第12話
「巡査!?」
恵一は、フライドチキンを投げ出して崩れるフェイトの身体を抱き止めた。
力無いフェイトの身体に恵一が動揺していると、嗅ぎ慣れた匂いが鼻をつく。
フェイトの制服の左袖に穴が空き、そこから大量の鮮血が流れ出ていた。
撃たれた、そう確信した恵一は、フェイトを抱き抱えて、左手にあった路地裏に駆け込む。
フェイトを地面に寝かせて、恵一はホルスターから銃を抜いた。
路地裏の壁にぴったりと背を預け、顔だけ出して周囲の様子を確認する。
だが敵の姿は見えない。すると恵一の目の前にあったコンクリートの壁が突如抉れた。
反射的に顔を引っ込める恵一だったが、タイミング的には弾が当たっていてもおかしくはない。
弾が外れていなかったら顔面が飛び散っていた。
狙いは相当正確である。無闇に顔を出せばそこを撃たれてしまうだろう。
「大丈夫?」
恵一は、壁に背を預けたままフェイトに声を掛けた。
彼女は身体を起こし、左腕を抑えながら頷いた。
「はい」
フェイトが撃たれたのは、幸い左腕の前腕部である。
出血は多いが、命に別条はないはずだ。
フェイトは、立ち上がるとホルスターから銃を抜き、右腕だけで構えた。
恵一は、左手でフェイトを制止する。
「君はここに」
「私も!」
退く気配を見せないフェイトだったが、恵一は首を横に振った。
「その腕じゃ無理だよ。僕に任せて。巡査、応援を呼ぶんだ。いいかい、絶対に動いちゃだめだよ」
恵一は、予備の弾丸を確かめる。
通常弾が十二発。魔法弾が火炎弾十二発、他各種属性二発ずつ。
敵の射撃間隔から恵一は、相手が一人であると予想していた。
これだけの弾丸があれば一人倒すのに訳はない。
意を決した恵一が装填されている弾丸一発を魔法弾に取り換え、路地裏から出ようとした時、フェイトが声を上げた。
「一人じゃ危険です! 先輩に何かあったら」
「大丈夫だよ」
「でも先輩!」
フェイトを見やると今にも泣き出しそうである。
だから恵一は、フェイトに微笑みながら言った。
「フェイト」
「え?」
「僕を信じて」
名前を呼んだのは意図しての事だ。
少しでも彼女を落ち着かせたくて咄嗟に思い付いたのである。
その効果の程はあったらしく、フェイトは魔法銃を下した。
恵一は、銃を構えると、目の前にあったゴミ箱からゴミ袋を取り出し、渾身の力で路地裏から放り投げた。
路地裏から出た途端、銃声と共にゴミ袋が砕け散る。
恵一は、路地裏から飛び出して宙を舞うゴミで身を隠しながら路地裏の壁に向けて発砲した。放たれた恵一の弾丸は、着弾と同時に眩い閃光となり、周辺を明るく照らし出す。
そして目測で七十メートル向こうの路地裏の壁から、半身を出している黒ずくめの男の姿を捉えた。
恵一は、目を細めてその姿を確認する。
どこかで見覚えのある顔。それを思い出すのに消費した時間は、ほんの僅かな物だった。
「マイク・ラッシュ!?」
襲撃者の姿は、間違いなくウォーマンの共犯者と証言したマイク・ラッシュであった。
黒いスーツ姿の彼が自動小銃を手にこちらを狙っている。
不測の事態にうろたえそうになりながらも平静を保って、恵一がマイクの自動小銃を狙い撃つと、マイクの手から自動小銃が弾け飛んだ。
恵一は、マイクに向けて魔法銃を連射しながら真っすぐ走り寄る。
マイクは、すぐさま路地裏に身を隠した。
恵一の制圧射撃にマイクは、路地裏に籠ったままである。
距離二十メートルまで詰め寄った所で魔法銃の弾が切れた。
走りながら弾を再装填しているとマイクが路地裏から腕を出し、自動拳銃を発砲してきた。
