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第5話

 事件から一週間が経ち、捜査は難航していた。

 目撃者は居らず、疑わしい人物は見つけているが証拠もない。

 この日も恵一は自宅で寝ずに夜を明かした。

 そこは魔法弾調合用の部屋で木製の机の上には、ピンセットとビーカー、試験管に魔法弾用の材料と薬莢、調合した魔力を詰める為のガラス弾等が無数に置いてある。

 魔法弾の調合は恵一の趣味で、材料を仕入れては、ここで魔法弾の制作をしていた。


 恵一は一週間、まともな睡眠を取っていなかった。

 事件の事が頭から離れず眠れないのである。

 捜査の為にも睡眠を取り、体調を万全にするのは捜査官の義務でもあるが、そんな気分にはなれなかった。

 家に帰り付いても無心で魔法弾の調合を繰り返す。

 気が付けば材料の殆どを使い切ってしまい、買い出しに行かなくてはならなくなっていた。


「何してるんだろう、僕は」


 自分の手先を見つめながら恵一が呟いた。

 無力感に苛まれるのは、初めての経験ではない。

 だが何度経験しても不快である事に変わりはないし、慣れる事もなかった。

 日を追う毎に隈は濃くなり、相棒にも心配を掛けていた。

 フェイトへの申し訳なさを感じる恵一だったが、それでも眠れない。

 事件が解決に向かわない限り、安眠なんてものが許されない事を恵一は分かっていた。

 掴めぬ解決への糸口。

 妙案が思い浮かぶ事を期待していると、携帯が鳴った。

 スマートフォンや携帯電話というのは便利な物だ。

 この世界において魔法技術の一切を使っていない珍しい技術。

 携帯が三十年前に、スマホが十年前に登場してから刑事にとっての必需品だ。

 恵一は、事件に関する良い知らせを期待しながら通話ボタンを押す。

 恵一の所に掛ってくる電話は専ら事件関係のみであるから。


「もしもし」

「新巻刑事か。磯山だ」


 電話口の磯山は焦りを隠せないのか、語気が荒かった。


「どうされましたか?」

「また被害者が出た。すぐに来てくれ」


 恵一は、愕然として掌で顔を覆った。

「同一犯ですか?」

「全身の血液が抜かれている」

「分かりました」


 恵一は携帯をズボンのポケットにしまうと、椅子の背に掛けてあった制服のジャケットを羽織った。

 現場は恵一の家から車で一時間程の所にある遊園地であった。

 人気アトラクションのジェットコースター、ブーストスペース。

 そのコースターの最前列、五つある席の真ん中に若い女性の遺体が座らせられていたのである。

 第一発見者は、ブーストスペース担当の職員で早朝の機器点検の際、遺体を発見したとの事だった。

 恵一と磯山がジェットコースターに乗って遺体を見聞していると、フェイトが息を切らせながら現場に駆け込んで来た。


「すいません。遅刻しました」


 謝罪するフェイトは、今にも泣き出しそうである。

 相当遅刻を気にしているようだったが彼女の家は、現場から一時間半は離れており、恵一が到着してから二十分遅れで着いた事を考えると、出た時間はむしろフェイトの方が早い。

 責めるのも酷という物である。


「気にしなくていいよ」


 恵一がそう言いながらフェイトを手招きする。

 するとフェイトは、安堵の色を浮かべ、恵一の側へ歩み寄って来る。

 恵一は、フェイトが隣に来たのを確信してから遺体の首を指差した。


「頸動脈を切られている。周辺に、血痕はないけど、多分また全身の血を抜かれているだろうね。それに詳しい検査はまだだけど、性的暴行の痕もないそうだ。目的は血を取る事か」


