9話 休憩中にて
この何年かは、地球温暖化の影響もあってか、連日、日本の各地では記録的な猛暑が続いていた。
何て言うか、カラッとした暑さであれば良いのだけれど、太陽の日差しが皮膚を突き刺し、じとーとした湿気が体に纏わり着いて離れない、そんな人を不愉快にさせるような暑さだ。
けれど、「暑いなぁー」って言っている程度なら、まだましな方なんだろう。海外では、上昇した海面の影響で島での生活が困難に陥っているとか、またある所では、急激な雷雨や洪水等で被害が出ていると言うニュースを度々聞くようになった。
そうかと思えば、この猛暑で永久凍土が溶け、地下資源が採掘され易くなり、富を得ているという人達も中には居てるらしい。
そんな目まぐるしく、日夜変化している世界情勢とは裏腹に、この頃の僕はと言うと、規則正しい生活を日々を過ごしていた。
14時から15時までの昼休憩の間、ご飯を食べ終えた後は、どこか空いている3階の教室を利用して、快適な空間の中で本を読んだり、若しくは、椅子を一列に並べて寝転んだりする等、1人の時間を謳歌していた。
今日はたまたま、150名程度入れる第1教室が空いていたので、1番後ろの席の窓際に座って小説を読んでいた。
なぜその席かと言うと、教習所のコースを一望する事が出来る事と、天気が良い日には、コバルトブルーの空が遠くまで見渡せる事が出来るので、見ていると何とも清々しい気分にさせてくれるからだ。
しかし、そんな僕の気持ちとは露知らず、突然、ガラガラガラ~と、ドアが開けられる音がするや否や、長谷川さんと相原が教室に入って来た。
「やっぱりここや」
2人は何か言いたげな顔をしながら、ゆっくりとした足取りで近付いて来た。
げっ、嫌な予感。こう言うのを第6感、とでも言うんだっけ?
そう言えば、昔こんな事があった。確か小学生の頃だ。
その当時、メジャーなスポーツと言えば野球だった。特に父親の野球好きの影響を受けてか、僕は少年野球のチームに入らされ、いつの間にかポジションは、ピッチャーを任されていた。
自分で言うのも何だけど、この辺の地域では、そこそこ名前が知られている強豪チームだ。
しかし、そんな僕達のチームに試合を申し込んできたチームが有ったのだが、正直に言って弱小チームの部類に入るだろう。
そのとあるチームとの試合で、九回ツーアウト2塁、3塁。僕達のチームが2対0でリードしていたものの気を許されない場面だ。まるでドラマの筋書きみたいに。
でも、どうしたんだろう?こんな大事な場面で相手チームは、小柄な体格の男の子が代打で登場して来たじゃないか。
周りの皆は、『勝てるぞ』とか『諦めて補欠を出して来たぞ』と言った、色んな声を耳にしたけれど、当の本人はと言うと、その小柄なバッターの子にどんなに速い球を投げようがどこに投げようが、なぜだか打ち取れる気がしなかった。
僕は、不安な気持ちを抱きながらも、渾身の力を振り絞って直球を投げた。そのボールは僕の狙っていた通り、ストライクゾーンから外角にボール2つ分それてボール球になるはずだった。
でも、その小柄なバッターの子は、豪快にバットを振り切ってきた。
何でこんなボール球に!!
そう思った時には、カキーンという金属音が鳴り響くと、ボールはライトの頭上を越えた。この広いグラウンドで、外野は前進守備。外野がボールを追っかけた後、中継してホームにボールが戻って来た時には、逆転サヨナラランニングホームラン。
まさに予感は、的中した。
何でかは分からないけど、長谷川さんと相原が現れた事で、嫌な予感と共に子供の頃の苦い記憶も思い出してしまった。
それから2人は、僕の側まで来るなり矢継ぎ早に質問攻めをしてきた。
「おぅ、片瀬。聞いたで、聞いたで。何かメールアドレスが書いているメモを遠藤さんから貰ったんやって」
「それで、メールしたんですか」
やっぱりその話しか。と僕は思いつつも、2人の質問に苦笑いで返した。
2人は、座っている僕の前に立ちはだかったような形で前列の机の上にちょこんと座り、にこやかな笑みを浮ばせながら僕の返答を待っていた。
僕は、そんな2人を上目使いで見ながら呟いた。
「ちょこっとだけ・・・」
長谷川さんは、眉間に皺を寄せ目を瞑って両腕を組み、相原は、「はぁー」と溜息を吐いてから頭をうな垂れた。
何だよ~、一体。
「冷たいなぁ、片瀬」
「な、何がですか」
「確かにな、俺はお前より先に指導員になったけどやな、同い年やろ。何でも包み隠さず相談してくれてもええんとちゃうん」
僕は、長谷川さんが何を言いたいのか意味も分からず、ただ「は、はぁー」と曖昧な返事で返すと、今度は透かさず相原が話し掛けてきた。
「それで好きだぁ~とか、付き合って下さ~い、何て言われなかったんですか、どうなんです?」
へっ?と相原の質問に僕が驚いた顔をすると、長谷川さんも驚いた顔を見せて僕にこう言った。
