第2部 カエデ、空手を始める前の物語 ④カエデの運動神経
正月がきた。ひろしには雄二という弟がいた。雄二にも穂香ちゃんという一才半の娘がいた。カエデよりも半年早く産まれているが同じ学年であった。ひろしと雄二の実家で初めてカエデと穂香ちゃんの二人は顔を見合わせた。カエデはひろしの実家に着いてから、ずっと泣いていた。常にメイたんと名付けた羊のヌイグルミを抱え春子に抱っこされていた。カエデは不安だった。
(ここはどこだろ?周りの人は、誰だろう?)
めったに会わない祖父、祖母に対しても警戒心を解かなかった。そんな状態の時に穂香ちゃんが来た。穂香ちゃんは、白くふっくらとした可愛らしい女の子だった。カエデよりも背丈が高かった。カエデは泣きながら、穂香ちゃんから目が離せなかった。穂香ちゃんもカエデを意識した。二人で遊ぶことはなかったが、お互い近い位置で好きなことをしていた。どちらかが走れば時間差で付いていった。そんなことを、繰り返しお互いを感じていた。
祖父がテレビをつけた。穂香ちゃんとカエデの二人は気がつき、テレビを見るポジショニング争いが始まった。どちらかが前で真ん中を陣取るか、小さい肩とお尻を擦り寄せ合い押し合った。体は小さいがカエデは頑張っていた。違う部屋に移動したら、どちらかが部屋のスイッチを押すか争いあった。やはり穂香ちゃんがスイッチを押すと、カエデは泣き崩れた。
「待ちなしゃい。待ちなしゃい。」
そう言っているようだった。その為、もう一度、電気を消しカエデにスイッチを付けて貰うという大人の作業が増えた。一事が万事そうであった。
ひろしはリハビリという仕事柄、二人の動きを比較してしまった。発達段階の動きを見ることが面白いと感じた。ちょうど半年違い。穂香ちゃんは、カエデと比べて身体の動かしかたが上手でパワフルだった。ひろしは、穂香ちゃんは運動神経が良いのではないかと感じた。ただ、何かしら引っかかりを感じた。穂香ちゃんとカエデの動きを交互に見て感じる違和感。その違和感が何か分からなかった。その違和感の原因が分かったのは、ひろしが今の病院を辞める直前であった。
3月も半ばになっていた。最初は泣き叫んでいたカエデも少しずつ保育園に慣れてきていた。カエデは以外と図太かった。2月には春子も近くの病院に就職し、カエデは保育園に行った。
いつからだろうか?春子が仕事に行く為に保育園に預けに行くと、もう泣かなくなっていた。預けた後、春子はふと後ろを向いた。先生やカエデを含めた子供達同士でジャンプしている姿を見た。カエデが小さい身体で必死にジャンプしていた。春子は何故か凄く寂しくなった。カエデの後ろ姿を抱き締めたくなった。
『勝手な感情だ。』
春子は思った。その気持ちを抑え仕事場に向かった。
ひろしは丸岡さんのリハビリをしていた。丸岡さんの体調は思わしくなかった。徐々に弱っていた。顔も黄疸ができ、黄色になっていた。立ち上がり練習もできなくなり、ベッドサイドにてリラクゼーションと軽い自動運動だけ実施していた。ひろしが丸岡さんの足を触っていた時に
「村山君。・・・辞めるみたいやな?」
尋ねてきた。
「よく知ってますね。」
ひろしは苦笑した。
「お前んとこの技師長が教えてくれたわ。」
しゃがれた声になっていた。
「もう3月末で退職します。来週には伝えようと思っていたのですが・・・。」
丸岡さんの眼は、とても優しかった。
「村山君、娘さんがいたな。」
さすがのひろしも気づいた。
(この人、こんな状態になって僕の家族のことを心配しているんだ。)
「はい。」
ひろしは答えた。
「どんなことがあっても子供だけは守れよ。」
丸岡さんの想いだった。
「はい。有り難うございます。」
丸岡さんは、何故、辞めるのか?次の就職先は決まっているのか?大丈夫なのか?聞きたかった。しかし、聞かなかった。ひろしにも男としてのプライドがある。そう思っていた。また、聞いたところで力になれない。そう考えた。
「村山君、お前なら大丈夫じゃ。」
ただ、そう言った。その時の丸岡さんは子供のような笑顔を浮かべた。ひろしは、その無邪気な笑顔を見てハッとした。なるほど、この人の方が自分よりも人として何段も格上だと思った。
ひろしが退職する4、5日前。ひろしは、いつも通り帰路につき、ドアを開けた。
「ただいま~。」
ひろしは、家の奥に届くように言った。
「お帰り~。」
家の奥から春子の声が返ってきた。その時、タタタタタッと細いハイツの廊下を走ってくる音が聞こえた。カエデだった。ひろしの顔を見たとたんに、ニ~と笑い、ターンしたと思ったら部屋に走って戻って行った。その動きを見た瞬間、ひろしは正月のカエデと穂香ちゃんとの動きの違和感が分かった。カエデは初速が早いのである。パッと動くのが早いが、そのスピードとパワーが持続せず落ちていくのだ。反対に穂香ちゃんは初速よりも持続したスピードがのっていきパワーが維持できていたのである。ひろしは勉強になったと感じた。
①一才半には、運動の質においても個性が出てくること。
②できる。できない。ではなく一概に、どちらかが運動能力が優れているとは決めれないこと。
当たり前のことだが、カエデが教えてくれたように感じた。ひろしは
(じゃ。カエデはパワー系よりも瞬発系のスポーツが得意なのかな!?)と何気なく思った。