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死座ノ黒星 〜彼女はきっと神になる〜  作者: 枝垂桜
第一章 罪の枷と奴隷の鎖
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第九話 業をもう一度

 雨に濡れた白髪の下、琥珀色の瞳が雷光に照らされて鈍く輝いた……直後、彼の姿が掻き消えた。


 残るのは彼の通った跡であろう雨粒の消えた空白。遅れて現れるのは強い踏み込みによる小さなクレーター。


 それらが確実に少女へ向かって伸びて──


「ふっ……!」


 すかさず剣を拾い上げれば、左手に握る斧を空白に目掛けて投げつけた。甲高い音と共に斧が縦に切り裂かれ、それを確認するよりも疾く白光を纏う剣を薙ぐ。

 腕を突き抜けるのは身体の髄にまで響く凄まじい衝撃。魔剣と光剣が交わり黒い火花を飛ばす。


「ぐ、うっ……!」


 久しく忘れていた力負けをするという感覚。種族として先天的に手にしていた圧倒的な優位アドバンテージが、今彼女の中で音を立てて崩れ去るのを感じた。

 当然、耐え切れるはずも無く……まるで有象無象の蚊蜻蛉の如くサティナの身体が宙を舞う。


 天地が何度となくひっくり返る中で視界の片隅に映る地面へ光剣を突き立て、吹き飛ばされた威力を殺しながら足を地に着く。すかさず姿勢を立て直そうと……しかし、それを男は許さない。

 立て続けに迫る空白が彼女の未来を空虚な闇で覆い尽くそうと迫り来る軌跡を目掛けて、力一杯剣を叩きつけた。一撃にて確実に敵を仕留めんとする気迫を込めて放ったソレはしかし、虚しく空を切る。


「しまっ──!」


 ──空振った……!


 ブワッと全身から冷や汗が噴き出す。

 決定的な隙が生まれてしまった。

 追い詰められて焦った結果がこれだ。


「チィッ……!」


 振り抜いた剣に引っ張られる腕を引き剥がし、手刀を背後へと放つ。しかし、最悪の姿勢で苦し紛れに放たれた手刀などが男へ届く筈もなく──


「ぁ……」


 薄らとした視界に映るのは宙を舞う自身の片腕。

 眼前に迫るのは禍々しい切先。


 間もなく迫り来る死の刃。身を捻り顔大きく横に動かし、頬を深く切り裂きながらもことで辛うじて避ける……が、攻撃を避けるたびに姿勢が崩れていく彼女を、男は見逃さない。

 返す刀で迫る魔剣を、今度こそ──


「はぁぁあああ!」


 走馬灯のように映るのは何度となくその眼に焼きついた美の造形。彼女のそれとは比較にならない完成された技。


 そして今、同じようにそれを体現すれば──甲高い音が二人の鼓膜を突き抜けると同時に、白い閃光が男の剣を弾き上げ、その胸すらをも切り裂いた。


 鮮血が雨粒に混ざって二人を濡らし、しかし胸から血を噴き出す男は構わず剣を振り抜く。だがそれも狙いが定まっていなければ避けることなど造作もなかった。

 後ろへと跳び退き、男から距離を取ると残った左手一本で構える。


 そんな彼女へ感情の宿らない視線を向けると、ゆるりと足を持ち上げ、無造作に歩を進めた。

 相手を警戒することなく、ただ悠然と歩を刻むのは圧倒的強者故の余裕か、それとも単純に──


「……!!」


 そんな男を迎え撃たんと身構える彼女の耳に悲鳴が聞こえる。常人であれば雨音に掻き消されるようなか細い悲鳴はしかし、超感覚を持つ彼女の聴覚は確実に拾い上げていた。


 もう刺客が馬車に追いついたのか──


 ──はやく向かわないと……


 しかし、目の前の男がそれを許すだろうか。


 ──いや、彼は無視だ……


 今優先すべきことはなんだ。

 彼等の安全を確保することだ。

 そのあとで追いかけてくる奴は再び迎撃する。

 

 ここまでの動きで分かったが、恐らく彼はサティナ以外には興味を抱いていないだろう。

 最初こそは、こんな化け物を連れて行った上で子供達を守りながら戦うことは出来ない、と思っていた。故に彼を連れて子供達と合流することは避けたかったが、今は一刻を争うが故に悠長なことは言っていられない。そして何よりサティナ以外ならば彼から手を出すことはないだろう。


