八
何がおこった?
頭がパニックになりかけたが、それを見た瞬間すぐに冷静さを取り戻した。着ぐるみが暗い森の中から幽霊じみた動作で、こちらに銃をむけていたのだ。もう増援が来たのか?と思ったが、こんなことをするのは決まっているだろう。
「クソ……野郎!」
ギリ、と奥歯を噛みしめる。あいつは紛れもない、彼女の父親だった。
「私の娘はすでにあっちに渡ったようだね。んで残ったのはこいつだけ。フン!まったく好都合じゃないか。一番愛する者が生きていて一番嫌いな野郎をこの手にかけられるんだから。天はまさしく私に味方しているようじゃないか。え?」
こっちのことを見守っていた人々も突然の銃声と着ぐるみに、すっかり恐慌状態となっている。
「その着ぐるみはなんだ?ふざけてるのか?」
「私はこの夢の国で今の自分を手に入れた。だからこれは着ぐるみなんかじゃない。今の私自身だ」
「そんなまやかしに頼らないと生きていけないのか?」
「まやかし?何を言う。これは現実だ。どうしようもない、な。私はもう一つの現実を手にいれたんだよ。そう、生まれ変わったのさ。この現実に。人はルールに縛られなきゃ生きていけないのさ。この世界にはこの世界のルールがある。そして現実がある。ただそれに従っているにすぎないのさ」
「こんなルールは間違ってる。本来あるべきじゃないんだ。だったら、それに逆らうのだって人間だろう。ただ従っているのは人じゃない」
「従って何が悪い?所詮人間なんて誰かの作ったものに従わなければまともに人としてすら扱われやしないんだ」
「人は死っていう絶対のルールからは逃れられない」
「なんだ、気でもふれたか?」
「でも、俺は少しでも生きたいと願った。死のうとか考えたりしてたよ。毎日がつまらなくってなぁ」
「だったらとっとと死ねばよかったのに。そんな一握りの勇気や決断力すら持てない奴に、現実は生き辛すぎる」
「でも、少しだけ人に理解された」
「?」
「少しだけ人のことをわかってやれた。もっと知りたいと思った。身勝手な妄想だってした。それでも人は俺に嫌な物ばかり見せつけた」
「そうさ、お前だって醜い人間だ。勝手な幻想を人に押し付けて、都合の悪いことも人に押し付けて、何食わぬ顔をして今日も平然と無自覚に生きている人だ」
「でも、そんな俺の期待なんて彼女は簡単に裏切ったんだ。彼女は嘘ばかりついた。お前との子供が腹の中にいて、姉に不幸を押し付けられても平気な顔してた」
「そうさ、あいつは不幸な奴さ。だから守ってあげないとなぁ。かわいそうな僕の娘」
「でも、俺はあいつを差別してやらない。だから名前さえ呼んでやらなかったんだ」
彼女の父親は後ずさる。一歩、また一歩。
「あいつは、そう彼女はお前や俺なんかに決めつけられたりしない。まやかしなんかに頼らないで自分の価値を決められるんだ。彼女は紛れもない人間だ」
恐怖に震える、彼女の父親。何度か弾を放つが、暗闇で焦点も定まらず、おまけに、震えているのだから当たるわけがない。一発頬をかすっただけだった。
橋が崩れる。彼女が渡りきっていたのでもうそれでよかった。彼女の父親の元へ歩みを進める。そして手に握られている拳銃をはたき落として、力を込めて殴りつける。殴った感覚はそれはもう希薄な物だった。彼女の父親は――半分同化しつつあったのだから。
「お前をそんなものに当てはめたりなんかさせない。お前はこの世界のルールで規定させない。だから、俺はお前を殺さない」
覚束なかった足元が、少しずつハッキリとしたものに変容していく。液体から固体へ。彼女の父親はもう『キャラ』ではなかった。着ぐるみの頭部を剥いで、醜く歪んだ顔を露わにする。失禁して白眼を剥いていた。
彼女たちに先に行けと促す。最初彼女は躊躇ったが、なんとか納得してくれたらしく、他のメンバーと一緒に行ってくれた。
もうすぐ増援部隊も駆けつけるだろう。どうしようかな。このまま残ってレジスタンスに加わってもいいし、どこかから出て行くのもいいだろう。
「どうするよ?」
答えは無い。