10話 旅行計画
仕事が終わって家に帰ると、一日中締め切っていたせいで、家の中は生温かいよどんだ空気で満たされていた。僕はすぐさま、こたつ用のテーブルに置いてあるリモコンを手に取り、エアコンの冷房をフルパワーにして作動させた。
あぢぃ~~~~。
その日の夜の晩ご飯は、途中、近所のスーパーに寄るのが面倒くさくなったので買い物をせず、非常用として買い置きしていたスパゲティを湯がいてからミートソースを注ぎ、簡単に済ませる事にした。その後は、シャワーでサッと汗を流しお風呂場から出ると、扇風機の前に座りこみ、強のスイッチボタンを押した。氷をいっぱいに入れたグラスに冷えたレモン缶チュウハイを注ぎ込み、炭酸で喉がヒリヒリするのを感じながら、グビグビッと一気に飲み干した。
まるで枯れかかった花に水をあげる事で、また背筋がピンッと伸びた花の様に、僕の今日一日の仕事の疲れを癒してくれた。
ふぃ~、生き返る~~。
扇風機とエアコンの音だけが存在するこの部屋に、暫くして、別の音も参加してきた。それは、スマホにメールが着信する事を告げる効果音だ。
誰からだろう?と思いスマホを手に取って画面を見て見ると、メールの着信は遠藤さんからだった。
そう言えば、確か今日、試験場で学科試験を受けに行くって言ってたっけ。
そんな事を思い出しながら、メールの内容を読んでみた。
『聞いて下さい!!聞いて下さい!!何と私と高野さん、試験に無事合格し、免許証をゲットしました!!感激で~す。
受験番号を見るまではドキドキでしたが、電光掲示板の番号を見た瞬間、肩の荷が下りました。有難うございます。結果は、一緒に受けに行った高野さん以外、まだ誰にも言ってません。と言うのもですね、覚えてます?この前メールで良い結果が出たら、いの一番に片瀬さんに報告しますって言ったのを。なーんてそんな事、覚えてませんよね。だって毎日毎日、色んな人を担当するんですものね。でも良いんです。片瀬さんに良い結果が出た事を知ってもらえただけで。
それでは、これからもお仕事頑張って下さい。お疲れ様でした』
そっか~、合格したんだ。
確かにこの仕事は、免許を取り消しになって、再度、免許証を取得しに来られる人もいるけれど、大半は初心者の横に同乗する訳なんだから、顔は笑っていても内心ヒヤヒヤしている事の方が断然多い。でも、何回か同じ教習生を担当して、上手くなっていく過程を見たり、遠藤さんみたいに合格しましたって言ってくれた時が、何よりもこの仕事をやっていて良かったなって思える瞬間だ。
それから僕は、髪の毛を整えて一息つくと、FMラジオをつけ、リラックス気分を味わいながら、いつものように布団の上に横たわり、遠藤さんにメールの返事を送信した。
『良かったね、良い結果が出て。さっき覚えていませんよね、って言ってたけど、ちゃ~んと覚えているよ。でも本当に、一番に知らせてくれて嬉しいな。ありがとう。ちょっと照れるね。
あっ、そうそう、合格していたら長谷川さんと相原が免許証の顔写真が見て見たいってさ(笑)』
ラジオのDJが軽快なトークをしているのを聞きながら、僕は遠藤さんからの返信を待った。
10分位経った頃だろうか、遠藤さんからメールが届いた。
『お仕事お疲れ様です。覚えていてくれたんですね、いや~、嬉しいやら恥ずかしいやら。免許証を手に入れるのが目標だったのが、今度は免許証を手に入れたら何だかどっか遠くに、別に近くでも良いんですけど、運転してみたくなりますね~』
確かにその気持ちは分かる。僕も初めて音楽を聴きながら運転して、目的地に辿り着けた時の感動は、今でも覚えている。自分が行ける活動範囲が広くなったのだから。
『うん、確かに』
『それで、私だったらどこに行ってみたいんだろうって考えてみたんです』
『で、どこかあったの?』