 そう確信すると予備動作もなく、まるで姿が消えたと錯覚するほどの速度で駆け出す。そんな彼女を追いかけて男も姿を消した。


 更地を駆け抜けて森へと入った直後、目に映るのは刺客の一人、その後ろ姿。

 瞬く間に奴へと追いつくとその後ろ首を掴み上げる。凄まじい速度と膂力を持って手加減無しに掴み上げたせいか、一瞬にして男の首がへし折れる感触が伝わってきた。しかし、そんなことはどうでもいい。


 右足を軸に反転し、左手に握る其奴を後ろから迫る男へ目掛けて投げつける。彼女の膂力に耐え切れる強度が男の肉体になかったのか、手から離れる前にその四肢がもぎ取れた。しかしそんなことはお構い無しに投げつけた肉の塊は、背後から迫る男が魔剣と手刀にて、苦もなく薙ぎ払う。

 己が突き進む道に塞がる邪魔な肉塊など微塵の興味もないと言わんばかりに、仲間であった筈のソレを躊躇いもなく足蹴りにした。


 ──足止めにもならない……


 なんの役にも立たない屍へ舌打ちをすると同時に再び加速した。そんな彼女を追いかけて、足音が迫る。


「馬車は何処……!?」


 ──早く……

 ──追いつかれる前に追いつかなくては……


 途中で追いつく刺客を後ろの男へ投げつけながら、血眼になって馬車を探す。彼女を焦らせるだけで足止めにもならない男達に苛立ちを抱き、そしてまた八つ当たり気味に後ろの男へ投げつけることを繰り返す。


 そして数時間にも感じられた数秒が過ぎ去り、目の前に漸く探し求めていたが映る。


 ──見つけた……!


 太い木の幹を蹴り付け、力の限り舵を切るとすぐにその場へ辿り着いた……


 しかし──


「は、ぇ……?」


 そこに見えるのは半壊した馬車。そして首を剛矢で貫かれた馬だ。

 思わず身体が固まるのを意識的に阻止して、視線を周囲へ走らせる。


 ──子供達は……?


 そこにいる筈の子供達は既に姿を消しており……否、一つだけ残された人影へ視線を向ければ──


「あ……」


 馬車から少し離れた位置で折れた剣を片手に胸を貫かれた一人の人影。先ほどの刺客達と比べればにしては二回りほど小さな身体には、胸を貫く傷跡が刻まれており──


 ──エナ……!


 そしてよく知る顔だった。すぐに駆け寄ろうとして、しかし彼女の先に続く無数の足跡が視界に映り込み……そして何よりも背後から迫る足音がそれを許さない。


「ぐっ! ごめん……!」


 エナの身体を飛び越えて足跡を追いかける。まだ、残る生存者がいると信じて──


 直後、背後へ視線を向ければ白髪の男はエナへ一瞥も向けずに彼女の横を通り過ぎていた。


 どうやら、あの男はサティナ以外の有象無象には興味が無いようだ。そしてそれは、彼女にとって大きな朗報となった。


 このまま連れて行っても先に手を出さない限りサティナ以外には害をなすことは無い。そして仲間意識もないため、他の刺客を助けるような動きを見せることもない。

 故に、このまま背後の男から逃げつつ刺客を片付ければあとは被害が出ないくらい離れた上で、決着をつければいい。


 そう、しかしそれは彼等が無事であることが大前提であり、既にエナは──


「っ……!」


 変わり果ててしまった彼女の姿を思い出して知らず知らずのうちに歯を食いしばる。ここ暫く忘れていたドス黒い感情が身を焦がすのを感じながら、怒りの矛先を求めて目の前の敵へと血濡れた手を伸ばす。


 止まることなく降り注ぐ豪雨で返り血が薄くなる中、忙しなく動く視線の先にソレが映り込む。


 無惨に転がるのは刺客のモノとは明らかに違う……彼女が手にかけてきたソレと比べればあまりに小さいソレは──


 バキッ、と歯の奥から脳髄に響く音がサティナの中で木霊する。奥歯を噛み砕いたと気づくこともなく、鉤爪のように曲げた左指先を近くに立つ刺客へ伸ばせば鮮血と共に、何か硬いモノが手の中に収まった。

 手中に収まるそれが今さっき殺した男の骨と気づいた時には、既に別の男の首からそれが生えている。


「死ねぇぇえええ!!」


 悲痛の叫びも雷鳴に掻き消され、伸ばした手は命を容易く捥ぎ取る。その様が目に焼き付き、命を奪う生々しい感触が腕を伝うのも構わず、ただただ激情の赴くまま──その刹那、振り抜いた手刀が甲高い音を立てて弾かれた。


「っ……!?」


 それでも流れる様な動きで別の男の命を刈り取りながら、彼女の攻撃を防いで見せた者へその視線を向ける。


「なるほど、ザリズはしくじったのか……」


 どこか諦観が滲む声でそう言い放つ男。奴へと視線を向ければ、どこか疲れの滲む瞳が彼女を見つめていた。


 ──殺してやる……!


