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死座ノ黒星 〜彼女はきっと神になる〜  作者: 枝垂桜
第一章 罪の枷と奴隷の鎖
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第八話 影の刺客

 船の旅はゾッとするほど順調であり、何人かの子供達が船酔いをしたもののサティナの魔法でその都度治していく。そうしている内に数日が経過しており、船の上にいることに慣れ始めた頃、ようやく陸地が見えて来た。


 もう間もなく度の終点だ。薄らと海の向こうに見えるあれも、今まで辿ってきた道のりもまたその経過に過ぎず、要となるのはこれからの旅路。


 ──気が重い……


 彼女は命を預かっている身であり、その双肩にのしかかる重荷はおいそれと振りほどけるモノでもない。一度背負ってしまえば、文字通り彼女が地に伏せるその時まで下ろすことは出来ないのだ。


 だからこそ──


 ──気が重い……


「これから重ねる罪を思うと、気が重い」


 ここまで来ればもう目を逸らすことも出来ない……未だかつてないほどに濃密に漂う死の匂い。


 彼女の眼に映るのは、その小さな身体に纏わりつく亡者達。己が手にかけた者達がその節穴になった眼窩を少女へ向けている。

 ボソボソと耳元で囁かれる呪詛はしかし、彼女に聞き取ることは出来ない。それもそのはず、今目にするこの光景は少女の罪の意識が、その狂気が彼女に見せる幻覚に過ぎないのだから。


 鼻腔いっぱいに広がる甘味な匂いが、自身の狂気を肯定している。

 死が救済と感じるその心が、迫り来る死臭を甘味な匂いと錯覚していた。


 ──いつ死んでもいいと思っていた……

 ──どこかで野垂れ死ぬものだと思っていた……


 そうありたかった。と知らず知らずのうちに自分に言い聞かせて、それが救済であると信じ込もうとして、しかし昔から賢かった彼女にはその行為の、逃避を肯定しているだけだと気づいてしまって……ただただ気づかない振りをしても、振り返ればすぐそこにあって……目にしたくないと無理矢理前を向いて、でも顔を上げられずに俯けば自身を飲み込むほどの影が見えてしまう。

 目を塞いで耳を塞いで、いやいやと首を振ったところで彼女の首にはいつも冷たい指先が絡みついていて……ずっとずっと、ソレが嗤っているを見ないようにして来ていた。


「もう、これが最期だね」


 ──もう、終わりにしよう……


 彼等を無事送り届けられたのなら、その時は──


「せめて死に場所くらいは選びたいな」


 出来ることなら三年前、家族と過ごしたあの場所で……最期まで優しかった姉の横に──


「向こうに行ったら、まだ早いって怒られるかな。でももう、他の亡者に隠れて見えないから……。あ、でも私は地獄行きだから、みんなに会えないなぁ」


 これだけの人を手にかけて来たのだ。もし天国や地獄と言うものがあるのから、天国にいる彼等に会うことは出来ないだろう。


 ──もう、疲れちゃった……

 ──罪人を裁く意味なんてないんだもん……

 ──罪無き人を助けても、また誰かが……


 こんな腐った世界では救済なんて何の役にも立たない。

 こんな腐った世界では、正しさなんて容易く踏み躙られてしまう。

 こんな腐った世界で我を通したければ、他を圧倒する力を振り翳す必要がある。


 ──もう、疲れたよ……


 だからこそこれが終わったその時には、悲しみだけが募るこんな世界と決別するのだ。


 いつの間にか、ほんの数日で数年にも及ぶ復讐の炎は瞬く間に鎮火してしまい。今となっては全てが色褪せ、何の価値も無いつまらないモノへも成り下がってしまった。

 復讐の意味も分からなくなり、生きる意味などとうの昔に奪われて……残ったのはただ疲れた心だけだ。


 それでも自身の生き死にを選べるだけの力を持つ彼女はまだ幸せな方だろう。


 ──私のことはまた後でいいか……

 ──でも、死ぬ前にもう一度だけ神様の顔を見ておきたいなぁ……


 それでも何故か思い出すのは、決定的なあの瞬間。彼女の全てを塗り変えてしまったあの瞬間とき

 見渡す全ての景色から色が抜け落ちて、口にする全てが灰の味。何に触れてもその温度は感じ取れず、鼻腔を突き抜けるのはあの悪臭。耳に聞こえるものはいつも決まって同じで……


