4話 3年前の出来事(3)
彼女の名前は、高科 麻衣。年齢は僕と同じで、その当時は二十四歳。
さらさらロングの髪型に、パッチリの二重まぶた。それにスラッとした体形で、まるで雑誌やテレビから出てきたような感じだ。(本人いわく、スカウトマンに2回ほど名刺を貰ったらしい)
性格は、長所と言うのか短所と言うのか、至って負けん気の強い所だ。
そんな彼女との初めての出会いは、大学1回生のとき。麻衣は、中学校、高校と父親の仕事の都合でアメリカで生活をしていたが、父親の海外での赴任期間を終え、また日本に帰国するはめに。
しかし彼女は、持前の英語を活かし、大学では外国語学部に入学。その時の僕も同じ学部に入学したのだけれど、英会話のレベルはと言うと、僕とは余りにも雲泥の差があった。
大学卒業後は父親のコネもあり、彼女の仕事はその語学力を買われて総合商社で海外の商品取引に関する商談を主に行っていたらしい。
事故は、その仕事を終えて帰宅途中に起きた。
降りしきる雨の中、駅まで娘を迎えに行った麻衣の父親は、彼女を乗せて家路に向かう途中、信号待ちの為、ダンプカーの後ろで停止。その直後、後方から来た長距離輸送のトラックが速度を緩める事なく追突。
じゃあ、なぜドライバーは速度を緩めなかったのか。
聞く所によると、その長距離輸送のトラックのドライバーは、急に体調に異変をきたし、一瞬前屈みなった瞬間、アクセルペダルを踏み込んでしまったのが原因との事だ。
それでそのトラックは、信号待ちをしていた麻衣の父親の車に、50キロ規制の速度標識の所を、推定速度80から90キロの速度でブレーキをかける事なく追突。
警察の人達がこの事故現場を最初に目撃した時は、信号待ちをしていたダンプカーに対して、後方から走行して来たトラックに追突されたものと思っていた。後ろのトラックを動かすまでは。
でも、追突したトラックをレッカー移動してみると、麻衣達の乗っていた車は、前のダンプカーの下に巻き込まれた形で発見された。
僕の人生が変わった瞬間だ。
しかし、そんな事になっていたとはつゆ知らず、僕はその次の日の朝、出勤途中の満員電車の中で揺られながら、明日の7月7日、麻衣の誕生日の日に、以前、彼女にプロポーズした事について彼女の両親に承諾をしてもらうため、実家に行っても良いのかって言う内容を、人混みで身動きしにくい体勢で何とかメールを打ち込み送信した。
いつもなら10分も掛からない内に返信のメールが届くんだけど、珍しく返信が来なかった。てっきり麻衣も通勤途中か仕事の準備で大変なんだろうと思い、この時はさほど気にも留めなかった。
しかし、昼の休憩の時、そして、仕事が終わって帰る時にもメールが届いているかどうかを確かめたのだけれど、やっぱり麻衣からの返事はなかった。
さすがに体の具合でも悪いのかなと思い、今度は実家の方に電話を掛けてみた。大抵は麻衣のお母さんが4、5回ぐらいコールするうちに、直ぐ電話に出てくれるのだが、この日は10回コールをしてもお母さんが電話に出てくれる事はなかった。
「あれ?何でつながらないんだろう」
いつもと違って少し拍子抜けながらも、もう一度電話を掛けてみた。トュルルルル、トュルルルルと電話のコールが5回、6回、7回と鳴り響く中、僕は目覚まし時計の方をチラッと目を向けて見た。針は夜の10時を少しまわった所だった。
「この時間で誰も出てこないと言う事は、やっぱり留守なのかなぁ?」
それから10回目のコールが鳴り終えた時、僕は、スマホのボタンを押した。
「こんな時間だしなぁ、明日の朝また電話してみようっと」
どこか不安な気持ちを抱きながらも、明日、麻衣の両親に僕達二人の結婚について承諾してもらうよう、両親の前で話す内容について、何度も何度もイメージトレーニングを繰り返しながら寝るまでの時間を過ごした。
何時間ぐらい寝てたんだろう?突然、ジリリリリリーンという激しい目覚まし時計のベルの音で、ハッとなって目を覚ました僕は、直ぐにベルのスイッチを切った。
「もう、休みの日ぐらいぐっすり寝かしてよう」と、前の晩にスイッチを切り忘れた自分自身の腹いせを目覚まし時計にぶつけた。
