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不似合いなカーニバル 9

「私、事前に問題を渡したはずなんですけど。なのにこのざまはなんでしょう?」

 クライシュの眼が、一際鋭い光を放ったのは気のせいだろうか。

 貫くような眼差しのクライシュをぼんやりと見つめ、ランベルトはその向こう側に向かって「そうですよね」と短く答えた。

 覚えられない量でもなかったと思うんですけどねえ、というねちねちとした、ため息混じりのクライシュの言葉は、ランベルトの片側の耳から反対側へと完全にすり抜けていた。


 なおも小言を言い続けるクライシュと、間抜けな顔で壁を見つめ続けるランベルトを見比べ、ヴィンチェンツォは「かえろうか」とロッカに声をかける。

 不運だった、としか言いようがなかった。

 もっとも俺なら、あれしきのダメージで試験を棒にふったりなどしない、とヴィンチェンツォは思っていた。


「今回はさすがに君の弁明を聞く余地はありません。他の教官方と話し合いますから。いいですね」

 いつもの温和な笑顔は消え去り、クライシュの声は若干甲高いものに変わっていた。

 自分は、何かものすごく悪いことをしただろうか、とランベルトは一人ぼんやりと考えていた。

 事の起こりを思い起こせば、ちょっと皆に他愛もない隠し事をしただけなのに、どうしてこんな結果になるんだろう。


 真面目に勉強に打ち込めばよかったのだろうか。

 不埒なことばかり考えていたせいで、決定的な罰が下ったのだろうか。

 確かに、青春を謳歌するヴィンチェンツォやロッカが羨ましいとは思った。

 だからといって、あれはないでしょう、神様。

 じわじわと何処へもぶつけようのない怒りが込み上げ、ランベルトは「なんで、俺ばっかり!!」と言い捨てると、耐えかねたように教官室から飛び出した。


「身から出た錆です」

 瑠璃が何度かまばたきをしながら、怒り心頭のクライシュに代わり静かに呟いた。



*** 



「ご苦労だったね、いつもありがとう」

 夜更けに警備隊の詰所を訪れたロメオは、ミケーレと二人きりであった。

 約束どおり報酬を受け取りに来ただけだったが、愚痴をこぼさずにはいられなかった。

「どうってことないよ。……って言いたいけど、今回は別かな。あれからすっかり食が細くなって、やつれてるって人から指摘されることもしばしばだよ。こんな思いするなら、役人になった方がどれだけましか。ということで口利きお願いしますね」

「司法局だって、死体は山ほど検分するぞ。最初は私も、君みたいにしばらく何も食べられなくなった。そのうち慣れる」


「それに僕じゃなくてもよかったんでしょ。聞いたよ、他にも内偵の男がいたって」

 恨みがましい視線のロメオに、ミケーレは困ったように笑いかけた。

「彼は別枠だから」

「気に入らないな」

 華々しく手柄を立てるつもりが、今回は想定外のことが多すぎた。


「あの時僕が子爵邸に潜入しておけば、もっと早くに片付いたんだ。そうしたらあの馬鹿なランベルトが騒ぎを起こすこともなかっただろうし。まあ、あのおばさんに『あなたちょっと年取りすぎてるわね』って拒否されちゃったから仕方ないんだけどさ」

 ロメオはミケーレ達を手伝い、娼館で情報集めをしていた。

 常連である子爵夫人を監視していたつもりだったが、やはり屋敷の中まではうかがい知ることが出来なかったのである。


「案外、君の命も危うかったかもしれないよ。亡くなった少年は可哀想だが、君が無事でよかった。これからもよろしく頼む」

「今度から泳がす期間は最短にした方がいいと思うよ。今回みたいなのは、本当にやりきれない」

 犠牲となった少年とは娼館で多少面識があっただけに、ロメオの声には無念さが滲み出ていた。

 ミケーレとて、それは同じ気持ちであった。

 悲しい事件だったが、心が救われることもある。

 最近公爵邸にやってきた子犬がたいそう可愛らしく、ミケーレは目に入れても痛くないほどに可愛がっていた。

 

 ロメオが帰宅したあと、ミケーレは詰所で番を続ける。

 今夜は珍しく、静かな夜だった。

 強盗もいなければ、酔っ払いの喧嘩もなかった。


 それにしても、とミケーレは子爵邸事件の記録を手に取り、暇つぶしを兼ねて今一度ぱらぱらと流し読みをしていた。

 幕引きと呼ぶにしては、不安材料が幾多も残されていた。

 繰り返し犬の遺棄現場に残されていた血の円陣は、古くは原始オルド教の護符に見られる形式であると、アカデミアの歴史講師が浮かない顔で説明してくれた。

「知っている人が見れば、さぞかし驚くでしょうね。そんな人も今はほとんどいらっしゃらないでしょうから、大問題にはならないと思いますけど。正教会に話が漏れないように注意して下さい。どんどん話が大きくなりますからね」