「えっ、もしかして、嘘やろう?」
「だから、嘘やろうって何がですか」
「本当にあれか。単に技能試験受かって良かったなぁ、ってだけのやり取りで終わったんとちゃうやろな?」
まるで僕の行動を見透かしているかのように聞いてくるので、僕と遠藤さんのメールのやり取りの内容を有りのまま2人に話しをした。
「それを送信してから、いつの間にか寝てしまってて・・・」
長谷川さんと相原は、お互い目が合うと直ぐに僕の方を振り向いて、呆れた様子で同じセリフを同時に言った。
「何じゃそりゃ」
「何それ~」
何それって言われてもなぁ。
「大体お前にメールアドレスを教えたって言う事わやな、少なからず片瀬に好意を持ってるからメモを渡したんやろ。そんな好きでもない奴なんかに、アドレスを教えたりするか。そんなんせえへんって」
「そうですよ~。いつも片思いで終わっている長谷川さんの言う通りですよ~」
「そうやで。いつもやな、百戦錬磨片思いで終わっている俺が言うんやからって、おいっ!!いつも片思いでっと言うのはいらんやろ、相原くん」
長谷川さんは、威圧的な表情で相原に詰め寄ると、苦笑いを浮かべた相原は、「すみませ~ん」と言って少し後ずさった。
もう、この2人は~。何でこんな所で漫才みたいにボケとツッコミをしてんだよ。
「それで片瀬さんは遠藤さんの事、どう想ってるんです?好きなんですか、それともタイプじゃないんですか」
相原のストレートな質問に僕は戸惑いながら答えた。
「えっ、いや、別に好きとか嫌いとかって言われても、ねぇ」
「でも片瀬さんって、あんな感じのお淑やかな女の子って、結構ストライクゾーンなんでしょ?」
どちらかと言うと、相原の言う通り好みのタイプだ。
「確かに嫌いではないけど。何て言うかなぁ、あんまり初めて会った人に対して、あぁ、この人はって想う気持ちもなくはないけど、それよりかは、何回か会って話しをしている内に、自分の持っていない部分をその人が持っていて、それをお互いが補っていける人に巡り逢いたいって言うか」
「それじゃあ、2人で遊びに行くなりしたら良いじゃないですか。ねぇ、長谷川さん」
相原が話しを振ってきたので、長谷川さんは、黙って頷いた。
「片瀬、昔の諺でな、一期一会って言う言葉があるやろ。自分の事を好意持ってくれる人に出くわすなんてな、そうそうあるもんやないで。ほんま代われるもんやったら、俺が代わって欲しいぐらいや」
「そうですよね~、片思い専門の長谷川さんが言うんですから。やっぱりここは、一度ドライブにでも誘ってみるべきですよ。片瀬さんが嫌じゃなければ」
「うん、そうやそうや。片思い専門の俺が言うんやからって、おい!もうええちゅーねん、相原。さっきから片思い片思いってな、俺の繊細なガラスのハートにひびが入るやろ、ひびが。仕舞いにはぶつぞ」
こいつは~、といった顔をして、長谷川さんは相原に冗談ぽく右手を振りかざすと、相原は座っていた机からピョンと降りて僕の後ろに回り込み、長谷川さんにベェーと少し舌を出して牽制した。
「まぁ、片瀬がどう想っているかは別としてやな、もし免許取ったて言う連絡があったんやったら、よう頑張ったなって俺達が言ってたって一言伝えといてーや。ほんじゃあ、邪魔したな、行くで相原」
「はーい」
二人はそれだけ言ってから、教室を後にした。
まるで台風が通り過ぎて行った後みたいに、また広い教室には静けさが舞い戻って来た。
好きなんですかーか。そんな言葉なんて3年前に、心の奥の奥に仕舞い込んだっきり、もう何処かに置き忘れていた言葉だよなぁ。
なぁ、麻衣。もう直ぐまた、7月7日が来るな。
残りの休憩時間がまだ10分ちょっとあったけれど、僕は頬杖をして本を広げたまま、右側の窓から見える雲ひとつない晴れ渡った青空の景色を、ただボォ~と眺めているだけだった。
今しがた冷房が効いていた教室とは違い、廊下は空気がよどんでかなり蒸し暑かった。
階段を使って2階に下りる途中、相原は長谷川さんに、さっき3人で話しをしていた続きを切り出した。
「ほんと分かってないですよね~、片瀬さん。女の子の気持ちが。そう思いません?長谷川さん」
「でもまぁ、あれやな。あいつの気持ちも分からんでもないんやけどな」
長谷川は半袖シャツの胸の辺りを、引っ張ったり戻したりとパタパタしながら暑さを少しでも免れようとしていた。
「でもな相原、このままでええんか」
「このままでって?」
相原は一旦足を止め、頭を少し左に傾けてキョトンとした顔で、2、3段後ろを歩いていた長谷川さんの方を振り向いた。お互い目が合った瞬間、長谷川は相原の表情をチラッと確かめてから全てを語らずに話しを続けた。
「俺はてっきり片瀬の事が・・・」
相原は表情を変えないで、その問い掛けに答える事もなく、また前を向いて歩き始めた。
長谷川さんもそれ以上、相原に何も聞こうとはしなかった。
ほんまに俺は、片思い専門やなぁ。