第3話
油と脂とスパイスの匂いが充満する中に、恵一とフェイトは居た。
恵一はともかく、可憐な少女であるフェイトには、あまり似つかわしいとは言えない空間であろう。
食事は、恵一行きつけのフライドチキンの有名チェーン店「グーグーチキン」で取る事になり、二人はその店内に居た。
リアスサンで生まれた「グーグーチキン」は、今や世界中に支店を持つ大企業で、恵一はここのチキンを日に三ピースも食べるのだ。
恵一とフェイトが入った警察庁前店は、ランチタイムという事もあって、警察官とサラリーマンでごった返している。
二人は、窓際のカウンター席に並んで座り、外を眺めながらフライドチキンにかぶり付いていた。
十数種類のスパイスで味付けされたジューシーなチキンは、チェーン店の味とは思えない高級感がある。口内に広がる刺激的な肉汁を飲み干すと恵一は、食べ掛けのチキンをバスケットの上に置いた。
「ごめんね」
恵一が謝罪を口にするとフェイトは食べる手を止めて、素っ頓狂な声を上げた。
「はい?」
「さっきから酷い態度を取ってしまって。それにぶったりして」
恵一は、出会ってからフェイトに取った行動全てを後悔していた。
例え女性恐怖症だとしても、彼女への態度はあまりに辛辣であると。
しかしフェイトは全く気にしていないと告げるように笑みを浮かべていた
「いえ、誰にでも苦手な物はありますから」
「ほんとにごめんね。慣れてない女性に突然触られるとついパニックに」
「じゃあなるべく触ったり、近付いたりしないようにしますね」
傍から聞けば、相当に酷い返答であるが、フェイトの気遣いが恵一には嬉しかった。
「ごめん。お詫びにしては安いけど、ここは僕が払うから」
「いえ、お金ならあります」
「お詫びさせてよ。それに、ここも付き合わせてしまったし。揚げ物なんて普段食べないだろう?」
フェイトは、華奢な体格でありながら付くべき所にはちゃんと肉が付いていた。
特に胸の膨らみは、制服の上からでもはっきりと分かる。
相当気を付けて管理しないとこういったスタイルにならないはずだ。
しかし当のフェイト本人は自覚がないのか、ジュースを飲みながら不思議そうにしている。
「どうしてですか?」
「あ、いや。スタイルいいからさ。気を使ってるんじゃないかと」
恵一は言い終えてから、セクハラまがいの発言をした事に気付いて戸惑った。
数十秒前に女性恐怖症を宣言しておいて、彼女の身体をまじまじと見ていた事になる。
本末転倒。そんな単語が恵一の脳内をぐるぐると回った。
しかしフェイトの見せる笑顔にはまったく嫌悪は滲んでおらず、むしろやり取りを楽しんでいる、そんな印象を恵一に抱かせた。
「そんなに気は使っていませんよ。私結構太り難いんです」
チキンを持ち、悪戯っぽく笑うフェイトの愛らしさに、恵一の胸に針で刺されるのに似た感覚が走る。
どうやら女性が苦手でも、可愛らしい姿にはときめきを感じるらしい。
自己分析も程々に恵一もチキンを手に取り、頬張った。
「そっか。じゃあ僕と同じだ」
クスッと微笑み、フェイトが頷いた。
「これを食べたらどうしますか?」
そう尋ねられた途端、楽しげな気分に浸っていた恵一は一気に現実へ引き戻される。
フェイトの言葉で被害者の姿が脳裏に蘇ったのだ。
恵一、自らのすべき事を思い出し、言を発した。
「とりあえず本部に帰って資料のチェックをしようか」
「了解です」
二人は次の行動を確認し合うと、フライドチキンを手早く腹に収めた。
グーグーチキンから警察庁に戻った恵一とフェイトは地下に造られた資料室へと向かった。
捜査資料のデータ化が始まって数十年経つが、紙媒体の資料が現在でも主流である。
特に恵一は実際に手にとって資料を眺めるタイプだったのであまりパソコンのデータを見る事はなかった。
恵一が資料室の扉を開けた途端、香水を零した様な強烈な香りが鼻を突く。初体験のフェイトは咄嗟に鼻を摘まんだが、無理もないだろう。
