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不似合いなカーニバル 7

 昼下がりのアカデミアで、掲示板の前で立ち止まる女子生徒の姿があった。

 背後からそうっと近づき、ヴィンチェンツォは「興味あるか!」と突然大きな声をかけた。

 びくりと体を震わせ、銀髪の少女はおずおずと振り返った。


「あの……」

「可愛い子犬なんだ。白に黒に、薄茶に赤毛がいるが、どれがいい?アディが一番先に、気に入ったのを選んでいいから」

「性別は」

「白と黒はメスで、残りはオスだ」

「そうですか」


 貰い手がようやく一人見つかりそうだ、とヴィンチェンツォは期待を込めてアデル・ヴァイオレットに微笑んだ。

「今日は暇かな?」

「ごめんなさい、今日は無理ですけど、明日なら」

 そのうち犬を見に行くと強引に約束させられ、アデルは戸惑いを隠せなかったが、ヴィンチェンツォの役に立てるのは素朴に嬉しかった。

 胸に教科書を抱えたまま、ヴィンチェンツォを見送るアデルを、後方から見つめている人物の姿があった。

 その視線に気付いたものの、アデルは視線の主を無視して歩き出す。


「犬であいつの気を引こうなんて、涙ぐましいね」

 アデルは固く口を引き結んだまま、ロメオの横をすり抜けていった。

「優勝おめでとう。一度くらい、勝ちたかったな」 

 いつも一言も二言も余計なことを口走り、私の反応を楽しんでいる。

 顔だけが取り得のひねくれた男から祝福されて、嬉しいことなどあるものか。

「嫌いよ」

 誰にも聞こえないような小さな声で、アデルはぽつりと呟いた。

 

 なぜだろう。

 入学した頃に比べて、女性らしさが増したように見える。

 おどおどして所在なさげであった視線も、最近はどことなく遠くを見るような、時々はっとするような艶かしささえ感じられた。

 どんなに野暮ったい田舎娘ですら、年頃になればそれなりに大人っぽくなるものなのかな、とロメオは儚げにはためく銀色の髪を見つめていた。

 

