最終話
二十分ほど進むと、辺りの光景はがらりと変わった。
周囲は木々で埋め尽くされ、日の光は殆ど差し込まずに薄暗い。
道も舗装されておらず、まるでロデオマシンの様に車体が激しく上下する。
車酔いになりかけながら一時間近く車を走らせると、古びた木造の小屋が恵一の視界に入った。
ここがリリー・エヴァン官房長の所有している別荘なのだろう。
車から降りて恵一とフェイトは小屋に近付いた。
別荘自体は、それなりの大きさがあるが、木製の外壁は既に腐食が進んでおり、シロアリが群がっている。
恵一は魔法銃を取り出し、入口の扉に歩み寄る。
フェイトに視線で合図を送り、彼女にも魔法銃を構えさせた。
恵一は、扉の右側、フェイトは左側に陣取る。
扉を開けようとフェイトがドアノブに手を掛けるが鍵が掛っているのか開かなかった。
恵一は、扉の前に移動すると渾身の力を込めて扉を蹴破り、屋内に入った。
「動くな」
小屋の中で見つけた人影に恵一は、銃を構えた。
目だけ動かして室内を見回すが、家具は椅子の一つさえ置かれていない。
そこに居るのは、背を向けて手を上げる黒服の男。
そして室内全体に広がる魔法陣の中心に寝かされている女性である。
「優秀だね。侮っていた」
男は、微笑みながら振り返り、顔を見せた。
その顔を見間違うはずもない。
彼こそが真犯人、ライリー・カーマインだ。
遂に追い詰めた。待望の瞬間に恵一は顔を綻ばせる。
「もう全て分かったよ」
「なにがだい?」
「あなたが何を成そうとしていたか。何のために三十人以上の命を奪ったのか」
「そうか。本当にすごいな、君は。そうだよ、彼女が僕の」
ライリーが視線を落とした先、そこにあるモノを見た恵一の背筋を悪寒が撫でた。
それは、部位の所々を縫合された肉の人形だった。
顔は、鼻や瞼に唇、耳等各種パーツが縫い付けられており、他の部位も同様に至る所が縫合されている。
「あなたの亡くなった母親」
フェイトの問いにライリーは禍々しく微笑んだ。
「そう。母さんだ。エリー・カーマイン」
ライリーは、まるで幼少期を懐かしむ様な顔で〝母親〟を見つめた。
「どうしてこんな事」
凶行の成果を目撃し、ついに理解し難いのだろう。フェイトは震える声で呟いた。
亡くなった母親を作る。
常軌を逸した行動だが、ライリーにとってはそうではない。
恵一はプロファイラーとしての所見を改めてフェイトに伝えた。
「母親を亡くしたのがストレス要因となり、幼少期の彼を壊した。それが彼の全てを変えたんだ。父親を恨み、周りの人間を利用する。そんな怪物に変えてしまったんだよ」
「僕の精神分析かい。面白い、続けてくれ」
「いいや、終わりだ。君はシリアルキラー、ここで逮捕する」
恵一が銃を向けたまま近付こうとすると、ライリーは顔を手で覆い、高笑いを始めた。
「確かに終わりだ。もう終わった。やっと出来たんだ。完全な母さんが。見てくれ、母さんそのままだ!」
「それはあなたのお母さんじゃありません! あなたが殺した人達です!!」
フェイトの怒号が響くと、ライリーの瞳から涙が零れ出した。
「君に何が分かる!! 僕は、母さんを何より愛していた。悲しい時は、抱き締めてくれて、優しく僕の頭を撫ででくれた……撫でてくれた! もう一度でいいからそうして欲しかったんだ!!」
泣き喚くライリーの膝が折れ、床に手をついた。
止め処なく溢れ出る落涙を目の当たりにしてフェイトの浮かべる感情から怒りが失せ、その表情は、母を失った男への憐みに代わっていた。
「でも。でも!」
「ああ、君の言う通りだ。僕のした事は間違っている。取り返しのつかない事をしてしまった。償わなければ」
ライリーは、縋る様な視線を送り、フェイトに手を伸ばした。
その様はまるで救済を求める少年の姿にも見える。
「止められなかったんだ。母さんに会いたくて。僕は……母さんに」
