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9-8 好きってなんだ

 限られた人数以外は知ることすらない戦いが終わった後、アステラとダガンは教会の一室に戻って、泥のような眠りについた。

 海中でダガンが口走っていた言葉の意味も、どうやら『染められた』らしい体のことも、聞きたいことは山ほどあったけれど、深く考えようとすると何だか恐ろしくなって、ダガンが何も言わないのを良いことに、アステラはすべての思考を放棄した。

 

 夜が明けるや否や、最低限の物資を調達して、二人はその日のうちにヴィンブルク伯爵領を発つことに決めた。ひとえに、掲示板の上に堂々と居座る手配書のためである。

 慌ただしく港へと向かう二人を、サレは戸惑いを隠さず引き留めようとした。


「悪魔は何とかなったんでしょう? もう何日か休んでいった方がいいんじゃない? いくら呪いが解けたって言っても、アステラの体調とか、人魚さんのお腹の傷とか――」

 

 言いながらサレは口ごもる。死人のような顔色をしていたアステラは今や健康そのものだし、つい数日前に血の海を生んだはずのダガンの傷は、もはや包帯すら必要ないほどの治りっぷりだ。どこからどう見ても元気溢れる二人を、体調を理由に引き留めるのは無理があると悟ったのだろう。もの言いたげに手を握り込んだ後で、サレは諦めたように頭を振った。

 

「……その髪は、本当に大丈夫なんだよね?」

 

 呪いでも病気でもないみたいだけど、と言いながら、サレはアステラが目深に被った帽子に目を向けた。

 被り慣れない帽子の下には、牛柄のようにまばらに染まった金銀の髪が押し込められている。どうせ染まるなら綺麗な一色に染まってくれればいいものを、中途半端に色が混在しているせいで金髪以上に目立って仕方がないため、ひとまずは隠すことにしたのだ。

 

「ああ、平気」

「それならいいんだ。恋の香りの作り方、教えてくれてありがとうね。うまくいったら、君たちの手配を取り下げてもらえるように旦那様にお願いしてみるから」

「ありがとう。サレの予言のことも、伯爵とのことも、全部うまく行くように祈ってるよ。……いや、俺が言うのも変かもしれないけど」

「変じゃないよ。ありがとう。元気でね、アステラ。君たちの旅路に神樹の加護がありますように」


 アステラとダガンの手を交互に握って、サレは神職者らしい慣れた仕草で旅の無事を祈ってくれた。

 サレに背を向けたアステラたちは、大陸の北端と南端を結ぶ運航船へと乗り込んでいく。間もなくして、出港を知らせる笛が高らかに響いた。

 空は快晴。波は穏やか。まさに理想の船旅日和だ。

 遠ざかっていく港を甲板の上から眺めつつ、アステラはダガンの隣へと腰を落ち着ける。


「とりあえずはオクタヴィアさんのところに戻ってお礼をするとして、そこから先はどうしようか。ロナマイ地方は、行くにしてももうちょっとほとぼりが冷めてからの方がいいだろうし……。ダガンはどこか、行ってみたいところあるか?」

「『どこか』?」


 静かな視線を向けられて、どくりと鼓動が跳ねあがる。

 緩く波打つ髪を結いあげるようになってからというもの、ダガンは陸にいるときでも顔立ちがはっきりと見えるようになった。二色の瞳こそ前髪で隠したままだけれど、元々鋭く整っている輪郭が覗くだけでも、印象がかなり変わって見える。自分で勧めておいてなんだけれど、明るい空の下で見るには刺激が強すぎるくらいだ。

 ただでさえそんな有り様なのに、昨日までにダガンとの間にあったことを考えると、もはやまともに目を見ることさえ難しかった。落ち着きなく視線を彷徨わせながら、アステラは取り繕うように舌を回す。

 

「その、ほら、色々世話になった礼に、観光案内するって言っただろ。首都でもいいし、山とかでもいいし……、特になければ、俺のおすすめの場所でもいいし! 二週間も俺の事情に付き合わせたから、とりあえずは二週間くらいの旅行ってことでどうかな。どこでもダガンの好きなところに連れていくよ」

「二週間なあ……」

 

 ダガンはそれきり言葉を続けず、ただひたすらにアステラをじっと見つめてきた。

 二週間は長すぎただろうか。解呪の旅の礼を口実にするなら自然な日数だと思ったけれど、調子に乗りすぎたか。笑顔の裏で冷や汗をかきつつ、アステラはぼそぼそと言葉を足す。


「移動時間で日数が掛かるだろ? ゆっくり観光できた方がいいかなって思うんだ。そりゃ、見て回る場所を限ったら十日とか一週間とかでもいけないことはないけど……」

「なんで減らすねん」


 じろりと睨みつけられて、おろおろとアステラは目を泳がせる。


「長い方がいいのか? 俺は大歓迎だけど……。そうだ! それなら、大陸横断ツアーでもしてみるか? 一か月もあれば――」

「せやからその妙ちきりんな日数制限は何やねんさっきから!」

 

 最後まで言わせても貰えなかった。もの言いたげに頬を引きつらせたダガンは、「()ぃや」と言って顎をしゃくると、船の内部へ続く階段を下っていく。

 起きたときから不自然に口数が少ない上、不機嫌なのか眠いのか知らないが、ダガンの背からは妙な緊張感が漂っていた。普段と違うという意味ではアステラとて人のことを言えないけれど、一体どうしたというのか。

 人目につかない船室の影へとアステラを連れ込むなり、ダガンは両腕をアステラの顔の脇について、据わった目を向けてきた。


「どこかだの二週間だの、何のつもりやねん」


 近い。鼻先が当たりそうな距離でダガンが睨みつけてくるものだから、どこを見ればいいのかも分からなくなって、アステラは必死に目を伏せる。

 

