願いで世界は廻っている
本作は、私が手掛けた旧作「普通?の男子高校生と最恐魔術師の死理境界線〈オラシオン・コード〉」のリメイク版となっております。
世界観はそのままで、主にストーリー構成を変更し、それに伴い一部キャラクター情報も変更しています。
それは無垢な少年の優しい願いから始まった。
遡ること10年以上前の話。
まだ小学生だった少年は学校から帰宅すると、一目散に廊下を駆け抜け、二階にある自室を目指した。
それが彼の日課だった。
建物は至る所から悲鳴を上げ、お世辞にも綺麗な一軒家とは言えない。
部屋や廊下の床には物が散乱し、酸の強い異臭が鼻孔を刺激する。
「やめて───!!」
地響きのように伝わるその声に少年は足を止めた。
“ ああ…… ”
今日も台所から母親の悲鳴が聴こえてくる。
ガラスが砕ける騒音を日常の一部として受け入れている自分がいる。
階段を目の前にして、少年はガラス越しに映る黒いシルエットを見据える。
扉一枚の境界線の先───
そこには、怒号と悲鳴が混在する異空間があった。
少年にはその境界線の先に踏み込む勇気がなかった。
勇気のない少年は逃げるようにして階段を勢いよく駆け上がり、自室へと籠った。
下から這い上がってくる断末の叫びを断ち切るようにドアを力強く閉める。
無造作にランドセルを投げ捨て、少年は決まった場所に置かれた一冊の絵本を取り出し、ベッドに深く腰をかけた。
これも彼の日課だった。
読み過ぎて一ページごとにくっきりと折り目がついた一冊の絵本。
表紙も色褪せ、紙の風化が見て取れる。
そんな事を揶揄されながらも、少年はこの物語を手に取り続けた。
古びた本の一ページをめくると、そこには───
人々を幸せにする魔法使いの物語が紡がれていた。
実に子供だましな内容だ、と呆れた物言いで大人たちは失笑するだろう。
だが、救いを求める無垢な少年にとっては十分すぎる物語だった。
「僕も、こんな魔法使いになりたいな……」
それが何処まで本気なのかは当の本人にも定かではなく、ただ息をするように吐いた心の声だった。
すると当然、部屋の中に風が舞い込んできた。
部屋の窓を開けた覚えはなく、けれど吹き込む風は彼の目蓋を優しく撫でる。
彼は無意識に吹きつける風道を辿り窓の方を見据えた。
” ──────!? "
瞬きの一瞥で少年は言葉を失う。
当時の彼にとってはあまりに形容しがたい光景が二つ並んでいた。
一つ目は、既に外が夜になっていたことだ。
本を読み始めた頃は、確かに夕暮れの太陽が光を放っていた。
だが。
跳躍したのは時間か、或いは空間か───
窓の外に広がる光景は、一言で言えばこの世の終わりだ。
何せ月が堕ちて来たのだから───
そう錯覚するほどに、目の前に広がる蒼き月の瞳は大きく、淡い幻想色を放っていた。
そして二つ目は、開いた窓サッシの上でちょこんと佇む小さな獣の姿だった。
水のように透き通った蒼眼。
銀世界を連想させる真っ白な毛並みに、耳と手足、そして異様に靡く九本の尾の先は青黒い毛並みに侵食されている。
お伽話にはよくある、月の世界から迷い込んできたのか、と錯覚するほどに、その獣はこの世のものとは思えない異質さを帯びていた。
……『獣』と呼称し続けるのはあまりに不透明で不鮮明な表現だ。
だからここは敢えて、『狐』のような見た目をしていた、と開示しておこう。
「キミは『魔法使いになりたい』。今、そう望んだかい?」
少年にも理解できる人の言葉。
喜怒哀楽の感じられない無表情でありながら、異界の狐が語りかける声音は何処か愉快なものだった。
「君は何? 誰なの?」
まるで人に尋ねるかのような物言いで少年は狐に質問を投げ返した。
「ボクは、人の願い事を聞くと現れる妖精のような存在さ」
「……妖精さん、なの?」
「そういう認識で構わないよ」
いつの間にか手に握る絵本を少年は無意識に閉じていた。
意識は窓の方に引き寄せられ、人ならざる妖精を相手に対話を始める。
「さて、もう一度訊くけど───キミは魔法使いになりたいのかい?」
もう一度繰り返されたその質問に、少年はゆっくりと頷いた。
「……もし、ボクがその夢を叶えさせてあげる、と言ったら、キミはどうする?」
「──────!?」
この時、少年は初めて全身の毛が逆立つという感覚を体験した。
そんなことできるの、と思わず少年は深く腰かけるベッドから立ち上がってしまったほどに。
「勿論だとも。さぁ、願いを叶えたいのなら、今一度ボクに向かって叫んでごらん」
甘い誘惑の言葉が高ぶる少年の心を助長する。
途端に少年はベッドの上に置き去りにされた絵本を拾い上げた。
一度呼吸を整え、変わり行く自分の姿を思い描く。
手本となる物は初めから決まっていた。
なるための理由も、なってから成し得たいことも。
ならば後はそっと唱えるだけでいい。
この絵本の魔法使いのように───
