6. 不束な愚妹でございますが、
高校での勤務初日、雑貨屋でのバイトも終えて、俺は独り暮らしのマンションへと帰った。それなりに高級な部類に入るマンションの23階に、俺の部屋がある。企業勤めをしていた頃、先輩から「騙されたと思って、住まいと家具はめいっぱい高いモノを選べ」とアドバイスを受け、言われるままに契約した。
結論から言って、まさに騙されたと思っている。
結局、よくわからない北欧ブランドのテーブルとソファのみが鎮座する3LDKは、俺には無用の長物であり、高額な家賃はニート時代の財布を圧迫した。それでも無気力だった俺は高層階からの引っ越しというのがどうにも億劫で居座ってしまっているのだ。
まさに、ブラック企業時代の負の遺産である。
さて、そんな自室に鍵を差し込むと、スルリと無抵抗な感触があった。鍵は忘れずにかける性分なのだが、おかしい。
ドアを開けると、部屋には灯りが灯っており、間もなくして、美女が一人顔をのぞかせた。
「…波那、なんでいるの?」
「ごはんつくって、まってよーと思ってー。まだでしょ??」
「あの、鍵は?」
「実家にあったよー」
肩まで伸ばした栗色のくせっ毛をくるくると指で弄びながら、不法侵入に悪びれる風もなく、目を細めた。彼女の得意料理であるホワイトシチューの香りが室内に漂っている。
「えっと、なんで?」
「はつとーこー、おめでとーの会、しようと思って。」
「初登校って、学生じゃないんだから」
「こーこーせーは、学生じゃなくて生徒ですよー?」
ほわっとした雰囲気に似合わず、至極まっとうなことを言うと、波那は俺の手から優しく鞄を奪い、両手に抱えて部屋の奥へ向かってしまった。俺は溜息をひとつついて後を追う。
部屋に入ると、めちゃめちゃ可愛らしく部屋中が装飾されていた。折り紙で作った輪っかに始まり、夜景を一望できる大きな窓には専用の泡スプレーで「Happy School Life, Mashiro!」と落書きしてある。そうとう時間をかけた凝ったものだった。
「波那?今日、大学は?」
「ごごきゅーだったのでー、ちょうどよかったねー」
波那は、近くの教育大学に通う3年生。幼馴染でもなければ、まして彼女でもない。4つ年下の、俺の実の妹だ。
「おかえり、兄ぃ!」
「あ、うん、ただいま。」
波那は俺のことを昔から「兄」と呼ぶのだが、兄って、第三者に対して、例えば「こちら、私の兄です」みたいに使う言葉じゃないか。本人に向かって「兄」って。しかも緩慢にしゃべる波那の言い方は、沖縄の方言を思わせる。あるいは、ミュージカル。とぅもろー、あいらぶやー、とぅもろーのやつ。
「しばらくぶりだねー、あ、しちゅーあっためるねー」
「お、おう」
それから二人で食事をして、波那が用意したノンアルコールシャンパンを飲んでお祝いした。俺自身よりも、波那の方が俺の再就職を喜んでいるようで、終始テンションが高かった。
「兄ぃ、よかったねー、あたしは、兄ぃはやっぱりせんせーだと思うよ。」
「週3だからね、先生ってほどじゃないよ、お手伝い講師、みたいな。」
「ううん、兄ぃはせんせーになったんだよ、うれしい」
ブラック企業で務めていた2年間、その後のニートの1年間にも、波那はたまに世話を焼きにマンションに来てくれていた。その度に「そんな仕事やめて、せんせーやろうよ」といつも言っていたので、今回、臨時とはいえ高校教師を始めたことを喜んでくれているのだろう。それにしても、どこで知ったんだろう。しかも今日が初日ということまで。
「んー、あおがくおーじーのねっとわーくは、早くて正確なのー」
と、いうことらしい。
それからしばらく、今日のことを波那と話した。雑貨屋のバイトのことは、言うと絶対に押しかけてくるので、黙っておいた。
波那が帰り、一人になった俺は今日一日を思い出す。
いろいろありすぎた一日だった。教え子の中にバイトの先輩がいたことにも驚いたが、何より、その先輩に演技とはいえ抱き付かれるというハプニングもあり…とにかく、いろいろあってすっかり疲弊してしまった。
雑貨屋でのバイトは来週までシフトがない。鈴木さんと次に会ってどんな風に接すればよいか、考えてしまうのは意識しすぎだろうが、しばらく落ち着く時間があるのはありがたい。と、明日の時間割を確認して、
「一時限目、2-B 英語…まじか。」
明日に不安を感じながら、俺はそのまま高級ソファでふて寝した。
更新が遅くなりました!
週2~3話くらいでのんびり進めていければと思っていますので、
ブクマの上、週1とかで覗いていただければ嬉しいです。
☆1つでも評価を戴けたりすると、更新頻度が上がるかもしれません(小声
引き続き、何卒宜しくお願い申し上げます。