 フェイトは恵一の説明を手帳にメモしている。

 恵一はそれが終わるのを確認してから声を掛けた。


「この状況を君はどう思う?」


 恵一の問い掛けにフェイトはペンで頬を叩きながら答えた。


「自信を付けたんだと思います」

「どうしてそう思う?」

「こんな場所にわざわざ捨てるなんて、リスクが大きいと思います。前の現場以上にリスクの高い事をしても捕まらない。そんな風に思ってるんじゃないでしょうか?」


 合格点のフェイトの推理に恵一は頷き、顎を撫で始めた。


「犯行が大胆になっているんだ。この段階まで来ると犯人は、自信を付けて犯行のペースを上げる傾向にある」


 これからさらに被害者が増えていくかもしれない。

 そんな予想を傍で聞いていた磯山の顔が青ざめていく。


「おいおい。もっと犠牲者が増えるって言うのか」


 悲しいし、悔しいが、それが現実だ。

 警察が、自分達が捕まえるまで犯人は犠牲者を増やし続ける。

 恵一は溜息交じりに口を開いた。


「捕まえるまでやめませんよ。警察に捕まるまで殺し続ける」


 磯山は、苦々しく顔を歪めると額を掌で覆った。


「なんでこんな事をする」

「この犯人は珍しい血液型の血を集めている。その血をどうするのかは分かりませんが。犯行を思い出す為の戦利品なのか。自分に輸血するのか、はたまた飲むのか」


 恵一の言葉に磯山は目を丸くした。


「飲むってどういう事だ」


 恵一はジェットコースターから降りて、遠巻きに遺体を眺める。


「カニバリズム。食人行為です。ガイル・オードリーというシリアルキラーが居ました。この犯人も魔導師ですが、魔力刃が使えて、彼は自分の母親を殺害して食べた後、九人の女性を殺害。その肉を食べました。彼曰く、肉を食べる事で被害者を支配していたそうです」

「そういや……その手のを前に一人担当した事があるよ。逮捕の時、警官が一人噛み付かれた」

「人間を食べるってどういう……その、えっと。どういう意味がある行為なんですか?」

「食人行為は人間の三大欲求の内、性欲と食欲を同時に満たす行為なんだ。それに国の文化によっては犯罪ではなく、儀式的な物として最近まで行われていた例もある」


 昔は土地によっては、日常的に行われていかもしれないが今では人類最大のタブーだ。

 説明されても理解し難いのだろうか、それとも凄惨な光景を思い描いたか。フェイトの桜色の頬から色素が零れ出て行った。

 無理もない。

 恵一自身、父からガイルの犯行の詳細を聞かされた時には、しばらく肉を食べられなくなってしまった。

 まるで悪夢のような行いを平然とこなす人間が居る。

 だからこそ彼等を捕まえるのが警察官としての使命だ。

 だから考えるべきは、彼女はなぜ殺されたのか?

