不似合いなカーニバル 2
「今日は一段と派手にやらかしましたね。おまけにヴィンスまで一緒になって、何やってるんですか」
彼らの指導担当であるクライシュ・エクシオールがこれ以上ため息は出ない、というほど一言もらすたびに、広くもない教官室にため息が響き渡る。
帰宅する頃、教官室に呼び出されたランベルトとヴィンチェンツォであった。
「この空の色を見れば見るほど、ますます哀しみが深くなりますね」
茜色の空を見上げ、クライシュはわざとらしく肩を落としている。
実際、朝一番の乱闘騒ぎに自分の生徒が関わっていたというだけで、クライシュは目眩がした。
忘れた頃に、この子ども達が騒ぎを起こす。
首謀者は主にランベルトであったが、今日は優等生のロッカや最上級生のヴィンチェンツォまで当事者であるなど、それだけで数日は食事が喉を通らない気がした。
「だから俺は止めに入ったら巻き込まれただけなんですって。おかげで練習時間が無駄になったじゃないか」
今日の事件のせいで、二週間後にひかえた弓術大会の練習を潰され、ヴィンチェンツォなりに腹を立てているようだった。
「君なら余裕で優勝ですよ」
「優勝候補は山のようにいますからね。本気でやらないと」
そうですか、と呟きながらまたもや重苦しいため息をつくクライシュである。
医務室から戻ってきたロッカが、今にも泣き出さんばかりの顔を壁の端からちょこんと覗かせていた。
「もう大丈夫なのか」
心配そうに自分を見つめるヴィンチェンツォに向かって、ロッカは「うん」とだけ答えた。
クライシュはようやく事件の当事者であるランベルトに向き直った。
「あまりやりすぎると、私も庇いきれませんよ。少しは自重なさい。有り余る若さを、喧嘩ではなく他に向けてくださいね。ここは勉学に励む者だけに許された神聖な場所です。それができないなら、アカデミアに来る資格はありません」
柔らかな口調ではあったものの、クライシュは戒めのために厳しいことを口にする。
「すみませんでした」
口を尖らせながらも、珍しく深々と頭を下げたランベルトであった。
「ランベルトは僕を助けようとして……僕のせいです」
その隣で同じように深く頭を下げているロッカを、クライシュは悲しげに見つめていた。
「君に絡んでくる生徒達の担当教官には、厳重に抗議しておきます。私の方こそ、守ってあげられなくてすみません」
新米教師であるクライシュは、多感な少年達の扱いに四苦八苦する毎日であった。
この年頃の子ども達は最も厄介な生き物であり、授業以外の指導に時間を取られることが多く、気苦労がたえなかった。
頼りないこの身であれども、この子は守ってやらねば、と思う。
穢れのない眼差しを向け続ける、アカデミアの至宝と呼ばれる天才少年を。
「いつもランベルトに助けてもらってばかりだし……僕、みんなに迷惑かけないように、もっとしっかりしないと」
「君はそのままでいいんですよ!」
なんてけな気な、と感動を口にしつつ、クライシュは感極まったのか小さなロッカをひしと抱きしめた。
「先生、苦しい」
クライシュの腕の下で苦しげにもがくロッカであったが、顔色は幾分よくなっているようだった。
「周りに合わせて自分も大人になろうなんて思わなくていいんです。あそこにいる一つ二つ年上の生徒達だって、実際自分の後始末もできないような子どもなんですから」
「先生はロッカには本当に甘いよな」
ランベルトのぶすけた声を受け流し、クライシュはロッカを抱きしめる手にますます力を込めていた。
「当たり前です。こんな小さい子が苦労してるんですから、当然でしょう」
小さい、と言われるのは仕方のないことだったが、ロッカなりに体も同級生と同じように早く大きくなりたいと願う毎日である。
お肉はあんまり好きじゃないけど、もっと食べないと駄目かな、とロッカはクライシュの腕の中でぼんやりと考えていた。
「あいつのせいで、俺まで怒られたじゃないか。残りの一年をのんびり過ごそうと思っていたのに、雲行きが怪しくなってきた」
この借りは必ず返す、とロメオに対して遺恨を残すヴィンチェンツォであった。