「何って、礼だよ。呪いから助けてくれた礼を――」

「そういうことやない。なんで終わる前提で話すんかって聞いとるんや」

「なんでって言われても……」


 続く言葉が出てこなくて、もごもごと言葉尻がしぼんでいく。

 口を閉ざしてしまったアステラを前に、ダガンは小さなため息をひとつつくと、幼子を諭すように声音を柔らかいものへと変えた。


「なあ、俺、アステラのことが好きなんよ」

「……っ!」

「昨日も言うたやろ。聞かんかったことにせんといてくれるか」

  

 そろりと頬を撫でられて、かっと頬に熱が上がっていく。

 好きってなんだ。

 逃がしてくれない視線が怖い。似合いもしない馬鹿真面目な表情を見るのが怖い。そもそもそんな優しい声でそんなことを言わないでほしい。

 ぐるぐると空回りする思考を宥めることもできないまま、気づけばアステラは引きつった笑顔を作っていた。


「あ、ありがとな。俺、強いもんな! ちゃんと役に立てたってことだよな?」

「強くても強くなくてもどっちでもええわ。役に立つから好きやなんて誰も言うてへんやろ。俺のこと守ろうとして強くなってくれたんやと思うと、かわいくてしゃあないのはその通りやけどな……っ」


 間髪入れずに返された言葉は、喚きそうになる声を無理やり押さえ込んでいるかのように、不自然に震えて掠れていた。

 今、ダガンはどんな顔をしているのだろう。一度気になると確かめずにはいられなくて、アステラは好奇心に抗えず、おそるおそる顔を上げる。

 

「好きっていうのは、せやから……!」

 

 耳まで真っ赤に染めたダガンと、まともに視線がかち合った。

 見ているこっちが恥ずかしくなるくらい、ダガンは必死な顔をしていた。暑くもないのに汗を滲ませているせいで、前髪はところどころ額にくっついて乱れているし、髪の間から覗く瞳は、緊張なのか何なのかも分からぬ涙で潤んでいる。

 

「……いつも、アホのくせして一生懸命頑張るやん。甘ったれのくせして、平気なフリしてひとりで意地張ろうとするやん。こっちがどんだけ遠ざけようとしても、いっつもアホみたいに近づいてきて……、俺、そういうアステラに惚れとんねん。一緒にいたいし、もっと知りたい。甘やかしてやりたい。俺は、そういう意味で好きって言うとる」


 逃げようもない直接的な言葉を耳にするなり、ごきゅりとおかしな音が喉から漏れた。

 

「た、誕生日だから、言ってくれてんの……?」

「二十二歳、おめでとさん。欲しけりゃ何でもくれてやるけどな、誕生日でもそうやなくても変わらんわ」

「冗談?」

「本気や」


 ひとつひとつ、口を開くたびに丁寧に逃げ道を潰されていく。つられて汗が浮かんでくるほど必死に、目を背けられないくらい真摯に。

 アステラが喉から手が出るほどに求めてきたものを、一番与えてほしかった相手が目の前に差し出してくれている。それが分かるのに、歓喜するより先に湧いてくるものは、恐怖だった。

 本当に手を伸ばしてもいいのか分からない。求めた途端に、蜃気楼のように消えてしまいやしないかと恐ろしくて仕方がない。ここが海の上でさえなかったら、アステラは間違いなくその場でダガンに背を向けて逃げ出していただろう。

 

「……えっと、つまり、俺と友達になってくれるってこと?」


 往生際悪く言葉の意味を曲げようとしても、ダガンはそれさえ許してくれなかった。

 

「ずっと友達やったって思ってたのは俺だけか? 友達も腐れ縁も恋人も、全部欲しい。全部なりたい」


 与えられる言葉の熱で、溺れそうだった。

 顔が熱くてたまらない。もう勘弁してくれと叫びたくて仕方がないのに、ダガンは追い打ちをかけるように言葉を続けてくる。

 

「期間限定の話なんてせんといて。寂しいやんか。それともお前は、俺と一緒に()んのは嫌か……?」

「嫌なわけない!」 


 反射的に言い返すと、ほっとしたようにダガンが表情を緩ませた。たったそれだけの変化に胸が詰まって、うっかりと両腕を伸ばしそうになる。

 それでもアステラは、恐怖を捨てきることができなかった。呪いは解けたと分かっていても、手を伸ばすのが恐ろしい。

 ダガンは自分を見捨てない。裏切らない。置いていかない。分かっているのに、心を預けることが怖くてたまらない。


「ダガンが好きって言ってくれて、嬉しいよ。死にたいくらい嬉しい。でも、俺、分からない……!」


 震える拳を、戒めるように握る。そんなアステラをじっと見つめて、ダガンは柔らかく目を細めた。


「……ほなら、分かったら教えてや。ほんで、俺と一緒にいるのが嫌やないなら、終わる旅の話よりも、一緒にいられる方法を考えてや。俺には陸の事情なんて分からんし、出来損ないの半魔やから――」

「出来損ないなんかじゃない」


 言葉を遮りながら否定する。目を丸くするダガンをじとりと睨んで、アステラは八つ当たりのように告げた。

 

「いつだってダガンは俺を助けてくれた。間抜けだけど誰より綺麗で優しい、俺の人魚様なんだからな!」


 間抜けは余計だとか、誰がお前のものだとかと茶化してくれればいいものを、意地の悪い人魚はにやりと笑って、言葉尻を捉えてきた。


「……せやな。アステラだけの人魚様や」


 帽子からこぼれ出たアステラの髪をそっと掬って、いつかの仕返しのように、ダガンは銀色に染まった髪へ慈しむように唇を落とした。

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