『覚えてます?、この前居酒屋さんでご飯を食べに行った時に、映画の話しをしたの』
『うん、覚えてる。確か、離れ離れになっていた主人公の男の子と女の子が、辺り一面向日葵畑の場所で再会して、結ばれるシーンがすっごく印象的で心に残っているんですよって言ってた話しだよね』
『そう、それです。私、花の中で向日葵が大好きで、それで、ちょっと調べたんです。この辺りで向日葵畑が見れる場所がないかなって』
向日葵かぁ。
『そしたら、ここから高速で1時間30分くらいの所にあったんです。しかも、な、何と約120万本の向日葵らしいですよ』
僕はふとカレンダーに目を向けた。
7月か~。遠藤さん、行ってみたいのかな?そう思った僕は、折り返し聞いてみた。
『もしそこに行ってみたいって聞いたら、遠藤さん、行く?合格祝いも兼ねて。ただ、車の運転は出来ないから。僕の車の保険は25歳以上でないとダメなもので。まあ、それはともかく遠藤さんが良ければの話しだけれど。一度考えてみて下さい』
それから暫くして、遠藤さんからのメールの返信が届いてたみたいだったけど、仕事の疲れと明日の朝早くから出掛ける用事もあって、いつの間にか僕は、部屋の電気も消さずに寝てしまっていた。
そう、明日は7月7日。麻衣との再会する日なのだから。
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7月7日、昼の休憩時間に、遠藤 遥と高野 絵里が教習所を訪れた。
2階のフロントに来た2人を見て、受付担当の上野さんが、座っていた椅子から立ち上がって笑顔で話し掛けた。
「こんにちは~。あっ、もしかして免許取得したの?」
「見て下さい、これ。じゃーん」
そう言って高野さんは、持っていた財布から運転免許証を取り出し、人差し指で免許証の顔の部分だけを隠して、上野さんの前に差し出した。
「うわっ、やったじゃな~い。おめでとう。遠藤さんもだよね?」
遠藤さんは話せない分、頬笑みを浮かべて頷いて答えた。
「良かったね~。あっ、若しかして、誰か指導員の人に見せに来たんでしょ。今呼んで来た方が良い?」
上野さんは今までの経験上、卒業生の人が免許証を見せに来られたと言う事は、誰かお世話になった人か、お目当ての人がいるのだろうと思い、機転をきかせてそう聞いてみた。
すると高野さんが、「待ってました」と言わんばかりの明るい声で答えた。
「はい、相原さんと長谷川さん、それと・・・」
絵里は、下を向いて少し緊張している遥の顔を、チラッと横目で見てから名前を告げた。
「片瀬さん!!でも今、昼休憩でご飯食べている最中ですよね?」
「うん、そうね~」
「じゃあ、もし時間が取れたらで良いんで、1階の自習室の前で待ってますって言ってもらえませんか」
「うん、じゃあそう伝えとくね」
「はい、有難うございます」
2人はお辞儀をしてから、1階の方へ階段を使って下りて行った。
昼ご飯を食べてから、長谷川と相原は、2人に会う為言われた場所まで歩いて行くと、遠藤さんと高野さんは、自習室の前にある椅子に座って話しをしている姿が見えた。
2人は、長谷川と相原の姿を見つけるなり、「あっ、来た」と言って満面の笑みを浮ばせながら歩み寄って来た。
「おう、免許取ったんやってな。良かったやんか~」
絵里は左手を腰に当て、右手で免許証を持って2人の前に突き出すような感じで見せた。
「やったじゃん」と、相原がねぎらいの言葉を掛けた。
「やっぱりあれやな、俺の学科の授業をちゃ~んと聞いていたからやな」
長谷川は目を瞑って両腕を組み、「やっぱり俺って凄いわ~」とでも言いたげな仕草をした。
「な~に言ってんだですか~。殆んど学科何てやってないじゃないですか~、かっこつけちゃって~」
相原は、呆れた顔をして長谷川さんに茶々を入れた。
「あれ?長谷川さんって、月にどのくらい学科やってるんですか?」