 同一犯だとして、何故被害者のタイプがこんなにも変わってしまったかを考える必要があるだろう。

 体格のいい中年男性から若い女性にターゲットを変更した理由。

 血を集めているという事実を考慮するなら、結論は一つしかない。


「もしかしたら血液型が前の被害者と一致するかも」

「どういう事ですか?」


 顎を撫でながら恵一は、フェイトの疑問に答えた。


「数万人に一人の血液型を持った男性が血液を抜かれていた。類似した手口の事件が起きて且つ血液型が同じなら間違いなく同一犯によるもので。そこに法則性がある」


 フェイトは恵一の推理をメモ帳に取り終えると、視線を恵一に移した。


「珍しい血液型の人を狙って殺人を?」

「可能性はある。犯人は血液に執着しているように思える。とにかく鑑識に回して調べてもらおう」


 それから一通りの捜査を済ませたが、遺体以外の証拠は発見されず、現場を後にした恵一達は遺体を検死に回している間、食事を取る事にした。

 場所は、市警本部の向い側にあるカフェだ。

 内装はシックな木製のテーブルが並べられており、オレンジ色の柔らかい照明が目に優しい。

 恵一達は、市警本部がよく見える窓際のソファー席に居り、恵一が窓際、その隣にフェイト、二人と向かい合って磯山が座っている。

 三人は、熱々のホットサンドイッチにかぶり付いていた。

 サンドイッチの中身は、ベーコン、厚切りハム、ソーセージ、チーズ、トマトにキャベツとボリュームのあるメニューだ。

 カフェとは言っても市警本部が近いせいか、メニューは手軽で高カロリーを意識しているらしい。

 丁度三人がホットサンドイッチを食べ終わった頃、磯山の携帯電話に着信があり、ナプキンで手を拭ってから磯山は電話に出た。


「そうかい。ありがとう。残留魔力と血液型が一致した。あんたの読み通り」


 携帯をジャケットの内ポケットにしまいながら磯山は感心しているかのような素振りを見せた。彼も恵一の手腕を信用してきているのだろう。


「それから死亡推定時刻は深夜二時だそうだ。殺してすぐに遊園地に運び込んだんだろう」


 磯山の報告を受けた恵一は、手元のグラスを弄り始めた。


「犯人の狙いが同じ血液型の人間なら病院等に連絡して同じ血液型の人間をピックアップしましょう」

「それで護衛を付けるのか?」


 磯山の案も一理あるが、いくら数万人に一人とは言え、被害者候補は大勢居る。

 その全てに護衛を付けるのは現実的ではない。

 良い解決策はないか、恵一が顎を撫でながら思案していると、フェイトが声を上げた。


「他に共通点はないんでしょうか? もしあれば被害者のタイプを絞れると思うのですが」

「性別も年齢も違う。共通点は血液型しかない。現時点ではだけど」


 喋り続けたせいで乾いた口を潤したくなって、恵一はグラスの水を飲み干した。

 磯山は溜息を吐きながら、ナプキンで口を拭う。


「血液を狙う殺人事件。ブラッドキラーって所か。いやブラッドハンター?」

「名前は付けない様に。先入観を持ってしまいます」


 恵一の抗議の意図を理解出来ない磯山は首を傾げた。


「でも血液を狙った殺人なんだろ。なら――」

「まだ分かりません。確かに血液に関して法則性はありますが、今の段階で断定するのは視野を狭めてしまい危険です」


 恵一は、犯人の名前を決めてしまった事で捜査が難航した事例を数多く知っていた。

 勿論全ての事件でそうした事例が起きている訳ではない。

 だが、犯人が意図していない行動を共通点だと勘違いして付けた通称を警察側が信じ込んでしまい、捜査の方向性が誤ってしまう事もある。

 プロファイリングは完全な技術ではない。

 証拠がなければ大雑把なプロファイリングしか出来ないし、捜査の過程で新しい証拠が出ればそれを元にプロファイリングを修正していく必要がある。

 そうやって作ったプロファイリングが外れてしまう事だって珍しくない。

 だからこそ先入観を捨て、客観的に犯人の行動を分析する必要があるのだ。


「だがなんて呼べばいい?」


 勿論、磯山の主張ももっともである。

 捜査員同士が共通意識を持つ事は、捜査効率を高める効果があるし、士気の向上にも繋がる重要なファクターだ。

 しかし直感の告げる容疑者は居ても、物的証拠のない現時点で名前を決める訳にはいかない。


「単純に容疑者と呼んでください。それで充分だと思います」

「分かった」


 恵一の提案に、磯山は素直に頷いた。 


「とにかく動いて行きましょう」


 恵一はナプキンで手を拭くとソファーから立ち上がった。


「僕と巡査は、もう一度病院に行きます。被害者が見つかるかもしれません」


 恵一が疑っているライリー・カーマイン医師。

