白く、見開いた瞳には生気がまるでない。
「お取り込み中失礼致します」
激情に任せて身体を震わせる二人の騎士。その後ろから現れたレドは、彼女が乗るベッドの目の前まで移動すると恭しく跪く。
「天魔の娘は『滅びの王』、その後継に選ばれました」
「…………そっかぁ…………」
まるで毛繕いでもするように、華奢な肢体にこびり付いた血を舐め取りながらその少女は頷く。青白い月明かりの中で、黒い瞳が怪しげに光っていて──
「貴様っ、何をしたかわかっているのかっ!!」
と、そんな彼等の態度が気に触れた男達が剣を抜き放つ。しかしその騎士剣は刀身半ばで断ち切られており、無機質な音を立ててその先端が地面に転がった。
「何って、正当防衛だよ? ただ街を歩ていただけのに突然拉致られて、その上でこんな豚の肉欲を満たす器にされそうになったんだから」
「き、貴様……っ!!」
青みがかった黒瞳が二人の男を見やる。身の毛もよだつほどの美貌、均等のとれた身体付き。
街で彼女を見かけた王が夜の相手に選ぶのも無理ない。男ならば誰だってこれだけの極上な少女を目にすれば抱きたいと思うに違いない。
「それにしても困ったねぇ。すぐに気持ち良くしてやる、とか言ってたくせに一人で果てちゃって……火種を途中で切らされた身みにもなって欲しいな。身体が燻って仕方ないよ」
そう言う彼女はうっとりとした表情でその指先を下腹へ這わせる。その動作の一つ一つが艶かしくて、嫌でも釘付けになった目が離せない。
「でも、残念。僕の初めてはあの娘に捧げると決めてるからさ」
そう言う彼女は既にベッドから降りており、跪くレドを通り過ぎ……折れた剣を不恰好に構える男達の前に立っていた。
一糸纏わぬ少女を前にして、完全武装した男達は怯え後ずさる。
「ふふっ。怯えちゃってかわいい」
ふんわりと笑うのは、血に染まった少女。そんな彼女の微笑み一つで、一人の男の首が弾け飛んだ。
「さて、君は生かしてあげる」
そう言う彼女の視線が向かうのはたった一人生き残った男。
「君には噂を運んで貰わないといけないからね」
何を言ってるのか、それを理解することなど到底出来る筈もなく。
「僕は魔女ルルル。君は街に降りて魔女が出たとふれ回るんだ」
わかったね。と、そう言いながらクイッと指を上げてそう言う彼女の言葉に従って、残ったその男は狂ったように駆け出した。
何をどう足掻こうとも決して敵わない絶対強者。微笑み一つで人の命を容易く刈り取る化け物から逃げるように──
「それで結果は?」
「先程述べた通り」
クツクツと喉を鳴らしてその少女は嗤う。
「あーあ、残念だなぁ」
あの時、異教徒狩り共に入れ知恵をして村へけしかけた。もちろん、彼女の狙い通りあの野蛮人共は村人を皆殺し、またサティナ自身もあのまま無惨に死ぬ予定だった。
確かに年端もいかない少女がそんな悲惨な目に合って心が痛まぬかと聞かれれば、決して首を横に振ることは出来ないが、放って置いても世界に害悪をばら撒く存在なのだ。その罰だとすれば安いモノだろう。
そのためにも、保険を兼ねて強大な結界魔法が施された結晶も持たせていた。結果は男の読み通り、彼の滅びの王すらも寄せ付けなかった程だ。
しかし結果はどうだろうか。少女の儀式によって内側から穴を開けられた結界は、滅びの王を招き入れ、彼女を惨殺する筈だった獣達を瞬く間に淘汰してしまったのだ。
「やはり、僕が向かうべきだったかな」
「それが出来ないから、彼等をけしかけたのでは?」
「確かに、あの時の君はまだ不安定だったからね。どちらにせよ、そばを離れる訳にはいかなかったんだよ」
今更、結果は変わらない。最早彼女は手のつけられない存在へと昇華するだろう。
本来であれば芽の内に摘み取る筈のそれは今や、蕾の段階にまで上り詰めていた。そう遠くない将来、誰もが近ずくことも出来ないほどの高嶺の花と化し、咲き誇り、そうして万物の頂点にて君臨するに違いない。
「ねぇ、レド」
「如何なさいましたか?」
「僕はね。酷く待ち遠しいんだ」
訝しげに眉を顰めるレドを余所に、彼は続ける。
「じきに役者は揃い、幕が上がる。混沌と化したステージの上で、一体どんな物語りが紡がれると思う?」
心底愉快そうに、語りかける少女。おもむろに振り返れば、三日月を描いた目の奥で冷たい瞳が爛々と輝いている。
ニタニタと弧を描く口元は狂気的で、彼女もまた惨劇の役者……その一人であることを、ありありと見せしめていた。
「いつまでも綺麗なままでいてね、お姉ちゃん。いつか必ず、僕が汚してあげるから」