相原のツッコミに高野さんもすかさず参戦してきた。
「えっと~、月に2,3回ぐらい、やった、かなぁ?」と、少ししどろもどろになりながら長谷川は答えた。
ウシシシシ。白状しちゃったてやんの~。と相原は心の中でほくそ笑んだ。
「ざんね~ん、長谷川さんの学科、当たった事ないで~す」と、高野さんが笑顔で答えた。
「ねぇ、遥。どちらかと言うと、片瀬さんの学科に当たる事の方が多かったよね」
絵里からそう聞かれて、遥は「うん」と頷いた。
「所で片瀬さんは、まだご飯中ですか」と、高野さんは相原に尋ねた。
「そう言えば、今日は見てないわね。有休かな~?」
「どこか行く予定でもあったんですかね」
「さぁ~」
「残念ね~、遥。せっかく片瀬さんに、今日、誕生日だって事を言いに来たのにね~」
そう言って絵里は、面白い事を思いついた悪戯っ子みたいな顔をして、遥の顔を覗き込んだ。
「あっ、そうそう。長谷川さん、相原さん聞いて下さいよ~」
「何、何、どうしたの?」と、犬の耳がピンっと立ったみたいに、相原の何だか面白い事が起きそうな予感がするんですけど~レーダーが反応した。
「遥がですね~、向日葵畑を見にドライブへ行かないかって、片瀬さんに誘われたんですよ。ね~」
突然その話しを持ち出されてビックリした遥は、頬を赤く染めて「もう、絵里!!」っといった表情をして高野さんの服の袖を引っ張った。
「な、何ですって~。聞きました、長谷川さん!!」
相原は、これは面白い事が来た~~~!!と思い、両手に握りこぶしを作り、目を輝かせて長谷川の方に目を向けた。
「おうっ、聞いたで、聞いたで~。象さんの耳は聞き逃しても、この俺の両耳はちゃ~んと聞いたで~」
「で、これからどうします?」
「そんな面白い事・・・」と言いだしかけた途端、相原は長谷川さんの脇腹に手刀で素早く突いた。
仁王立ちで立っていた長谷川ではあったが、相原の攻撃に「ぐふっ」と、うめき声を漏らした後、少しくの字になりながらも、言葉を言い改めて話しを続けた。
「あっ、じゃなくて、そんな大事な事は、俺達に任せとき。皆で行けば楽しい楽しい雰囲気作りも出来るやんか~。それにやで、たぶん片瀬の言っている向日葵畑の近くには、確かキャンプやログハウスなんかの施設があったはずや。まあ、俺が調べて予約しといたるから、そこでバーベキューでもしようや。こんなんでどうです、相原くん」と、長谷川は脇腹を押さえながら相原に意見を求めた。
「はっ、それで宜しいかと。どう絵里ちゃんは?」
相原は、長谷川に敬礼のポーズをしてから、今度は高野さんに同意を求めた。
「うわ~~、何だか面白そう~。良いよね、遥?」
話しがドンドン、ドンドン大きくなっていくのを少し不安な面持ちで聞いていた矢先に、遠藤さんは、絵里から急に話しを振られたので、遥は戸惑いながらも素早くスマホに自分の意見を打ち込み彼女に伝えた。
『えっ、私に聞かれても・・・片瀬さんが何て言うか』
「遠藤さんはな、な~~んも心配せんでええねん。ぜ~んぶ、俺達に任せとき」
「え、でも・・・」と、言葉に発する事が出来ない困惑した顔の遠藤さんを見て、長谷川さんも無言のまま軽く頷き、右手を開いて大丈夫ってな仕草で遠藤さんの言い分を遮った。
それから長谷川は、念には念を押す様に、遠藤さんに話しを付け加えた。
「ただやで、片瀬にはビックリさせたいからな、この事は皆の秘密やで。やから内緒にしといてや。遠藤さん」
その話しを聞いた相原は、また長谷川に敬礼をして言葉を発した。
「了解であります。今から作戦にうつります」
長谷川さんに釘を刺された遥は、一抹の不安を感じつつ、心の中で「ちょっとー」と、叫んではいたものの、皆の楽しそうに話す姿を見て何も言えなくなり、後はこれ以上話しが広がらないよう、ただただじっと見守っているだけだった。