弾は恵一の髪を掠めていったが、怯む事無く、スピードローターで通常弾を装填する。
恵一は狙いをマイクの頭部に合わせると一発撃ち返した。
放たれた弾丸は、マイクの右頬を裂き、少量の血が吹き出す。
マイクが路地裏に身体を隠すと、そのまま足音が遠ざかっていった。
「待て!」
恵一は、声を荒げながら、マイクの後を追って路地裏に入った。
埃で埋め尽くされた地面には、足跡とマイクの物と思われる血の跡が点々と奥に続いている。
正面を見やるもマイクの姿はなく、路地裏を走って出ると、恵一が辿り着いたのは、ビルの建築現場だった。
建築現場は、周囲を鉄板で出来た白いフェンスで囲われており、中の様子を窺い知る事は、出来ない。
血の痕は、恵一から見て左手に続いており、銃を構えて、白いフェンスに沿って歩を進めていく。
フェンスの角に差し掛かり、恵一が顔だけ出してフェンスの向こう側を確認すると、地面に落ちた血痕は建設現場の入口に向かって続いている。
恵一は、銃を構え直して角から飛び出すと建築現場の中に入っていった。
ビルは、まだ鉄骨を組み合わせている段階らしく、剥き出しの骨組みが五階分出来上っている。
地面には、無数の建築資材や重機が数台置かれており、遮蔽物や隠れ場所には困りそうにない。
周囲を見回しつつ、恵一は、右手にある積み上げられた鉄骨に身を隠した。
鉄骨に背を預け、恵一は一息つく。
そして様子を確かめようと顔を出した瞬間、目の前に火花が散った。
マイクによる狙撃だと理解した恵一は、姿勢を低くして鉄骨に隠れるが射撃が止む事はない。
マイクは、恵一を狙撃で仕留めるつもりらしいが、現在の彼の獲物は、自動拳銃である。
精密射撃には向いていないし、連射性能も装弾数も自動小銃を下回る。
だが問題は、恵一の使う魔法銃がリボルバーである事。
強力で反動も強い魔法弾を撃つには、自動拳銃では強度的に問題がある。
さらに魔法弾は、状況に応じて、弾の装填順を組み合わせる事も多い。
魔法弾を二発入れ、次に通常弾を三発、最後の魔法弾を一発という風に。
自動拳銃のマガジンではこれを現場で臨機応変にやるのには向いていない。
そのため魔法銃はリボルバーとして作られたのだが、装弾数、リロードスピード、全てが自動拳銃に劣っていた。
とは言え、元々通常の銃撃戦を想定していない魔法犯罪課には、対魔導師戦闘能力が優先され、これで十分と判断されたのである。
実際、強度が高い事と弾詰まりを起こさない以外に、リボルバーが自動拳銃に勝っているメリットはない。
特に射撃戦では装弾数が物を言う。
マグナム弾を六発撃てる事より、九ミリ弾を十五発撃てる方が重要だ。
ようやく銃声が止んで恵一が鉄骨から顔を出す。
だが眼前に広がるのは、建築現場の光景ではなく燃え盛る炎だ。
視界を炎で埋め尽くされた恵一の身体は、筋肉反射により、脳からの命令伝達よりも早く動いた。
鉄骨から飛び出し、地面に蹲ると背後から伝わってきた熱気と轟音が同時に虚空を満たした。
立ち上がり、恵一が振り返ると、そこに積まれていたはずの鉄骨は、存在せず、赤々と輝く液体が地面に広がっている。
一撃で鉄骨を溶かす、圧倒的な熱量。
間違いなくこれは炎の魔力変換資質を持つ魔導師による魔法攻撃だ。
「拍子抜けだな。魔法犯罪課の連中は、対魔導師戦闘のプロと聞いていたんだが」
声だけが聞こえるもマイクの姿は見えない。だが声はとても近く感じる。
どこかにいるはずのマイクを探して、恵一は、銃を構えながら周囲を探り始めた。
しかしマイクの姿は見付からない。
どこにいるんだ?
