3話 3年前の出来事(2)
疲れた足取りで、一歩、また一歩と校舎2階の指導員室まで階段を上がって行く。
いつもながら、最終時間が終わってからのこの階段はしんどい。
僕は口には出さず、心の中でぼやいた。
指導員室に入ると、右手の壁沿いに置かれている折りたたみ式長机2台の上には、ノートパソコン4台が置かれている。そこに僕は、この時間の教習のデータを登録した。いつもは入力するのに指導員でごったがえすこの場所が、最終時間の教習が終わった時だけは皆早い。
さっさと家路につきたいと言うのもあるだろうが、それよりも最終入力する人は、4台のノートパソコンの電源を全てオフにしなければならない。別に決められている訳じゃないけれど、いつの間にか皆の暗黙の了解になっていた。ちょっとした時間かもしれないけれど、それが何とも面倒くさい。で、嫌がる人は最終の教習が終わると駆け足で指導員室まで戻って来る。
その為、指導員室に戻って来るのが遅かった僕は、シーンと静まり返った広い空間の中、ポツンと1人取り残されていた。
さぁ、今日も一日終わった終わった。帰ろ帰ろ。
指導員室の電気を消して、こじんまりとしたロッカールームまで辿り着く。そこには、ガッチリした体格の先輩である長谷川さんが早々と私服に着替えて、僕がここへ来るのを今は今かと待ちわびている様子だった。
その表情から察するに、明らかに誰が見ても鬼瓦みたいな不満気な顔だ。
「おい~、来るの遅いんちゃうか~、片瀬。待ってたんやで、何とろとろしてんねん」
げっ!!し、しまった。そう言えば俺も今日、長谷川さんと後輩の相原とご飯食べに行く予定だったんだ。完璧に忘れてた。
てか、長谷川さん、普通に喋ってるんだろうけど、たまに怒られてる感じがするんだよなぁ。
「あっ、あっ、お前まさかその顔、昨日の約束あれやろ、忘れとったんとちゃうか。片瀬は人が説明していて、その場では「はい」って返事するんは良いんやけどな、返事は。それが所がどっこい、内容はと言うと、これがからっきし覚えとらん事があるから立ち悪いわぁ」
うっ、さ、さすが長谷川さん。指導員になった頃からの付き合いだけに、良く分かってる。
「嫌だなぁ、そんな事あるわけないじゃないですか~。長谷川さんの約束を」
取りあえず、笑って誤魔化している間に、早く着替えよっと。
急いで私服に着替えた後、長谷川さんと一緒に従業員用の出入り口の所まで下りていった。
「それで長谷川さん、今日は何を食べに行くんですか。あっ、若しかしてあれでしょ。いつもの焼き肉とか回転寿司でしょ」と、長谷川さんが行きたそうな場所を尋ねてみた。
「あのなぁ、片瀬。今日の俺はいつもとちゃうねん」
「何がいつもとちゃうんですか」
僕は、長谷川さんの関西弁を真似して聞き返した。
「今日はちょっと感じを変えてやな、小洒落た雰囲気の居酒屋さんにでも行こかいなって思ってん。で、もう予約を取って押さえてるねん」
へぇ~、長谷川さんにしては用意周到だなぁ。
「で、どこなんです、予約を取ってる店の名前は」
「ほら、駅の近くにオープンしたやろ、百万石って言うでっかい看板が」
「あー、聞いた事あります。つい最近オープンしたって。どうしたんです、予約まで取って。何か有ったんですか」
「ちょっとな。あ、それと、お前達とは別にもう2人そこに来るんやけど」
「はぁ、別に構わないですけど」
ふーん、小洒落た居酒屋さんねー。僕は、長谷川さんの口調に訝しげに思った。
あれ?何か引っ掛かるんだけどなぁ。何だったけかなぁ。ぅん?