室内は薄暗く、入口の正面に作りのしっかりした木製のカウンターテーブルが置かれており、その奥には捜査資料を収める棚と、そこに入り切らなかった資料の山が床に積み上げられている。
「おやおや恵一君。女嫌いがまた美女を連れてるね」
恵一がカウンターテーブルを見やると、そこには小柄な女性が座っていた。
百五十センチもない背丈の女性なのだが、愛嬌のある顔に眼鏡を掛けており、ショートヘヤーが相まってその容姿は美人と言ってよい。
くたびれたシャツの上に皺だらけの白衣を羽織っており、服装には無頓着である事は誰の目にも明らかだ。
恵一は彼女の興味の対象となったフェイトを手で示す。
「新人のリーンベイル巡査だよ。こちらは、資料管理官のアリナ・ミリエ」
アリナ・ミリエ、二十四歳。
資料室勤務の魔導師で得意系統は捜索魔法。
恵一が学生だった頃からの知人であり、悪友でもある。
アリナはカウンターテーブルを飛び越えてフェイトの眼前に立った。
身長が百六十センチ前半あるフェイトと並ぶと余計にアリナの小柄さは際立つ。
「よろしくリーンベイルちゃん」
アリナが手を差し出すと、フェイトは笑みを浮かべて手を握り返した。
「よろしくお願いします」
フェイトの第一声にアリナの顔が紅潮していく。
どうやら彼女のお眼鏡に叶ったらしい事に恵一は、今後フェイトが置かれるであろう過酷過ぎる運命に対して憐れみを抱いた。
そんな恵一の想いも尻目にアリナは、フェイトの手を離そうとはせず握りしめたまま、詰め寄っていった。
「名前はなんて言うの、上の」
「フェイト……です」
「フェイトちゃんとか超可愛いんですけどー!!」
いくら小柄の女性とは言え、初対面の相手にいきなり興奮気味で鼻息荒く近付いてこられたら、誰でも恐怖を抱くだろう。
愛想の良いフェイトがアリナと出会ってから僅か一分程で苦笑しているのを見て恵一は閉口していた。
「いやーフェイトちゃんか~かわええ名前やねー。恵一君も名前まで呼んだげなよ、フェイトちゅわんって」
「類似した事件の資料を探して欲しいんだ」
アリナが調子に乗ると、一時間は雑談に付き合わされる事が往々にしてある。
恵一が話題を切り替えるとアリナは唇を尖らせた。
「仕事人間はこれだから。いいよ。どんな資料」
アリナがムーンサルトを決めながら、アクロバティックなアクションで受け付け用のカウンターテーブルを飛び越えると恵一は顎先を指で叩いた。
「殺人事件。死因は失血死。手口は魔力刃での頸動脈切断」
「あいよー」
恵一の要望を聞き終えたアリナがゆっくりと目を閉じる。
深く息を吸い込み、音が聞き取れない程静かに吐き出す。
数度呼吸を続けると、アリナの身体が黄金に光り輝き、部屋に置かれた資料棚が震え出した。
アリナが両手を大きく開いて掲げると一斉に棚や床に積まれた山から資料が飛び出し、アリナの両手の間にある空間へ集まって激しく回転し出した。
アリナが息を吐き出しながら手を下ろしていくとそれに比例して、資料の動きが緩慢になっていく。
彼女が両手をカウンターテーブルに付くと、丁寧に重ねられた資料の束がテーブルの上に置かれた。
魔法による資料検索と整理を初めて見たのか、フェイトが感嘆の声を漏らした。
「アリナさんすごいです!!」
称賛を受けたアリナは、鼻を鳴らしながらカウンターテーブルを乗り越えて恵一に資料を手渡した。
「こんぐらいかね」
「助かるよ」
恵一が資料を受け取るとアリナは、唇を突き出して身体をくねらせ始めた。
「そう思うならフェイトちゃんとチューしてよチュー。最近ラブシーン見てないからさ」
アリナの行動と台詞に恵一は再度辟易とした。
恵一が優子と資料室を訪れる度、キスだのハグだのをせがまれるのである。
どうやらターゲットにされているのは恵一だけでなく、男女ペアの刑事全員らしく、アリナの居る第二資料室は他と比べて訪れる人が少なかった。
けれどもそれは受け渡しの待ち時間がないと言う裏返しでもあり、アリナの検索術が優秀なのも手伝って、彼女の性格を考慮に入れても恵一は、よくこの資料室を利用している。
「お断りします」
慣れた調子で恵一が切り返すと、アリナが驚愕して受付から飛び出してきた。
