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モーンガータ  作者: さくしゃ
1/2

小泉八雲


国木田独歩


森鴎外


夏目漱石


徳富蘆花


長塚節

 

鈴木三重吉

 

島崎藤村


有島武郎


石川啄木


北原白秋


武者小路実篤


志賀直哉集


芥川龍之介


菊池寛


久米正雄


宮沢賢治


佐藤春夫


指先にちりっと走った痛みの事は、あえて考えないようにした。

 なぞりながら歩く文学全集の背表紙はさらさらとして、心地よかったのに。

昼休みが始まって間もない図書室は静か。

頁をめくる音よりも寝息の方が多く聞こえるくらいの空間で、立ったまま本を開く。古めの文学全集が立ち並ぶコーナーには当然人気がなくて、安心して本を読んでいられた。


「今日も読んでるなー。今日は何?」

書架の方を向いたまま本を読んでいたら、後ろからそう声をかけられた。夢中で読み過ぎた。

顔を上げると、そこには進路指導の先生がいた。

「中勘助」

読みかけのページに指を入れたまま、表紙を見せる。

「お前探すなら現国の後の図書室って、さすが担任は分かってるなー」

「あの、何の用事ですか」

余り見覚えのないその先生は、片手にぺらっと持った紙を突き出して

「進路希望調査表、受け取ってなかっただろ。ついでだ。進路指導、するぞ」


 とりあえず立ったままでは、という事だったので閲覧室の机に向かい合って座った。

「授業出てない割には成績いいんだな。ってか、国語と英語はめっちゃいい。数学も悪くないぞー……理科と社会はムラがあるな。興味がない所も勉強してるか?実技はまあ、壊滅的か。しょうがねえな。授業でないから」

 当然のことながら、授業に出てないことを強調された。

「で、どうするよ?」

おれはあらかじめ用意していた答えを口にする。

「高校へは行きません。学校はここでおしまいにします」

言ってくれるねーと、先生は後ろ頭をがりがり掻く。

「お前が進学って言ってくれたら結構今年はいいところ狙えそうだったんだけどなー。あれか、やっぱ」

徐に口を閉ざした先生は、少し身を乗り出して

「……先生、まだ戻ってこれそうもないか」

先生、のイントネーションが僅かに変わった。不意打ちの、労わるような口調だった。生徒への労いだけでなく、彼自身の寂しさも共有していた。

「まだ、もうしばらくは」

そっか、とそのまま身を引いた先生のまなざしは、わずかに陰っていた。

「そうだよなー、あれ。でもお前のところって、ほら」がさがさと手元の資料をめくって

「おじいさんとお兄さんと働いてるだろ。しかも、工場じゃん。もうすぐあれだしさ」

名案とばかりに両手を打ち合わせた。

「だからこそ、ですよ」

もううんざりだった。

「だからこそ、これからがどうなるか全然わからない。だから高校なんか悠長に言っている暇、ないんです。働かないと」

もう話もしたくない。ここで切り上げる。

「働くって言ってもなあ、将来の事とかちゃんと考えてるわけ?」

「興味ないです。将来の事とか。今働いている洗濯工場で、アルバイトでも何でもできるし。それじゃ、もう行かなきゃなんで」

喋ったら、余計なカロリーを使ってしまった。

「ちょっと待て、持ってけ」

進路調査票と奨学金の資料を受け取り、立ち上がる。

そして。

「飯、まだだろ。食えよ」

購買の、コロッケパン。

名産のポテトと、ソースがたっぷりの、コロッケパン。まだほんのりあたたかい、それ。

さすがにそれにはペコリ、と首を下げて図書室を後にした。


廊下の壁には本日二度目の奨学金のお知らせ。他にもいろいろな留学や奨学金のお知らせが貼ってあって、誰が使うのかわからない沢山の制度が出席番号順みたいに並んでいる。こんなの、誰が使うのかな。それをおれは知らない。