理由はわからなかったが、どうやらロメオ・ミネルヴィーノにとっては、ヴィンチェンツォの不幸がこの上ない喜びのようである。
「でも、あの人が来てくれなかったらもっと酷いことになってたかもしれないよ」
「あいつは調子よく立ち回ってるけど、裏じゃ結構悪いらしいぞ。いい人なんかじゃない。油断するなよ」
深くは尋ねなかったが、どうやら二人は互いに天敵とみなしているような言動が度々見受けられた。
自分の知らないところで、複雑な人間関係があるのだろうが、助けてもらったからいいや、とロッカは前向きに考える。
「それにしても、今日はさすがに珍しいんじゃないか。あそこまで見境なくランベルトが切れるなんて。本気で噛みつかれた」
見ろ、と歯型のついた腕を差し出すヴィンチェンツォである。
「うん」
朝のランベルトは、助けるはずだったロッカの姿でさえ、最後には全く視界に入っていないほどの荒れようであった。
「日頃の鬱憤が溜まってたのか…いや、いくらなんでも、それはないな」
嫌なことは一晩寝たら忘れる性格のランベルトである。
ストレスを溜めるなどあり得ないと、二人は即座に思った。
「……うん、でも、ちょっと恐かった」
真っ直ぐな瞳で自分を不安げに見上げる、少年の赤毛の頭をぽんぽんと撫で、ヴィンチェンツォは「帰ろうか」と優しく言った。
「おい、お前」
足取り重く帰宅するランベルトはアカデミアの門を出た途端、不愉快な声に呼び止められた。
目の周りの青あざが痛々しい少年は、ランベルトと反目する集団の親玉、マルティノである。
「下級生のくせにお前って言うな」
「そういう時だけ年上面するなよ」
「お前も目障りなんだよ。赤毛の小僧と公爵様の跡取りの腰巾着みたいに、いつもべたべたしやがって」
口では勇ましいことを言いながらも、マルティノは子分達の目の前で登校早々真っ先にランベルトに叩きのめされ、屈辱を味わったようであった。
ランベルトにしてみれば、エドアルド達とは物心ついた時からの付き合いである。
ロッカとは別の意味で突き抜けて目立つ存在であるヴィンチェンツォは、王太子エドアルドの親友でもあり、若いながらも威風堂々としたさまは、アカデミア中の生徒達の畏敬の対象であった。
マルティノが陰湿な態度に出る理由も、出来の悪いランベルトがエドアルドやヴィンチェンツォと仲が良いのが気に入らないだけとしか思えなかった。
馬鹿は無視するに限る、とランベルトは先ほどのクライシュとの約束を思い出し、にやりと笑い返した。
「そんなにうらやましいなら、仲間に入れてやってもいいけど」
「ふざけるなよ」
押し殺したような声で凄んでくるマルティノを見つめ、ランベルトは少ない語彙の中で、彼を挑発する言葉を捜していた。
その時だった。
ごきげんよう、という涼しげな声が背後から投げかけられ、ランベルト達は思わず振り返る。
殿下、とすぐさま平服するマルティノに向かってにこりと微笑む、王太子とその寵姫の姿があった。
エドアルドがフィオナと共に授業を終え、帰宅する途中らしかった。
「もうすぐ対抗戦だね。私達は参加しないけど、君達の調子はどうかな」
王太子に気さくに話しかけられ、マルティノはますますその体を萎縮させていた。
「楽勝だよ。ヴィンス様が出なければの話だけど」
無礼すぎる、とマルティノは平服しながら、のん気に声を返すランベルトが相変わらず忌々しくてならなかった。
「あいつは暇だから出ると言っていたよ。しかも優勝を狙っているそうだから、本当に暇なんだろうな」
このところ公務に追われて、しばしば授業を休まねばならないエドアルドである。
暇っていいなあ、と言いながらも瞳は笑っていた。
「ヴィンス様は負けず嫌いだから」
「下級生に花を持たせてあげればよいのに」
くすりと笑うフィオナは、同意を求めるように隣のエドアルドを見上げていた。
***
ほどなくして、ランベルトの兄であるフェルディナンドにも、アカデミアでの騒動は伝わっていた。
ランベルトの一家は軍人の家系であり、数年前に父親が南方に転属となってからは、長兄のフェルディナンドが保護者として、やんちゃな五番目の弟を厳しく指導していた。