敵が見付からない緊張が極限に達した瞬間、恵一の眼前に、突如として手の中で火球を弄んでいるマイクが姿を現した。
「魔導師だったのか」
恵一の頬を汗が伝う。
鉄骨を一瞬で溶解させる魔法は、明らかに戦闘訓練を受けた魔導師、その中でも一部の人間にしか出来ない芸当だ。
目の前に居る男は、尋常ではない戦闘能力を持っている。
そんな恵一の焦燥を悟ったのか、マイクがケタケタと笑い声を上げた。
「気付くのが遅いねぇ」
恵一は、マイクの主張に反論出来なかったのである。
近くで声がしたのに、姿が見えない。
何もない場所から突然姿を現した。この特徴から考えると、マイクは、間違いなく光学魔法の使い手だ。
そしてそれは、ウォーマンの知人で共犯者とされたエヴィンスが事件とは、全く関係なかったのかもしれない証明でもある。
「お前が真犯人の協力者か。エヴァンスも本当に被害者なんだな」
エヴィンスが死んだ今真相は分からない。
しかしマイクがエヴィンスを殺したという証言が本当ならば、その可能性は大いにあるはずだ。
恵一は、ウォーマンの無実を確信する。
「やっぱりお前は、いやお前達がウォーマンを嵌めた」
「いや。あいつは俺の妻と子供を殺した悪党だ。それが真実だよ、警部補」
「光学魔法が使えるならリアスサン軍の特殊部隊に居たはずだ。何故国への忠誠を裏切り犯罪行為に手を染める? 金か? それとも個人的な快楽か?」
「ん~両方かなー」
マイクが歪んだ笑みを浮かべながら火球を持った腕を振り上げる。
恵一は左側に走り出すと魔法銃をブレイクオープンした。
シリンダーから装填されていた弾丸が飛び出し、恵一は赤い魔力が渦巻くガラス製の弾丸をシリンダーに込め直した。
マイクの腕が振り下ろされ、火球が恵一目掛けて直進してくる。
火球の速度は、速いが見切れない程ではない。
恵一は、火球に向けて魔法銃を放った。
飛び出した弾丸は、猛炎となって火球とぶつかり合い、火の粉を撒き散らして相殺する。
恵一は、間髪入れずに三発、マイクに火炎弾を叩き込んだ。
着弾と同時に灼熱の奔流が広がり、マイクの身体を飲み込む。
やがて炎は黒煙になり、濛々と立ち上った。
倒した。
そんな確信を持った恵一が銃を下ろそうとすると煙が晴れ、無傷のマイクが姿を現した。
その掌から全身を包む形で赤い魔力障壁が展開されている。
「こんなおもちゃは、効かねぇよ」
マイクの言う通り、魔法銃は魔力を持たない人間が魔法を込めた弾丸で射撃する事で疑似的に魔法を使えるだけの代物。
当然魔導師の使う魔法より精度も威力も下回る。
魔法銃を使っても一線級の魔導師と一対一で戦えば勝ち目は薄い。
「だろうね」
微笑みながら恵一は頷いた。
激情に駆られ判断ミスをしたのかもしれない。
大切な相棒を撃たれて頭に血が上り、無謀な行動に出てしまった。
だが、それ以上に気になっている事がある。
どうしてマイクが自分達を襲撃してくるのか、その理由を知りたかった。
ライリーは、芝居を打って恵一達を遠ざける事に成功した。
なら何故わざわざ自分に、嫌疑が掛かるような真似をするのだろう。
尋問の為に生け捕りにしたい状況だが、それが出来るような甘い相手ではないと、そう恵一は確信した。
「理由を聞きたかったけど仕方ないよな」
自分に聞かせるように囁きながら恵一は銃を構え、マイクに火炎弾を二発放つ。
弾丸が弾け、炎がマイクの視界を包み込むと恵一は通常弾を再装填して、引き金を絞った。
その瞬間、破裂音を伴って金属の弾丸が炎の海へと飛翔する。