 もしも今回の被害者も彼等と接点のある人間であれば、犯人である可能性がより高くなる。

 恵一は、それに一路の望みを賭けていたのだ。


「分かった。何かあれば連絡を」

「はい」


 磯山に向けて愛想の良い笑みを浮かべた恵一は、フェイトと共にカフェを出てリアスサン総合病院に向かう事にした。




 リアスサン総合病院に着いた恵一は、受付に座る中年の女性看護師の前に立っている。

 看護師は無言であり、作り笑顔さえ向けて来ないばかりか、恵一を見ようともしない。

 看護師の愛想の悪さに気圧されながらも恵一は、質問を投げ掛けた。


「カーマイン先生とウォーマン先生いらっしゃいます?」

「はい」

「何時ごろ出勤されました?」

「今朝です」


 被害者が殺されたのは、深夜二時。

 看護師の証言が真実なら両名ともアリバイはないという事である。

 ならば気になるアリバイの事を折角容疑者が病院に居るのだから直接聞くのが得策だ。


「なるほど。それじゃあ失礼しまーす」


 恵一は、おどけた調子でそう言うと、フェイトに手招きをしながら受付を離れ、ライリー・カーマインの診察室へと足を向けた。

 ライリーの診察室前は、相も変らぬ女性患者の盛況ぶりで、恵一にとっては、汚水よりも吐き気を催す香水の悪臭が充満する大気が呼吸を阻害してくる。

 この調子で何度もライリーの会うと恵一が香水殺人事件の被害者となりかねない。

恵一は、警察バッヂを取り出して高く掲げた。


「警察です! 道を開けて!」


 職権乱用と言っても差し支えない行為だが、背に腹は代えられない。

 女性達が恵一の訴えで何とか人一人通れる程度の隙間を開けてくれたので、恵一とフェイトは、隙間を縫う様にして進み、ライリーの診察室の扉を開ける。

 すると椅子に座ったライリーが恵一の姿を見るや、笑みを返してくる。


「どうも刑事さん。今日は、肺炎にでもなりましたか?」


 笑顔とは裏腹にライリーの皮肉な対応。

 これに返すには、こっちもそれなりの物を用意せねばなるまい。


「相棒のリーンベイル君が腹痛でして」

「え!?」


 そんな事聞いてない、と訴える様な視線のフェイトと恵一は目を合わせないようにした。

 相棒から突き放されたフェイトは、涙目になりながらお腹に両手を添える。


「いたたたたたた。せんぱーいぃ。フェイト、おなか、いたい、いたい、いたい」


 感情も籠っていないし、真に迫る物もなく、抑揚すら皆無に等しい。

 まるで素人劇団の一次オーディションにすら落ちる役者の演技のようだ。


「リーンベイル君、もうちょっと何とかなんないのかな?」

「急に言われても……お腹痛くないもん」


 彼女の主張をもっともだと反省しながら恵一は、仔犬のような輝く瞳でライリーを見やった。


「いいですよ。お話があるんでしょ?」


 呆れたのか、憐れんだのか、それとも恵一の頑固さを悟ってか、ライリーから許可が下りた事で恵一は、フェイトを診察用の椅子に座らせると、自分は立った状態でライリーに問い掛ける。


「実は、トーマス・キンバリーと類似した手口で二件目の事件があったんです」

「そうですか。犯人は随分と優秀なようですね。警察の先手を行っている」


 表情には浮かんでいない。

 けれど、どこかライリーの物言いは誇らしげだ。

 その微かな違和感が引っ掛かる恵一は、苛立った強めの口調で語り始める。


「品性下劣な殺人者ですよ。しかも今回の被害者は女性です。キンバリー氏に薬を使って眠らせた事と合わせても……」


 恵一は、敢えて言葉を止めた。

 苛立って見せた事も、途中で詰まるのも全ては、ライリーとの会話を弾ませる為。

 きっとライリーは、恵一が言おうとした先の内容が知りたくて聞いてくるはずだから。


「なんですか、刑事さん?」


 ――来た。


「臆病で力のない、もやしのインポ野郎ですよ。正面から男と向かい合うなんて、こいつには出来ませんね」

「それは賢いからじゃないかな? 確実に相手を殺す為に」


 ライリーの擁護を恵一は鼻で笑い飛ばした。


「いえ。ただ男を前にすると、ビビるんですよ。女や子供相手にしか強気になれない。それも凶器を持って生殺与奪を握ってからようやく。こんな犯人どう思う巡査?」


 フェイトに尋ねると彼女は、またも鋭く恵一の意図を察して乗っかってくれる。


「最低ですね。警察学校でもこんな臆病で陰湿な犯人の事例は教えてくれませんでした」

「そりゃそうだよ。この犯人は、教科書になんか載らないね。犯罪者の恐ろしさを説く講義でこんな臆病者の事を教えたら警察官は、みんな犯罪者相手に油断してしまう。この事件の犯人も、あのもやしインポ野郎と同じなんじゃないかってね」