「フェイトちゃんとキス出来ないって!! こんな可愛いのに!?」
「僕が女性恐怖症なの知ってるでしょ」
恵一の言葉にアリナは、舌打ちをして受付カウンターに戻って行った。
受付の上には隙間なくマジックウッドが置かれており、強烈な香りが貰った資料にも染み付いている。
「この部屋の匂い相変わらずだね」
「えーいいじゃん。マジックウッドは読み物をする時最適な香りなんだよ」
アリナの言うようにマジックウッドは、心を落ち着かせるリラックス効果がある。
実際にベルガモットに似た良い香りがするし、マジックアイテムの調合にもよく使われていた。
とは言え、香水を大量に振り撒いたら不快なのと同じで、数十個のマジックウッドを同じ場所に置いたら嗅ぐに耐えない香りとなる。
「図書館行かないの? よく置いてあるじゃんか」
「こんなたくさん置いてる所はないよ。そうだ、こんなにあるなら一個くれない? 魔法弾用の材料に使いたいんだ」
「また趣味の調合か。理系のオタクはこれだからねー」
恵一は学生時代から魔法弾の調合を趣味としている。
給料の大半は調合材料費に消える程のめり込んでおり、丁度現在試作中の魔法弾にマジックウッドが必要であった。
マジックウッドは大変な高級品で、苗一つで軽自動車が買える。
その価値を知っているアリナは目の前にあった鉢を抱き抱えるとわざとらしい嗚咽を漏らした。
「ダメ! 高いんだから! さっさと行け! 行かないとフェイトちゃんにチューするぞ!!」
マジックウッドは交渉の余地もなく、とりあえず欲しい物も手に入ったので、恵一はアリナの言を無視して資料室を後にした。
少し遅れて付いてきたフェイトを見やると困惑の色を浮かべている。
「変わった人ですね」
「優秀さの代償だよ、きっと」
アリナに付いての会話をしながら恵一とフェイトは、魔法犯罪課のオフィスに戻った。
早速二人はデスクに資料を広げ、類似した事件の資料に目を通し始める。
それから一時間、資料読みに没頭したが、これといった成果は得られなかった。
恵一は文字を追い、疲れた目頭を指で押さえた。
「こっちは全滅。解決済みだし、全部の血が抜かれた事件はない」
「こっちも完璧に同じな事件はありませんね。手掛かりなしかー」
フェイトも空振りだったらしく、デスクにぐったり伏せて落胆を露わにする。
しかし得られた情報がないわけではない。
恵一は微笑みながらデスクに突っ伏し、フェイトと視線を合わせた。
「リーンベイル巡査、そうでもないよ」
そう、現場には、たくさんの手掛かりがあった。
新しい証拠がない以上、これらで推理を構築するのが現状出来る事。
「でも、何も見つからないなんて」
しかしフェイトは不満そうに唇を尖らせた。
捜査が進展しないから焦りを覚えているのだろう。
こういう時はどっしりと構えた方がいいのだが、新人であるフェイトにそれを期待するのは酷であろう。
恵一は身体を起こして顎を親指、人差し指、中指の三本で撫でた。
フェイトの気を紛らわすために、今ある材料の中で一番の気掛かりについての推理を始めようと思ったのだ。
「一番の疑問は、遺体の捨て場所なんだ」
恵一が言うとフェイトは、自身のデスクに置かれた現場写真を見る。
「そういえば。引っかかってましたね」
「やっぱり手際の良さに比べるとって感じかな。これだけ慣れた犯人がなんでわざわざ見つかりやすい場所に。類似の事件がないところを見ると、こういう捨て方をしたのは今回が初めてなのかも。中々捕まえられない警察への挑戦とか、なにかのメッセージ」
フェイトは、腑に落ちたのか頷いている。
「そっか。確かにそれなら理由にはなります」
顎を撫でながら恵一は視線を落として、現場の光景を思い描いた。
「それから血を抜いた意味だ。君も気にしてたけど、やっぱり重要な意味があると思う。何かの儀式なのか。それとも」
こうした特徴的な行動は、プロファイリングにおいて大きな意味を持つ。
特に今回の様な猟奇殺人ともなるとその重要性は増してくる。
