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5. 出過ぎたことを申し上げ、恐縮でございますが

バイトの帰り道。俺は鈴木さんを駅まで送り届けていた。

退勤間際のクレーマー騒動のせいで、すっかり元気がなくなった鈴木さんを一人で帰すのが忍びなかったからだ。迷惑はかけられないとかたくなな鈴木さんに、「先輩に仕事の相談がある」と方便を言って、半ば強引に帰り道を共にしている。


しばらく沈黙ののち、思い立ったように鈴木さんが口を開いた。


「さ、先程は、助けていただいて、ありがとうございます!」

「え、あ、いえ、全然。」

「でも、あんな目に遭って。日高くん、ほんとは強いのに…どうして倒しちゃわなかったんですか?」

「いや、なんでもかんでも戦えば良い訳じゃ―――あれ?ほんとは強いって?なんで?」


失言に気付いて、鈴木さんが口元を抑える。そして、


「実は、昼休みにクラスの女子が、先生のフルネームをスマホで検索してたんです。そしたら、大学時代になんか格闘技の大会記録が出てきて…」

「ああ、」

「なんでしたっけ、あの宇宙人みたいな名前の…」

「カポエイラ、ですね。」


カポエイラは、ブラジル発祥の奴隷が始めた格闘技で、意味は「刈られた森」…なんというか今思えば、社畜を辞めて、ニートをする俺に相応しいというか。競技人口が少ないので、大会に出られたのも偶然なのだが――。


「そ、そんなことありません!動画、見ました、すごい強くて…その、か、かっこよかったです。」

「はは、ありがと。動画、上がってるんだね…」


大会の映像を、観客が録ったものだろう。珍しくてそれなりに見栄えのするスポーツだから、動画サイトにアップしたのかもしれない。俺としては、夢と希望に溢れた当時の自分と今の俺のギャップに悶えてしまうので、削除して欲しいが。アスリートの肖像権は難しい。


「だから、さっき間に入ってくださった時も、てっきり必殺技でやつけてくれるのかと…」

「ああ、あのね、鈴木さん、」


バイト中は俺の方が後輩だが、学校での話をするとどちらからともなく敬語が逆転してしまう。だから、先生として、余計な説教をしてしまったのかもしれない。


「大人になるとね…あ、もちろん、鈴木さんが子どもとは言わないけど、社会に出て擦れるとね、個人の勝ち負け(・・・・・・・)って、それほど求められなくなるんだよ。」

「はい、」

「なんと言うか、力でねじ伏せたり、論破したりとか、そう言うのは『その時の自分が』気持ち良いだけでさ、守らなきゃいけないものを、誰も傷つけずに守ることの方が、大事な時もあるんだよ。」


当時は、主に会社の利益とかだったけど、大人の汚い一面はぼかして置く。


「例えば会社の取引相手とかでさ、当然だけど俺が戦ったら勝てる人も沢山いる。スマホも使えないようなおじいちゃんも沢山いるんだ。でも、例えどんな理不尽なことを言われても、時には怒鳴られても、やつけちゃったら、それっきりになってしまう。さっきのお客さんにしても、無暗に怒らせたり恨まれたりしない方が、鈴木さんも安心じゃない?」


鈴木さんが黙ってしまう。夜道でよくわからないが、先生のノリで、先輩に意見してしまったので怒っているのかもしれない。俺は慌てて付け足した。


「でも、お見苦しいところをみせてしまって…ダサくて、すみません。」

「そ、そんなっ!わたしこそ『やつけてくれる』なんて、軽率にすみませんでした!」


鈴木さんが慌てたようにフォローしてくれる。特にこのくらいの年代の女子は、颯爽と現れる騎士ナイトみたいなモノへの憧れがあるのでは、というのはおっさんの先入観だろうか。そうだとしたら、期待外れもいいところだっただろう。


「…そそそれに、『守らなきゃいけないもの』って…思ってくれて…」


俯いてぽしょぽしょと話す彼女の言葉は、俺の耳には届かず、「マジ、期待外れだわ」とかそんな感じだろう。そんな奴に差し出がましく説教をされて気分が良いはずがない。


「さぁ、いきましょうか。」

「…は、はい。」


少し歩みを止めて話し込んでしまったので、遅くなってしまったかもしれない。俺は、今日のことをリセットする意味でも、話を変えて促した。後方から鈴木さんの視線をバシバシ感じるのだが、どうかこれ以上責めないで欲しい。



・・・・・


電車に乗り込むまで見送ろうと、ホームのベンチに腰掛けている間、鈴木さんは無言だった。じっと視線を感じて、話しかけようと隣に目を向けるとサッと目線を逸らされてしまうので、俺も何も言えず、居心地の悪い沈黙がしばらく続いた。


ようやく鈴木さんが乗る電車がホームに入るところで、女子高生の集団が慌ててホームに駆け込み、こちらの存在に気付いた。


「…ちょっと、あれ、みて。」

「うわ、やば、パパ活じゃね?」

「女の子超可愛いし、あれ絶対買われてるよ!」

「マジキモイわ。」


学校帰りにそのままバイトに向かったので、鈴木さんは制服、俺はスーツだ。そう見えてしまっても仕方ないかもしれない。せめて鈴木さんの汚名を返上しようと考えていると、鈴木さんは今日一きょういち怒った顔をしていた。…昼間のあれより上があるんだね、女性って怖いな。


キッと鈴木さんがそちらに向かおうとして、思いとどまる。先程のお説教を思い出したのかもしれない。しゅんと顔を伏せたかと思うと、パッと何か思いついたように顔を上げ、俺と目が合うと再び俯く。みるみる顔が赤く染まっていくが、怒りからのそれでないことはなんとなくわかった。思い立ったように、再び顔を上げた時、丁度電車が停車し、すぐ後ろで扉が開く。例の女子高生たちは未だ好奇の目をこちらに向けていた。鈴木さんが、大きく息を吸い込んで、向こうまで聞こえるように言った。


先生・・!今日は、二人っきりで勉強教えてもらって、ありがとうございました!こ、ここ今度は、ふ、二人で、で、で、でででデートしたいなっ!」


鈴木さん渾身の、『先生に恋する女子高生』の(不慣れな)演技が、炸裂した!

確かに、これで『パパ活疑惑』はなくなるけど、これはこれでマズいような…。挽回の手を模索していると、鈴木さんが意を決したように、俺に抱き付いてきた。そ、そこまでしなくても…女子高生グループは、「ちょっとあれ、そういうこと?」「禁断的なやつ?ヤバいもの見ちゃった」と別な意味で盛り上がっていたものの、触らぬ神に祟りなしというように目を背けて離れた車両に乗り込んでいった。


胸元で、彼女がささやく。


「わたしは、日高くんも(・・・・・)傷付かなきゃ良いなって…思ってます。」


茫然と立ち尽くす俺をよそに、鈴木さんが電車に乗り込む。顔は先程より余計に赤らんで見えた。扉が閉まったところで、窓越しに目が合うと、彼女は照れながら優しく微笑んでいた。列車が動きだす。

俺は、胸元に残る月下香げっかこうのような彼女の甘い香りを感じながら、凍り付いた心がじんわり温かくなるような感触を噛みしめて、しばらくホームに立ち尽くすのだった。


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