 しかし、そんな男を見ても抱くのは殺意のみ。諦めを滲ませた表情、憂いを帯びる瞳、それがまたサティナの逆鱗に触れる。

 まるで自分もまた被害者だとも言わんばかりのその表情が、何よりも許せない。


 伸ばした指先が男の剣に阻まれたその瞬間、森から白髪の男が現れた。


 ──しまった……!


 激情に駆られて一瞬飛んでいた記憶が蘇る。すぐさま男と距離を取ると、その化け物と対峙せんと構えて──


「えっ……!?」


 しかしあろうことか、森から飛び出した男は近くに立つ最後の刺客である男……サティナの剣を受け止めた者へとその手を伸ばした。サティナですら辛うじて反応出来るほどの速度で伸ばされる手、それを刺客の男が防げる筈もなく──


「ぐっ……!」


 回避も剣による防御も間に合わず、無造作に首を掴まれればそのままサティナへ叩きつけるように投げられた。


 人をまるで取るに足らない物か何かのように、その辺に転がる石ころを投げるように、サティナへと投擲していた。それはここに至るまで彼女がしてきたことの真似事だろう。


 ──しかし、まがりなりにも仲間である筈の彼をどうして……


 疑問の答えが出るよりもはやく、肉塊がサティナに迫り……しかし、そんな単調な攻撃が彼女に通じる筈もない。力任せに迫り来る肉塊を薙ぎ払えば、その衝撃に耐え切れなかったのか男の肉体からだは文字通りの肉片となって飛び散る。

 そうして視線を白髪の男へ向けようとして……直後、自身の腕に絡まる臓物が視界に移り込んだ。


「ぅ……!」


 それを払い落とそうと腕を振るう直前、脳裏を駆け抜けるのは子供達の安否。慌てて視線をそこへ向ければ、今この場で立っているのはたったの"二人だけ"で──


「あ……、あぁ……!」


 臓物が絡みつき震える腕が自身の顔を掴む。鼻を突き抜ける悪臭すら意識に入らず、遮断された五感から伝わるのはあの時と同じ──


 ──また……!

 ──また、だ……!


 暗転する視界。当然、まともに立っていられる筈もなく、フラフラと身体が崩れ落ちる。

 迫り来る男の存在すらも忘れ……それでも忘れられない光景トラウマが赤い双眸を揺らす。


 雨音が遠ざかる中、未だに耳から離れないのは誰とも知れない断末魔だ。

 いつから忘れていたのだろうか。こびり付いて離れない人の死に際がまた──


「…………」


 気がつけば身体が震えていた。


 悪寒は絶えない──

 しかし、寒さからではない。

 あの時の屈辱が蘇る──

 しかし、怒りからではない

 また実感する無力さが身を焦がす──

 しかし、悔しさからではない。


「く……、くふっ……!」


 喉の奥から狂気が覗く。

 そう、身体を震わすのは──


「く、ふっ……ぅぁあははははははっ!」


 喉を突き抜けたのは悲しみの嗚咽でもなく。

 喉から吹き出したのは怒りの咆哮でもなく。

 喉を、体を震わせるのは狂気の嘲笑のみだ。


 何も、おかしいことなんてない。

 それなのに笑いが止まらない。

 腹の底から噴き上がる何かが彼女の喉から外へ飛び出さんと荒れ狂う。


 脱力した腕が自身の顔から剥がれれば、稲光に照らされた水溜りに己の形相が映し出された。


 そこに映る化け物は口が三日月のように広がり、目も弧を描いている。ゾッとするほど端正だった筈の顔をいびつに歪めて、嗤っていた。

 寒気が背筋を突き抜け、思わず顔を背けようと……しかし、目が釘付けになったように離れない。


 弧を描いた目の奥で、赤い瞳が雷光を受けて爛々と輝いている。それなのに狂気が滲んだ貌の中で、水溜りに映る少女は泣いていた。雨と血に濡れて分かりづらいが、確かに泣いていたのだ。