 弓術大会はどうにか無事終了したが、ロメオ達は当然決勝は不参加であった。

 優勝は、四年連続でアデル・ヴァイオレットのものだった。

 今年で最後だったのに。

 あのアデルを打ち負かせずに卒業するなんて、この僕としたことが、とロメオは忌々しげに舌打ちする。

 怒りをぶつける相手は、今日も欠席のようだった。

 帰ろう、とくるりと向きを変えて廊下をすたすたと歩くロメオの背後から、ヴィンチェンツォの鋭い声が飛ぶ。


「お前、どうして義兄上達と関わってるんだ」

「秘密。お義兄さんに聞けば。教えてもらえるならね」

 ロメオはにやりと笑い、そうそう、と思い出したように付け加えた。

「たまに壊れた壁から入ってくる遅刻者がいるから塞いでおいてって、上に伝えたよ。あの子達にそう言っといて」


 その言葉を二人に届けることができたらどんなによいだろう。

 ヴィンチェンツォの不安は、日を追うごとに増大していく。

 高熱に冒され、うわ言を繰り返すだけのランベルトと、いつまで経っても自分と目を合わせようとしないロッカの姿が脳裏をよぎる。

 俺が弱気になってどうするんだ、とヴィンチェンツォは軽く頭を振り、いつものように二人の家へ向かうことにした。


「お前も来い。あいつらに直接言ってやれ」

「なんで僕が」

「いいから来い!」

「僕に命令すんな!」

 不機嫌そうに言い返しながら、ロメオはヴィンチェンツォの後に続いた。

 乗りかかった舟から降りることができるのは、いつになるのだろう。

 いや、完全に乗船している。とロメオは心の中で言い直すのであった。 


「犬を飼うのか?」

 またもや背後から声をかけられ、アデルは一瞬びくりとしたが、すぐさまはにかんだ笑顔を浮かべる。

「まだわからないけど。一緒に、来る?」

 ウルバーノ・マレットの灰色の瞳が、わずかに泳いでいた。

「遠慮しておくよ。あいつは俺が嫌いみたいだし。君が俺などとつるんでいると知れば、心証が悪くなる」

 そんなこと、と困ったように自分を見上げるアデルを抱き寄せ、ウルバーノは何度重ねても初々しさの消えない薄紅色の唇に、そっと自分の薄い唇を近づける。

「さっき、風紀委員長がおかしなことを言っていたけど、違うのよ。ヴィンス様とは、何もないから」

 ウルバーノは、自分の腕の中で頬を赤らめ、一生懸命言い訳をするアデルに笑みを誘われた。

 当然だろう、とアデルの耳元でささやくウルバーノの声は、全てを包み込むように穏やかだった。



***



 ヴィンチェンツォ達がランベルトの家を訪ねると、既にクライシュ達が到着していた。

「何か、よい方法でも」

 ほっとしたような笑顔になるヴィンチェンツォに対して、クライシュは悲しげに言った。

「もっと早くに手を打つべきでした。彼の指を切り落としたとしても、果たしてそれで間に合うかどうか」


 間に合うとは何のことか。

 そんなはずはない、とヴィンチェンツォは寝台で苦しげに呼吸を繰り返しているランベルトに駆け寄った。

「医者は、そろそろだろうと言っている」

 壁際で弟の様子を見守っているフェルディナンドが、いつになく弱々しい声を発していた。

 ランベルトの体力がとうに限界なのは、誰の目にも明らかであった。


「俺は黒魔術だの呪いだの、そんなことはどうでもよい。ただ、ランベルトが最近おかしいと気付いていながら、俺は自分の面子にこだわり、怒るばかりで何もしなかった。ランベルト、すまなかった」

 ランベルトと同じ蜂蜜色の髪を振り、フェルディナンドは必死で涙をこらえていた。

「何もかも諦めたようなことはおっしゃらないでください。助かる方法はあるはずです。ランベルトはこんな簡単にくたばるような奴じゃない」

 必死で訴えるものの、誰に向けた言葉なのかヴィンチェンツォもわからずに、ひたすら怒り混じりの声をあげる。

 

 クライシュはヴィンチェンツォの肩に手を置き、うつむいたまま言った。

「ルゥいわく、ランベルト自身がこれだけ苦しい思いをしていても、心のどこかで犬を放すまいとしているからだそうです。それは同情心ではなく、野心です。彼は、力に溺れたのです」

 込み上げる感情を抑えきれず、ヴィンチェンツォはランベルトの目の前で怒りを爆発させた。

「おい、お前、聞こえてるか!いい加減諦めて一人になれ。元のままでいいじゃないか。確かに勉強もそんなに出来ないしどこか抜けてて頼りないけど、それがお前なんだよ!大勢の家族や友達に恵まれて幸せじゃないか。それ以上何を求める必要がある!」


「ちょっとヴィンス、死人に鞭打つような言葉はあんまりじゃないですか」

 クライシュの手を振り払い、ヴィンチェンツォは今にもランベルトに掴みかからんばかりの形相で、肩を震わせていた。

「いくら意識がないとはいえ、酷い先輩だ」

 ロメオは呆れたようにため息をつく。

「まだ死んでません」

 瑠璃が涙の滲んだ瞳で二人を睨みつけている。


「だいたい、その指輪もお前に似合わないんだよ。ガキのくせに百万年早いわ!そんなに他人の力が借りたいなら、頭の方をよくしてもらえ!」

「その犬、それほど賢そうにも見えませんけど」

 大きい声出さない、とクライシュが再びヴィンチェンツォをなだめつつ、ぼそりと呟いた。

「死ぬ間際にここまで罵られて息を引き取る人も、そういないと思うけど」  

「ランベルトが可哀想すぎます。せめて最後くらい、優しく見送ってあげる心はないのですか」

 瑠璃は絨毯の上にひざまずき、祈りの言葉を口にし始めていた。


「ランベルトは幸せだった。心配してくれる友達がたくさんいて」

 口の悪い友人達の姿に、こらえきれずに涙するフェルディナンドである。

「お前、悔しくないのか。俺達に馬鹿にされたまま死んだら、情けないと思わないのか!」

 ヴィンチェンツォの叫び声が、寝室中に響き渡る。

 開け放たれた窓の外からひんやりとした風が吹き込んできた。

 瑠璃が顔をあげて外に目をやると、空は黒い雲に覆われ始めていた。

 涼しい風に顔を撫でられ、ほんの少しランベルトの顔が穏やかになったように見えた。


 ランベルトの指先が動き、何かを探していた。

「起きた……」

 ヴィンチェンツォは放心したように、ランベルトの枕元に座り込んだ。

「これだけ騒いでたら起きるに決まってるだろ」

 呆れたような口調のロメオも、その声は喜びを含んでいた。

 ヴィンチェンツォはランベルトの汗ばんだ手を力強く握りしめる。


 ランベルトがわずかに口を動かしたが、声にはならなかった。

 その唇の動きは「ロッカ」と言っているように見えた。

「大丈夫だ。きっと、大丈夫だ。お前も、ロッカも」

 瑠璃はその場しのぎの作り笑いに涙を浮かべつつ、新たな人の気配にそっと振り返った。


「ロッカ君」

 人々の視線が、あどけない少年に一心に注がれる。

 肩まで伸びた煉瓦色の髪が、風に舞うように揺れていた。


「犬が、今日は変なんだ。ぐるぐるしたり、吼えたり、泣いたり、不安がってて、だから僕」

「よく来た。偉いぞ」

 ヴィンチェンツォの励ますような明るい声を聞き、皆がうんうんとうなずいている。

 だがロッカは黙って首を振り、うつむいたまま立ち尽くしていた。

 自分などより、ランベルトの方がよっぽど辛いはずなのに。

 ごめんなさい、とロッカは呟くと、ランベルトのそばにおぼつかない足取りで近づいていった。

 ランベルトの熱を帯びた手をそっと握りしめる。 

 