「僕は───この絵本のような魔法使いになりたい!!」
少年が願った根源はありふれた家庭像。
子供が願うにはあまりに荷が重く、同情の涙をそそる代物だ。
そんな満ち足りた日常を夢見るために、少年はこぼれ落ちた魔法を拾い上げたのだ。
これが全ての始まりに繋がる最初の魔法だった。
◇ ◆
「あ───夢か」
実に10年以上も前の壊れかけた記憶が、最後に夢として名残惜しそうに語りかけてきた。
もう彼がこの記憶を思い出すことはないだろう。
断片的に破壊された彼の記憶は、今も少しずつ風化が進んでいる。
だが致し方ない。
それが『七つの魔法』の内の一つが欲する代価なのだから。
だが、奇跡的に覚えていることもある。
同じ学び舎で学んだ学友と恩師。
長い旅を共にしてきた仲間たちの名前も容姿も……死に顔も朧気だが覚えていた。
そして、彼女のことも───
” ──────彼女? "
残された微かな記憶を辿る過程で、彼は『彼女』という言葉に行き詰った。
ゆっくり思い返そう───
まず声を再生しようとする。
だが、壊れかけの記憶ではノイズが混じって意味をなさない。
次に容姿を思い出そうとしたが、何故か表情に影が射す。
名前を思い出そうにも暗号のように一部黒で塗り潰され、上手く合致しない。
結論からして『彼女』の証拠記録は、もう彼の記憶には残されていなかった。
だが。
確かに彼女は存在していた、と証拠不十分の歯痒さが込み上げてくるなか、彼の心は必死に肯定を告げた。
「……もうやめよう」
そう口にして、机上の空論を空論のまま彼は投げ捨てた。
諦めと同時に彼は俯せの状態からそっと起き上がる。
周囲には原型を留めていない廃都の街並が広がっていた。
おそらくは多くの祝福に恵まれた都だったのだろうが、今はその面影もなく、彼の眼に映る朽ちた景色が全てだった。
何故この場に足を運んだのかさえ、彼の記憶には残されていない。
誰かに尋ねてみようとしても無駄な話だった。
何故なら、全て彼が滅ぼしてしまったからだ。
にわかには信じ難い話だが、この世界にもう人類は存在しない。
生命個体の観測ですら困難だろう。
もし、その観測レンズに映るものがあるとすれば、それは醜い人の姿をした『彼』という名の化け物だけだろう。
その彼も、自身を生命個体とは認識していない。
不老不死となった彼は、既に生命個体というカテゴリーから外れている。
───言わば生きた骸だ。
そんな彼はくすんだ瞳で空を見上げ、やがて降り注ぐ雨に無抵抗に打たれ続けるのだった。
「随分浮かない顔をしているね、キミは」
「…………」
” ああ…… "
ここにもう一匹、観測レンズに映る生命個体の姿があった。
九本の尾を宿す狐の獣は、何処からともなくその姿を現し、およそ10年ぶりに彼と相対する。
不思議とその獣のことは、両親の面影以上に鮮明だった。
「それにしても、まさか70億余りの人類を全て消してしまうなんて……
少し情に流され過ぎじゃないかいキミは?」
「…………」
「まあボクとしては、この世界の基盤であるキミが生き延びてくれたことを素直に喜ぶべきかな?」
この状況で笑い話ができるのは、やはり道徳を知らない獣だからだろうか。
何故オレの前に現れた、と修羅の眼光から放たれる無言の詰問が小さき獣を頭上から穿つ。
「前にも言ったはずだよ。ボクは人の願いを聞くと現れる妖精だって」
全てお見通しと言わんばかりに妖精は淡々と応える。
「では、もう一度訊こうじゃないか、最恐魔術師!
この人類無き世界でキミが願うことを───」
「……………」
この時、彼はどうするべきだったのだろう。
今となっては全てが後の祭りで、第三者の介入がなかった以上、客観的な意見は飛んでこない。
神のみぞ知るという言葉通り、この後迎える結末を本当に神だけは知っていたのならば、些か不公平ではあるが耳元でそっと囁いて欲しかった、と後悔の念をこぼす。
「オレは──────」
そうして一度は言い淀んだ彼だが、光のない憂鬱な瞳からは何かに縋るように涙が流れ、口からは願いがこぼれた。
そして、世界は再び彼の願いによって次元を変える。
───これが、数奇な運命の主軸に選ばれてしまった少年の主張であり、その断章である。
「来年の6月までにはリメイク版出します!!」と言って、約一年ぶりに戻ってきました。
本来であれば、週一投稿の頻度でちゃんと投稿していけたらいいのですが、何ぶん飽き性なもので次話投稿までに期間が空いてしまうかもしれません。ですが、投稿する作品はちゃんと仕上げたものを投稿していきますので、完結までどれだけ年月がかかる分かりませんが、どうぞ最後まで読んでいただければ幸いです。
投稿日時は、水曜日18時に予約投稿で投稿していきますので、気軽に読みに来て下さい。
追記:修正いれました(7/9)
・少し” ”の多様が目立ったので一部削除しました。
・一部文章の書き換えを行いました。