だが一発では足りないと、恵一は、弾が尽きるまで引き金を引き続けた。
やがて炎が晴れると、立ち尽くすマイクの姿がそこにあった。
左胸に出来た六個の銃創、恵一の放った弾丸全てが心臓を捉えていたのだ。
「なん、でぇ?」
魔法銃の排莢をしながら恵一は告げた。
「魔法障壁で物理攻撃は防げない。魔法戦の基本だろ?」
その言葉が聞こえたのか、聞こえなかったのか。マイクの身体から力が抜けて、地面に伏した。
魔法障壁には二種類ある。
対物理防御用の防護障壁と障壁に触れた魔法の構成に干渉する事で魔法を無力化する魔法障壁だ。
何故二種類あるのかと言えば、物理攻撃と魔法攻撃とでは、攻撃力に圧倒的な差が生じるからだ。
人間が持つ魔力を固体化し、物理干渉を可能としても、個人の魔力量では、魔法の火力を防ぎ切るのは難しい。
故に魔法の構成自体に干渉し、構築を解いて無効化する魔法障壁が生み出されたのだが、魔法障壁とは言っても利便上、障壁型に展開しているだけで、その実ただの無効化魔法だ。
物理的な干渉力は持っていない。
そのため魔法障壁では、魔法や魔法弾を防ぐ事は出来ても、火薬によって高速飛来するだけの物理攻撃である銃弾を防ぐ事は出来ないのだ。
恵一の火炎弾による攻撃は、魔法障壁の展開を誘う事と、実弾の使用を爆炎で視界を塞ぐ事で悟られないようにするのが目的だったのである。
だがこの作戦は、相手の確実な殺害を意味していた。
出来る事なら逮捕して事情を聞きたかった恵一だが、殺さなければ自分が殺されると判断したのであった。
恵一は、マイクに近付き、指で首元に触れて、脈を確認する。
鼓動が止まっている。
その事実が恵一に犯人を射殺した事実を突き付ける。
発砲も犯人射殺も初めての経験ではない。
それでも何度経験しても気分の良い物ではなかった。
でも、恵一は、同時に安堵するのだ。
殺人に、快楽を覚えない事を。
彼等と同じ怪物ではないのだと。
トリガーを引く度に実感する事を。
闇に足を踏み入れ、怪物と触れ合い、理解する。
それがプロファイラーの仕事である。
だがそれは、何より危険なのだ。
踏み込み過ぎれば、怪物に喰われるか、闇に染まり、怪物になるか。
銃身の熱が冷めぬまま、恵一はホルスターに銃を納める。
しばらくは、使わずに済む事を願いながら、恵一はフェイトの待つ路地裏まで戻った。
指示通り、路地裏に座って待っていたフェイトは、苦悶を浮かべながら腕の出血をハンカチで押さえていたが、恵一の姿を見るや、痛みの事をすっかり忘れたらしく、満面の笑顔を見せた。
「先輩!!」
「平気?」
しゃがみながら恵一が声を掛けるとフェイトが頷いた。
「はい。よかった……先輩が無事で」
至福の瞬間であるかのような笑みを見せるフェイトに、恵一も微笑み返す。
マイクを殺したが代わりに相棒を救う事が出来た。
それが今の恵一には、何よりの救いである。
「怪我見せて」
「平気ですよ、こんなの」
「フェイト」
「先輩?」
「見せて」
渋々とした様子でフェイトがハンカチを退けて傷口を見せて来た。
皮膚は抉れ、肉が弾丸によってずたずたに引き裂かれているのが分かるが、致命傷とは言い難い。
だが一生傷が残るかもしれない大怪我であるのは間違いない。
それに傷口は、貫通しておらず弾は、まだ腕の中に残ったままであるようだ。
「弾が貫通してない。救急車呼んだ?」
「呼びました。あと念のため課長も。でもこれぐらい平気です」
微笑むフェイトだったが、これ程の怪我が痛まないはずがない。