 そんな彼女の世界で唯一薄れない存在がの者の存在だけ。


 色が無いなら初めから彩らなければいい。

 不協和音の混ざる雷鳴が他の音を上書きする。

 温度が感じられないのなら痛みを刻み込む。

 自身なこびり付いた死臭が離れないなら、文字通り息をすることも忘れるほどに──


 知らず知らずのうちに彼女の口元に笑みが浮かび上がる。その脳裏に映るのは──


 ──不可能に挑み、当たり前のように敗れる……


 ふと、自然と浮かび上がるのは自虐的な微笑み。


 脳裏に浮かび上がるのは確実なる己の未来姿ビジョン──その最期の姿。


 有象無象の、何の価値もない、ちっぽけな命だけを代償にして最期に挑むのは不可能……かつての彼女が憧れ、そして求めた姿に挑むのだ。

 最期とは言えど、彼女の理想像とも言えるソレに挑むことが出来るその幸運に、思わず溢れる笑みは何故こうも自虐的な色を宿しているのか──











 ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー











 港に着いてから二日の休息を挟むと、サティナは大所帯を連れて再び旅路に立つ。心地よく響くのは新しく購入した馬達の足音、それを余所に遠くに控える広大な森を目指す。


 日に日に強くなる死臭と無駄に鋭い勘が警報を鳴らし続けていた。『未来眼』には何も映らないが、間違いなく何か良くないことが起こる。その前触れとなる僅かな変化も見落とすまいと周囲へ警戒を向けるが、未だにこれと言った違和感は見当たらない。


 それがまた彼女の神経をガリガリと削っていく。


「もう数日もせずに着来そうですが……」


 不安そうにそう言うエナに対してサティナが軽く横に首を振ると、


「このまま何事もなく済むとは思えない」


 不安を煽るような物言いではあるが、嫌な予感が拭い切れない。日に日に目の奥がズキズキと痛み、あの時の光景が彼女の脳裏へより濃く映り込む。


 それはまるで、これから起こりうる事を暗示しているかのように──


 それから三日ほど何事もなく馬車は進み続けている。しかしその直後、間もなく夕暮れとなるであろう時に変化が訪れた。

 あれほど続いて晴天が瞬く間に曇りだしたかと思えば、豪雨が一行を打ち付けたのだ。


 ──いや、むしろあれだけの晴天続きだった方が不思議だった……


 そう、天候が崩れることなどザラにあることであり、そう珍しくはない。

 しかし何故だろうか。背筋を嫌な汗が伝うのは、嫌な予感が拭えないのは──


 その直後だった。


「……っ!」


 サティナが反射的に伸ばした手を衝撃が突き抜ける。その手中に収まっていたのは合金で作られた重い矢だ。


 ──攻撃された……!


 そう気がついた時には再び視界の端に鈍く光るモノが写り込む。咄嗟に抜き放った鈍らにてそれを弾き上げると、反対の手に持っていた鋼矢を飛んできた方向へ目掛けて投げつける。

 直後、森を突き抜ける甲高い音が辺りへ響き渡った。その音を聞くや否や、サティナが馬車の縁に立って振り返ると、


「走って!! 絶対に止まらないで!!」


 間髪入れずに飛んでくる鋼矢を弾き上げ、再び飛んできた方へ目掛け、手にしていた剣を投げつける。先ほどとは比較にならない速度……亜音速にも迫る鉄の塊が刺客を撃ち抜く音が鈍く響く。