憐みから今度は、ライリーへの同情にフェイトの表情が変わると、真っすぐに向けていた銃口が僅かに下がった。
ライリーに気を許しそうになっている。
そう判断した恵一が、声を上げた。
「フェイト油断しちゃだめだ」
「え?」
我に返った様に、フェイトが恵一を見つめた。
それを横目に確認して、恵一はライリーから視線を離す事無く語った。
「彼はそんな事毛ほども思っちゃいない。情に訴えて僕達が隙を見せたらすぐにでも殺すつもりだ。彼のようなシリアルキラーは、そうやって人を操って生きて来た。彼の言葉感情の一切全てを信じるな。僕だけを信じろ」
恵一が言い終えるや否やライリーは立ち上がって、笑みを見せた。
それは凶行を犯す者が浮かべる歪み切った矯正しようのない笑顔。
ライリーが心底から浮かべる本当の笑み。
「君は一筋縄じゃいかないな。面白い男だ。君は最初から僕に目を付けていた。どうしてだ」
「プロファイリングと勘だよ」
「そんな不確かな物を信じたのかい?」
「生憎どっちも外した事がないんでね。証拠はなくてもお前が犯人だと確信してた」
あっさり言ってのける恵一を見つめ、ライリーは溜息をついて微笑んだ。
「恐れ入る。君は強敵だったよ、新巻刑事。今度ゆっくり話そう」
「それは望むところだ。僕もプロファイラーだ。君には研究対象として興味がある。さぁ行こうか」
恵一が手錠を取り出し、ライリーに手を伸ばした瞬間、背中を燃え上がるような感覚が襲った。
腹の中を突き進む違和感。
やがて身体中の力が意思に反して抜け切って、床に吸い込まれた。
「先輩!!」
ぼんやりとした意識の中でフェイトの悲鳴が耳をつんざくと、彼女が身体を抱き起こしてくれる。
状況が未だ飲み込めない中、腹と背中に張り付く生温かい感触が何とも嫌に思え、恵一は腹にこびり付いたそれを右手で拭い取った。
正体が気になって手を見ると何故か真っ赤に染まっている。
「なんで赤いの……」
先程襲われた感覚と今自分が置かれている状態、そして腹と背中から出る赤い何か。
「撃たれた……のか」
自分に言い聞かせる様に囁いてようやく恵一は、自信がどんな状況に居るかを把握する事が出来た。
背後から撃たれたのだ。とすればライリーに撃たれた訳ではない。
恵一を抱き締め、泣きじゃくっているフェイトがそんな事をするはずもない。
「武器を捨てて投降しろ。新巻恵一」
聞き覚えのある声に恵一が小屋の入口を見つめる。
そこに居たのは、硝煙の上がる拳銃を持った警察庁長官ラルフ・カートマンの姿だった。
そして短機関銃を手にした特殊部隊数名が小屋に入って来て恵一とフェイトを取り囲んだ。
「長官……あなた、さすがですよ」
恵一の口から出たのは恨み事ではなく、敵への賛辞であった。
恐らく先程追跡してきたSUVはおとり。
わざと倒させる事で追手を振り切ったと、恵一とフェイトを安堵させ、警戒を解く為の罠だ。
そして別働隊としてラルフ本人が直接別荘に来た。
恵一には完全にしてやられた事に対する不満はない。
読み誤った自身の責任であるから。
唯一の後悔は相棒のフェイトを巻き込んでしまった事だ。
「フェイトは逃がしてくれ、関係ない……僕が脅して、無理やり協力させた」
「先輩!?」
戸惑いの声を上げるフェイトだったが、彼女にだけは、逃げて欲しい。恵一が思い残す唯一の事だ。
「いやです!!」
悲鳴のような声を上げて、フェイトは恵一を抱き締める腕に強く力を込めた。
震えている、けれども恵一を放しはしない。
フェイトから、そんな鋼鉄のように固い意思が伝わってくる。
「先輩。私は私の意思でここに居るんです。ここで逃げたら自分の気持ちに嘘ついた事になります。だから離れません。ラルフ長官、撃ちたいなら撃ちなさい」
「馬鹿言うな……フェイト。逃げろ……」
「逃げません。パートナーなんだから。生きるも死ぬも一緒です」
微笑みを浮かべ、フェイトは恵一の額にキスをした。