「あっー!!」と、僕は突然大声で叫んだ。
「あっー!!て何やねん。あっー!!て。お前まさか、急に用事を思い出して行けませんって言うんじゃないやろな」
長谷川さんは眉間に皺を寄せて、疑り深い顔で僕の次の言葉を待っていた。
「いやー、そうじゃないんですけど、今日バイクで・・・」
「何やそんな事か。ええやん、タクシーで帰れば」
おおっ、相変わらず強引な人だな。
「それにしても相原、何しとんねん。遅いんちゃうか」と、長谷川さんは少しイライラした様子で呟いた。
丁度噂をしていたその時、ドカッドカッドカッと、階段をけたたましく下りて来る音が聞こえてきた。
「おっ待たせしましたぁ」と、見た目は小柄ながら、いつもの天真爛漫な元気な相原の声が聞こえてきた。
それを聞いた長谷川さんは、相原に苛立ちを爆発させた。
「お待たせし過ぎじゃあ~。何十分待たせたら気が済むねん」
えっ~、おいおい、僕達も今来た所でしょが~。
僕は取りあえず、2人の成り行きを見守る事にした。
相原は、額に掛かっていた前髪を右手で後ろに上げた後、相原なりに急いでいたんだろう、呼吸を整えてから開き直った感じで僕達に話し掛けてきた。
「どうもすみませ~ん。でもですね、女の子には色々準備ってもんが有るんですぅー」
「有るんですぅーじゃないわ。外は風がないし、湿度も高いし、むしむししてるんやから待ってる方の気持ちも考えてみぃ」
もう、この二人は。仲が良いのか悪いのか、なぜか会うと大概言い合いって言うか、ボケとツッコミって言うか。それにしても、このままほったらかしにしとくといつ終わるか分かんないしなぁ。またいつもみたいに間に入るか。
「まぁまぁ、これで揃った事ですし、そろそろ行きません?」と、控え目な感じで2人の会話の間に入って言い合いを止めさせ、何とか目的地を目指して歩き始めさせる事に成功した。
僕は、さっき長谷川さんから聞きそびれた、後から来るであろう2人の人物が気になって聞いてみた。
「所で、後から来る2人って誰なんですか」
「それわやな、まあ、着いた時のお楽しみや」
長谷川さんは、俺は誰が来るか知ってんね~ん、って言うオーラを醸し出しながらそう答えた。
「はぁ」と、溜息混じりで僕は返事をした。
「相原は知ってるの、後の2人って」
「勿論、知ってますよ。だって私がセッティングしたんですから」
「ふーん、相原の友達?」
「まあそれは、着いた時のお楽しみっと言う事で」
意味ありげな笑みを浮かばせながら、相原も答えた。
ほんっと~に、この2人は・・・・・。まあ別に行けば分かる事だし。
もうその事に関しては、この2人には聞くまいと思い、心の中の僕は両手を上げ、参りましたのポーズをした。
そんな何気ない会話をしながら歩いていると、創作料理で最近人気のある百万石に僕達は到着した。
「いらっしゃいませー、何名様ですか」と、扉が開くのと同時に感じの良い男性店員が元気な声で対応してくれた。
流石にオープンしたてともあって、多くのお客さんでにぎわっており、他の店員も小走りで右往左往しているのが目にはいる。
「一昨日予約した、長谷川ですけど」
「はい、長谷川様。えーと、はい、予約の方、承っています。それでは奥の御座敷の方へご案内致します」
「あっ、それと、後、もう2人来る予定になってるんやけど、先に来てるんかな」
「はい、あーどうでしょう。お席の方へは、まだ誰も来てなかったと思いますが」
「あ、そうですか~。なぁ、相原。今店に着いて、先に中で待ってるでっていう連絡しといてくれへんか」
「はーい」と、相原は返事をした後、カバンからスマホを取り出した。
「それじゃあ、御座敷の方へ」
そう言うと、店員に連れられて、僕達は6人掛けの座敷に案内された。
隣のお客さんとは極力顔が見えない様に、通路側以外は壁で仕切られ、真新しい畳の匂いがプーンと鼻を突いた。
「長谷川さん。ちょっと手と顔を洗ってきます。何だったら先に注文しといて下さい」
