3. こちらの不手際で、多大なるご迷惑をおかけしたかも
高校教師として赴任した学校での最初の授業。
そこにはバイトの先輩、鈴木彩音さんの姿があった。もちろん、生徒として。
「えっ、なになに?いいんちょ、知り合い??」
鈴木さんの後ろの席から、ひょこっと女子が顔を出す。少し青みがかったショートヘアを後ろで短く結んで、元気そうな雰囲気をまとっている。少し幼い顔立ちだが、。少したれ目の大きな瞳が特徴的な、これまた美少女と言って障りない容姿だ。座席表から篠崎沫李さんという名前を知れた。
「ねーねー、いいんちょ、どったの??」
鈴木さんはというと、まだ状況が呑込めていないようで、フリーズしっぱなしだ。俺は、わざとらしく座席表を確認するふりをしてから、
「…えーっと、鈴木さん?かな?どうしましたか?」
そこで彼女は我に返り、おとなしく席に着いた。「え、あれ、忘れられてる…」などと呟きながら。
いや、鈴木さんほどの美少女は忘れないけど、教師と生徒が学校外の知り合いであるというのは、お互いにやり辛いだろうし。それに、この学校がアルバイトを禁止している可能性もある訳で、初対面のふりをした方が賢明だろうと判断した。
のだが…なんか、鈴木さん怒ってませんか?俺が授業をしている間、胡乱な目をして少し唇を付きだしているし(それもまた様になるから困る)、一度、問題をあてようとした時も露骨に目を逸らされた。例の後ろの席の女子に「いいんちょ、恋しちゃった?」と揶揄われた時なんか、「違います!」って大きな声上げるし。うっ、急に大声出されると、ブラック企業のトラウマでびくってなるから、止めて欲しい。
少し不安を抱えながらも、授業終了5分前になり、早めに切り上げようとしていた。
いくらブラック企業出身といっても、授業時間を延長したりしない。この子たちには、決められた時間に結果を出す大人になって欲しいのだ…第二の俺を生まないために。それに、授業時間というのは「その時間内に授業する」のであって、やるべきことさえ済んでしまえば時間いっぱいまでやる必要はないのだ。労働基準法だって、「1日8時間まで」なのであって、3時間でも5時間でも良いんだ!ま、俺には労働時間なんて関係なかったけどなっ!
「何か質問はありますか?」
形式美として聞いてみたのだが、意外と手が上がった。残業はしないぞ…。ほとんどが、「どこに住んでるんですか」とか「彼女いるんですか」とかそんなものだったが、元気っ子篠崎さんから、
「そーいえば、前のセンセがやった小テストって、いつ返ってくるんですか??」
と聞かれて、少し慌てた。まあ、前任者と引き継ぎが出来なかったから仕方ないんだけど。それにしても、テストが返ってきてないというのは、あまり良くない。みんながみんな努力してきた訳ではないと思うが、結果がうやむやのまま放置されるのは、学習意欲を削ぎかねない。俺が困っていると、
「たぶん、資料室に保管してると思いますけど…」
と、鈴木さんが助け船を出してくれた!………あの、睨むの止めてもらっても良いかな?俺は、「それなら、案内を」と言おうとして、思わず視線を彼女から外す。だって、恐いもん。
「じゃ、じゃあ、えーっと、がっきゅういいん―――じゃ、なかった!教科担当の人はいるかな?案内して欲しいんだけど…」
学級委員を指名しようとして、そう言えば篠崎さんが鈴木さんを「いいんちょ」と読んでいたことを思い出し、逸らした。だってこんな不機嫌な鈴木先輩…じゃなかった、鈴木さんと二人きりというのは、乗り切れる気がしない。普段優しい美人だけに、不機嫌になると余計に怖いのだ。さらに怒らせてしまっただろうが、バイトの時に謝ろう。クレーム対応は、時と場所を変える、というのが鉄則なのである。怒ってヒートアップしているまま、こちらがいくら謝罪してもなかなか聞いてもらえないものだ。
「私です。面倒です、案内しますね。」
白い肌にブロンドヘア、薄く綺麗な青色の目をした生徒がツカツカ歩み出る。出席名簿からシェリー・ルイスヒルさんだとすぐにわかった。え?面倒です?
「あ、ああ、ありがとう、シェリーさん」
「Mr.ヒダカ、どん臭いです、こちらにどうぞ。」
どん臭い?
最初、日本語を間違えて覚えてるのかと思ったけど、かなり発音も上手なので、たぶんそういう性格なんだろう。「どん臭い」とか、結構高度な日本語だし。ああ、また(心の)古傷が疼く。
・・・・・
そんな訳で、毒舌外国人美少女シェリーさんに導かれ、終礼もそこそこに英語科教材室に向かった。
「不思議です。」
「何がでしょう?」
目的の小テストを見付けて、一息ついた時、シェリーさんが話しかけてきた。
「これまでの先生、私と初めて話す時、必ず、出身の国のこととか、両親のこと、聞いてきます。『日本語大丈夫か』とか私に気を遣います、うざいです。」
「うざいって。」
「でも、Mr.ヒダカ、全然聞きません。へたれです。」
「ああ、いや、ははは。」
なんだか主旨がわからないので、ごまかして応えた。まあ俺が何も聞かないのも、昔の癖だ。顧客のプライベートにはできるだけ踏み込まず、向こうが話したそうにした時だけ興味のあるふりをするものだ。
「余計な詮索されない、普通に当たり前にいられるのは、楽です。」
「そうか、なによりです。」
「わたし、ヒダカ先生、好きです。」
「ふぁっ!?」
落ち着こう。なんか資料室なんて密室で、突然女生徒からそんなことを言われて動揺してしまったけど、これは、気に入ったとかその程度の意味だ。でもこれ、廊下で他の先生に聞かれてたりしたら、いろいろマズイやつだ。俺がしどろもどろになっていると、
「ふふっ、先生、優しいです、へたれです。なんか、居心地が良いです。」
「身に余る、お言葉でございます…」
「『ミニアマルオコトバ』?」
「あ、いや、ありがとう?」
シェリーさんは日本語は非常に上手だが、なんというか少し日本語の感性が違うのか、毒舌もそうだが褒める時もダイレクトで、つい動揺して昔の癖でしゃべってしまった。「それじゃ、戻ります。次は移動教室なのに、最悪です」と、シェリーさんが返り、俺はポツンと取り残されてしまった。
そして俺は、教育実習以来の、授業。給料をもらう、本当の意味での初授業を振り返る。が、内容がどうとかよりも、鈴木さんになんて謝ろうかとか、あのクラス美女率高いなとか、そんなことにばかり思考が向いてしまう。
まあ、大きな失敗もなかったし、及第点だろう。
さて、今日は夕方からもう1つのバイト。鈴木さんには、どう説明しようかと、あの不機嫌な顔を思い出し、憂鬱な気分になるのだった。