5話 3年前の出来事(4)
それからと言うもの、仕事にもろくに身が入らず、何か作業をする時間もなければ、あの時の事故の出来事を思い描いてしまう毎日を過ごしていた。
もし、あの時間に麻衣と会う約束をしていれば、あの道路を通る事無く、こんな悲惨な目に会う事もなかったのかなぁ。
もし、僕が近くに居てあげる事が出来たのなら、直ぐに助けてあげる事が出来たのかなぁ。
痛かったのかなぁ。
あっと言う間だったのかなぁ。
幾ら考えても意味のない事だと分かっている。分かっているんだ、頭の中では。幾ら想像したって、麻衣とはもう会えない、どうしようもないんだって。
そんな不甲斐無い店長だったけど、スタッフにも恵まれて、店の売上は、何とか目標の数字をキープし続ける事が出来た。
「おう、片瀬おるか」
そんな時、営業部長の細井さんが店舗の見回りに訪れて来た。
僕が初めてこの細井部長と出会ったのは、今の会社でアルバイトをしていた時だ。店舗回り細井部長が来る事を、その当時の店長から聞いていた。
名前のイメージがあったせいもあり、体格も細いんだろうなって勝手に想像していたのだけれど、でも出会った時は、どちらかと言うと細井よりかは、太井の方が名前とピッタリじゃないかって思ったのが最初の印象だ。
しかしその後、幾度か仕事を一緒に携わっていって、さすが四十代半ばで営業部長まで昇りつめたとあって中々頭のきれる人だなって言う印象に変っていった。
「あっ、お久しぶりです。細井部長」と、僕は、空元気で対応した。
「売上は、そこそこ予定通り順調やな」
売り上げの数字が計画通り進んでいるだけに、細井部長は機嫌良く、太っ腹のお腹をポンポンと叩きながら店に入って来た。
「はい、お陰様で」
「所で、店の様子や周囲の競合店については後で見に行くとしてやな、ちょっと店の前にある喫茶店にでも行こうや」
「はい。あっ、すみません。ちょっと待ってて下さい」と、返事をしてから一度事務所に戻り、机の引き出しに入れて置いていた封筒を取り出し、上着の内ポケットに仕舞い込んだ。
「ごめん、店の前の喫茶店にいるから」
スタッフにそう言い残した後、細井部長と一緒に店を後にした。
喫茶店に入ると、外の蒸し暑い空気が嘘のようにカラッとして、店内には静かなメロディーが流れており、何とも落ち着ける空間を演出していた。
それから店内を見回してから窓際に座った僕達は、アイスコーヒーを2つ注文をした。
「いやー、この店をお前に任せて良かったわ~。実を言うとやな、お前を入れて候補が3人おったんや。
他の2人は、店舗を任されている店長経験のある奴やってんけど、でもここは期待を込めて、マニュアルに捕らわれない全くの店長経験のないお前に白羽の矢が来たって訳や。まあ、これだけの店舗やから、片瀬で出来るんかいなって言う声も実際にあったのも事実やで。しかし、普段の仕事に対する考え方や回りのスタッフとの調和等も考慮にいれての選考やった訳なんやけど、今の所こちらの思惑通りやわ。出来れば、今までのやり方にプラスアルファとして、新しい運営の仕方を構築してさえしてくれれば、もっと万々歳なんやけれどなぁ」
部長の長い話しに僕は「はぁ」と、溜息混じりで答えた。
ちょうどタイミング良く、部長の会話が途切れると同時に、喫茶店のウェイトレスが僕達のテーブルに注文していたアイスコーヒーを持って来てくれた。
さっきまで入れる隙間が無いくらいマシンガントークで喋っていた部長だったが、運ばれて来たコーヒーを少し口に含んだ事で、このテーブルにようやく静けさが舞い戻って来た。
今だ!!この機会を逃したら話せなくなってしまう。
そう思った僕は、緊張した面持ちで部長に話しを切り出した。
「あのー、細井部長」
「うん、何や?」
「せっかく良い話しを聞かせて頂いて、こんな事を言うのも何なんですが・・・」
そこまで話し掛けてから、上着の内ポケットに仕舞い込んでいた辞表と書いてある封筒を細井部長の前に差し出した。
「何やそれ?」
部長の表情は、ポーカーフェイスを保っていたものの、声のトーンはかなり低かった。
「ここまでして頂いた部長に恩を仇で返すようで申し訳ないんですが、この仕事を辞めさせて頂きたいと思いまして・・・」
「はっ~?辞めてどないすんねん?」
今度は声のトーンだけじゃなく、眉間に皺を寄せて、明らかに不機嫌な表情に変わった。
