1. 俺の益々のご発展をお祈り申し上げて欲しい
「こ、こんな感じでどうでしょう?」
「もうできたんですか?………わぁ、すごい、上手ですね!」
隣にちょこんと並んで、女子高生がこちらに顔を向ける。
彼女は、鈴木彩音。背中まで伸ばした黒髪は艶やかで、切れ長だが大きい瞳や、整った小さな口元が可愛らしい、いわゆる美少女である。そして、俺のバイトの先輩だ。
「よかったです、このまま飾っちゃっていいですか。」
「あっ、ちょっと待ってくださいね!」
ここは、駅前から少し離れた雑貨屋だ。今日はバイトの初日。いきなり接客や商品整理が一人でできるわけもないので、先輩である鈴木さんの手が空くまで店内のPOP、手書きの店内広告を作っていたのだった。鈴木さんが、一度レジの足元に引っ込むと、可愛らしいシールを持って来て、俺の作った広告に貼り付けた。
「よしっ。完成です。貼っちゃいましょう。」
「はい。」
奥から踏み台を持ってこようとする彼女を制して、少し背伸びをして取り付けた。
「ほー、さすが、男の人って感じです。」
「あ、いや、これくらいは、はい。」
鈴木さんが心から感心したように目を輝かせている。
「それじゃ、お客さんも少なくなってきたので、レジ打ち、教えますね!」
「あ、はい。………なんか、すみません。」
「何がですか?」
きょとんと小首をかしげる様が、とても可愛らしい。
「せっかくのバイトの後輩が、こんなおじさんで…いろいろ、気を使わせてしまって。」
「えっ、いえ、全然。…それに日高さん、そんな、おじさんってトシじゃないですよ。どちらかっていうと、お兄さんって感じで。」
「あ、まあ、嘘でもそう言ってもらえると…」
「さ、いきましょ。」
こうして、日高真代(25才)は、女子高生(16才)にレジ打ちを教えてもらうのだった。
*****
大学を卒業して、俺は希望していた大手のIT企業に就職することができた。仕事はめちゃくちゃハードで、睡眠時間どころか、寿命を削っているようだったが、それでも給料はそれなりに良かったし、「誇れる仕事をしてるんだ」という自負が自分を奮い立たせていた。
が、それも僅か二年しか続かなかった。
きっかけは本当に些細なことだった。2ヶ月ぶりにまともな休みが取れることになり、俺は前日、久しぶりに晩酌をした。目覚ましアラームが鳴らない朝など、随分と久しぶりだったから、少し羽目を外してしまったのだ。
しばらくぶりの惰眠を貪る予定だった翌朝、まだ朝の6時に会社から電話がかかってきた。
「日高くん、すまんな、ちょっとトラブルで…今すぐ会社の方に来てくれないか。他に手の空いてる者がいなくてね…」
ぷちん。
気付くと俺は、スマホを壁に叩きつけて粉々にしていた。
今になって、睡眠を邪魔されてキレるとか、赤ん坊かと思うのだが、その時の俺は前日のアルコールが残っていたせいもあってか歯止めが効かなくなっていた。
仕事に不満はないつもりだった。休みが取れないのも、残業が多いのも、仕方ないことだと割り切っていたはずだった。だけど、2ヶ月ぶりに休みを取ったと知っていて『空いている者』なんて言われたのが、許せない、ではなく急に怖くなったのだ。
今は良い。でも、5年後、10年後は。例えば俺が結婚して家庭を持って、子どもができて。たまの休みに家族で旅行でも、と思った時に、会社にとって俺は『空いてる者』、仕事を振れるやつと認識されるのだろうか。俺の時間は、ここにいる限り一生、会社のモノなんだろうか。そう思ったら、一気に、急激に、堪らなくなった。
たったそれだけのことで、俺は、いわゆる一流企業をブッチしてしまった。ちょうど、スマホも壊れて連絡をする宛てもなくなり、会社側は履歴書でも見れば住所くらいはわかったのだろうが、家を訪ねてくることもなかった。それっきりだ。
所詮、それだけだったのだろう。俺にしたって、別に会社のためなんて常日頃思って働いていた訳ではないが、それなりに自分を犠牲にして尽くしてきたつもりだ。僅か2年だけど。でも、使えなくなったと判断したら、それ以来ぱったり。俺に構っている余裕もないのかもしれない。自分から無断欠勤をしておいて理不尽だが、なんだか人間不信にまでなった。
それからはひどいもので、ほぼ丸一年、あーとかうーとか唸りながら、何もしないで過ごした。何もしなくても腹は減るので、貯金を切り崩して生活した。
そして先月、貯金も底をつき始め、俺は再び働く決意をしたのだった。
といっても、いきなり正社員というのは怖かったので、バイトのようなものを掛け持ちすることにした。
その内の一つが、ここ『雑貨屋-LEMON GRASS-』である。
*****
「―――なので、こっちの計算機で計算してから、レジ開けちゃった方が早いです!」
「わかりました。…あの、鈴木さん、」
「どうしました?何か、わからないことでも?」
「その、やり辛いかもしれませんが…もっと先輩然としてて、大丈夫ですよ。なんなら、敬語も外していただいても…」
「あ、いえ、そういう訳には!」
仕事を教えてくれている間も、鈴木さんは終始丁寧で、年長者を敬ってくれているんだなと感心するものの、俺にしても、学校を卒業して2年しか社会経験のない身で、そんなに彼女と変わらない。職場の先輩に、そう畏まられると、少し申し訳ない気持ちにもなる。
「日高さんこそ、私なんて小娘ですから、敬語は辞めてください」
「そんな、小娘なんて。それに俺は、教えてもらう立場ですから。」
事実、彼女はとてもしっかりと「先輩」をしていて、非の打ち所がない。年齢ではなく能力によって計るなら、彼女の方が尊敬できる存在なのである。
俺たちは互いにあわあわと顔の前で手を振り、遠慮し合ってしまう。
「でも、なんか嬉しいです。…あ、別に先輩面したいとかじゃないんですよ?でも、お客さんとかでも、私が若い女だとわかると、いきなりタメ口きいたりされることもよくあって。」
「ああ。」
俺も前の会社で、取引先の謝罪を受けに出向いたら、俺が若輩だと知るや、「なんかごめんねー」で済まされたことがある。当時はちょっともやっとした程度だったが。年齢だけでマウント取るのって、なんていうか、みっともない。
「それが嫌って訳じゃないんですけど、日高さんみたいな人は珍しいから、嬉しいんです。」
「それは、はい。」
あまりに鈴木さんが良い娘なので、よくわからない返事をしてしまう。『良い娘』って、ちょっとおっさんくさいな。
「じゃあ、先輩として、ビシバシ教えちゃいますね!」
「厳しいご指導、ご鞭撻のほどを。」
「なんですか、それ?」
くすくすと笑う鈴木さん。前の部長に、「俺があと10歳若かったらなぁ~」と言われて、その時はピンと来なかったけど、今はわかる。
あと10歳若かったら、彼女にしたいと思ってしまう程、鈴木さんは可愛らしかった。
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