 まだ年端もいかない、幼さの残る少女が何故こうも、激情に顔を歪めて泣いているのか──


 きっと明るい笑顔が似合う女の子なのだろう。

 こんないびつな笑みを浮かべるようなじゃ無い筈だ。

 きっと心優しくて、何気ない日常に幸福を感じるような……何でもない可憐な女の子で──

 そんなが何故、顔を歪めて泣いているのか──


「ははっ、はははハハハハハハハハッ!」


 笑いが止まらない。

 涙が止まらない。


 明滅する視界の中で、白髪の男が映り込む。先ほどの攻撃的な動きとは打って変わって今は動く気配がなかった。

 どこか命令を受けた獣のように理性の色が見えない瞳には、初めて警戒の色が浮かんでいる。サティナの変化を、その異常さを本能的に感じ取ったのだろうか……油断ない視線を向けつつも攻めあぐねている様子だ。


 しかし、そんな彼の思考とは裏腹に今の彼女には、もはや戦う気力などなく、むしろ──


 ──助けて(殺して)……!


「あはっ! ハははハは……ぅフはははハハはハはははハは!!」


 悲鳴をあげる彼女の心とは裏腹に、未だに嗤いが止まらない。腹の底から噴き出す何かが少女の喉を、その小さな身体を震わせて──


 ふと気がつけば、右の視界が赤く染まっていた。


 ひとしきり笑い終え、また顔を俯かせた時、水溜りに映る自身の顔を見てその原因に気がつく。右目から血が流れ出ていたのだ。

 それだけでは無い。身体の所々で先ほどの震えとはまた違う……何故か痙攣を起こしていた。


 鼻を突き抜けるのは何かを焼き付けるような嫌な臭い。自身の姿を映し出す水溜りが泡立ち、身を焦がすほどの灼熱が周囲に滞留すれば、瞬く間に蒸気が膝をついて脱力する少女を覆い尽くした。


「はぁ……」


 震える息を吐き出し、もう彼女の姿を映すことのない地面からゆっくりと顔を持ち上げる。しかし、赤く染まった右の視界からは立ち上る蒸気以外の何を映すこともなく、ただただ赤く染まった光景だけが広がっていた。


 それなのに何故、左の視界ははっきりと周囲の光景を捉えているのか……否、それだけでは無い。暗闇に覆われていた筈の世界が、晴れた昼間のように驚くほど鮮明に視えていて、それ以上に左の視界には障害物に阻まれて尚死角が存在しない。


 気がつけば身体中の痙攣は収まっており、何故が失ってから治す暇もなかった右腕が無意識のうちに再生している。しかし、右の視界は赤いまま──


 右頬を伝う生暖かい感触を余所に、彼女の脳裏に走馬灯が流れる。


 自身の胸を貫く血に燃える赤黒い刀。それ以上に少女の胸を焼くのは、彼女の眼を捉えて離さないあかかがやく瞳。


 記憶に無い筈の走馬灯。

 本当に自分の記憶なのか、本当に過去に見た出来事なのか……しかし、そんなことはどうでもいい。


 確かのは、今この瞬間……少女サティナが視た可能性だ。


 走馬灯の記憶に従って右手に意識を集中する。どうすればそうなるかなど考えるまでもなく、ただただ誰とも知れない記憶に従って力を流し込めばソレは出来た。


 顕れたのは極光を放つ十字剣。莫大な能源エネルギーを凝縮させて創り出したそれはしかし、ただ顕現しているだけで想像を絶する能源エネルギーを消費し続けている。


 地面に手をつき、フラつく身体を持ち上げた瞬間、十字剣の根源を目の当たりにした。死角の存在しない筈の左眼に映り込むのは、自身の背後で陽炎のように揺らめく白い影。


 半透明のそれは自身の背中に生える、白い片翼だった。


 左だけの片翼はしかし、莫大な能源エネルギーを少女に提供し続けている。しかし、右目の出血や、身体の異様な発熱といい……恐らく、肝心の彼女はその力に耐えきれないのだろう。


 過ぎる力は身を滅ぼすものだ。

 長く翼を顕現することは出来ない。


 ──それで……?


 ふと、脳裏を横切るのは疑問だ。


 ──力を得たから何だと言うのか……?