 廊下で皆の話し声を聞いていた。

 ランベルトが死ぬなんて嘘だ。

 だってこうやって僕が握り返せば、ランベルトの手にもまだ力が入る。

 ランベルトは薄目を開けて、いつものようににやりと笑っていた。

「まだだ……もう少しだけ……」

 ランベルトの別れを惜しむような言葉と消え入りそうな声に、ロッカはひたすら「嫌だよ」と繰り返していた。

 ランベルト自身が、自分の終わりの時を感じ取っているかのようだった。


「聞こえてるなら、お願いだよ。どうか、ランベルトを助けて」

 ロッカの握り締めた手のひらの中で、指輪の無機質な感触が伝わってくる。

「僕を助けてくれてありがとう。君のおかげで、またみんなに会えたよ。他の犬達も、無事だよ。ありがとう」

 すすり泣くロッカの肩を抱き、ヴィンチェンツォも先ほどとはうって変わって、慈しむような眼差しを投げかけていた。

「子犬達の飼い主も見つかったんだ。俺と、ロッカと、アデルっていう女の子と、それからランベルトもだ」


「君の友達なら、あっちで待ってるよ。きっと君に会いたがってると思うんだ。だから、ランベルトを返して。お願い」

 何度も何度も「お願い」とささやき続けるロッカの瞳から大粒の涙がこぼれ落ち、ランベルトの手を伝っていく。

 その清らかな雫が指輪を濡らし、ランベルトはぴくりと指を動かした。

 瑠璃はその時、黒い雲の間を走り抜ける一筋の光に目を奪われ、魅入られたように空を見上げていた。

 同時に、部屋の空気が渦巻くような感覚にとらわれ、とっさに固く目をつぶる。

 閉じられた瞼の裏ではじける光に、瑠璃は思わず息を飲んだ。


 しばらくしてから目を開けると、自分にしか感じられない空気の変化であるのか、ヴィンチェンツォ達は相変わらず悲痛な顔をしてランベルトのそばで座り込んでいた。

「どうかしましたか」

 クライシュは瑠璃の落ち着きない様子に気付き、心配そうにこちらを見ていた。

「いえ……」

 まさか、と恐る恐るランベルトに近づく瑠璃の瞳から、次第に安堵の涙が溢れ出す。


「消えました」

 ヴィンチェンツォ達は顔を見合わせ、次々にランベルトの紅潮した顔を覗き込む。

「消えたって、犬がですか」

 こくりとうなずくと瑠璃は二人の手を開かせ、そうっと指輪に触れてみる。

 あっけなく指輪は外れ、震える瑠璃の指先から逃れるように、ころりと床に転がった。


「でかした!誰のおかげかわかんないけど、指輪が外れた!」

 思わず隣のヴィンチェンツォに抱きつき、ロメオがうわずった声をあげる。

「ロッカが助けにきてくれたからに決まってるだろ!純粋な心の持ち主でなきゃ悪霊は祓えないんだよ」

 ぐしゃぐしゃと何度もロッカの頭を撫でながら、ヴィンチェンツォは「気色悪いから離れろ」とロメオをじゃけんに振り払う。


「ここにいる他の人間が汚れてるみたいに言わないでください。私が役立たずだったみたいで、傷つきます」

 瑠璃が泣き笑い顔のまま、ヴィンチェンツォに抗議する。

「そうですよ、瑠璃だって精一杯頑張りました。君なんて、病人に向かって罵るだけだったくせに」

 クライシュが思い出したように振り返ると、フェルディナンドが壁に向かって嗚咽していた。


 うめき声をあげながら、突然ランベルトが「うるさい」とかすれた声で呟いた。

「ランベルト……?」

「ひでえな、みんなして……。絶対、わざとだろ。後で覚えてろよ……」

 再び歓声があがり、「病人の前ですよ」となだめる瑠璃の声もひときわ大きくなる。

 振り向くと窓の外では、しとしとと雨が降り始めていた。

 今年の秋は、いつもより少し早いような気がした。


 さよなら、と誰かが自分にささやく声が聞こえた。

 ごめんな、ありがとう、とランベルトは心の中で声を返すと、ふいに寂寥感におそわれ目を閉じる。

 ランベルトは「水くれ」と言うと深く体を寝台に沈め直したのだった。




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