俺の腹部を薙ぐように獣の狂爪が迫る。
平時なら到底見切ることの出来ないほどに速く、力強い獣の動きが、今だけはやけにゆっくりと感じとれた。雄々しい四肢をもって大地を掴む獣は、光を呑み込むような夜色の体毛をしていた。豊かな鬣を備えた頭部には、何やらそこだけ微妙に色の異なる部位が存在する。
──なんだろ?
刻一刻と迫る最期の時を尻目に、俺の注意はその一点に向いていた。色の系統で言えば、やっぱり黒だ。でも違う。奴の身体を覆うのは、闇夜に紛れる黒。言い換えるなら、決して光輝くことのない色だ。
奴の頭部を彩るのは光を呑み込み、艶やかに煌めく、異色の黒。きれいだ。この獣はなんと美しいんだ! 「ばか……呑気」という幼なじみの小さな呟きが、脳内で勝手に再生された。
だってしょうがないじゃないか。死に際だろうがなんだろうが、心っていうのは自分の力では制御しきれないものだ。
俺のそんな思考なぞ、相手にとっては欠片ほども知ったこっちゃなく、いよいよその爪が俺の腹部に接触した。自分ではそれなりに鍛えたつもりだった鋼の筋肉は、意外なほどにあっさりと切り裂かれた。赤い紅い血を盛大に撒き散らして、膝まずくような体勢で俺はようやく悟った。あの頭部の部位は──。
「冠……黒曜石の……王冠」
黒魔術師ノア、黒き暴君の前に倒れる。といったところだろうか?