 今更になって力を得たところで、もう守りたかった筈のものは全て失っている。だらりと下がった右手の十字剣が地面当たり、その土や砂を粒子レベルにまで分解した。

 煙を上げる地面に目もくれず、ただ左手を見つめる。力を得た筈の手を見つめ、そこからこぼれ落ちた大切なものを──


 直後、走馬灯で目にした光景が脳裏をぎる。その時確かに感じた筈の可能性、そして彼女の眼を捉えたあの瞳が語りかける。


 ──安易な(救い)は許さない、と……


 そして蘇るのは──


 ──既に賽は投げられた……

 ──貴様は何を対価とする……


 蘇るのは、あの時の言葉。


 そう、既に賽は投げられたのだ。

 もう、代償を支払う他ないのだ。


 ──例えそれが悪魔のいざないとて、代償は支払われる……


 あの時、村を出てあの男を追いかけた時……業を背負って生きていくことが決まっていた。

 最早、道半ばで野垂れ死ぬことは許されない。


 ──例え、何があっても……


 ゆるりと右腕を持ち上げて、白髪の男へ十字剣の切っ先を向ける。










 十字剣を構えたサティナの表情は無く、感情が抜け落ちたような瞳が目の前の男を見やる。


 血濡れの右眼。

 白光色の左眼。


 異色の双眸が油断なく、相手を見つめる。


 そして、動いた──


 姿が消えても白光色の瞳が残光を引くことでその軌道を描いているが、それに気がついても時すでに遅し。気がつけば、反射的に防御に回した魔剣が根本から断ち切られており、大きく下がって躱そうにも胸を大きく斬られた。


 触れるもの全てを粒子レベルにまで分解する十字剣。そんな彼女の前には例え魔剣を持ってしても無力で、切り裂かれた胸は治癒魔法による治りも悪い。


 触れる雨粒を蒸発させる翼が揺れる。身も凍るほどの冷たい風を受けて、発光しているような羽毛が勝手気ままに揺れていた。


 直後、生物として生まれながらに備わっていた生存本能が警告を発する。全身から冷や汗が噴き出すほどの警告に従い、右腕を持ち上げれば凄まじい衝撃が全身を突き抜けた。

 辛うじて捉えた視界の端には、蹴りを放った姿勢のサティナの姿。続く光景は、たったの一撃でひしゃげた自身の右腕……それを目にした直後、彼女が十字剣を持っていないことに気がつく。

 恐らく、さっきの一太刀で十字剣を顕現できる時間に限界が来てしまったのだろう。それでも、厄介な魔剣を無力化したのならもはや必要ない長物だ。


 十字剣を失ったことを気にした素振りも見せずに、サティナは素早い動きで身を低く落とし、相手の懐へと潜り込む。そして、放つのは閃光の如く鋭い手刀……今までのそれとは比較にならないほど完全された手刀は、ひしゃげた男の右腕を根本から切り飛ばした。


 強力ではあったものの、たったの一太刀で限界に達してしまった十字剣。そんな使い勝手の悪いものなど必要ないと言わんばかりの一撃。

 宙を舞う自身の右腕を視界の片隅に映り込む中、無造作に飛び上がるサティナの姿がよぎる。


 何の前触れもなく放たれる脚技は男の防御すらもろともせず、防御に用いた左腕を斬り飛ばしてその首へ鋭く吸い込まれる。それでも半歩下がることで皮一枚を斬らせるにとどまった。

 しかし、そんな中途半端な回避が今の彼女に通じる筈もなく……瞬きの間もない刹那の瞬間に、少女の指先が視界一杯に映り込み──


 ──そこで、男の意識が途切れた。


「ふぅ……」


 血のついた腕を払い、自身の足元に転がる男を見やる。首から上が爆ぜ、誰が見ても即死であることは容易に理解できた。


 ただ呆然と佇み、自身が吐き出す白い息越しに地面に転がる数多の屍を見やる。冷たい雨に打たれながら、どこか遠くに感じるそれらを呆然と眺める。


「……終わろう」


 誰ともなく呟く。そうしてどこか扱いづらい身体へ意思を伝え、子供達の体を回収するために動き出した。


 先に向かったのは馬車だ。それを持って子供達を回収して、彼等の故郷にまで送り届ける。それがせめてもの贖罪になると信じて──


「エナ……」


 馬車まで辿り着くと、一人の少女が横たわっていた。胸に穴を開けられて、左腕と右手の指が数本失われた姿で横たわっていた。

 そんな彼女へ手を伸ばし、冷たくなった身体を持ち上げた直後……全身を電流が駆け抜けたような強い衝撃が走る。思わずエナを取り落としそうになりながらも歯を食いしばって耐えた。


 その時、思わず目を疑った──


「……サティナ、さま?」


 さっきまで死んでいた筈の彼女が口を開いたのだ。


 ──生き返った……


 否、そんな都合のいいものではないのは手から伝わる冷たい感触が否定していた。既に心臓も破壊されていて、全身に刻まれた痛々しい傷もまた生々しく残っているのだから。


 ──何故……!?