 一瞬聞こえた甲高い音はしかし、当然ながらそれだけの速度に至る鉄塊を防ぎ切れる筈もなく、刺客の背後に生い茂る木々を鈍らが撃ち抜いて進む鈍い音が聞こえて来た。


 その音が止むよりも早く、スコップと斧をそれぞれ片手に持って馬車から飛び降りる。

 泥水を跳ね上げて着地すれば、勢いそのままに足が滑ってしまう。そんな彼女へ格好の的と言わんばかりに複数の鋼矢が迫り、しかしその全てを捌いて見せた。


 すかさず姿勢を低く、踏み込む脚に力を込めれば地面に小さなクレーターが浮かび上がる。瞬きの間もなく加速し、次なる刺客へ迫ろうとした直後……稲光と共に一人の男が彼女の目の前に姿を現す。

 迫り来るのは薄暗い闇の中で稲光に照らされて冷たく光る刃。その死刃が迫るよりも早く斧を回して剣を弾き上げると、左手に持つスコップを突き出す。


 硬い地面を掘り返すほどの強度を誇るその矛先が男の胸を捉え、鍛え抜かれたその肉体を容易く貫く。

 胸骨を貫き、そこに守られる臓物を掻き混ぜ、硬い背骨すらも打ち抜き……しかしそこまでが限界だった。サティナの異常な膂力に耐えきれなかったのか、木作りの柄がへし折れる感触が左腕を突き抜け、直後に腕に伝わる抵抗感が無くなる。


 だが、この一撃で男の命は完全に断ち切られており、倒れゆくその手から素早く剣を取り上げる。そうして未だ姿を現さないまのの、残った刺客へ向けて構えた。











 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆











 一言で現すならアレは化け物だ。身体強化により跳ね上がった身体能力を存分に利用して放つあの剛矢。それを奴は素手で受け止めて見せた。


 弩砲バリスタすらをも上回るほどの威力を持った剛矢。それを受け止めると、間髪入れずに放たれた二発目を剣で弾き上げたのだ。

 神業とも言える身のこなしはそれだけにとどまらず、あろうことか自身の身を守る筈の剣を躊躇いもなく投げつけたのだ。


 手に持った剛矢を先に投げつけることで確実な位置を確認すると、目にも止まらぬ速度で止めになる一撃を放った。目に映るのは超速で撃ち抜かれた仲間の肉片と、その背後に立つ木の幹が投擲された剣に抉られる様子だ。


 文字通りの化け物だった。


 そうしてたった一人、自分達を撃破するために馬車から飛び降りた女。馬車と彼女を切り離すところまでは計画通りだったのだが、まさか二人も戦力を失うことになるとは──


 当初の予定通り数人を馬車の追撃に向かわせたが、少女と対峙する筈のメンバーは既に削られてしまっている。馬車を追う人数を減らすべきだったのだろうが、既に手遅れだ。


 ──いや、まだこちらには……


 否、まだ一つ手札カードが残っている。早かれ遅かれ切る筈の手札であり、今切ったところで結果は変わらないだろう。











 動きがない。気配は完全に断たれており、敵の居場所が特定できない。


 瞬く間に仲間が二人も削られれば動かずにはいられないだろうに、それでも動かずに気配を消して様子を伺うことを優先しているのか……どちらにせよ一方的に見られている状態で、相手の居場所が分からないままでは迂闊に動くとは出来ない。


 ──最初の時点で一人しか弓を打って来なかったのはこのためか……


 様子見とは言えど、不意打ちで仕留めるはずの遠距離攻撃を仕掛けてきたのはたったの一人。普通であれば複数人で攻撃してくるところだが、もしかすればこの事態を想定していたのかもしれない。


「チッ……っ!」


 結果として彼女は遠距離攻撃を仕掛けてきた者を一人と、彼女を森に突っ込ませないように抑えに来た者一人しか倒せずにいた。

 既に相手の不意をつける機会は過ぎており、今殺した男の思惑通りになっている。


 下手に動いて何が来るかも分からない。そんな状態ではやはり彼女も敵の出方を探るしか無く……


 ──もたもたしていると、馬車が……!