「おう、任しとけ」と、長谷川さんは右腕を上げて答えた。
それから僕はお手洗いの方で手を洗いながら、今日のこれからの事を考えていた。
まあ、明日は仕事休みだから、ちょっとくらい遅くなっても良いんだけど。それにしても居酒屋さんに行くんだったら、あの時そう言ってくれれば良かったのに。明日朝一、バイクを取りに教習所に行かなくっちゃ。でもまあ、これはこれで外に出る口実が出来たから良いか。
「ポジティブ、ポジティブ、だよね」
鏡に写っている顔を見ながら、昔聞いた言葉を自分自身に向ってそう呟いた。
さーて、そろそろ席に戻りますか。
仕事から解放され、両腕を伸ばし背筋を伸ばす事で、気持ちをオンからオフにした。
お手洗いから出て、長谷川さんの所に戻ろうとしたその時、後から「片瀬さん」と、僕の名前を呼ぶ女性の声が聞こえてきたので、僕は条件反射的に声のした方へ振り返った。
あれ?確か最終の教習で初めて担当した高野さんと遠藤さんじゃないか。
「あっ、また会ったね。何だ、さっきご飯食べに行くって言ってたのここだったんだ」
「はい、そうなんですよ」
高野さんが意味有り気な笑みを浮かべてそう答えると、僕はその隣に立っている遠藤さんにも目を向けた。するとお互い目が合った瞬間、彼女の方から軽く会釈をしてきた。
「所で片瀬さん。長谷川さんと相原さん、もう来てるんですよね」と、高野さんが聞いてきた。
何も事情を聞かされていなかった僕は、何で長谷川さんと相原がここに来ている事を知ってるんだろうと怪訝な顔つきをした。すると僕の表情を見て察したのか、高野さんがなぜそんな質問をしたのかをかいつまんで説明してくれた。
「私が相原さんの教習にあたった時に話しが意気投合しちゃいましてね。それで今度、ご飯でも一緒に食べに行こうって言う事になったんですよ。で、2人で行くよりかは、何人かで行った方が話しがはずむでしょ。だから私は、遥も教習所に来てるんで、指導員の人とも話しが合うと思い遥に声を掛けたんです。で、相原さんには、以前一段階の時に何回か担当してもらった長谷川さんに来てもらうよう頼んだんです」
何だ、俺はおまけかよ。と思いつつも、へぇー、そうなんだぁ。と言った表情を無理に作りながら、僕は
彼女達を長谷川さん達が待っている座敷まで案内した。
別に隠さず話してくれれば良かったのに。
話しの経緯を今知った僕にとっては、何とも複雑な気分だった。しかし、実は高野さんのその説明とは別に、違う思惑があったのだが、この時の僕には知るよしもなかった。
「えっとー、席こっちだよ」
座敷に戻って見ると、長谷川さんと相原がメニューを見ながら店員さんに何やら注文をしている最中だった。
「おうっ!まいどー。待ってたで」と、長谷川さんは、遠藤さんと高野さんに笑顔で気さくに声を掛け、僕達は座敷に腰を下ろした。
「先に何品か注文しといたで。またこれ食べたいわって言うのがあればじゃんじゃん注文したらええからな。所で自分ら2人、あれやな。確か20歳超えてたよな?」
「はい、大丈夫です」と、高野さんは答えた。
「じゃあ、飲み物は最初ビールでええな」
長谷川さんの問い掛けに皆は頷いた。
「すみませーん。生中5つ」
長谷川さんは、小学校の頃から野球をやっていた事もあり、ガッチリとした体格に見合った大きな声で店員さんに注文をした。そしてその後、いつもの持前のノリで、僕達のいるこの空間が段々と和やかな雰囲気に包まれていった。
すると程なくして、先に長谷川さんと相原が注文していた料理が、徐々にテーブルに運びこまれ、広かったテーブルの上が何だか手狭に感じ取られた。
「ほなぁ、グラス持ってや~。それじゃあ、今日1日お疲れ様でした~、カンパ~イ」
長谷川さんの掛け声と共に、皆のグラスをカチンと当ててからビールを飲み始めていった。
やっぱりここに居る5人の共通点は、教習所繋がりだよなぁ。ましてや高野さんは、長谷川さんの事に対して、何か好感を持っているような感じだし。