 ただ、貰ったコロッケパンのカロリーだけは正確に体にしみこんでいく。

……うん、カロリーだけは正確に体にしみこんでいく。

なかなか面白い言い回しかもしれない。

……カロリーだけは真実だ。

これもなかなか。

カロリーだけは、カロリーは、と口の中で呟きながら昇降口に辿り着く。

「―――よう、ストーリーヒーラー」

ウケケケケ、といつもみたいな笑い声と一緒にそこにいたのは、ヴィーナだった。

「……やめてくれ、忙しいんだ」

靴を履き替えてその脇をすり抜ける。

「『一緒に学校をさぼってくれる仲間がいるってのはいいもんだろ』」

つきん、と先ほどよりも強い痛みが指先ではじけた。

「『これが女子だったらいうことなかったけどな』」

「……やめてくれ、本当に。授業、始まるぞ」

「バーカ、死ね。やってられるかよ、授業なんて。くだらねえ」


口を開けば、バカ、と死ね、を繰り返すヴィーナは少し変わっている。

なんていうか、全体に白いのだ。

髪は灰白色。肌の色もどこか芋虫を思い出すような白さ。血管がうっすらと緑に透けて見える。

 靴を履き替えて昼休みの校庭を突っ切る。空の色はヴィーナの髪よりも大分濃い灰色をしていた。

「なんだよ、空なんか見上げて」

「いや、雨が降りそうだなって思って」

変なの、とヴィーナはさもおかしそうに笑った。

「雨が降るのなんて、当たり前だろ。だってここは」



 レインレインレインパウダー

 あなたの暮らしを劇的に変える

 レインレインレインパウダー

 レインレインパウダー!



 この十年、ずっと聞き続けているコマーシャルソングが今日も街頭テレビから流れている。

同時に、ぱんっという軽い爆発音とともに、工場から無数の青い欠片が噴き上がった。

空に吸い込まれたそれが引き金になり、雲の色が急に暗くなる。

雲に吸収され切らなかった青い欠片が校庭に立つおれ達にも届く。

髪や、体や制服にぶつかると同時に、水になる。

そして、雨が降り出した。


 前世紀、相次ぐ気候変動と未曾有の自然災害に世界は疲弊していた。

特に旱魃が酷く、世界中で一気に砂漠が広がった。

そんな中、解決策として浮かび上がったのがレインレインパウダー―――人工降雨機だった。以前から使われている重金属とは違う、このレインレインパウダーを使う事で人体へのデメリットなく、思った通りに雨を降らせることができる。

そんな画期的な発明品は瞬く間に世界に受け入れられ、今や世界の必需品だ。

ただ、その工場は未完成でしょっちゅう今も小さな爆発を起こしている。

その度に雨が降るから、この町はいつも雨の中。


政府はこの町に

工場と、

工場勤務者という沢山の求人と、

雨で乾かない洗濯物の為の洗濯工場と、

日照に関係なく食料を作れる食物工場を

気前よくプレゼントして。


そして、この町を見捨てた。


 だから、この町には太陽がない。太陽だけじゃなくて、曇り空以外の空模様も、月も、星も、夕焼けも、何もない。

 だけど、そんな日々ももう少しでおしまいだ。

 なぜなら、

「……あれ?」

 今やこの町のもう一つの定番になりつつあるコマーシャルソング。半年前からひそやかに流れ出したアンティークの時計を巻くみたいな金属音から始まるコマーシャルソング。


―――Sugar plum fairy


それが今日は聞こえなかった。街頭テレビはレインレインパウダーの歌を繰り返しで流している。


レインレインレインパウダー

 あなたの運命も自在に変える

 レインレインレインパウダー

 レインレインパウダー!