「考える時間もくれない、と……」


 そう勘づくや否や、サティナは斧を取り落とすと左手に握っていた剣を両手で握り、そこへありったけの能源エネルギーを送り込む。その圧力に耐えきれなかったのか剣には亀裂が走り、ひび割れた隙間から白い光が漏れ出した。


 そうして、ゆっくりと剣を振りかぶり──


「去ね」


 極光が辺り一帯を薙ぎ払う。生い茂る木々も、夥しい量の雨粒も、そこに潜む刺客も……その全てを等しく滅する万光が闇を薙ぎ払い、薄暗い森を照らす。

 極光で目が眩む中、漸く視界が開ければそこに広がるのは無垢な更地。根こそぎ吹き飛ばされた草木は消え去り、ただ泥水と倒木だけが永延と広がる更地だけが残っていた。


「早く、みんなのところに──!」


 それを確認し終えるよりも早く駆け出そうと……しかし、


「驚きしまたね」


 誰もいない筈の大地から声が聞こえる。


「まさかこれほどとは……さすがに死を垣間見ましたよ」


 ピチャピチャと自身の存在を隠そうとせずに……否、それどころか自身と言う存在を強調するように、水っぽい足音を立ててその男が姿を現す。


 そちらへ視線を向ければ、目に映るのは黒い外套を纏った男と……それ以上に目を引くのは彼の後ろに立つサティナと同じ白髪を持つ男。そして何よりも、その白髪の男からは底知れない何かを感じる。


「今ので生き残れのは二人だけみたいですね」


 仲間が死んだことすらもまるで他人事のように言って、その男はゾッとするような笑みを浮かべる。


「それにしても良かったのですか?」

「……何が?」


 質問の意図が読めずにそう聞き返すサティナへ、男が首を傾げる。


「あれでは馬車も巻き込んでしまうでしょう? でもまぁ、この有様では馬車を追っている者達も無理でしょうけど……」


 そう言う男へサティナが露骨に顔を顰める。


「私がそんなミスをするとでも?」


 そうは言うが、実のところ男の言う可能性があるために本当ならこの術は使いたくなかった。それでも馬車は充分に離れていると判断し、使用した。それ以前に、馬車が充分に離れるだけの時間も稼げていた筈だ。


「と、なると追いかけている彼等も無事そうですね」


 独り言のようにそう呟く男を注意深く睨みつける。


 ──何が目的だ……

 ──いや、目的は私を殺すことだ……

 ──それなのに何故こんなところで無駄話をするのか……

 ──馬車の心配をさせて、私を焦らすつもりか……


 素早く頭を回転させて今すべきことを考える。この男達を殺して馬車を追うか、それとも男達を無視して合流を優先するか。


 否、ここで奴らを殺す必要がある。彼女を殺すためにここにいると言うことは、そして何よりあの攻撃で生き残っていることを考えれば、彼等は刺客の中でも屈指の精鋭。彼等を潰せばあとの処分は造作もない。


「無駄話している時間はない」

「ええ、そうでしょうね。ただ、こちらもそう簡単に死にませんよ」


「なら……試してみよう」


 言うや、先ほどの攻撃に耐えきれずに半ばで折れた剣を男目掛けて投げつける。それを男が躱すのを見るまでもなく、足元に落とした斧を拾い上げると、


「くっ……!」


 甲高い音を立てて男の剣が彼女の斧を防ぐ。それでも力負けすると判断したのか、男が彼女の斧を往なす。流れた斧に釣られて腕が引っ張られる彼女の首を目掛けて、返す刀が迫る。しかしその中で斧から片手を離すと手刀を放った。


 鉄剣と手刀。鋭い二つの攻撃が交わり大気を震わすほどの音が木霊する。男が驚愕を隠しきれない表情で手刀に弾かれた自身の剣を見やり……そんな彼の様子を余所にサティナの視線が捉えるのは、未だに動こうとしない白髪の男だった。