 遠い昔、プレイシア正教会と同じ宗派であったはずのオルド教が、今ではあたかも邪教に成り下がったかのような印象を関係者に植え付ける事件でもあった。

 平地に乱を起こそうとする輩がいるのだろうか、とミケーレは悲観的になる。


 もう一人の影の功労者を呼び出さねばならないな、とミケーレは協力者であったウルバーノ・マレットの暗く美しい灰色の瞳を思い出す。

 いずれにせよ、あまり楽しい気分にはなれなかった。

 軽く頭を振ると、帰ったら子犬に餌をやらねば、とミケーレは新しい小さな家族に思いを馳せていた。


 ほぼ同じ時刻、拘束されたままの子爵夫人を訪ねて、とある面会者が現われた。

 その人物を見るなり、子爵夫人の落ち窪んだ瞳に生気が甦ってくる。

「わたくしはお前の言うとおりにしただけよ。わたくしと個人的に面会できるということは、ここから解放するつてがあるのかしら、そうでしょう?」

 期待を込めた眼差しで自分を見つめる女性を一瞥し、ウルバーノ・マレットはしばし無言であった。


 ウルバーノの訪問は、バスカーレはもちろんミケーレでさえも知らされていなかったが、何も問題はない、と言わんばかりに悪びれた様子は微塵もないウルバーノである。 

 ふいにウルバーノは侮蔑混じりの口調で子爵夫人に語りかけた。

 しかしながら、身分ある女性に語りかけるにしては、礼を欠いた荒々しい物言いであった。

「あなたは所詮、我らが撒いた餌に飛びついただけだ。反逆者は、排除する」

 

 子爵夫人は、『排除』の言葉に体を一瞬で強張らせ、同時に自分より一回りも二回りも年下の青年を睨みつけていた。

「尊き巫女様が復活される為に、わたくしは新たな礎を築く手伝いをしたまでよ。…お前の指示通りにね。それなのに、どうして。わたくしを謀ったの。まるで魔女狩りではないの!」

 腕組みをしたままのウルバーノにすがりつき、子爵夫人は狂ったように詰め寄った。


「黙れ」

 その華奢な手を振り払い、ウルバーノはごみ屑を投げ捨てるかのように、子爵夫人を乱暴に突き放した。

「お前のような卑しい者がその名を口にするなど許されぬ。あの方を汚すような真似をした罪は重い。お前の想像以上に」


「あの方の名を呼ぶに相応しいのは」

 己だけである、と言葉を飲み込み、ウルバーノは灰色がかった青い瞳に残忍な色を浮かべ微笑んでいた。



***



「そんな小さな時にお辛い目に合われて……許せない、その子爵夫人とやらが!私がやっつけてやるわ!」

 メイフェアが勢いよく立ち上がったはずみで、椅子が派手な音を立てて後ろに倒れた。

 周囲にいた客達が怯えたように自分の妻を見つめているのが、ランベルトは辛かった。

「もうとっくに死んだよ」

 ランベルトは椅子を起こしながら、すみませんと何度も客達に謝っている。

 どうやら夫婦喧嘩ではないようだ、とランベルトと目の合った初老の男性が「この人達にも、もういっぱいずつ」と何故か麦酒のおかわりを注文してくれた。


 その夜は久しぶりの二人同時の休日で、いつもの食堂でついつい飲みすぎ、饒舌になってしまったランベルトである。

 昔の話を喋りすぎた、とランベルトはほんの少し後悔するが、まあいいや、ロッカには内緒で、と素早く忘れ去ることにした。


 一方少々育児ノイローゼになりかけていたメイフェアも、ここぞとばかりに飲みまくっていた。

 まだ生まれて半年も経たないフィオナの息子が寝るまで、メイフェアも眠れないのである。

 夜中に突然幼い王子が泣き出せば、「どうなさいました!」と眠い目をかっ開きながら我先にと駆けつける日々であった。

 まだ子どももいないのに最近めっきり老け込んだようだ、とメイフェアは密かに気にしていた。

 それでも、自分の名前を呼んでくれる日もそう遠くない、とすっかり親の気分である。


 「王庁」と呼ばれる旧プレイシアの王の城では、子猫を胸に抱き、庭園で庭師のモニカと談笑するロッカの姿がしばしば目撃されていた。

 役人達はその珍しい光景に驚き、窓辺で鈴なりとなって、食い入るように若い二人の姿を観察していた。

 ビアンカの猫には子猫が生まれたらしく、数匹の子猫が我がもの顔で庭園を闊歩していた。


「離宮にも遊びに来てくださいねってロッカ様に伝えておいてよ。みんな寂しがってるのよね。ついでに子猫もね。殿下の遊び相手にいいだろうってフィオナ様が御所望なのよ」

 はいはい、とランベルトは安請け合いしたものの、ロッカを取り巻く環境は昔から全く変わっていない、と思った。

 自分の妻でさえ、ロッカの飄々とした魅力にうっとりしている。

 そのうっとり具合も、以前より増しているのは気のせいだと思いたかった。


 正直面白くない。

 けれど面白くなかったあの頃と大きく変わったことといえば、自分に奥さんがいることだろうか。

 しかもあの中の誰よりも早く、だ。

 俺だってやればできる、とランベルトは無意味に得意な気分になった。

 

 あの頃は、全てに恵まれた年下のロッカが羨ましくて仕方がなかった。

 でも自分はロッカにはなれないし、なりたいとも思わなかったのも事実である。

 それでも彼と長い時間を共に過ごしたのは、単純に毎日楽しかったからなんだ、と今日初めて気付いたランベルトであった。


「なんだか、しっくりこないのよね。自分に都合のいい話にまとめてるでしょ、絶対」

 頬杖をつきながら自分の顔を真っ直ぐに見つめるメイフェアから、内心を気付かれないよう視線を逸らすのは難しかった。

「なんでそうなるんだよ!」

 ランベルトは半分抗議の声を上げたものの、その声色には説得力がないのは一目瞭然、メイフェアには何もかもお見通しである。


「だってあんたが失敗もせずに、そんな格好よく立ち回るなんて、瑠璃様が書く話の主人公より格好よすぎるもの」




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