 そんな疑問を抱くよりも早く、エナが言葉を紡ぐ。


「すみ、ま、せん……

 私じゃ、守れ…ません、でし、た……」


 何をすればいいのかも分からず戸惑うサティナを見つめて、半壊した少女の口から零れ落ちたのは、そんな……子供たちを救えなかった、自分を責める声で──

 彼女自身も、酷い目に遭わされていて……もうこうして、確実に死が訪れる以外の未来はあり得ないというのに──


「サティナ……さま、の、ように──

 ……私も、つよけれ、ば……」


 その事実に、何も言えなかった。

 その事実に、返す言葉を持ち合わせていない。


 ただ、彼女の最期の言葉を、聞き遂げるだけ、で──


「でも、私、じゃ……ダメ、でも……サティナさま、なら、出来る……から──」


 返す言葉もなく、歯を食いしばって黙り込むサティナに向けて半壊した少女は、告げる。


「ど、うか…お願い、します……。サティ、ナ様、だけでも……生き、て……」


 自らも殺され、そして避けられぬ死を目前にしても、誰かを助けることを考えている……健気なお人好しの少女の願い。


「どう、か……お願い、します。私、達の…ことは、いいです、から……。……ーーーーーーー、さま、だけ……でも……」


 それが彼女の……幾夜を共にした、共に暮らした、守りたかった、守れなかった少女の願いで──


 「泣かない、でください。ーーーーーーー、さまに……『奇蹟』の、あなたに……会えて、私は──」


 必死で治癒魔法を行使してその傷を癒そうとするも、まるで死人を蘇らせることは出来ないと言わんばかりに惨たらい傷痕は治る気配もない。


 ──そんな……


 少女の願いを聞いたサティナは、首を振ってその事実を否定しようとする。

 それでも現実は非情を叩きつけるように……失われた腕すら瞬く間に治す最上位魔法を行使しても尚、彼女の擦り傷一つ治すことは叶わない──


「あり、がとう、ございます……」


 必死に命を繋ぎ止めとようとする彼女に、知らず知らずのうちに泣いている彼女へ、少女が健気に笑いかける。


「こん、な…私でも……ーーーーーーー様に、会え、たことで…希望、を、抱くこと……が、出来、ました……」


 人間に捕まり、故郷の森から引き離されて絶望で覆われた闇を払って彼女は現れた。そうしてもう一度、生きる希望を、その意味を……それだけの意志を持たせてくれた。

 

 自由に生きていいのだと、教えてくれた。


 そこまでが限界だったのだろう。ゆっくりと力なく瞼が落ち始めた。そんな彼女の姿を目にして、いやいやと首を振りながら治癒魔法へ莫大な能源エネルギーを流し込む。それこそ死人をも蘇らせられそうなほどの、莫大な力を──


 それなのに、何故……擦り傷一つ治せないのか──


 やがて、治癒魔法がその効果を見せ始める。瞬く間に身体中の傷が、失った部位が癒え始め、瞬きの間に傷一つない、サティナのよく知る少女の姿がその腕の中に現れた。


 しかし──


「なんで……! なんで……!!」


 腕の中に抱きしめた身体は既に生命活動が止まっており、彼女が紛れもない死者であると……そう、断言していた。

 荒れ狂う彼女の激情に応えるように一層強く片翼が発光すれば、その想いに応えるようにガタガタと大地が震えていた。











 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆












 馬車に傷を治した子供達を横たえる。

 馬を失った今、サティナ自身が馬車を引っ張っていた。


 ──何故、何故……

 ──あの時、何が……


 いつの間にか翼を失い、瞬間的に強大な力を身に宿した反動か異様に重い身体に鞭打ち馬車を引く。そうしていく中で、何度となく自問自答を繰り返した。


 ──あの時、一体何が正しかったのか……

 ──どうすればよかったのか……


 やり直すこともできないのに、それすらも考えられずに同じ思考を繰り返す。

 自身の嗚咽すらも遠く聞こえ、現実から目を背けようと……しかし、出来ない。


 誰もいなくなった大地で、痛む頭の中で残響するするのはあの時の言葉。


 ──対価は……、こから重ねられる罪の全てを、引き受けること……


 それが、彼女の背負う業なのだから。

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