事実彼女の頬をおびただしい量の汗が伝っている。
激痛に耐えながらも心配を掛けまいとしているのだろう。
健気な少女に恵一は心を痛めていた。
そう、恵一が捜査を継続しなければこんなに目にも遭わなかったかもしれない。
マイクに事情は聞けなかったが、襲撃は恐らくライリーの協力者の差し金であろう。
ライリー本人の行いにしては、タイミングがお粗末すぎる。
自分を疑えと言っているような物だ。
つまり今回の襲撃は警察の内部犯による物。
そしてそれは、ウォーマンの冤罪を証明する証拠でもあったが、今やマイクは居ない。
ようやく掴み掛けた証拠を恵一は、自ら殺してしまったのだ。
彼が居れば、ライリーの犯行を証明出来た可能性もあったはず。むざむざマイクを殺してしまった事を恵一は酷く後悔した。
「先輩?」
思考の海に溺れているとフェイトの声が救い上げてくれた。
とにかく彼女を優先しようと恵一は、フェイトが持っていたハンカチを取り、傷口に当てた。
救急車が来るまでまともな応急処置さえ出来ない自分が歯痒かったが、何故かフェイトは笑顔を向けて来る。
「どうかした? 痛む?」
「初めてですね」
フェイトの言葉の意味が理解出来ず、恵一は眉をひそめた。
「え、なにが」
「先輩から私に触れてくれたの」
フェイトに言われて初めて恵一は、気が付いた。
普段なら飛び上がりそうになる所だが、今回に限っては不思議と嫌悪感や恐怖は、湧き上がってこない。
むしろ、ずっとこうしていたい。
不謹慎ながらも恵一はそんな事を思っていた。
「うれしい。ありがとう」
そう言ってフェイトは、傷口を抑える恵一の手の上に、右手を乗せて来た。
これも普段と違い、何とも心地よい。
柔らかな感触と体温、相棒が生きているという実感がただただ嬉しかった。
それから五分もせずに、河内とそして何故かライリーが駆け付け、それからさらに五分後には救急車も到着し、夜の路地裏は一気に騒がしくなった。
恵一は、救急隊員にフェイトを預けると河内に事の成り行きと、自らの推理をライリーに聞こえないような音量で話した。
「君に怪我がなかったのは幸いだ。フェイト君の怪我も平気だろう」
話を聞き終えた河内は、安堵の声を上げながら破顔した。
「完全にしてやられました。僕の読みが甘かったせいでフェイトは」
「自分を責めないで恵一君」
「でもまた僕は相棒を危険に晒した。僕なんかと一緒に居るせいで優子もフェイトも」
突如胸から熱気が込み上げる。
目頭が火照り、視界が揺らぐ。
自分が今にも泣き出しそうな事に気付いた恵一だったが、どうする事も出来なかった。
そっと肩に触れたぬくもりに恵一は、思わず顔を上げる。
恵一の肩に、手を置きながら河内は、朗らかな笑みを浮かべていたのであった。
「でも結局君は、彼女達の命を救っているじゃないか。気に病むなとは言えないけど、でもそんな事言うもんじゃないよ」
河内の慰めが恵一の心を幾ばくか楽にした。
だがすぐに自責に苛まれる事になる。
「ですがもう……ライリーを追求する手は」
そう、ライリーへの捜査は、これ以上続けられないだろう。
連続殺人鬼と確信している男を見逃す以外にない。
目の前に居るのに裁く事は叶わないのである。だが河内は笑みを強め、力の籠った声を上げた。
「それならアイディアがある」
「はい?」
全く聞かされていない河内のアイディアと言う物に恵一は、首を傾ける。
しかし、その案が何であるのか、すぐに見当がついた恵一は思わず声を荒げていた。