 恵一は、言い終えるや否や上着のポケットから今日発見された被害者の顔写真を取り出してライリーの目前に突き付ける。


「今日発見された被害者です。こちらの病院の患者とかではないですか?」

「知りませんね。そろそろお引き取りを。患者が居りますので」

「分かりました。それではまた。先生」


 恵一は、ライリーとの会話が終えると嬉々としながら院内を後にして、フェイトと共に病院の駐車場に止めていた愛車に乗り込んだ。


「本当に患者じゃないんですかね?」


 シートベルトを締めながらフェイトが話し掛けて来る。

 恵一はキーを差し込んで捻りながら答えた。


「さぁ。まぁ接点があっても言う訳ないよ。こっちで見つけないと」

「どうするんですか」


 恵一が左隣を見やると、フェイトが不安げな表情していた。

 読みが外れた事に焦りを覚えているのだろう。

 だが恵一はまだ読みが外れたとは思っていなかった。

 あくまで被害者と犯人に総合病院での繋がりがない、と言うだけの話である。まだ他の繋がりがこれから出てくる可能性もあると恵一は考えていた。


「大丈夫。手はある」


 安堵させようと声を掛けるが、フェイトは未だ不安が抜け切らない様だ。


「問題です。君ならどうする」


 クイズ司会者の様な口調でおどけて見せると、フェイトが答えを思い付いたのだろう。満面の笑みで言い放った。


「失踪者リスト!!」

「そう。被害者は若い女性だ。家族か、恋人が心配して失踪届けを出している可能性が高いと思う」


 恵一は、そう告げると車を走らせて警察庁に戻り、資料室に足を踏み入れた。

 アリナに特徴と合う失踪者の資料を探してもらい、フェイトと手分けして被害者探しを始めた。

 だが資料室の主は、この部屋で探し物をされるのは気に食わないらしく、恵一に冷たい視線を送り続けていた。


「私のプライベートなタイムを、時間をさ。乱さないでほしい」

「勤務時間中でしょ」


 恵一が言い返しようのない正論をぶつけると、アリナは唇を尖らせて、受付カウンターから身を乗り出した。


「いじわる言うと抱き付くぞ」


 アリナも起伏に乏しいスタイルだが女性である。

 抱き付かれでもしたら恵一にとっては目も当てられない惨事となってしまう。

 ふと視界の左端を見ると真剣な眼差しで資料を見つめているフェイトの姿があった。

 彼女の生贄にするのは気が引ける恵一だったが、身の安全には代えられない。


「巡査は何時でもフリーだよ」


 その言葉と共に飛び上がったアリナがフェイトの胸に飛び込んだ。


「やたーフェイトちゃーん」


 当のフェイト本人は、何が起きたのか理解出来なかったのか、アリナに激しく頬ずりをされて数秒後、やっと声を上げた。


「ええっ!?」


 そんな事はお構いなしに、アリナはフェイトの頬を摘まみ、軽く引っ張った。


「フェイトちゃん柔らけー。いくつだっけ」

「じゅうきゅーうちゃいれす」


 頬を引っ張られているせいで上手く発音出来ないらしい。

 フェイトの赤ちゃん言葉に少し心がときめく恵一であった。


「うは―ぴちぴちじゃんかおー。おりょりょりょ」


 アリナは、涎を口端から零しつつフェイトの両胸を掌で覆った。

 フェイトは、頬を真っ赤に染めてアリナから逃れようと身じろぎする。


「ちょっと、やめてください!」


 そんな事はお構いなしに、アリナはフェイトの胸を揉みしだき始めた。

 服の上からでも分かる膨らみは、アリナの手では、包み切れずにはみ出している。


「意外と胸あるじゃんかーん。つか着やせするタイプ?」

「そんな事、ていうか本当にやめてください!」


 フェイトが怒っている姿を初めて見る恵一だったが、アリナには、逆効果であろうと予想した。

 女性恐怖症の恵一でさえ、頬を膨らませて怒るフェイトがなんとも言えず可愛らしく映った。

 そして当然、アリナがフェイトの怒りで怯むはずもなく、より激しくフェイトの胸を揉み出したのである。


「これは、Cは確実。もっと、いやDだなこれは、Dあるか」

「先輩助けてください!」


 女性同士のいちゃついている様子は、恵一にとって未知の領域であった。

 アリナは、優子にも色々とちょっかいを出していたが、彼女は上手く受け流していたのである。

 その術を知らないフェイトは、まさに成すがまま。

 可哀想にも思えたが、それよりも目の前で繰り広げられる光景のせいで資料に集中出来ない。

 恵一は、諌める様な口調で声を上げた。


「二人とも仕事しなさい」


 すると、アリナが恨めしそうに睨みつけて来る。


「あんたら居ると集中出来ないから休憩」