 互いに弾かれたように跳び退き距離を取る。その直後で男がサティナの視線に気がついたのか、僅かにその視線を自身の背後に立つ男へ向けた。


「彼のことなら心配せずとも、今は手出ししてきませんよ。生憎と彼の静止力を貴女に奪われてしまって迂闊に動かすことが出来なくなってしまったんです」


 心底困り果てたように言う男を睨みつける。彼が言っている意味もわからないし、本当のことを言っているとも思えない。それどころか、こんな状況下なにも拘らず、まるで謎かけでもするような態度が彼女の気に触れていた。


「貴方の言葉を真に受けるつもりはない」


 とは言えど、彼が動き出す前に勝負を決めたいのは同じことだ。


「それは残念ですね」


 大して残念そうにもせずに飄々とした態度で答える男へ目掛けて、斧を振り上げる。しかしそこは間合いの外で、訝しむ男は次の瞬間その目を見開いた。

 サティナが振り上げた斧は地面を抉り、巻き上げた土砂を礫として男へ放ったのだ。弓の男を貫いた時以上の速度、それこそ音速を上回るほどの礫を喰らえばもはや肉片と化すどころの話しではない。


「ぐっ……!」


 全力で回避行動を取り、礫の魔手から逃れようと足場の悪い地面を踏み抜く。大きく抉れる地面は彼の踏み込みの強さを表しており、直後無数に現れる小さなクレーターは彼が駆け抜けた跡だ。


「これまた、凄まじい……」


 驚嘆の声を漏らす男が見たモノは、礫によって葬り去られた倒木の成れの果てだ。先ほどの極光の中で辛うじて原型に近い形を保っていたソレは、たったの一撃で"木だったモノ"へと変わり果ててしまった。

 一見すればただの木片だが、それが一歩間違えれば人体の肉片になっていたかと思うと背筋を冷たいものが突き抜ける。


 先ほどの手刀もそうだが、その辺にある何気ないモノが彼女の手にかかればこれほどの凶器も化すのだ。その事実に思わず声を失った。


「これぐらいなら、出発前に彼から奢って貰えばよかったですね」


 クルッと軽く斧を回しながら白髪の少女が近づく。地に伏せる男を見下ろす赤い双眸は冷たく、命を奪うことに対して、もはや何の感情も抱かなくなっていた。


 ──一体どれだけの命を奪えばそれだけの境地に至るのか……


 同じ境遇に立つ彼ですらも想像もつかない。罪人つみびと狩りと大義名分を称して他者の命をこうも容易く奪える狂人……その瞳の奥に巣食う冷たい光は今まで何度となく見て来た。私利私欲に溺れ、他者を傷つけることすらも悦と化す獣と何ら変わりない。


 所詮は人殺し。どんな大層な建前を、大義名分を謳ったところで結局は同じことだ。そうでなくては、あんな無情を宿した目は出来ない。


 激しく降り注ぐ雨を切り裂き、斧が振り上げられる。その軌道は大きく強化された筈の動体視力を持つ男の目にも映らなかった。ただ分かるのは、斧が通った跡に切り裂かれた雨が小さな飛沫となって、雷光に輝く軌跡を描いていることのみ。


 そう、斧の軌跡に一瞬だけ残る雨のない空白……それが自身の首に伸びていて──











 男の首が足元に転がる。手に残るのは慣れ親しんだ人を殺す感触だ。肉を切り裂き、骨を断つあの感触。


 深く息を吐き出し、一戦を終えたことに胸を撫で下ろした直後──背筋を冷たいものが突き抜けた。

 その正体を探ろうと周囲へ意識を向けるよりも早く、"足音がした"。


 そう、気配を断つことが当たり前の世界で再び足音がしたのだ。


 そちらの方へ視線を向ければ、白髪の男がゆったりとした動きでサティナへ向かって来る。その右手に握るのは禍々しいオーラを放つ魔剣だ。

 雨に濡れた白髪の下、蒼い瞳が雷光に照らされて鋭く輝いていた。

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