4-3 怒髪病
「――それじゃあ、この子たちは雪男のスノウさんの家に行こうとして、迷子になっちゃったと」
大人四人と子供二人、そして雪男のスノウを加えた総勢七人で焚き火を囲みながら、アステラは確認するように問いかける。
「ええ、その通り」
遅めの朝食だというキノコと山菜のスープを器によそいながら、リリーがぎこちなく頷いた。
青空の下、木々に囲まれた森の奥には、澄んだ空気が満ちている。大陸の南部に位置するだけあって、外でも寒くはないけれど、昼前の空気は冬の気配をしっかりと滲ませていた。
一同が集まっているのは、雪男ことスノウの住処だという、こじんまりとした山小屋の前だった。とりあえず互いの事情を説明しようということで、神父立ち会いのもと、案内されたのがこの場所だ。
「おれたち、別に迷子じゃないよ。父ちゃんの薬の材料を取りに来ただけだもん」
兄弟のうち、兄にあたるだろう仏頂面の少年が、渡されたスープをじっと見つめて、ぼそりと言った。困ったように額を押さえて、リリーが「クイン」と少年をたしなめる。
「子供だけで集められるものじゃないって言ったでしょう。薬の話を聞かれちゃったあたしも馬鹿だけど、スノウも神父さまも、あんたたちが言うことを聞かなかったせいで今、大変なことになってるんだからね。スノウがすぐ見つけてくれたから良かったものの、あんたたち、下手すれば森で遭難してたかもしれないんだよ」
「別にいいよ。父ちゃんが治るならなんでもいい」
「いいわけないでしょ。死んじゃったらおばさんにもおじさんにも、二度と会えなくなっちゃうんだからね!」
リリーが叱りつけると、クインと呼ばれた子供は暗い顔で黙り込み、そのまま口を開けなくなった。一方の弟と思わしき小さな子供は、場の空気を分かっているのかいないのか、兄の隣で口の周りをべちゃべちゃにしながら無言でスープを飲んでいる。
何やら事情のありそうな兄弟をちらりと見た後で、アステラは声をひそめてリリーに問いかけた。
「……この子たちのお父さん、病気なの?」
小さく頷いたリリーは、テネル神父に幼い兄弟の世話を任せると、焚き火から離れた位置へとアステラたちを誘導し、スノウと並んで地面へ腰を落ち着けた。どうやら長い話になりそうだと察したアステラは、詳しい話が始まる前に、さっと手を上げ、皆の視線を集める。
「話の前に、少しいいかな。……さっきはごめん。見た目だけで魔物だって思い込んで斬ろうとしたこと、許してほしい。本当に、すみませんでした」
アステラが頭を下げると、リリーとスノウは慌てた様子で、揃って首を横に振った。
「あたしの方こそ、叩いてしまってごめんなさい。てっきりアステラさんが本気でスノウを斬るんじゃないかって、怖くなっちゃって……」
「謝ルノハ僕ノ方デス。驚カセテシマッテ、スミマセン。リリーガ襲ワレテイルノカト、酷イ誤解ヲ……!」
なんとなくそんな予感はしていたものの、互いに庇い合うスノウとリリーを前にすると、ぐさりと心に刺さるものがあった。想い合う二人の間に、気づけば割り込むような立場に収まっているのはいつものことであるが、恋をしてから失恋するまでが早すぎる。
ダガンの生ぬるい視線を頬に感じつつ、涙を飲んだアステラは、そっと話の先を促した。
「よければ事情を聞かせてほしい。俺たち、この辺りの土地には詳しくないけど、もしかすると何か力になれることもあるかもしれないから」
にかりと笑ってそう言うと、アステラにつられるように、「ありがとう」とリリーは表情を和らげた。
「二人は『怒髪病』って知ってる?」
リリーは声をひそめてアステラたちに問いかけた。何の病気かと問い返すより前に、ダガンが「いわゆる『旅人病』やな」とぼそりと呟く。
「他人にはうつらんらしいけど、誰彼構わず殴って暴れて、最後は狂って衰弱死するとかいう、どぎつい病気やろ? 悪魔憑きや何やって騒がれとるところ、見たことあるわ。あのガキどもの親、よりにもよって怒髪病にかかっとるんか」
子供たちの方を見つめたままダガンが問うと、リリーは重々しく頷いた。
「一週間くらい前かな? おじさん、出先から戻ってきた後からおかしくなっちゃったの。ちょっとしたことで別人みたいに怒って、周りの人に手を上げるようになった。神父さまに相談したら、怒髪病だって」
リリー曰く、怒髪病とは、沼地に住んでいる赤虫に噛まれると感染する、旅人に多い病らしい。発症すると、文字通り髪が天を衝くほど激しく怒り続け、周囲に見境なく暴力を振るうようになるという。
「神父さまが言うには、特効薬自体は調合できるらしいの。でも、材料が村にはなかった。鎮静薬で症状を抑えているうちに、何とかみんなで材料を集めようと思ってたんだけど……」
「抑えられるもんやないやろ。弱っちい子供なんぞ、ええ標的や」
子供たちから目を離さぬままに、ダガンは苦々しい口調で吐き捨てる。先ほどから何を熱心に見ているのかと視線を追いかけたところで、ダガンが見ていたものを遅れて理解し、アステラは目を見開いた。
口数が妙に少ない子供たちの袖口や襟口からは、痛々しい紫色のアザがいくつも覗いていた。
「その……患者さんをどこか別の場所に移すとかはできないのか?」
恐る恐る問いかけると、悲しげにリリーは首を横に振った。
「閉じ込めたり拘束したりすると余計に暴れちゃうの。初日はそのせいで、おじさんが自分で自分を殺しちゃうところだった。三日目までは、なんとか薬で眠ってもらえてたんだけど、どんどん症状がひどくなってきて……。子供たちだけでも目につかないところへ匿ってくれないかって、おばさんに頼まれたの。だからスノウを頼ろうとしたんだけど――」
「肝心の根回しをする前に子供たちが森に入っちゃって、迷子騒ぎになったと」
アステラが言葉を継ぐと、リリーは困り果てた様子で頷いた。
「そういうこと。買い付けに出た人を待つより、森で薬の材料を探した方が早いんじゃないかって神父さまと話してたのを、あの子たち、盗み聞きしてたみたいで……。幸い、スノウが子供たちをすぐに保護してくれたから良かったけど、今度は代わりにスノウが村の大人に見つかっちゃって、魔物扱いってわけ。子供たちの間じゃ、何年も前から森に棲んでる精霊さんって有名なのに、魔物、魔物って変に怖がっちゃって、ひどい話だよね」
「……自分らがここに集まっとる事情はまあ分かったけど、そもそもなんで雪男がこんな場所に別荘作って暮らしとんの? 海の近くに住んどる雪男なんて、初めて聞いたわ」
視線を子供たちから外したダガンが、好奇心を隠さずスノウに尋ねる。人間相手には警戒心をむき出しにするくせに、人外相手にはいつもの調子が戻るらしい。そのあからさまな態度の変わり様に、アステラはほんのり面白くない気分になった。