「休憩で私の胸を揉むのやめてください!」


 会話をしていても揉み続けるなんてさすがはアリナ、と友人に不名誉な称賛を贈りながら、恵一は彼女達に背を向け、失踪者リストを見る事にした。


「フェイトちゃん。今彼氏とか居ないの?」


 しかし、背後から聞こえて来たワードに恵一は、思わず振り向いてしまった。

 アリナの質問に、フェイトは顔を背けて目を瞑る。


「プライベートです」


 アリナは、フェイトの頬に鼻を近付けると匂いを嗅ぎ始めた。


「その反応は居ないなー。つーか男性経験ないでしょー」


 アリナの言葉でフェイトの顔が茹でたタコの様に真っ赤に染まる。

 眼は泳ぎ、口を鯉のようにパクパクさせて動揺を露わにする。


「えっ、なんで!?」


 フェイトが聞くと、アリナは、自分の鼻を人差し指で叩いた。


「匂いで分かるのさ」


 本来心地よいはずのマジックウッドの匂いが悪臭レベルにまで昇華されているこの部屋でよく分かる物だ、とアリナの犬並の嗅覚を心の中でまたも称賛する恵一であった。

 視線を資料に戻そうとした瞬間、アリナがこちらをじっと見ている事に、恵一は気が付いた。

 何やら悪戯っ子のような笑みである事から、ろくでもない事を考えているのだと確信する。


「初めての相手に恵一とかどうよ、どうよ。イケメンだし。将来有望だぜ」


 先程よりもフェイトの顔が真っ赤に染まってしまい、既にトマトと同等の赤さである。

 さすがにこれではフェイトがかわいそうだと思った恵一は助け船を出す事にした。


「よしてくれ。僕が女性苦手なの知ってるだろ」


 アリナはフェイトを強く胸に抱き締めながら首を傾けた。


「なら男と結婚するの?」

「する訳ないだろ。僕はストレートだ。恐怖症を克服するまで恋愛はお休みするってだけ」

「フェイトちゃんで克服すればいいじゃん」


 確かに恵一は、フェイトと知り合ってからまだ日は浅いが、どこか彼女の事を気に入っていた。

 恋愛感情でないのは明らかだが、それでもこの可愛らしい相棒と過ごす日々が楽しく感じられたのだ。

 もしも女性恐怖症が治ったら、そんな未来に彼女が隣に居てくれたら、想像してみると存外悪い物ではないと恵一は思った。

 フェイトは自分をどう思っているのか、ここに来て恵一は急にそれが気になって来たのである。

 初日の酷い対応はマイナスだろうがそれ以降、フェイトとの関係は悪くないと恵自負していた。

 彼女の想いを聞いてみたい衝動に駆られるが、嫌われている可能性もなくはない。

 真実を知るのが怖くなって恵一は、リストに目を落とし、仕事に戻る決意をした。


「からかう暇があるなら手伝ってよ」


 アリナは、開き直ったかのように胸を張った。


「私の仕事は資料探し。被害者探しじゃない」

「はいはい」


 これ以上の説得は無駄と判断して、恵一がリストを読み進めていると、アリナが一枚の資料を手に取り、声を上げた。


「あ、これじゃない」


 恵一は、持っていた資料を床に置いて、アリナの元へ行く。


「どれ」

「これ」


 アリナが手渡して来た資料の写真。

 それは十中八九、被害者の女性と同じであった。

 名前はユーリ・ランド。二十八歳の女性で三日前に失踪届けが出されている。


「本当だ。ありがとう」


 恵一が感謝の意を伝えると、アリナは、右手を差し出した。


「なに?」


 恵一が聞くと、


「お金」


 アリナは、実に簡潔に答えて見せた。


「君ね」


 恵一が呆れ顔で見つめても、アリナは、気にしていない様で右手を宙でひらひらとさせている。


「給料ちょうだいな。本来しなくていい仕事したんだから」


 彼女の主張も分からないではない。

 しかし恵一にとっては釈然としないし、府にも落ちないのだ。

 金を渡したくない恵一は、ふと心の中で囁いた悪魔に魂を売る事にした。


「じゃあ巡査を好きにしていいよ。一分間だけ」

「先輩!?」


 奇声を上げるフェイトを無視しながら恵一は、ユーリ・ランドの資料を持って、資料室から出ていった。


「しょうがいなぁ。手を打とう」


 アリナは、目を輝かせてフェイトの身体を見つめた。

 一分間は自分の物。相棒からの許可も得た。震える女の子を強引に好き勝手するのも悪くはない。様々な思いが交錯する中、アリナはフェイトに手を伸ばした。


「ちょっと待ってくださ……いやあああああ!!」


 それからフェイトの悲鳴は一分間響き続け、資料室を支配したのであった。

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