逃避行
私は座席に身を沈め、夜の合間を縫うように走る電車に揺られていた。「ガタン、ゴトン。」
規則的なリズムが、この旅が一方通行であることを否応なく意識させる。窓の外を後ろ向きに流れる景色を、私はただぼんやりと見ていた。昔よく行ってた飲食店、私の家、そして大っ嫌いな学校が過去の記憶のように遠ざかっていく。昼下がりの陽射しは夕陽のオレンジ色に染まり、藍色の空に押し潰されて消えていった。私は電車の中から最後の光を惜しむように空を自由に飛ぶ鳥を目で追いかけていた。でも全て私には関係のないこと。今日で、「バイバイ」だから。明日を捨てる為に飛び出した逃避行。ポケットには、片道分の切符一枚だけ。行けるところまで行く。どこにも私の居場所なんて無い、このまま私を夜に置いてって欲しかった。
視線を下げるとスマホに「ポタポタ」と水滴が落ちていた。不意に窓から見えた景色が、私には夜の海に見えた。出来心に手を引かれて、私は次の小さな駅で降りた。人気のない海辺の町。プラットホームには私一人。蝶が飛んでいる。その蝶はまるで夜の海の使者のようにすごくきれいな色をしていた。蝶に導かれるように歩き、海のほとりに立った。
ここには誰もいない。もうこのまま、ここにあるきれいな夜の海に身を預けてしまおうか、なんて考えていた、まさにその時だった。突然現れた君は
月明かりの下、青白い肌、白のワンピースを着ていた。「こんなところで何しているの?」なんて急に尋ねるから、言葉に詰まりながら、「海を、見に」とだけ答えた。
君は笑った。君は何かを取り出した。それは少し古い花火セット。君は蝋燭を足元に置いた。火をつけるものがないようだ。バッグの中にライターがあったので貸した。君の足元に目線が行く。
そこで気付いた。
君はコンクリートの上を裸足で歩いていた。その奥には花束が一つ。今日で全部終わりにすると決めたから、きっと私があの世界に近付いたから、視えてしまった、出会ってしまった。そんな君と二人で、花火の封を切った。なかなか点かない花火に火を近付けながら、君は私がここに来た理由を言い当ててみせた。そして何度も「やめなよ」って真剣な眼差しで言った。「だけど!」その瞬間この手の先で光が弾けた。思わず「点いた!」と二人で揃えて叫んでいた。これでもかと輝く火花の鋭い音が、静かな夜の海を切り裂いた。ゆっくり眺める暇もなく消えていく輝きをもったいなくて最後の一瞬まで追いかけた。電車の窓から見えたあの最後の太陽を惜しんだように。追いかけた。「やっぱり、私……」「ねえ、夜が明けたら君は……どこかへ消えてしまうのかな」私は不安になって尋ねた。だが声は返ってこなかった。
夜の帳を抜け出して、朝の光で目が覚めた。隣を見ると、当たり前のように眠る。君の姿。
君の寝ている姿は生活感がたっぷりだった。
私はバッグの中に入っている刃物と文字が書かれた白い紙切れを朝の海に投げ捨てた。
「バイバイ」と私は叫んだ。
その時「おはよう」という声が隣から聞こえてきた。
私は思わずふっと笑ってしまった。
「どうしたの?」と君は聞いてきた。
「ただ海が綺麗だなって思っただけ」と私は答えた。君もそれを聞いて笑った。
人気のない海辺の街に笑い声が響いた。




