終点の館
帰りのホームルームを終えると、斬鵺と優は教室を抜け正門までの道のりを共にする。
道中は秀才と凡人の間に何の隔たりもない駄弁をして、校舎に五日間の終わりと二日間の休暇を言い渡す。
正門に辿り着くと、優は先の公言通り塾に向かうため商業施設の栄える南区の方に、斬鵺は真っ直ぐ帰宅するため彼とは反対方向の帰路につく。
「それじゃあ、またな」
旧知の仲を匂わせるような挨拶を交わし、二人は分岐する。
優と別れて帰路についた斬鵺だが、ここ市立桜浜高等学校から彼の住処まではかなりの距離があった。
何せ彼の住処は、北区と東区の間に跨る山中にあるのだ。
桜浜高校も区分けとしては東区に分類される。
だが正確には、中央区寄りの東区に建設された市立高校であるため、区を横断するほどの距離ではないにしろ、山の麓に辿り着けば後はひたすら長い坂道を登ることになる。
そもそも、その麓に辿り着くまでの道のりが長いというのが頭痛のする話だ。
道中は変哲もない建物が立ち並ぶ住宅街に、申し訳程度に佇むコンビニがこの先に二店舗立ち並ぶだけの娯楽を廃した通学路。
まあ、それももう慣れたけどな、と彼は妥協する形で現状を受け入れている。
当の本人に不満がないわけではないが、
変わり行く身の変化を好まず、
変革を嫌い、
自ら発起して改革を起こすつもりもなければ、周囲に馴染むように空気を演じる───
それが天宮城斬鵺という少年が歩んだ人生の中で確立してしまった持論だった。
その持論に従うのであれば、彼はおそらく“ どうしようもない ”の一言で片づけてしまうのだろう。
ただ、その反面。
個人的に役得と思えることもあった。
気づけば斬鵺は既に山の麓を通り過ぎ、少しばかり急な山道へと歩を進めていた。
山道は静かで街や学校の喧噪が恋しくなる。
道幅はギリギリ車二台が通れる一本道。
人気のない道だが舗装はされている。
斜面勾配は登るに連れて急になり、肩にかける教材の入った鞄が疲労感を促進させる。
そんな登り行く山道の途中で彼はふと足を止めた。
そこに斬鵺が役得と感じているものがあるからだ。
一つ目は、澄んだ星々が煌めく夜空を独り占めできるということ。
これはこの町で最も空に近い場所に住んでいる者の特権とも言えるだろう。
しかし、それはこんな道中ではなく、もう少し先に進んだ彼の住処の方がよく見える。
今は西空で輝く夕日に隠れ、宵の明星が辛うじて見える程度だ。
そしてもう一つは、彼の眼下に広がる春先が見頃の───
ここ桜浜市の景観を一望できるということだ。
桜浜市の名の由来は、春先に咲く桜が波のように押し寄せ、その波と陸続きであるこの町一帯の地形を浜辺と喩えた古き詩人の詩が由来である、と彼はこの町に住む先輩から聞かされたことがある。
彼がこの町に引っ越してきたのは、年末を迎える数日前の寒さ厳しい季節。
当然ながら桜も開花するような時期ではなかった。
彼がその話を聞かされた当初は、実に大袈裟な比喩だと高を括っていたが、春先を迎えた今ならば、その比喩は実に的を射ていると証言できる。
だが。
とても残念な話、この景観も一人で見ているのはやはり虚しくなってきてしまう。
思えば彼は、毎日星を眺めるほど天体愛好家というわけでもなく、この景観も春限定で時期が過ぎれば見向きもしないだろう。
加えて、ここの冬場の到来は市街地よりも早く、路面が凍れば足に余計な神経を使い下手な筋肉痛を招く。
その他諸々、連鎖的に悲観する回想が徐々に収束していく。
結論として、役得など有って無いようなものだ、とへそを曲げて彼は残った帰路に向き直ることにした。
◇ ◆
斬鵺が桜浜市の景観を眺めていた地点からさらに約五分先の道なり。
黒の鉄柵が高く聳えるこの山道の終点へと辿り着いた。
天上は暮れの空模様が広がっているが、周囲は木々に覆われ、不気味なほど影に呑まれている。
その暗さが相俟ってか、差し込む夕日が不自然に思うほど明るく感じる。
彼も初めてこの場所を訪れた時は怖気づいたものだ。
それを今は平然と鉄柵に触れ、重い鉄の門を容易く開けてみせる。
古びた門はけたたましい音と共にゆっくりと開いて彼を歓迎した。
そして、門を抜けた先で彼を待ち構えていたのは────
朽ち果てた外装を纏う古い洋館だった。
普通の二階建て住宅が三棟分は収まるほどの容積に、外壁は周囲の影と同化するように黒く、屋根は生き物のように蔓が絡みつき不気味なことこの上ない。
南には放置された広い庭園と雑草渦巻く荒れた土地。
そして、四方を封鎖する鉄柵が童話のような雰囲気を醸し出している。
「やっぱり幽霊屋敷だよな、どう見ても……」
斬鵺は改まって苦笑交じりに呟く。
例えるならば、という前振りも必要ないほどに、その洋館は完全なる幽霊屋敷だと彼も即答する。
何故こんな山奥に豪勢な館が建てられたのかは追々説明するとして、ここに住まう当の本人ですら幽霊屋敷と呼ぶ建物が人気の外れた山奥にあると知れば、町の住民は不気味がって近づかないだろう。
だが寧ろ、その方が彼───
いや、彼らにとっては都合のいいコトだった。
彼は冴えない表情で庭の雑草を踏み躙って玄関まで到達する。
そして玄関の取っ手を握り、洋館の中へと消えて行った。
───一つだけ訂正、というか補足させて欲しい。
先ほど、この山奥に住まう役得として夜空に煌めく星々を独り占めできると言ったが、正確には違う。
……というのも、この館には彼の他に複数の人間が同居している。
所謂、共同生活というやつだ。
彼の立場に置き換えるならば、この館に下宿していると言えるだろう。
従って“ 独り占め ”というのは、この館に住まう複数の人間をまとめて一個単位と考えた場合の喩え、というコトを理解して欲しい。
そして、改めて。
黒棺のようなこの洋館を、彼らは『ティラシス』と称して一つ屋根の下で生活を営んでいる。
その名の由来も、また追々説明するとしよう。
今回は説明文ばかりで少し退屈だったかなと思います(汗)
即興で思いついたものとはいえ、桜浜市の由来は個人的に気に入ってたりしますw
追記:修正いれました(7/10)
◇ ◆の前後にもう一行ぶんスペースを取りました。