第11話
「そういうわけだ。諸君」
ラルフの呼び掛けで警察庁幹部用会議室に警察庁の幹部が招集されていた。
理由はもちろん河内から報告を受けた連続殺人犯の協力者が警察内部に居る。そしてそれが上層部の人間であるという疑惑についてだ。
「我々の誰かが法と秩序に背いている。嘆かわしいとは思わんか?」
「それで犯人捜しを? 相変わらず現場の捜査官を気取るのがお好きですね」
警察庁次長メアリー・アーリスは皮肉を吐き捨て、ラルフへの嘲笑を隠さなかった。
「それに報告をしてきたのはあの河内でしょう? 奴の事だ。また何を考えているのやら」
警察庁刑事部部長、水無月啓介は煙草をふかし、足を組みながら気怠そうにしている。
ラルフや河内への尊敬や信頼は微塵も感じさせない。
警察庁公安部部長、鹿取恵子も水無月と同様の反応だった。
「因縁つけてまた無茶を通すための口実を探しているだけでは?」
「同感ですな。奴は今も昔も己の正義という抽象的な物を崇拝している。愚鈍な男だよ」
水無月の言葉に、警察庁官房長リリー・エヴァンは嘆息交じりに頷いている。
「そのくせ色々と嗅ぎまわって現政権閣僚半分の弱みを握っている。どっちが悪なんだか」
「魔法犯罪課の予算は殺人課の十五倍。発生件数を考えてもそれだけの予算を確保し続けているのは異常でしょう」
「来年の予算案を通すための工作の一環では?」
「奴ならあり得る」
「全くですな」
幹部たちは口々に河内への不満を爆発させている。
ラルフもこれには口を噤んだ。
彼らの不満が尤もと同意せざるを得ないほど河内の行動は奔放だ。
砂場を荒らせる彼らの気持ちは現場からの叩き上げであるラルフにはよく理解出来る。
「恒例の悪口大会はもう結構。しかし奴が嘘の報告をする事はない。今回もそういう事なのだろう」
「では誰が連続殺人犯に協力を?」
「分からんよ。だからこそこれから内務調査部に動いてもらう。無論捜査対象は俺を含めた幹部全員だ」
「問答無用ですな」
「言っとくが内務調査部に圧力は通用せんぞ。だから今の内に白状してもらえると楽なんだがな」
ラルフの言葉に誰一人として幹部が動揺を見せる事はなかった。
全員が自分は内部犯ではないと、無実を確信しているようだ。
「構わんがね。それじゃあこれで解散だ。疑惑が疑惑のまま終わり、またこの面子で集まれることを祈っているよ」
そう言ってラルフは誰より早く会議室を出ると、その足で庁舎の屋上に向かった。
ラルフが制服の胸ポケットから煙草を取り出すと、
「長官」
警察庁官房長リリー・エヴァンが姿を現した。
その手には本来幹部が携帯していないはずのサプレッサー付きの拳銃が握られている。
「何か用か?」
「お分かりでは?」
「まぁ大体はな」
ラルフは煙草に火を点けると、吸い込んだ煙をため息とともに吐き出した。
「やっぱりお前だったか」
「あの子を守れるのは私しかいませんから」
「今からでも間に合う。やめておけ」
「もう遅い。事は動き出してるわ」
そう呟き、リリーは銃口をラルフに向けた。
「それで解決すると?」
「あなたの存在は誰より邪魔なの。あの河内も、その部下の新巻も」
「リリー・エヴァン。旧姓はリリー・カーマインか。そんなに甥っ子が可愛いか?」
「これで終わりにさせて貰うわ」
「そうだな。それがいいのかもしれん」
ラルフが微笑みながらリリーを見つめると、
「こうなると思っていたよ。リリー」
拳銃の動作音のみが静かに響き渡った。
尾行と張り込みが始まって八日目。時刻は夜の十時。
張り込みを始めてからライリーが怪しい動きを見せる気配はまったくなく、時間はむなしく過ぎていった。
しかし恵一に焦りはなかった。
これは相手が焦れるのを待つ作戦である。こちらが焦る必要性は全くない。
気掛かりがあるとすれば、冤罪となったウォーマンだが、彼も今すぐ死刑になるという事はないだろう。
車内で監視を続ける恵一は、座席を後ろに倒して背を預けた。
座席で眠るのには慣れていたが一週間以上続くと、さすがに腰が痛くなる。
「動きませんね」
ライリーの自宅を見やりながらフェイトが言った。
「まぁこれだけべったり張り付かれたら何も出来ないだろうね」
「それじゃあ捕まえられないんじゃ」
フェイトが質問すると、恵一は寝ながら口を開いた。
「いや、必ずボロを出す。シリアルキラーは捕まるまで犯行をやめない」
「でももう一週間経ってますよ」
「それでもいつかは出す。僕達が焦っちゃだめだ。相手を焦らせて短絡的な行動を引き出さないと」
「先輩」
