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当て馬男とひねくれ人魚の解呪RTA【全年齢版】  作者: あかいあとり
第二章 性悪悪魔の見せる夢
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2-1 誘拐からの記憶喪失

浜で溺れかけてから早幾月(はやいくつき)

海岸沿いにある灯台守の小屋で、アステラは居候(いそうろう)暮らしを満喫していた。


「いやー、あのときは助かったよ、本当に。イリヤが通りがかってくれなかったら、俺はきっと海に呑まれて死んでたもん」

「アステラくん、泳げませんもんね」


 あの日、海岸で倒れていたアステラを助けてくれたのは、イリヤという名の青年だった。

控えめに笑いながら茶を差し出してくれるイリヤは、ここでひとり灯台守(とうだいもり)をしているのだという。ありがたく気遣いを受け取りつつ、アステラは頬を緩ませながら、イリヤの横顔を盗み見た。

 耳の下でひとつ結びにされた空色の長い髪に、いかにも優しそうな茜色の瞳。歳のころはアステラよりいくつか上の、二十代半ばといったところだろうか。抜けるような白い肌に、ゆったりとしたシャツと、細縁の眼鏡がよく似合う。

いかにも人の良さそうな繊細な見目は、眺めているだけでも眼福だ。溺死待ったなしだったところを助けてもらっただけでもありがたいのに、助けてくれたのがこんなにも優しい美人だなんて、こんな幸運があっていいのだろうか。

天に感謝しながらにこにこと茶を飲んでいると、イリヤはそっとアステラの向かいの席に腰掛けてきた。


「溺れる前のことは、まだ思い出せませんか? 記憶がないままだと、色々と不安でしょう」

「んー……」


 気遣いに満ちた視線を受けて、アステラはごまかすように頬をかく。

 アステラはどうやら記憶喪失らしい。自分の名前と、剣が得意だったことは覚えているのだが、それ以外のことは夢の中にいるように薄ぼんやりとしていて、よく分からないのだ。

ここに来る前、自分が何をしていたのか、なぜ溺れていたのかすら思い出せない。

 強いて言うなら、網にかかった魚を見ると逃してやらねばならぬという強迫観念に駆られるので、動物愛護の仕事でもしていたのかもしれない。


「ごめん。何も思い出せないや」

「そうですか……。一応、買い出しに行ったとき、町の方でも行方不明になっている人がいないか尋ねてきたんですが、アステラくんらしき人の情報はありませんでした」


 役に立てなくてごめんなさい、としょげるイリヤに、アステラは慌てて首を横に振ってみせた。


「謝るのは俺の方だよ。迷惑かけてごめんな、イリヤ。こんなに長い間泊めてもらって、本当になんて礼を言ったらいいか」

「とんでもない! アステラくんが来てから毎日楽しくて、むしろ嬉しいくらいですよ。僕も、ひとりで暮らすのは飽きていましたから」


 なんならいつまでだって居てくれていいくらいです。

 はにかみながら囁かれ、どきりと心臓が高鳴った。


「でも、ずっと世話になるわけにもいかないだろ? もうここに来てから一ヶ月くらいは経って……あれ?」


 ふと違和感に襲われて、言葉を止める。

 イリヤに拾われたのは、夕陽が美しい夏のことではなかったか。肌寒くなってきた気候を思うと、もう冬も近いはずだ。一ヶ月どころではなく、もっと長いことここにいるような気がしてならない。

 今日は何日だったかと考えたけれど、思い出せなかった。

 ぞわりとするような違和感を覚えたそのとき、イリヤが「アステラくん?」と心配そうに顔を覗き込んでくる。


「どうしました?」

「あ……、ああ、ごめん。なんでもない。次に町に行くとき、俺も一緒に行きたいな。荷物持つの、手伝うよ」

「ありがとう。優しいですね、アステラくん」


 上目遣いに微笑みかけられて、でれでれとアステラは鼻の下を伸ばす。


「力仕事なら任せて! 世話になってる礼にもならないけど、俺にできることなら何でもするから」

「――()()()?」


 声をひそめたイリヤが、ぐいと前のめりに身を乗り出す。

艶やかに潤んだ瞳といい、薄く開かれた唇といい、イリヤの顔が妙に色っぽく見えて、落ち着かなかった。


「あの、イリヤ――」


 近すぎる距離にどきどきする。口を開こうとした瞬間、(たしな)めるように唇へ指を当てられた。


「ダメですよ。簡単に『何でも』なんて言っちゃ」


 小悪魔っぽい表情に胸を打ち抜かれて、思わずひゅっと息を呑む。


「どうしてダメなの?」


 唇に当てられていた指を握って、おずおずと口を開く。

 イリヤは面白がるように口角を上げた。


「僕みたいな悪い男にそんなことを言ったら、良いようにされちゃうからですよ」

「良いように、って?」


 隠しきれない期待で掠れた声で、アステラはねだるように問いかける。

 アステラはとにかく惚れっぽい。ちょっと優しくされたら相手のことを知りたくなるし、仲良くなったら尽くしたくなる。自分を助けてくれた優しく美しいイリヤのことを、好きにならない方が難しかった。


「知りたいですか?」


 頬すら赤らめることなく、イリヤは意地悪く問いに問いで返してくる。

普段のイリヤらしくないとは思ったけれど、そんなギャップもたまらなかった。


「うん。教えて? イリヤ」


 食いつく勢いで答えると、イリヤは満足そうに喉を鳴らして笑った。

 イリヤの手が、そっとアステラの手を振り解く。しなやかな指先が、流れるように眼鏡を外していった。

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