何だか寝たのか寝てないのかはっきりとしない状態だけど、せっかくの休みだしなぁ、このまま寝てても時間が勿体無いか。そう思い、蒲団を押入れに片付け、カーテンを開け太陽の光を部屋に取り込み、「う~ん」て言いながら、両腕を精一杯伸ばし背伸びをした。
さぁ、特別な日の始まりだ。
いつもはカジュアルな服で出勤するのだが、今日は麻衣のご両親に会うわけだから、普段着ないスーツをタンスから取り出し、身支度をして、いつでも外出出来る準備を整えた。
「そう言えば昨日、結局、麻衣から連絡がこなかったなぁ。どうしたんだろう?」
家を出る前に麻衣のスマホに電話を掛けてみたけれど、どれだけ待っても彼女が通話に出る事はなかった。
「おっかしいなぁ」
仕方がないので、今度は麻衣の実家の方にも電話を掛けてみる事に。それでも中々電話がつながる様子もなく、そろそろ通話を止めようと思っていたその時、麻衣のお母さんが電話に出て来てくれた。
あっ、やっとつながった。
「あのー、おはようございます。片瀬です。すみません、朝早くから。所であのー、麻衣さんはおられますか?」
「あぁ、片瀬さん、ごめんなさいね、連絡もせずに。本当は、もっと早くに連絡をしなければならなかったのにね」
「いえ、昨日そんなたいした用事で電話をした訳じゃなかったんで」
「私もちょっとバタバタしていて、ついさっき忘れ物を取りに家に戻って来たの。頭の整理がついていないのに、親戚やら葬儀屋さんとかに電話して、もう何が何だか分からなくなって」
麻衣のお母さんは、声を震わしながら答えた。
えっ!親戚?葬儀屋?
心臓がバクバクと脈打っているのが自分でも感じ取れた。
「お母さん、お母さん。早くしないと時間遅れちゃうわよ」
耳を澄まして聞いてみると、受話器の奥の方から妹の亜季ちゃんの話し声も微かに聞きとる事が出来た。
「す、すみません。あのー、ちょっと聞こえにくいのと、後、何を言ってらっしゃるのかが良く分からないんですが?それでそのー、麻衣は?」
僕は、いつもの電話の対応と違う麻衣のお母さんの喋り方に、何か一抹の不安を感じていた。
「片瀬さん、麻衣はね、麻衣は・・・もう・・・」
そこまで震える声で話すと、今度は、麻衣のお母さんのすすり泣く声が聞こえてきた。
えっ、何、もうって?
「あの、お母さん。どうしたんです?麻衣が、麻衣がどうかしたんですか」
大丈夫、大丈夫と、自分で言い聞かせようとするのだけれど、その不安は、次の麻衣のお母さんの言葉で確信へと変わった。
「麻衣とお父さんがね・・・こ、交通事故に巻き込まれてね・・・それでもう、もうこの世にはいないのよ」
「う、嘘ですよ。やだなぁ、お母さん。じょ、冗談がきついですよー。ちょっと笑えないなぁ、それ」
僕は、高鳴る胸の鼓動を抑える事が出来ず、何とか笑って話そうとしたけれど、どうしてもどもってしまって上手く話せない。
「昨日がお通夜で、今日の13時からお葬式なの。もし出来たら片瀬さんも出席してもらえないかしら。場所は・・・」
それから麻衣のお母さんは、泣きたいのを何とか堪えている様子で、お葬式を行う場所について説明をしてから電話をきった。僕はただその場で、呆然と立ちすくんでいた。
この日はビシッとスーツを着て、麻衣の誕生日のお祝いと、そして、彼女にプロポーズをした事についてご両親へ報告をしに行くはずだったのに、それがどう言う訳か喪服を着て、麻衣のお母さんが説明してくれた通りにお葬式会場の駐車場まで辿り着いた。
車から降りると、いつもと同じ目映いくらいの夏の日差しで思わず左手をかざした。
そんな僕を蝉達が嘲笑うかのように鳴き声を上げるもんだから、夏の暑さにより一層不愉快感が増した気持ちになった。
心の中では、麻衣がこの世から居なくなるなんて何かの間違いで、そんな事ある筈なんて絶対にない!!って思ってはいたものの、実はそれは、どこか自分自身に言い聞かせている部分もあって、半信半疑で言われた場所まで来てみた。けれど、やっぱり僕の思惑とは裏腹に、入口の前には高科家と言う文字が掲げられていた。
嘘だ!!!!
