5-1 呪いの本領
歩き続けて早五日。時に街道沿いの宿場、時に森の洞窟で身を休めつつ旅路を歩んできたアステラたちは、港町も目前というところで、海際の崖に腰掛けて足を休めていた。
時刻はちょうど黄昏時。水平線に沈みゆく夕陽が、海を真っ赤に染めていく。
「歩き通しはさすがにキッツいわあ……。人間はよくもまあ、毎日毎日歩けるもんや。泳ぐ方がよっぽど楽やろ、これ」
疲れ切った声でぼやきながら、ダガンがぶらぶらと足を揺らしている。
その手首には、小さな鈴のついた、素朴な組み紐が結ばれていた。リリーが投げ寄越した星の石とともに入っていた、魔除けの鈴だ。アステラの目にはただの鈴にしか見えないけれど、ダガン曰く雪男の鈴は貴重な物らしく、加工すれば色々使えると言って喜んでいた。
「靴擦れしてるなら早めに薬塗った方がいいぞ、ダガン」
「目ざといやつやな。人間と比較にならんくらい治りは早いって言うたやろ。怪我のひとつふたつ、放っておいてもすぐ治るわ」
「治るにしたって、痛いと嫌じゃん」
塗り薬を手渡すと、ダガンはいかにも決まり悪そうに顔を顰めながらも、大人しく足へと薬を塗り始めた。
「……村出てからもう五日になるけど、悠長に歩いとって間に合うんか? 俺の足に合わせんでもええんやぞ」
ぼそりと呟かれたダガンの言葉を、アステラは即座に笑い飛ばす。
「別にダガンに気を遣ってゆっくり歩いてるわけじゃないよ。前も言っただろ。せっかくの旅なんだから、楽しまなくちゃもったいないじゃないか。俺、こっちの地方は来たことないし」
そもそも、海に住んでいたダガンが長距離を歩き慣れていないことなど、はじめから分かり切っていたことだ。気にするほどのことでもないのに、ベルの村で人魚の姿に戻ってしまったことがよほど尾を引いているのか、ダガンは時折こうして卑屈さを覗かせる。
「死んだら楽しむも何もないやろ」
「日数なら大丈夫だから、心配するなよ」
それに、そんなすぐに旅を終わらせてしまっては、もったいない。
納得していないらしいダガンに苦笑しながら、アステラはダメ押しのように言葉を足した。
「あと七日もあるんだぞ? ロナマイの港町から近くの商業都市までは乗合馬車も出てるらしいから、そんなにせかせか歩かなくたって余裕だよ。別に呪いが何か悪さするわけでもないんだしさ」
「……ほならええけど」
話している間にも、夕陽を背負うようにして、船がゆっくりと陸へと近づいてくる。カラン、カランと空気を揺らす、澄んだ鐘の音色に耳を傾けながら、アステラは船の進行方向を指差した。
「あそこが港町かな」
「せやな。ロナマイの港町や。アステラが前におった伯爵領と比べたら小さな港やけど、ベルの村よりかはでかい町やで。宿もある」
記憶を辿るようなダガンの口ぶりに、アステラは首を傾げた。
「ダガン、前にも来たことがあるのか? こんなところで何してたんだよ」
「何もしてへん。妹がこの辺に住んどるから、顔見に来たことがあるってだけや」
「妹さんかあ……」
汗ばんだ髪を無造作にかき上げるダガンを見ながら、アステラは抱えた膝に頬を載せる。ダガンが鬱陶しく前髪を伸ばしているのは、人目を引く二色の瞳を隠すためなのだろうが、旅を始めてからは、こうして無防備な顔を見る機会が増えたように思う。
愛想こそないが、冷たく整った造形は見ているだけでも眼福だ。ダガンの妹なら、さぞかし迫力のある美人なのだろう。そんなことを思いながら色違いの瞳をぼんやりと見つめていると、アステラの心を読んだかのように、ダガンはぎろりと据わった目を向けてきた。
「言っとくけど、あいつはもう結婚しとるからな」
「何も言ってないのに!」
唇をへの字に曲げながらも、アステラはダガンの妹に想いを馳せる。
妹。家族。こんな風にちょっとした会話の中でさえ、当たり前のように気に掛けてもらえて、離れて暮らしていても、ずっと心に住まわせてもらえる存在。
「……いいなあ」
気づけば、アステラはぽつりとそんなことを呟いていた。普段であれば決して言わないことなのに、なんだか頭がふわふわとして、うまく表情を取り繕えない。奇妙な浮遊感は、太陽が水平線へ沈んでいくにしたがって、やがて重苦しい不快感へと変化した。
おかしいと感じたときには、遅かった。
体が重い。鎖でがんじがらめにされているかのように、指先ひとつ動かせない。
代わりに、ぞろりと肌の下で何かが蠢く気配がした。
「あ、れ……?」
「おい、アステラ?」
眉を顰めたダガンが、訝しげに顔を覗き込んでくる。
「どないした? 顔、真っ赤やで」
「あ、ぅ……ぐっ!」
身を強張らせて、目を見開く。
太陽が海の下へと消えていく。真っ赤に溶けた太陽が完全に見えなくなると同時に、息ができなくなった。そう錯覚するほどの耐えがたい痛みが、アステラの全身を襲っていた。