血液を抜くのは、犯人の妄想に基づいた行為か。
それとも抜かざるを得ない理由があったのか。
それを考察する事でより犯人の思考に近付き、行動を分析しやすくなる。
「でも殺しだけが目的なら大変じゃありませんか。あんな綺麗に血を抜くなんて」
「戦利品かも」
「戦利品?」
「殺人犯は、自分の犯行を思い出せるように戦利品を取っておく場合があるんだ。形は犯人毎に様々だから、こういうものがあってもおかしくはない」
「じゃあ血は、取っておいて有るって事ですか?」
「もしくは、失血死させる事に拘りがあるかだね」
「性的動機なら血が流れていく場面に興奮するとかですか?」
「どうだろう。何にせよ、遺体の遺棄と血を抜く。この二点は意味のある行動だと思うね。理由を考えないと」
「なるほど」
目を丸くしているフェイトを尻目に恵一は、自分のデスクに置かれた電話を見つめた。
「でも分からない事が多いね。検死の結果で何か分かればいいんだけど」
そう言い終わったと同時に、突然電話が鳴り響き、恵一の肩がピクリと上がった。
「先輩」
「噂をすれば」
犯人への手掛かりを期待しながら恵一は、受話器を手に取った。
磯山から検死報告に立ち会って欲しいとの連絡を受け、恵一とフェイトは市警が管理する遺体安置所を訪れていた。
メンソールの匂いが充満する検死室の壁と床は、緑色のタイルで覆われ、スチールで出来た腰の高さ程の台が中央に置かれており、その上に被害者の男性が寝かせられている。
「わざわざ来てもらって悪いね」
磯山の口振りは本心では思っていないのかとても軽い。
事務的な言葉である事にこれといった嫌悪は抱かず、恵一は笑顔で返した。
「いえ。何か分かりましたか?」
「頼むよ」
磯山が目配せした先には、頭頂部まで禿げ上がった監察医が立っていた。
小太りで人当たりの良さそうな監察医は、手術着の上に白衣を纏いながら検死報告書を読み上げる。
「死亡推定時刻は、昨日の深夜。死因は頸動脈からの失血死です。全身の血液が殆ど全て抜かれています。ですが、僅かに残っていた血液から鎮静剤の成分が検出されました。それと首元の切断面と全身から残留魔力反応が出ましたから、容疑者特定のカギになるかと」
全身から魔力が検出、というワードに恵一は反応した。
「全身ってどういう事ですか?」
「遺体に魔法をかけていたんでしょう。残留魔力から推測するに、多分光学魔法」
「なるほど。犯人が遺体をばれずに捨てたのはそういう事か」
光学魔法は、軍で使われる取得制限魔法である。
光の屈折を利用して姿を隠す事が可能な魔法だ。
その悪用しやすい性能から取得制限はかなり厳しく、軍の中でも専門の特殊部隊でしか取得する事は出来ない。
恐らく犯人は光学魔法を使って姿を隠し、遺体を捨てた。
光学魔法にはある程度の持続効果もあるから犯人が立ち去って、時間が経ってから遺体の魔法が解けるように設定したのだろう。
それが恵一の推理であった。
ただしここである前提が崩れる。
光学魔法は軍事機密とされる取得制限魔法だ。
つまり軍の魔法科特殊部隊や隠密部隊に所属した経験でもなければ取得は難しい。
恵一のプロファイリングでは犯人は西洋系の男性・大病院に勤務している三十代から四十代の医者である。
ここに来てプロファイリングは修正を余儀なくされる。
第一の可能性として軍医だ。
戦場に置いて軍医は貴重な存在だ。
それを失う事は戦場にあって大きな痛手となる。
そのため軍医は、光学魔法の取得を許されているのだ。
さらに軍医には魔導医師が多い。
魔導医師は、治癒魔法で特別な治療道具なしでも治療が可能だ。
戦場で場所と道具を問わず治療する場面も想定される軍医には必須とも言える能力である。
このような軍医が退役し、病院勤務となったのだろうか。
第二に特殊部隊への所属経験を持つ軍人である可能性も高い。
彼等も人体の急所については熟知しているし、光学魔法の存在が出て来た以上、こちらのプロファイリングも犯人像と一致する確率が高い。