広い階段だったけれど、手すりを使いながら震える足取りで二階まで上がっていった。一歩、また一歩と祭壇に近付くにつれ、お線香の香りが段々、段々と体に絡み付いてきた。そこには麻衣の微笑みが写し出された写真と、彼女のお父さんの写真が飾られていた。
周りにいる人達は、恐らく親戚の人達やお父さんの仕事関係の人達だろう。シーンと静まり返ったこの部屋を目の当たりにすると、安易な考えは、もうどこかに消えて行ってしまっていた。
「片瀬さん」と、麻衣のお母さんが僕の名前を呼ぶ声で我に返った。
「ごめんなさいね。本当はこんな所に来る筈じゃなかったのにね。この子もね、この日が来るのをすっごく待ち望んでいたのよ。悠君にプロポーズされたってはしゃいでいたのに・・・。どうしてこんな事になったんだろうね」
多分、お母さんが一人で遣り繰りしたんだろうな。以前見かけた時に比べて、何だか少しやつれたような感じがする。こんな時、何て言って声を掛けたらいいんだろう。聞きたい事が山ほどあるのに・・・。
それから暫くして、お坊さんが会場に入って来てお葬式の儀式が始まった。
僕は思っている事を口に出す事が出来ず、そのまま黙って話しを聞いているだけだった。そう何を考える訳でもなく、皆と同じように椅子に座り、名前が呼ばれると来場の人達と同じように前に出てお焼香をあげ、ただ言われた通り事務的にこなし、また席に戻っていった。
どれくらいの時間が経ったのだろう。麻衣と過ごした時間を走馬灯のように思い返していたのだけれど、ふっと我に返ってみると、いつの間にか周囲の人達が前に出て、飾られていた花を手に持ち、麻衣とお父さんの写真の前に順に置いていっている姿が見えた。僕も皆にならって席を立ち前に歩み寄ると、麻衣のお母さんが側に来て一輪の小さい向日葵を手渡してくれた。
僕は、勇気を振り絞ってお母さんに声を掛けた。
「お母さん、すみません。こんな事をしてもまだ信じられないんです。その・・・申し訳ありませんが、麻衣の、麻衣の顔を、ひと目でも良いんで見せて頂けないでしょうか」
するとお母さんは、今まで張り詰めていた気持ちを抑える事が出来なくなったのだろう、想いが涙となって溢れ出し、僕にこう語り掛けてくれた。
「トラックとの間に挟まれてね、顔と頭が分からないくらい酷いの。だからね、片瀬さん。綺麗な顔の写真のまま、楽しかった思い出のまま別れを告げてあげて」
そう話しをしてくれた麻衣のお母さんに、僕は何も答える事が出来ず、お辞儀だけをして、その場から足早に立ち去って行った。
会場を後にした僕は、駐車場に置いていた自分の車に乗り込み、上着のポケットに入れていたスマホを取り出し、何を思ったのか麻衣のスマホに電話を掛けていた。
繋がる筈がないと思って電話をしたのだけれど、突然、トュルルルル、トュルルルルという音が鳴り始めた。今でもはっきりと覚えている。ちょうど5回目のコールが鳴り終わった時だ。
「今、留守でーす。御用の方はメッセージを入れてね」と、麻衣の声が聞こえてきた。
「もしもし、麻衣、僕だけど・・・。このメッセージを聞いたら・・・、聞いてくれたなら、直ぐに折り返しの電話して。遅くてもいいから・・・、待ってるから・・・」
僕はそう言って電話を切った。もう2度と彼女から電話が掛かってこないと知りながら。
そう思うと急に目頭が熱くなって、僕は車の中でハンドルに体をあずけ、涙が枯れるくらい泣き続けた。
そう、いつまでも・・・いつまでも・・・。