急に外を凝視し出したフェイトに釣られて、恵一が身体を起こして彼女の視線の先を見つめた。そこには男が居り、若い女性を連れている。
男の外見は、動物で言うならネズミがもっとも近い。
背は曲がっていて、針金のような細い指で女性の二の腕を掴んでいる。
一方女性の方は、二十代に見え、容姿も手足が長く、整えられた顔立ちでモデルをやっていると言われたら信じてしまう。
そんな不釣り合いな二人がライリーの自宅前で立ち止まると、男の方がドアをノックする。
しばらくしてから扉が開き、ライリーが二人を出迎えに現れると二人は、招かれるままライリーの自宅へと入っていった。
「先輩」
初めてライリーが行動を起こした。
これに対してフェイトは、今すぐに確認するべき、そう考えているのが分かった。
フェイトの視線を受け止めて恵一が頷く。
「行こう」
恵一とフェイトは車から降り、ライリーの自宅に歩み寄った。
玄関の近くで立ち止まると恵一は、耳をそばだてて中の音を聞く。
「やめて!!」
突如女性の悲鳴が恵一の耳をついた。
思わず隣を見るがそれはフェイトの物ではない。
ライリーが連れ込んだ女性の物だ。
もしかしたら、ライリーが女性を襲っているのかもしれないが確証はない。
銃を抜こうとするフェイトを恵一は、手で制止した。
「お願い。ころさないで……」
女性の声色が醸し出す感情は、紛れもない恐怖であった。
この命乞いがとても演技とは思えない。
だがそこはかとない心地悪さに、恵一がフェイトに指示なく動かぬ様、釘を刺そうとした瞬間――
「やあああああああ!!」
一際大きな悲鳴に、止める間もなくフェイトが飛び出した。
ホルスターから銃を抜くと扉を蹴り破ってライリー宅に入っていく。
「くそ」
舌を打ちながらも恵一は、念の為ホルスターから銃を抜き、ライリー宅に踏み込んだ。
中に入るとそこはテレビやソファーが置かれたリビングであり、ライリーが女性に馬乗りの格好で左手にハンディカムを持ち、右手でナイフを振り上げていた。
そのライリーにフェイトは、銃口を向けている。
恵一もこの状況では、仕方がないので、ライリーへ銃を向けた。
だがライリーが手に持っているハンディカム。これが恵一の最大の懸念であった。
プロファイリングによる予想では、ライリーの目的は、人体収集であり、拷問じゃない。
犯行を撮影するという行為をライリーがするとは思えなかった。
「武器を捨てて彼女から離れなさい!」
フェイトの指示に、ライリーはナイフとハンディカムを投げ捨てて、女性から離れる。
フェイトは、女性に歩み寄って抱き起こしながらも銃口をライリーから外す事はない。
「手は、頭の上。腹這いになりなさい!!」
フェイトの怒号にライリーは素直に応じ、床に腹這いになって、手を頭の上に乗せた。
恵一は、ライリーに銃口を向けながらも違和感を拭い切れずにいた。
何故なら先程まで恐怖に震えていたはずの女性は、怪訝な顔でフェイトを見つめている。
「ちょっと監督これ段取りになかったんだけどー」
女性の一言で恵一の思考が凍り付いた。
フェイトも事情を察したのか、唖然とした表情で女性とライリーを交互に見つめている。
するとドタドタという足音と共に、部屋の奥にある扉を開けて、先程のネズミに似た貧相な男性が顔を真っ赤にして現れた。
「君達何なんだ! せっかくいい芝居してたのに、台無しじゃないか!! ライリー、君の仕込みか、これは」
床に伏せていたライリーは、ゆっくりと立ち上がって深く溜息をついた。
「僕がする訳ないだろ。その人達は警察の人だよ。殺人事件を捜査してる」
「殺人事件!? 馬鹿言え、これは映画だ!!」
状況から察するに声を荒げている貧相な男性が監督。
女性は、被害者役の役者と言った所だろう。
シチュエーションも想像出来る。
ライリーが殺人者役で、殺害をビデオに録画しているというシーンだ。
映画好きという趣味をこういう形で使うとは。
――どうやら完全に一杯食わされた。
そう頭の中で呟きながら恵一は、銃を下ろした。
「それで撮影? 家庭用のハンディカム」
恵一が床に落ちたハンディカムを見つめると、監督と思しき男が吐き捨てるように言った。
「リアリティ重視だよ。素人には、演出なんて分からんだろうが」
そういう演出のスリラーは、最近よく見られる。
民生品を敢えて使い、臨場感を生み出すのだ。
偽装工作としてなら、かなり効果的でもある。
普通の撮影機材は、かなり大がかりだが小型のハンディカムなら恵一とフェイトの目を掻い潜って持ち込む事も容易いし、ライリーの私物かもしれない。