角を三つ曲がると、洗濯工場が見えてきた。

一階の大きな窓ガラスのフロアには白いポロシャツに白い帽子、花形のアイロン職人達。

しゃっ、しゃっ、とスチームをあてながら器用に洗濯物を畳んでいく姿は見事の一言。

まるで、一人一人がそれぞれに蒸気機関車を走らせているみたいで

―――また、つきんと走った鈍い痛みの事は、考えない。

ガラス張りの工場の二階へ。靴も靴下も脱いで上がり、スリッパに履き替える。

入口にいるジイさんに軽く頭を下げて、今度はカウンターの所にいる別のおっさんに頭を下げる。

 「これだけ拾える?」

渡された薄い紙片を見ながら、次の部屋へ。

 そこには、超大量の洗濯物が積まれていて、おれと同じようなアルバイトが何人も。大きなランドリーバスケットを片手に歩き回っている。

シャツなら衿の所につけられた小指の先ぐらいの小さなタグ。それを見ながらランドリーバスケットに洗濯ものを入れていく。

巨大な洗濯機で回された衣服はその後乾燥器を通ってここへ運ばれる。それを仕分けるのがおれ達アルバイトの仕事だ。

無口に誰とも目を合わせないまま、作業が始まっていく。

その頃にはヴィーナもいつもの位置―――駐輪場の誰のとも知らぬ原付のシート

に座っている。

 次に乾燥機が開くまでにだいたい一時間。それまでにここにある洗濯物を全部片付けてしまわないといけない。

湿り気から解放されたばかりの洗濯物はまだ濃密な熱を発していて、無口な他のアルバイトがおでこや首にタオルを巻いている理由が良くわかる。


 丁度一回分綺麗に洗濯物が片付いたところで、部屋の天井がパカッと開いた。そしてまた洗濯物が降ってくる。


拾う

拾う

拾う


 ひたすらに単純な、その繰り返し。

 ふと、外を見ればヴィーナの姿がなかった。

多分この時間ならおやつを買いに行ったのだろう。大通りの公園沿いにあるアイスクリームショップは彼のお気に入りだ。

 だから、今日はあともう二時間。

 次の洗濯物をすべて拾い終わったタイミングで、ヴィーナが帰ってきた。いつもより少し時間がかかったせいか、顔を上気させて駆け戻ってくる。その手にあるアイスクリーム―――一番大きなキングサイズの白っぽいバニラの生地とグリーンのミント生地だけでも胸やけしそうなのに、さらにそこにチャンクチョコとポップキャンディーが入っているという、なんていうかおよそ理解しがたい一品だ。―――が零れそうになっている。

両手を興奮したみたいにバタバタと振り回している。

ああ、零れたらどうするんだ。制服についちゃうぞ。

 そこに次の洗濯物が来て、おれはまた作業に戻った。

 けれどまだヴィーナはこちらに向かって手を振り回している。まるでおいでおいでをするみたいに。とうとうアイスクリームが転げ落ちて、手にはコーンだけになってしまっているけれど、それさえ一向に介している様子はない。

「まだだよ、ヴィーナ」

小さく呟く。


しばらく洗濯物を拾っていると、珍しいこともあるもので受付のおっさんがこっちまでやってきた。

「行ってやれ、坊ちゃんが呼んでるぞ」

今日はもう上がっていいからな、といったおっさんのエプロンが重たげに沈んでいた。あいつ、大人を買収したのか。汚い。

 諦めておれは靴を履き替えて下へ降りた。

「おおい、ヴィーナ」

「おせえよ!死ね」

言うが早いかおれの腕をむんずとつかんで走り出した。

「ああもう、まだいるかな。いなくなっちゃってないかな。お前が遅いから」

「だから、何」

走る、走る。今にも降り出しそうで、なかなか降り出さない曇天の中。じめっと蒸し暑い空気にからめとられるようにして。向かっているのは、どうやら公園のようだ。

そして、気が付く。何か聞こえる?何だろうか、やけに耳に触る。知っているようなその音は。

「すっげーもん見つけたんだよ!ほら!良かった、間に合った!」


 心臓って、こんな風に鳴るものなんだ。

 その瞬間の音を、おれは今だって覚えている。


 まず目についたのは、艶やかに流れた金の髪。

 どこか途方に暮れたように見開かれた、紫の瞳は零れ落ちんばかりに大きくて。

 口元に、何かをあてている―――楽器?

ぷーと一度吹き鳴らされたのは。そうだ、ブルースハープだ。父さんはあまり使わなかったけれど。

 ミルク色の肌は滑らかに首元まで続いていて、うちの学校の制服を着ている。珍しい。ヴィーナと同じ、黄緑色の縁取りが入った正式なポロシャツを着ている。石畳柄のスカートから伸びた脚はほっそりとしていて、蛍光ピンクのラバーサンダルがその終着点だった。

 楽器を口元から離した彼女が、小さく何かを呟いた気がした。


 「音楽家なんだって!だから、親父さんのピアノ直してもらおう!」

なぜか得意げに、ヴィーナが宣言した。


 これが、おれと彼女、ピアニカの出会いだった。

ピアニカなんて言う、音楽家らしい名前を名乗っていたにも拘らず、おれは彼女のことを名前では殆ど呼ばなかった。

ただ単に恥ずかしかったというのもあるかもしれない。

彼女がおれのことを君、と呼ぶことが多かったせいもあるのかもしれない。

横顔の事は、何故かよく覚えていない。

どこか人をからかうような、顔いっぱいの笑顔。

真摯な後ろ姿。

それはしっかり覚えているのに。











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