生徒同士の諍いごとはもはや日常茶飯事であり、フェルディナンドにしてみれば「またか」という程度であった。
しかし今回は、アカデミアから書面での警告文を受け取るはめになり、さすがに慌てたのかフェルディナンドは帰宅するなり、「そこへなおれ」とランベルトに説教をはじめた。
「だってあいつらがロッカに絡んでくるから。しつこいんだよ」
「いつも俺が言ってるだろう、手を出してはいかんと。ロッカを見なさい、あんな小さな子が我慢して、手を挙げずに耐えてるじゃないか」
今日の理不尽な出来事を思い出し、ランベルトはまたもや怒りが込み上げてきたようだった。
「ロッカが気をつかいすぎなんだよ。年下だからって遠慮しやがってさ。あいつが本気出せば、あんな奴等あっという間に叩き潰すんだけど」
息巻いて反論するランベルトをじろりと睨み、フェルディナンドは軽く首を横に振る。
「どうせくだらない言い合いが発端なのであろう。挑発に乗らず、少しは頭を使うことを覚えろ。ヴィンス様を見なさい、あれくらいお前も頭が廻れば、揉め事の半分以上は回避できると気付かんのか」
「あの人すぐ頭に血が昇るから、使ってるようで使ってないんだけどな。今日はヴィンス様も一緒になって怒られてたけど」
「言い訳はいい」
言い訳だけはよどみない、と無駄に頭の回転のよい弟を悲しげに見つめるフェルディナンドであった。
「それに」
言いかけて下を向くランベルトを、フェルディナンドは不機嫌そうに見やった。
「……それに?」
「俺のこと、貴族でもないくせにってちくちく言いやがるんだ。だから俺が、ヴィンス様とかエドアルド様とか、目立つロッカに取り入ってるって…」
ほう、と顎に手をあて、フェルディナンドが興味深そうにランベルトを見下ろしている。
「あの方達が一度でも、そんなことをお前に言ったことがあるか」
「……ないけど」
「それならいいじゃないか」
貴族や王族のみでなく一般人にも門戸を開くように、と摂政である王太子エドアルドの要望に、アカデミアが対応したのも数年前の出来事である。
爵位を持たぬ家系に生まれたランベルトやロッカが入学できたのも、二人の友人であるエドアルドの「一緒の方が楽しい」という私的感情が働いたからに他ならない。
フィオナも一緒に、とエドアルドが主張したのが功を奏したのか、ぽつりぽつりと女子生徒も増え始め、徐々にアカデミアの校風は変わりつつあった。
それでもマルティノのように、平民であるロッカやランベルトを疎ましく思う貴族の子弟も少なからず存在する。
「それほどまでに気に食わないなら、正々堂々と勝負したらどうだ。もうすぐ弓術大会があるんだろう」
「言われなくてもそうするよ。まあ、今日素手で半殺しにしてやったから、とっくに勝負はついてるけどね!弓だろうが剣だろうが、俺に死角はない!」
「まるで反省しとらんな。今日も夕食は抜きだ」
「はいはい」
自身の力に溺れてやしないだろうか、と上機嫌で部屋へと戻っていくランベルトの背中を見つめ、フェルディナンドは重々しいため息をついた。
それにしても、今日は何だったんだろう。
周囲が一切目に入らなくなるほど暴力的になる自分に、ランベルト自身が一番困惑していたものの、「今までの鬱憤を晴らしていると思えばいいか」と素早く頭を切り替える。
寝台に寝転がり、ふと右手で輝く銀の指輪を見つめていた。
気のせいだろうか。
この指輪をはめてからというもの、今までになかった不思議な力で、自分が満たされていくような気がする。
空腹さえも気にならず、むしろ活力は絶え間なく指輪から湧き出るようにさえ感じられた。
今日の出来事も、見えない力によって自分の隠された能力が引き出されたのかもしれない。
「まさかなあ、そんなこと、あるわけないよな」
普通の指輪ではないのかも、と馬鹿げた考えが一瞬頭をよぎり、ランベルトは思わず一人赤面していた。
こんなものがなくても充分俺は強いけど、と思いながらも、その指輪は右手にはめられたままであった。