柔らかく暖かい唇の感触に、不思議と痛みが遠のいて、恵一の頬を涙が伝った。
そしてフェイトは恵一を胸に抱くと、そっと瞳を閉じた。
そんな二人の姿から目を逸らしたラルフは、何故か痛みを堪えるような声色で特殊部隊に指示を出した。
「両名とも射殺しろ」
短機関銃の銃口が一斉に恵一とフェイトに向けられる。
フェイトを庇ってやりたいのだが恵一の身体は、動こうとはしなかった。
懸命に手を伸ばしてフェイトの頬に触れる。
フェイトは微笑みながら、恵一の頭を撫でた。
その心地よさにいつの間にか、死の恐怖も痛みさえもなくなり、ただフェイトの温もりが恵一を満たしていった。
「待ちなさい!」
突如上がった聞き覚えのある、そして切望していた声に、夢うつつだった恵一は、現実へと戻され、フェイトと共に顔を上げた。
「課長!!」
フェイトが嬉々と叫ぶと、河内はラルフの背後から後頭部に銃を突き付けた状態で手を振った。
「河内か」
ラルフが吐き捨てるように言うと、小屋の中にジャック率いる図書館に来ていた捜査官全員と、そして優子が銃を構えて踏み込んで来た。
優子の姿を見つけた事に恵一は、危機的状況に置いて表情を緩ませた。
「優子……怪我平気なの?」
「平気。それよりも恵一は大丈夫?」
「すごく痛い……」
力無く恵一が笑うと優子は、柔和な笑みを返してくるが、すぐさま刀剣のように鋭利な眼光をラルフに突き付けた。
それは河内や他の仲間も同様で、特に河内のそれは今まで見た事ない程の切れ味を伴っていた。
「ここまでです。大人しく武器を捨てなさい」
「この私に銃口を向けるか、河内!」
ラルフの怒号が飛ぶが河内は一切怯む事無く、引き金に指を掛け続けている。
「あなたは変わってしまった。昔のあなたは息子であろうと罪を裁ける人だったのに」
「恩義を忘れたか? 貴様を警察官として教育し、相棒として貴様の命を幾度となく助けた。そんな私に銃を向けるのか?」
「ええ、昔のあなたは尊敬できる刑事だった。でも今は違う。残念ですよ、先輩」
「構わん。魔法犯罪課の全員を射殺しろ」
ラルフの指示が飛ぶが隊員達は、互いに顔を見合わせるばかりで従おうとはしない。彼等もこの状況に迷いを抱いたのだろう。
「何をしている? こいつらは反逆者だ。撃ち殺せ!」
ラルフは、尚も怒声を荒げ続けるが特殊部隊員達が動く気配はまったくない。
全てを失ったラルフの姿が哀れに思えて恵一が諭す様に発した。
「分からないんですか。もう誰もあなたをリーダーと思っていない」
もはや皆がラルフに向けるのは、彼への軽蔑と、憐れみと、そして権力を失った事への同情であった。
「撃ち殺せ!!」
如何に叫んでみた所で誰も反応はしない。虚しく沈黙が流れるだけである。
そんな中で河内がラルフの肩に手を置いた。
その表情は、心底に持っていたのだろう、旧友への慈愛で満ちている。
「あなたはむしろ誇るべきだ。自らの部下が、自分で善悪を判断出来る優秀な部下である事を。そんな人間を多く育んだ、あなたがここまでにした警察と言う組織を」
河内が言い終えるとラルフの身体から一気に力が抜け、膝を付いてしまった。
彼が折れた事に恵一は安堵の息を漏らす。
これで後はライリーを捕えるだけ。
そう思い、ライリーを見やると彼の表情からあらゆる色が消え失せていた。
「誰にも邪魔させない。そうだ、これ以上誰にもさせない」
ライリーの足元から光が広がると魔法陣が輝き出した。
「母さんと僕がまた一緒になれる。そこに貴様は必要ない」
ライリーが手を振るとメスの形状をした無数の光刃が空間を支配し、それがある一点を目指して飛翔する。
それはライリーの実の父親である、力無く項垂れるラルフ・カートマンであった。次々にそして無抵抗にラルフの身体を光刃が貫いて行く。
「ライリー……」
息子へ向けたのだろう、愛おしげに笑みを湛え、ラルフは瞳を閉じた。