まだプロファイリングの材料が少なく、暗月で黒一色に塗られた海中で、針を見つけるに等しい状態。
医者、元軍医、現役か退役した特殊部隊の隊員。
随分職種の幅が広がってしまった。
頭を悩ませている恵一を余所に、魔法に関して門外漢である磯山は監察医と恵一が行っていたやり取りに、流行りの若者言葉を聞かされた老人のごとく首を傾げていた。
「姿を消せるってのもあれだが、残留魔力でどうやって犯人を捜すんだ?」
「魔力は指紋と同じで個人個人で違うんですよ」
恵一の回答を聞いても磯山は理解していないようである。
「どういう事だ?」
肩をすくめる磯山を見兼ねたのか、フェイトが口火を切った。
「魔法って個人個人で得意不得意がありますよね。そういう要素は個人の持つ魔法因子で決まるんです」
「そうなのか」
魔法犯罪に慣れていない以前に、磯山は一般常識レベルの魔法知識さえ持ち合わせていないらしい。
既に人類の生活基盤とまでなっている魔法技術への理解が低い人間は決して少なくはないが、ここまでの人物はそうそう居ない。
しかしフェイトは、嫌な顔一つせずに解説を続けた。
「はい。魔法因子は数億存在していて、それぞれの出力が個人個人で異なります。A因子は千、B因子は六千という具合です。この数字が個人の持っている数億の魔法因子分存在する訳ですから、組み合わせは実質無限です。だから指紋より正確に個人を特定出来るんですよ」
「イマイチ理解出来てないが、ようするに犯人逮捕に近付いてるって事だな」
未だ咀嚼し切れていない磯山にフェイトがさらに補足しようと身を乗り出した。
ここで恵一は視線を送ってフェイトを留める。
老刑事が理解するまで説明をしていたら日が暮れてしまう、その時間がもったいない。
「あとはサンプルを採って照合すれば。ただ容疑者が上がらない現状では」
魔力サンプルを採り、照合するには容疑者と照合するに足る確実な証拠が居る。
そのどちらも欠けている今、残留魔力が取れた所で無意味であった。
ここで磯山がある疑問に口にした。
「でも指紋はデータベースがあるだろ? 魔力にもあるなら魔導師データベースだっけ? あれと照会してみるのはどうだ」
「リアスサン国籍を持つ魔導師の魔力サンプルのデータベースを警察は作ろうとしたんですが、魔導師保護団体や国連の魔導師人権保護委員会から突き上げを食らって頓挫したんです。前歴者の魔力サンプルは警察が所有していますがこの犯人に恐らく前歴はない。試してはみますが無駄でしょう」
「何でそんな事になったんだ?」
「魔導師狩りの話です。魔導師はどんなトリックも可能です」
「それがなんだ?」
「ほんの百年前まで、警察が証拠なしに魔導師を摘発する事件が多発したんですよ。それで無数の冤罪が生まれ、多くの魔導師が死刑になり、弾圧の対象ともなったんです」
人類の歴史において幾度かあった大きな戦争と同じ黒い歴史。
真実を闇に葬り、罪なき魔導師達を糾弾した時代。
その頃のツケを今の世代の恵一達が払わされているという訳だ。
恵一がそう告げると磯山は、悔しそうに唇を噛み締めた。
「くそ。どうすりゃいいんだ」
恵一が俯きながら思案していると、フェイトが監察医に声を掛けた。
「他に変わった所はないんでしょうか?」
「ありますよ。血液型です」
監察医の言葉に、恵一が顔を上げる。
「血液型?」
「ええ、とても珍しい血液型です。数万人に一人でしょう。ですから医療記録を照会して同じ血液型の患者を探せば被害者の身元は判明するでしょう」
そう言い終わると監察医は、恵一に司法解剖のデータが書かれた紙を手渡した。
血液型の欄にKO型と、恵一が見た事もない血液型が書かれている。
「ありがとうございます。磯山さん早速こちらで調べてみます」
「こっちでもやってみるよ。何か分かったらまた連絡する」
互いの作業を確信し合って磯山と別れると、恵一とフェイトは遺体安置所を後にした。
それから恵一は、市内にある各病院に血液型の一致する患者に付いて問い合わせ、 被害者の身元が分かったのは、恵一が遺体安置所を訪れた翌日の事であった。