「フェイトの弾丸をライリーに摘出させる気ですか!?」
ライリーに魔力メスを使わせ、フェイトの傷口から出た残留魔力と遺体の残留魔力を照合する。
ウォーマンの魔力と遺体に残されていた魔力が一致するという検査結果が何者かによって偽造された物ならば、信用出来る鑑識官を使って再検査すれば結果が変わる可能性もある。
確かに妙案とも言えるが、同時にそれはフェイトの命を脅かす事になる。
手術中、もしもライリーが細工をすればフェイトに抗う術はない。
恵一には許容出来る方法ではなかった。
「弾丸がフェイト君の体内に残ったのは不幸中の幸いだ。これを利用しない手はない」
「課長!!」
「それ以外に彼を追いつめる手立てはない」
河内の言い分はもっともだが、相棒をこれ以上危険晒す事は恵一には出来なかった。
傍に立ち合えるならまだしも、恵一はこれから警察でマイク・ラッシュ殺害の正当性について取り調べを受ける事になっている。
非常に急な話だったが事が事だけに無視する事も出来ない。
「課長、危険すぎます。手術中、何かするかもしれません」
恵一が不安の声を上げても、河内の決心が揺らぎを見せる事はなかった。
「でも彼は自分が疑われている事を知っている。今回の襲撃だって君の推理では彼にも想定外なんだろ? だからこそ彼は何もしない。もしフェイト君に何かあれば彼は終わりだ。疑いが確信に変わり、自分が逮捕されると分かってる」
理屈では分かっているが、恵一の心が納得出来るかは、別問題である。
許容しがたい河内の一手に、恵一は、額を掌で覆って俯いた。
「彼が引き受けるとも思えません」
「断る理由もないよ。現場に医師が居合わせて距離的に一番近い彼の病院に搬送される。フェイト君は女性だ。傷を残したくないと理由を付ければ病院で一番腕の良い上に付き添って来たライリーは手術せざるを得ない」
河内の理論は、筋が通っている。
恵一自身、プロファイラーとして考えるならライリーがフェイトに危害を加える可能性は低いと考えていた。
しかし時に人間はプロファイリングと逸脱する行動を取る事もある。
理論的には安全でも相手が人間である限り、それは確実ではないのだ。
「フェイト君も承知の事だ。と言うよりもこれは彼女のアイディアだよ」
「フェイトが?」
「さっき電話してきた時にね。頭のいい子だ。それに君たちが言う通り度胸もある」
「フェイト」
「無駄には出来ないだろう?」
河内に言われて担架に乗せられたフェイトを見ると、彼女はにっこりと微笑んで頷いている。
彼女なりに、先程の責任を感じているのだろう。
危険である事に変わりはないが、彼女がこういう状況で言って聞くタイプではない事は分かっていた。
黙ってフェイトを信じる以外にない。
恵一は、そう自分に言い聞かせた。
「私も付いて行く。もしもライリーが変な事をしたらその場で撃ち殺す」
そう言って河内は腰のホルスターの魔法銃をそっと叩いた。
これが最後のチャンス。
これを逃せばいつまた機会が訪れるか分からない。
河内の言葉に恵一は首を縦に振った。
「フェイトを守ってください」
河内は、微笑みながら頷くとフェイト、ライリーと共に救急車に乗り込んで、サイレンと共に去って行った。
それを見送る恵一の背後から今度は、別のサイレンが近付いて来る。
振り返るとパトカーが恵一の前で止まり、中から黒服の男が四人出て来た。
「新巻恵一巡査部長ですね」
「はい」
「ご同行を」
そのままパトカーの後部座席の中央に座り、恵一は、警察庁に連行された。




