2-2 恋に恋する頭はポンコツ
整った顔立ちなのは知っていたけれど、眼鏡を外すと、優しいというよりは、冷たく美しい顔立ちなのだとよく分かる。赤色の瞳を覗き込むと、瞳孔の周りに細い銀色の光が散っていた。見たこともない瞳を物珍しく見つめていると、それに気づいたのか、イリヤはさっと手のひらでアステラの目元を覆ってしまう。
唇に吐息がかかると同時に、柔らかな感触がそっと重なった。物欲しげに唇を舐められたかと思えば、なまめかしい吐息をひとつ残して、イリヤはあっさりと身を離してしまう。
「……こういうことを、されちゃいますよ」
自分で誘ったはずなのに、にこりと間近で微笑みかけられた途端に、妙に落ち着かない気分になった。イリヤの熱っぽい瞳には、こちらをどう喰おうか吟味するようなぎらつきこそ感じれど、守ってあげたい儚さはかけらもない。
背筋を走る悪寒を感じた直後に、しかしアステラはほうと吐息を震わせた。
(でも、こういう肉食系なイリヤもいい……!)
恋に恋するアステラの頭は、ポンコツだった。
「こういう僕は、嫌ですか?」
「好き!」
間髪入れずに言葉を返すと、イリヤは驚いたように目を見張った。
「イリヤのこと、会った時から好きだったんだ。俺の恋人になってほしい」
勢いのままに告白する。両手でイリヤの手を握って懇願すると、イリヤは「嬉しいです」と言って、ほとんど吹き出すように笑い出した。
「どうして笑うの?」
「いえ、すみません。君は本当にかわいいなって、それだけです。僕が言えた義理ではないですが、悪い人間に騙されないか心配になりますよ」
暗にアホだと言われているのだろうか。目尻に滲んだ涙を拭うイリヤを複雑な思いで見つめていると、思い出したようにイリヤがアステラの手を握り返してきた。
「僕もアステラくんのこと、好きですよ。両思いですね」
「ほ、本当に……⁉︎」
「ええ、もちろん」
アステラが舞い上がっている間にも、イリヤはにこにこと微笑みながら、顔を寄せてきた。
「はじめはね、見た目が素敵だなって思ったんです。だから拾ったってわけじゃないですよ? でも、ずっと見ているうちに、アステラくんの中身も好きになってしまいました」
甘い言葉に、息を呑む。
アステラは、いつだって誰かの身代わりで、誰かの慰めで、誰かの火遊びだった。見た目を好いてもらえることは多いけれど、性格が好きと言われたことは多くない。
嬉しくて、頬が勝手に笑み崩れていく。
「嬉しい。ありがとう」
「どういましまして。擦れてないっていうんでしょうか。何度辛い思いをしてもへこたれないところが、本当に面白いですよね」
「俺、そんなにイリヤの前で格好悪いところ見せたかな? 恥ずかしいな」
家事の勝手が分からなくて色々と尋ねることはあったが、失敗らしい失敗などイリヤの前でしたことがあっただろうか。首を傾げるアステラを見て、イリヤは「見てましたよ」とからかうように笑った。
「アステラくんのこと、ずーっと見てました。気付いていませんでした?」
「そうなの? 分からなかった」
「アステラくん、ちょっと抜けてるところがありますもんね」
「イリヤは結構、意地悪だ」
「好きな子は、苛めたくなるんです」
ほんのり意地悪な年上の恋人は、意味深に微笑んだ。
その日以来、アステラはますますイリヤに夢中になった。毎日飽きずに言葉を交わし、時にはふたりきりで砂浜を歩き、星空を眺めた。
けれど、日々の楽しさとは裏腹に、言いようのない違和感は日増しに膨らんでいく。
イリヤと何かをするたび、アステラは過去の『誰か』とイリヤを比べていた。誰のことかも思い出せないのに、無数の恋人たちとの思い出が、どうせイリヤもいつかはどこかに行ってしまうのだと、絶えずアステラに囁きかけてくる。
アステラが愛する人は、誰もアステラを一番に愛してはくれない。どうせ誰もが、最後にはアステラを置いていく。何があってもアステラを見放さなかったのは、綺麗でもかわいくも儚くもない、ましてや恋人などでは絶対ない、たったひとりの腐れ縁の男だけだ。
イリヤの水色の髪を見るたび、人間の半身ほどに大きい水色の尾びれが瞼の裏にちらついた。海を見るたび、方言の癖が強い男の声が脳裏に浮かぶのに、それが誰なのかは思い出せない。
苛立ちばかりが増していく。
――こんなに長くあいつに会わないのは初めてだ。見えないどこかで捕まって、そのまま殺されていたらどうしよう。
自分が誰のことを案じているのかさえも分からぬままに、アステラは焦燥感を募らせていった。
だからだろうか。イリヤに同じベッドで眠らないかと声を掛けられても、湯上がりに誘うように腕に触れられても、頑なにアステラは気付かないふりをし続けた。何かがおかしいと、本能的に勘付いていたからだ。
しかし、イリヤはアステラの煮え切らない態度に、とうとうしびれを切らしたようだった。
「あの……、イリヤ」
「はい。おはようございます、アステラくん」
「おはよう。それでね、これ、何?」
ぬめぬめとした何かがアステラの手首を這っていく。寝た覚えがないのに寝台にいることも恐ろしいが、四肢をろくに動かせないのが、余計に怖かった。
どうやら自分は、拘束されているらしい。
恐る恐る視線を向けると、アステラの両手両足には、真っ白な蛇がぐるりと巻き付いていた。いや、蛇に見えるだけで、蛇ではないのかもしれない。ベッドから直接繋がる紐みたいな蛇なんて、見たことも聞いたこともないからだ。ならば何かと聞かれると答えに困るが、剣士のアステラが、力尽くで剥がせない程度には強い拘束であることは間違いない。
「僕もね、アステラくんがその気になってくれるの、待とうと思ったんですよ? 奥手なのもかわいいなって。でも僕、気が長い方じゃないので。待ちきれなくなっちゃいました」
てへ、とあざとく笑うイリヤの顔はかわいらしいのに、手足を拘束された今は、悪魔の微笑みのようにしか見えなかった。
「イリヤ、放して欲しいな、なんて……」
「大丈夫。怖いことはしませんから」
「いやいや、怖いって!」
引きつった声で訴えるアステラに構わず、イリヤは寝台に膝を乗せてくる。二人分の体重を受け、ぎしり、と寝台が軋んだ。
いわゆる貞操の危機である。