血が噴き出しながら倒れていく父親を目の前にしても、ライリーは一瞥しただけであった。
「母さんを殺したくせに」
吐き捨てる様に言うとライリーは腕を振るった。と、その瞬間足元の魔法陣がより一層輝きを増して光が〝母親〟に集束していく。
相当量の魔力は、全てライリーによって制御された物。
殺人者とならなければ医師としてどれほどの人を救えただろう。だがどんな魔法の才に優れようと死者蘇生に成功した例は、確認されていない。
だから恵一は、目の前で起こった光景を受け入れる事が出来なかった。
〝母親〟の、エリーの身体が痙攣を始めたのである。
最初は魔力の流入に伴う現象かと思ったが、その域を越える動きをエリーは見せているのだ。
「母さん」
ライリーがその場にしゃがみながら呼び掛けると、エリーの腕が上がり、ライリーの顔に触れようとする。
「死者蘇生を本当に……そんな事ある訳が」
驚嘆の声を恵一が漏らすとエリーの両腕がライリーの首を掴んだ。咄嗟の事で姿勢を崩したライリーにエリーは、馬乗りになる。
それはもがき、逃れるべく抵抗するライリーの物か、首を絞めているエリーの腕から発せられているのかは分からないが、骨の軋む不快な音が恵一の耳にまで届いた。
「母さん! どうして! 苦しいよ!!」
涙で顔を濡らし、困惑の色を強めるライリーの問い掛けにエリーが答える事はない。
「母さあああん、なんでえええええ!! ああああああああああ!!」
エリーの縫い付けられた唇が笑みを湛えると、ライリーの首元に一層深く、彼女の指が食い込んだ。
「母さん。どうして」
何かが砕ける乾いた音が響き、ライリーの動きが止まった。
そしてエリーは、満足そうな笑みを浮かべたまま、身体から力が抜けていった。
まるで抱き締めるかの様にライリーに覆い被さると、もう二度と動く事はなかった。
状況を咀嚼出来ないのだろう、フェイトは、力の抜けた声で恵一を呼んだ。
「先輩」
「終わったんだ」
これで終わり。
そう自分に言い聞かせる意味も兼ねて恵一は言った。
だがフェイトは、今回の結末に納得がいっていない様で、恵一を抱く腕に力が籠る。
「こんな、こんな終わり方」
「こんなものさ。連続殺人犯の最後なんて」
事件の終結を噛み締める恵一を突如激痛が襲った。
撃たれた腹を見ると先程よりも出血の量が増している。
弾は貫通しているが、この調子で出血し続ければ助からない。
冷静に状況を分析する恵一の頭は何故か冴えていた。
「先輩!!」
フェイトの呼び掛ける声は、何とも心地がよい。
浮遊感に支配される身体を成行きに任せる事にして、
「先輩しっかりして!!」
恵一の意識は、白い闇に呑まれていった。
事件解決から一ヵ月後――
警察庁長官と官房長による殺人事件の隠蔽工作。
警察史上最大の不祥事は、メディアの格好の標的となり、国民の警察への信用は地に落ちた。
だが同時に圧力に屈せず事件を追い続けた新巻恵一とそのパートナー、フェイト・リーンベイルは、一躍時の人となった。
フェイト・リーンベイルは、当初の予定通り槙村優子と組み、新人教育を受ける運びとなった。毎日凄惨な事件と向き合いながらも懸命に仕事をしている。
新巻恵一は、一時意識不明の重体に陥ったが奇跡的に生還。
現在時折訪れるフェイトの見舞いを楽しみにしながら、一秒でも早く仕事に復帰するべくリハビリに励んでいる。
何故なら今回の事件での活躍とフェイトたっての希望で恵一が復帰した際には、フェイトと正式にパートナーを組む事が決まっていたからだ。
だから二人は、例え苦難の道でも互いに一人で歩み続ける。
「先輩!」
「やぁフェイト。嬉しいけど、昨日も来たじゃないか。退院はまだ先だよ?」
「だって……」
「ん?」
「毎日でも会いたいんだもん!!」
もう一度、二人並んで歩ける、その日を目指して。
おわり
最後まで読んでいただきありがとうございました!




