二
うそつきは存外に多いようだった。俺のTL彼女のメガネ。
彼女は伊達メガネをはずそうとはしなかったし、俺だって拙い語彙で流暢とは言えない会話を繰り返していた。時には物語だって語って聞かせた。でもそれに対して彼女は興味を示さなかった。まあ、どの話にも一かけらだって興味を示したことなんてないんだけど。
「これ、見てみてよ」
「何これ?」
手渡された紙片に眼を落とす。そこには流行りのネズミだかエイリアンだかをモチーフにして作られたキャラクターが書かれていた。
「上手いね。好きなの?ていうか自分で描いたの?上手いじゃん」
「別に好きくない。ただ」
「ただ?」
「なんか、わかりやすくていいなと思って」
俺は彼女の言ってる意味がわからなかった。
「わかりやすい?何が?」
「ほら、なんか……こう、かわいさっていうの?役割っていうか、そう、『仕事』みたいなのがハッキリしてるじゃん?」
「こいつの仕事、ね。こんなんかわいけりゃ皆納得するだろ」
「そう、それがこの子にとっての『仕事』。周囲にかわいさ振りまいて、みんながカワイイって思えばそれでいいんだよ。それがちょっと羨ましいなって」
「ふーん。俺にはなんだかわかんねえな」
役割?役割ってなんだ?俺の役割……ないな。いや、待てよ、一つだけある。彼女をこうして慰めることだ。他のどんな男にだってできない。彼女の欠けた部分を埋めることができるのは俺だけだ。
彼女にいつものように短く別れを告げて、少し間をおいて、深呼吸した。冬の乾燥した冷たい空気を吸うと、少し落ち着いた。煙草の煙なんかよりよっぽど良い。役割、ね。考えたってわかるものじゃない。運命とか言う言葉に置き換えることだってできるだろう。結局、生きてから死ぬまでの間に気付けるものではないのかもしれない。
彼女は自分の役割に気付いているのだろうか?あのキャラクターにしたって外側から傀儡のように動かされているから役割がハッキリとしているだけなのだ。生きてから死ぬまで作った人間の意志一つ。自分の意志なんてものはそこにありはしないのだ。それとも結局、何者にも自分の意志なんてありはしないのかもしれない。大きなコンピューターか何かに生きてから死ぬまでを計算されつくしているのかもしれない。
それから、そのキャラクターを見るたびに、《外側》を意識するようになった。大は小を兼ねる。巨大な流れに身を任せていれば間違いなんて起こらない。そう信じ込むことにした。
「居たじゃん?中学ン時。ほら、あの虐待受けてるとかなんとかいうの」
「ああ、居たね。流産だか堕胎だかしたとかで学校来なくなったの。で、それがどうかしたの?」
「いや、それがさ、最近アイツと一緒にいるの見かけた奴がいたらしくてさ」
「え?マジで?」
「よりにも寄ってあいつか。マジねぇわ」
それから俺は、全身を何かで覆っているような違和感を感じ始めていた。結局、俺でなくてもいいのかもしれない。偶然、たまたま、おれがそっちに眼を向けたがためにみなくてもいいものを見てしまった。それだけの話なんだろう。
着ぐるみだった。誰が着てもその役になることができる。ヒーローショーだった。とっかえひっかえして、都合のいい役割を見つけ出すことだってできた。
「人は誰かになれる」そんなゲームのキャッチコピーを見たことがある。見た当初はさっぱり意味がわからなかった。そうだ、人は誰かの代わりになることだってできるのだ。誰にも触れることのできない領域。それこそが人が唯一無二もちえるオリジナルなのだ。
翌日から俺は自作した着ぐるみを着こんで生活するようになった。エイリアンだかネズミだかのデフォルメ。若干いびつな感でネズミとエイリアンの中性っていうかもはや完全にエイリアンだがまあいいだろう。これで今日から俺もわかりやすいキャラクターとして道行く人々に無条件に愛想を振りまくことができる。俺は自分の役割に従事できるし、みんなは俺を愛してくれる。――まあ、厳密に言えばこのキャラを、なんだけどね。
「なにそれ、キモい」
早速不評を買ってしまった。一番に見せたかった彼女。
「いいんだよ別に、今日から俺はこのキャラとして生きんの」
「マジ無理。ほんとキモいから今日で終わりにしてよね、それ」
ザックリバッサリ。彼女の歯に衣着せぬ物言いにナイーブでピュアな俺は少し傷つく。
「知らない?この間の事件」
「なによ事件って」
「ホント最近テレビもネットもみてないんだね。毎日ニュースで流れてんじゃん。着ぐるみ連続殺人事件だーとか」
「いや、マジで知らん」
「毎回違う着ぐるみ着た犯人が何の罪もない一般人殺しまくってるっていう事件だよ。誰一人として捕まってないから単独か複数かもわかってないし、中の人などいないなんてオカルト扱いする奴まで出てくる始末でさ。そんなん着てると犯人扱いされるよ」
毎回違う着ぐるみ着た奴らor奴が人を殺して回ってる。その事件起こしてる奴らも誰かの代わりになっているつもりなんだろうか?恨みを持った人間を次々と代わりに殺して回る。なんとも素敵なシステムじゃないか。自分が全く関心を寄せてない相手なんていくら死のうと構わない。アウトオブ眼中。遠くの国で民族浄化がおころうがおかまいなし。自分のもちえるキャパシティを超えてしまった時点でパン!撃鉄が頭を貫く。キャラクターはキャラクターに沿った行動をとらなきゃなんないのだった。
連続殺人事件は一向に収まる気配をみせなかった。それでも俺はあのいびつな着ぐるみを着続けていたし、周囲の白い目にだって耐えられた。誰かになるというのは実に特別な行為だった。