「はい、交通関係の仕事に就こうかと思いまして」
「そりゃまた急な話しやな、何でや?」
「実は今月の五日に、付き合っていた彼女が交通事故で亡くなりまして、それで・・・」
腕を組みながら、僕の話しを黙って聞いていた部長は、静かな口調で答えた。
「だから、か」
僕は無言で頷いた。
部長は考えがまとまるまで、黙って目を瞑っていた。
その間僕は、グラスを両手に持って、ただコーヒーをジィ~と一点を見つめているだけだった。
そんな僕達二人の間には、さっきとはうって変わって、沈黙と言う時間だけが通り過ぎていった。
それから数分が過ぎ、部長の重い口が開いた。
「成る程な、分からんでも無いけどな、お前の気持ちも。でもな、その人が亡くなって、まだ日が浅い時にこんな言い方をすんのも酷かもしれんがな、亡くなった人はもう戻っては来ない。なっ、そうやろう。これが現実や。交通関係の仕事に就きたい、それも良いかもしれへん。せやけどな、別の考え方もあるんやないんか。例えばやで、これから先、また運命の人と巡り逢えるかもしれへん。そしていつか、その人との間に子供が出来たとしようや。そうやってお前達が幸せに暮らしていければやな、例え今の仕事を続けていたとしても、それはそれで良いんやないんか。仮に片瀬が交通関係の仕事に就いたとしてやな、見て見いや。新聞やテレビで連日連夜、当り前のように事故が起きてるやないか。こうやってお前と話しをしている時だってな、日本のどこかではドンパチやってるんやで。たかだかお前1人が交通関係の仕事に就いたからと言って、事故何か減れへんわ。こればっかりは運転している人の気一つやからな。それくらい分かるやろ、お前だって車を運転するんやから。大体自分の運転を振り返ってみいよ。いつやったかな、お前の運転で、俺と他2人の店長を乗せて店舗回りをした事があったやろ。あの時お前、何キロ以上の速度オーバーをして走ってたか知ってるか。自分がルールを守ってへんのに、どうやって赤の他人に教える事が出来るんや、なあ、やろう。無理は言わん、止めておけ。折角下済みして、苦労してここまで昇りつめたんやろ。売上も好調なんやから、このまま行けばいずれ、お前の行きたい部門に行けるよう俺も推薦してやるから、考え直せ」
言葉はきついが僕の事を思ってそう言ってくれたんだろう。でも僕の気持ちは固まっていた。
部長の話しが終わった後、僕は両手をテーブルに置き、何も言わず黙って深々と頭を下げた。それが僕の答えだった。
それ以上部長は何も語らず、ただ、静かな時間だけが流れていた。
部長の言う通り、その考え方も一つの方法かもしれない。でも、麻衣の死に意味を持たせたかった。
彼女の短かった人生に・・・いっときでも愛した人だから・・・。
この出来事から一ヶ月後、次の店長に店の引き継ぎをしてから、僕はこの仕事場を後にした。
僕はそこまで教習指導員になる経緯を話すと、聞いていた皆は静まり返ってしまい、中でも遠藤さんは目を潤ませていた。
「ほらぁ、こんな話しをさせるから、場が白けてしまったじゃないですか。なっ、こんなの聞いても面白くもなんともないだろう。ちょっと~、遠藤さん。真剣に聞き過ぎ。そんでもって目が真っ赤。高野さんも黙り過ぎ。こらぁ~、長谷川さんと相原。話しが終わった途端、さっき持って来た料理をガツガツと食べない。あっ、その唐揚げ、後で食べようと取って置いたのに」
この場の雰囲気を変えようと、僕は躍起になって喋った。
「また注文したらええがな。所であれやなぁ、こんな楽しく食べるご飯時に聞く話しじゃないよな」
「そうですよねー」と、相原も頷いた。
えっ~!!ビックリするわ。あんた達が言わせたんだろうが。
ふと、僕の前に座っている遠藤さんの様子をチラッと見て見ると、彼女は喋らずに僕に向って両手を合して頭を下げた。それから手にしたスマホに言いたい事を打ち込みそれを僕に手渡した。
『ごめんなさい、片瀬さん。何か聞いてはいけない事を無理に喋らせたみたいで、ごめんなさい』
「もう良いよう、遠藤さん。気にしないで。だってもう3年前の話しなんだから」
そうさ、もう昔の話しなんだ。
本当は遠藤さんにではなく、まるで自分自身に言い聞かせるかのように答えながら、僕は無理矢理にも笑顔を作って誤魔化そうとした。
そして、皆も僕の気持ちを察してくれたのか、この話題にはその後触れてはこなかった。