この撮影が偽物である事は間違いないが、してやられたのが紛れもない事実である。
ほくそ笑むライリーを見れば計画は、見事な成功を収めた。
「巡査、銃を下ろして」
指示するとフェイトは、力無く銃を下げる。
彼女も理解しているのだろう。
ライリーの策略にはまった事を、そしてこれが警察に伝われば、間違いなく捜査から外される事を。
程なくして監督の男が警察へ苦情の電話を入れた。
彼はライリーとは長い付き合いの友人らしく、一件目のトーマス・キンバリー殺害のアリバイ証言をした男でもあった。
男は、数ヶ月前からシリアルキラーを題材にした自主製作映画を撮っており、俳優としてライリーも撮影に協力していたとの事であった。
間違いなくこの男は、共犯者。
証言も撮影も嘘だ。
でも推測の裏付けとなる証拠は一切ない。
数十分後、苦情の電話を受けた河内が現場に駆け付け、監督の激昂を一時間に亘って浴びせられたのである。
河内の説得で何とかその場は収まったが、不祥事として上層部の耳にも入るだろう。
捜査の継続は、限りなく困難になってしまった。
「すいません課長」
恵一が河内に頭を下げた。
フェイトも並んで頭を下げているが、しゃくりを上げながら涙をぼろぼろと零している。
「いいよ、気にしないで」
恵一が顔を上げると、河内は微笑している。
今回の件で、一番のダメージを受けるのは河内だ。
部下の行動の責任を取らされて、相応の処分が下るだろう。
「ごめん、なさい……」
泣き止む事もなくフェイトは、頭を下げ続けている。
今回の件でフェイトは、相当の責任を感じているようだった。
確かにフェイトは、早まった行動をしたかもしれない。
だが上司として、相棒として、彼女を止められなかった自分にこそ責任がある。
「ほら、顔を上げて。これじゃあ美人さんが台無しだよ」
穏やかな語気で河内はフェイトの肩を擦った。
「ごめんなさぁい!!」
ついに堰が切れたのだろう、フェイトは大声で泣き叫び、さらに深く頭を下げた。
河内は笑みを浮かべ、フェイトの頭を撫で始める。
「失敗はみんなするよ」
「課長?」
「僕もたくさんした。大事なのは同じ失敗をしない事。いいね」
「はい!」
フェイトは河内の言葉に頷くと、涙を制服の袖で拭った。
そんなフェイトに、河内は満面の笑みを浮かべている。
「二人とも、もう帰りなさい。はい」
河内は、財布から一万ゴルドル札を取り出すと恵一に差し出して来た。
車はあるからタクシー代ではない。
河内の行動の意図するところが分からずに恵一は尋ねた。
「あのこれは」
「何か美味しい物でも食べて気を紛らわせて。後の処理は、僕がしておくから」
一万ゴルドルあれば、それなりの店で食事出来る。
だが致命的なミスをしておいて金を貰う気分には到底なれなかった。
「貰えません。それに後始末もありますし」
「それは僕がやっておくから。行きなさい。自分の為じゃなくパートナーの為に」
恵一とフェイトは顔を見合わせる。
これ以上の好意に甘えるのは気が引けたが、フェイトを落ちつけるには悪い考えではない。
「すいません。お金はありますから、食事して頭を冷やしてきます」
恵一は、河内に頭を下げるとフェイトを連れてライリーの自宅を後にした。
そこから歩いて十分程の所にあったグーグーチキンに入り、恵一は自分とフェイトに河内の分を合わせて十二ピースをテイクアウトして店を出た。
「課長に迷惑かけちゃったね」
恵一は、フライドチキンの入ったバケツ型の紙パックを胸に抱えている。
胸の辺りがやけに熱いが夜風の冷たさもあった為、むしろ心地よかった。
「はい」
逆にフェイトは、夜風のお陰で頭が冷えたらしく、落ち着きを取り戻していた。
ゆっくりと歩きながら恵一は、夜空を見上げた。
街明かりのせいで満天とは行かない物の、ちらちらと輝く星に目を奪われる。
「好きなんですね、それ」
恵一が声を掛けて来たフェイトを見やると僅かではあるが笑みを浮かべている。
「うん。学生時代からね」
会話はそれだけで途絶えてしまい、また無言で歩き続ける。
だが恵一には沈黙も何故か心地よかった。
相手がフェイトであるからなのか。
出会った当初では考えられない程、彼女に気を許している自分に、恵一は気が付いた。
ひたむきで心優しい少女。
共に笑い、泣いてくれる存在。
もしかしたら彼女となら――
そんな淡い希望を恵一に抱かせる。
恵一がフェイトを見つめると、彼女が視線を返してくれる。
恵一も微笑み掛けようとした時、破裂音と共にフェイトが姿勢を崩した。