被害者の名前はトーマス・キンバリー、五十二歳。
自動車メーカーの重役で、七人家族の大黒柱であった。
逮捕歴はおろか駐車違反すらした事のない善良な市民で、書類上は殺される程の恨みを抱かれる人物ではない。
そのような好人物の死を遺族に伝える役目は心苦しく、こちらの精神にも負担は大きいのだ。
恵一がトーマス・キンバリーの家を訪れると、奇しくも日曜日のせいか家族全員が在宅していた。
トーマスの妻、メリンダに通されたリビングは、白い壁紙で清潔感があり、棚には数々のアンティーク品が置かれていたが、これ見よがしではなく自然に配置されている為、嫌味さを感じさせない。
むしろリビングで存在を強く主張しているのは、棚の上に置かれている金縁の額に入れられた多くの家族写真だ。
それらは皆笑顔を浮かべる家族の団欒を写した写真で、トーマス・キンバリーの人柄がとても良く伝わってくる。
きっと幸せな家族だったのだろう。
恵一がトーマスの死を告げてから十分が過ぎても、妻メリンダと五人の子供達の嗚咽が止む事はなかった。
恵一も本音を言えば、一刻も早く被害者に付いての情報が欲しかった。
敵は居たのか、居ないのか。
その情報があれば今回の事件が被害者を無差別に選ぶ通り魔的犯行か、トーマスを狙った計画的犯行なのかが分かる。
無論特殊な血液型や手口を考えると後者の可能性が高いと恵一は推理していたが、確証が欲しかった。
だが悲しみに暮れる遺族に鞭打つ真似が出来る程、恵一は割り切れない。
恵一とフェイトは、ソファーに並んで座りながら彼等が落ちつくのを待った。
それからさらに三十分が経った頃、メリンダが立ち上がり、子供達にそれぞれの部屋に行くよう告げた。
そしてリビングに残されたのが恵一、フェイト、メリンダの三人になった所で恵一が重くなった唇を開いた。
「ご主人は、どんな方でしたか?」
恵一が話し掛けると、メリンダは一人用のソファーに深く腰掛け直した。
「とてもいい人です。いえ、いい人でした。ごめんなさい」
恵一は静かに首を振りつつ、目を細めた。
「いえ」
またも流れる沈黙。
しかし恵一は急かす事はせず、メリンダから口を開くのを待った。
「父親としても夫としても最高の人です。なのにどうして……」
メリンダは崩れるように俯くと、手に持ったハンカチで顔を抑えた。
恵一も追い打ちをかける真似をしたくなかったが、何としても犯人を捕まえる必要がある。
感情を殺して恵一は、メリンダを見やった。
「こんな時にお辛いとは思いますが二、三お伺いしたい事が」
ハンカチで涙を拭いながらメリンダが顔を上げて恵一と向き合った。
「はい。なんでも」
「ご主人に敵は居ましたか? 会社とか、知人とか、なんでも。恨みを買うような事は」
恵一の投げかけた形式的な質問にメリンダは、懐かしんでいる様な笑みを浮かべた。
「いいえ。根の部分まで優しさで出来たような人でしたので、恨みを買うような事はありませんでした」
妻の話ぶりは淀みなく、嘘をついている様子はない。
家の雰囲気と子供達の反応を思い出し、改めてトーマス・キンバリーが愛されていた事を実感する。
「ご主人は、どこかご病気を? 病院に通われていたようですが」
「ええ。ヘルニアと言う病気に掛ってしまったので。手術をしたんですが最近再発して」
「主治医は?」
恵一が聞くとメリンダは、医師の名前を思い出しているのか、間を置いてから答えた。
「クライス・ウォーマン先生とライリー・カーマイン先生です。最初はカーマイン先生に見て頂いて主人も先生の事は気に入っていたのですが、お忙しい方で重症患者の方を優先して」
「そうですか。御両人とも魔導医師?」
「はい。お二方とも」
被害者の傷口を見た際に浮かんだ犯人の職業の候補、その最有力である魔導医師。
恵一の中である疑惑が確信へと近付く。
それは何らかの理由でどちらかの医師がトーマスを殺害したのではないかという可能性。
「奥さん。ご主人を殺害した犯人は必ず逮捕します」
メリンダに会釈をして恵一とフェイトは、キンバリー家を後にした。