まぁいっか、せっかく誘われたんだから長谷川さんの良いようにしよう。
そう思った僕は、何だか使命感のように高野さんに話し掛けた。
「高野さんさぁ、さっきほら、相原と教習中に話しが意気投合したって言ってたけど、他の指導員の人とかとも良く喋るの?」
「うーん、人によりますね。喋る人もいれば、全く喋らない人もいるし。まあ大体の人が、学生さん?とかバイト何してんの?と言った感じの事を初めて担当する指導員の人から質問されますかね」
在り来たりな質問だなぁ、と思いつつも、僕は「へぇー」と答えた。
すると遠藤さんは、僕達の話しが途切れるのを待っていたのを見定めてから、突然僕の方に手招きしてスマホを差し出した。
「えっ、何?」
「遥、今は失声症で喋れないんですよ。だから私達、会話をする時はスマホのメールとかメモ用紙に書いたりしてやり取りしてるんです」と、横に座っていた高野さんが説明してくれた。
僕は高野さんの話しを聞いてから遠藤さんの方へ目を向けて見ると、彼女は頬笑みながら頷いた。
「えっと、皆に分かるように声に出して読んで良いの?」
遠藤さんは再び頷く。
『ねぇねぇ片瀬さん、片瀬さん。ほら、さっき教習が終わる前に、高野さんが聞いた質問覚えてます?』
勿論、彼女の質問は良く覚えている。でも、この場の雰囲気を壊したくないんだけどなぁ。
僕はそんな複雑な心境の中、つい数十分前に行った最後の時間の教習を、まるで何十年か前の過去の出来事を思い出すかのような素振りをして続きを読んでいった。
『次に会う機会があったら、何で指導員になろうと思ったのかを教えてくれるって言ってましたよね。何でなろうと思ったんです?教えて下さいよ』
「うーん」と、僕は曖昧に答えた。
「ほんまに覚えてんのか、片瀬。時々、適当に返事する時あるからな」
ううっ、当たってるだけに長谷川さんには反論が出来ない。
「もう、長谷川さん。ちょっと黙ってて下さい。で、何でなろうと思ったんですか」
高野さんが真顔で長谷川さんに言い返したかと思うと、そこへ相原までもが急遽話しに参加してきた。
「そう言えば、私も養成指導員の時に、片瀬さんに同じ質問をした事がありますけど、確かその時も話しを中途半端にはぐらかされたような気がしますね~。あっ、それ、私も聞きたいです。何でですか。長谷川さんは聞いた事があるんですか?」
「そういや、俺も知らんわ」
「別に隠してる訳じゃないけど。確かに長谷川さんや相原が言うように、仕事場の人には話した事ないし、他に何人かの教習生にも同じ質問をされた事があるけど、何でかって言う理由は喋った事がないなぁ。と言うよりも喋りたくなかった、て言う気持ちの方が強かったんだろうな、あの時は。昔を思い出してしまうから」
さらに話しにのめり込む感じで、高野さんが食い入るように聞いてきた。
「昔って?」
「ううん、話しても良いけど、長くなるし、この場の雰囲気が暗くなってしまうよ」
「そんな事気にせんでええっちゅーねん。そん時は、俺達が盛り上げたるから。ほれほれ、話してみなさい、主任命令だぁー」
本当かよ。役職フル活用してるな、長谷川さんは。ほんっとーに無責任なんだから。
そう思いながらも、心のどこかでは、まぁ良いかなって思うもう1人の自分が白旗を上げていた。
それから僕は、押入れの奥の方に仕舞っておいた段ボールの箱から、何年かぶりにアルバムを取り出して懐かしんで見るかのように、今まで頭の隅っこに隠していた昔の思い出を、少しずつ少しずつ、ゆっくりと記憶を手繰り寄せながら3年前の出来事について話しだしていった。
「えーと、あれは今からもう3年前かな。僕が教習所の指導員になる切掛けになったのは、交通事故で大切な人が亡くなったのが原因で。そして、その日を境にその人は、僕の前から居なくなって、僕の心の中でしか生きる事が出来なくなったんだ」