七
思い立ったが吉日。その日のうちに準備を済ませる。
「そんなに荷物少なくていいのか?」
「うん。ていうかそんなに持っていくものないし」
「親父は?バレたらヤバいんじゃないか?」
「昼間は寝てるから大丈夫」
よく今まで暮らして来れたものだなと思った。そんな責め苦に耐えて耐えて耐えて。つまらなくて自殺寸前で首の皮一枚で思い止まっていた俺には容易に理解できない生涯を送ってきたのだろう。そもそも踏みこむべきでは無かったのかもしれない。でも踏みこんでしまった以上、責任をとるしかないだろう。
「なあ」
「何?」
「もっと荷物持ったらどうだ?手伝うぞ」
彼女は逡巡して。
「じゃあ、おねがいする」
と、言って、家に戻ったのち、新しく持ってきた小さいバッグを俺に手渡した。
利用者の緩やかな減少から10年ほど前に廃線となったローカル線。それをずっと辿っていくと、山の奥の方に通じていた。幼いころその山で友達と集まって秘密基地なんかを作ったりもした。俺は運動神経が鈍く、碌に木にも登れなかったが、ゲームや漫画をもってきて、ささやかな称賛をあびていたものだった。
今、あいつらはどうしてるんだろう?中学まで一緒だった奴は多かった。しかし、俺はその頃から他人に興味を示さなくなり、否、傷つくことが怖くなったのだ。感情をむき出しにして嘲笑われるのがどうしようもなく怖かった。そのせいで人付き合いも悪くなり、遂には誰とも関わらなくなってしまった。
案の定、外へ繋がる道の周辺には見張りが数人いた。どうしようか立ち止まって思案していると、どこからか小石を投げられた。
「シッ」
「なんだお前」
「ついてこい」
男がいた。着ぐるみを脱いでいるからすぐに男だとわかった。何やらただならぬ様子だったので、素直に従うことにした。
男について行くと、人の集まっている場所に辿りついた。全員着ぐるみを着ていなかった。明らかに様子がおかしい。
「紹介が遅れた。私たちは全員『劣等』のレッテルを張られた者だ」
周囲から拒絶され、迫害された者たちがそこでは身を寄せ合っていた。
「こんなことして大丈夫なのか?」
「どこにでもカーストは存在するってことさ」
治安維持機関にも他より劣ってる奴はいる。そういうことだろう。
「私たちはそういう人々を保護し、今こうして組織として機能させている」
「そんな保護って言ったって。偽善だろそんなの。全員助けた訳じゃないんだろ?」
「確かに救えなかった人々は沢山いる。だが、これからそれ以上に助けて行けばいい。と私は考えている」
「で、集まって脱出すんの?」
「いや、革命をおこす。もう夢の国は一つの街にとどまりきらなくなっている。だからここで私たちが食い止める」
日に日に夢の国は拡大しつつあった。今日は昨日より3メートル南にフェンスが動いた。
「俺たちは別に協力しないぞ。そんなもの」
「わかっている。今日の夜に小規模な破壊活動を行う。それで混乱しているうちに逃げる奴はここから逃げることになっている。そして正式にここを夢の国の出口にする」
「大丈夫か?そんなん」
「そして、無事に逃げおおせたあかつきには、ここの惨状をできるだけ多くの人々に伝えて欲しい。私たちが望むのはそれだけだ」
そうして夜まで待つことになった。彼女は人より体力を多く使うせいか、ぐったりとしていた。
夕方になり徐々に人が集まり始めた。その中に学校で見かけたことのある奴らもちらほらいた。そして、その中に一人、みすぼらしく、どこか異常な雰囲気を纏った男が混じっていた。
男は何かに気付いたらしく、こちらを振り向くと、そのまま歩み寄ってきた。
「アイ、アイじゃないか。どうしてこんなところにいるんだい。それにその格好、その男。この夢の国を抜け出すつもりなのかい?」
「お父さん……違うのこれはそんなんじゃなくて、なんていうか、その……」
「何が違うんだ、こんな男とどっかに行こうだなんて、許さない、許さないぞ。人を馬鹿にしやがって。お前は俺の子を産むんだ」
そのあまりにもふざけた物言いに、俺は激高した。
「ふざけんなよ。子供孕ませて、こいつ一人に全部の不幸とか責任とか全部軽々しく押し付けやがって。そんなのが許されるわけねーだろーが!」
「許さない?誰が?お前がか?まさか神とか言うつもりはないだろうね。倫理とか法律、そんなものはここにはないんだよ。まさに夢の国さ」
「じゃあなんでここにいる」
「私はこの国に法を規定しようとしている連中が気に入らないだけさ。だから潰す。それの何が悪い?そして愛しい娘と子供を設ける。何にも縛られることなく、ね」
彼女は嘘をついていたのだ。復讐のためなんかじゃなく、このクソ親父に逆らうことができなかったのだ。たぶん暴力を振るわれてでもいたのだろう。そして姉のところにもいけないまま、夢の国ができて。まったくふざけてる。
「今夜逃げようとしても無駄さ」
そう悪態をつくとクソ親父はこの場を去った。危うく殴り殺してしまうところだった。
「お前、辛くないのか?」
俺のその質問に彼女は延々と首を振り続けた。
夜の帳が落ちて、決行の合図がなされた。見下ろすと街の方で火が上がっている。怒号と爆発音が周囲に飛び交う中、逃げる者たちは一斉に出口の方へと走っていった。数人いた治安維持機関見張りの数は二人に減っていたが、それでも銃をこちらへ向けられるとだれもが怯んで前へ出ようとしない。
すると後ろから銃声が響いた。
「はやく逃げろ。増援が来る前にな」
全員一斉に駆けだす。撃たれた見張りは――おかしい?中に人が居ない。溶けてしまったかのようにスルスルと下に崩れた。
しかし、そんなことを気にしている場合ではなかった。俺は彼女の手を取ると、出口まで一気に駆けた。
先に行った人々がなにやら右往左往していた。この先にある橋が腐りかけていて今にも崩れ落ちそうになっているのだという。しかし、このまま停滞していればいずれ増援が来て無事にはすまないだろう。
「じゃあ、俺行くよ」
一見気の弱そうな男が名乗りを上げた。
「じゃ、じゃあ私も」
続々と名乗りを上げる。そして、俺と彼女の番になった。
「二人で行くのはまずくない?」
もともと腐っていた上に、今さっき幾人もの人々が通っていったがために橋は崩れる寸前だった。
「じゃあ、お前が行けよ」
「でも」
「ねーちゃんに顔合わせるんだろう?」
彼女を納得させ、橋を渡らせる。ただでさえ人より少し重くなっている彼女だ。橋がぐらつく。そのたびに彼女の顔に僅かな不安が浮き出るが、持ち前の胆力を発揮して、なんとか渡りきった。
「はやく」
彼女の呼ぶ声がする。俺の番になった。あとは俺と、もう一人。強面で少し気の強そうな男一人だけとなった。
「いいから早く行け」
と言って自ら危険を買ってくれた人だった。この人にも人生があって、それを夢の国なんてくだらないものにメチャクチャにされて。今こうして命を危険に晒してまで人々を助けようとしてくれているのだった。
ここにいる全員で絶対に助けよう。動物だか怪物だかの着ぐるみなんかに人の一生は縛り付けられてはならないんだ。
そうして橋に一歩足を掛けた瞬間、背後で銃声がした。振り向くと強面の男が頭から血を流して地面に倒れていた。