4-2 迷子探し
子供が遊びに行くなら西門から。朝一番で森に入ったアステラとダガンは、地面に残る足跡を確かめながら、さくさくと獣道を進んでいく。
「結構でかい森やんけ。見つからなかったらどないするん?」
きょろきょろと森を見渡しているダガンを横目で見つつ、アステラは地面に残された足跡をさっと検分する。
「大丈夫、そう遠くには行ってなさそうだから」
「分かるんか」
「だって足跡が新しいもん。子供の足跡が二つと、大人の足跡が一つ。多分、子供たちと神父さま、もう合流してるんだろうな。よかった」
そこまで言って、「ただ……」とアステラは言い淀む。
「もうひとり。いや、一匹……?」
小さな足跡と寄り添うように残された、巨大な足跡がもうひとつ。人間にしては大きすぎるが、魔物にしては人の足跡と似すぎている。得体の知れない足跡の持ち主は、どうやら子供たちに同行しているらしいが、その正体も理由も見当がつかない。
見当がつかないといえば、先ほどからずっとついてくる気配もそうだ。
ゆっくりと立ち上がったアステラは、素早く背後を振り返る。途端に、さっと木の幹に隠れる人影が見えた。
ばっちり木の幹からはみ出ている赤毛とワンピースの裾をじっと眺めて、アステラはダガンと顔を見合わせる。
「あの子、何なのかな」
「俺が知るかい」
ひそひそと言葉を交わした後で、アステラはできる限り優しく、木の幹の向こう側へと声を掛けた。
「こんにちは。君も、迷子の子たちを探しに来たの?」
アステラの声を聞くなり、女はびくりと肩を跳ね上げる。辛抱強く返事を待っていると、やがて赤毛の女は、気まずそうに木の幹から顔を覗かせた。
「……気づいてたんですね」
「うん、まあ。門のところからずっとついてきてたよね」
背丈こそ随分と小柄だけれど、少女というよりは、アステラと近い年頃に見えた。大きな目と、高い位置で束ねた赤毛が印象的な女は、リリーと名乗って頭を下げる。
「つけるような真似をしてすみません。昨日、食堂で店主さんと話しているのを聞いたんです。迷子になった子たち、あたしの隣の家の子たちだから、心配で居ても立っても居られなくて」
リリーの凛とした眼差しを見た瞬間、アステラは稲妻に打たれた気分になった。疼く胸を押さえて、ふらりとよろめく。
「なんて優しいんだ……!」
近所の子供たちを案じて、魔物がいる森に単身で飛び込んでくる勇敢さ。不安を隠してこちらを見つめる、その健気さ。何より、意志の強そうな目に反して、いかにも頼りなげな儚い容貌。
まさにアステラの好みそのものだ。
うっとりとリリーに見惚れるアステラの肩を、呆れ返った様子でダガンが小突く。
「おい。まさか惚れたとか言わへんやろな。時と場合を選びや」
「残念だけど、時も場合も選べないのが恋なんだよ」
浮かれ切った言葉を残して、アステラはさっとリリーに近づいていく。
紳士的にリリーの背に手を添えたアステラは、にこりと外行きの顔で微笑んだ。
「そういうことなら一緒に行こう、リリー。知り合いのお姉さんがいてくれたら、子供たちもきっと安心する。大丈夫。魔物が出たら、俺が君を守るよ」
「え、ええ……。ありがとうございます」
顔を引きつらせながらも、リリーはぎこちなくアステラたちに並んで歩く。
「その……お二人は、どちらに向かわれる予定だったんですか? さっき、子供たちは遠くには行ってないって言ってましたよね」
「ああ。この辺りに残ってる足跡は、まだ新しい。行ったり来たりしているみたいだから、多分、拠点にしている場所があるんだろう。それを探そうと思ってた」
なんで迷子の子供たちに拠点が必要なのかは分からないけどね。
アステラが顎に手を当てて呟くと、横からダガンが口を出してくる。
「家出でもしたんとちゃう?」
「五歳と七歳の子って言ってなかったか? さすがにないだろ」
「分からへんやん。よっぽど家に帰りたないのかも知れへんで」
「家族がいるのに? そんなことってあるか?」
物心ついたときには天涯孤独だったアステラにしてみれば、そばに家族がいて、帰る場所があるというのは、夢のような贅沢だ。ダガンのような特殊な生まれならばともかく、持っている貴重なものをあえて手放したくなる状況というのは、まるで想像がつかなかった。
首を傾げていたその時、不意にリリーが口を開いた。
「事情があるとしたら?」
緊張を隠しきれていない、強張った声で彼女は続ける。
「ひどい喧嘩をしたとか、虐待されているとか。どうしようもなくて、避難するしかなかったとしたら、あなたたち、黙っていてくれますか」
「……どういうこと? リリー、君は――」
何か事情を知っているのか。
そう尋ねようとした瞬間、ちりんと小さな鈴の音がどこかから聞こえてきた。
口を閉ざしたアステラは、素早く同行者二人を背に庇いつつ、剣の柄へと手を添える。直後に、ガサガサと乱暴に草木をかき分ける音が聞こえてきた。
「気をつけて。何かが来る!」
「グオオォウ!」
アステラが警告すると同時に、草むらから唸り声とともに巨大な影が飛び出してきた。
「――魔物?」
それは、毛むくじゃらの野獣のようにも見えるし、大きすぎる人間だと言われても辛うじて納得できるような、不思議な見た目をしていた。全身は灰色の毛に覆われており、くりくりとした黒目がふたつ、その間から覗いている。手首に嵌められたかわいらしい鈴のブレスレットと、ボロ布だけを腰に巻いた風体には愛嬌がないこともないが、成人男性を遥かに上回る巨体を前にすると、恐怖と嫌悪感が先に立った。
アステラの後ろにちゃっかりと隠れつつ、ダガンは「雪男やな」と囁いた。
「雪男? 雪なんてどこにも見えないぞ」
「種族名や、種族名。陸魔の一種でな、高山地方に住んどることが多いはずなんやけど、こないなところまで下りてきとるのは珍しい」
「よく分からないけど、目撃された魔物っていうのはあいつだよな? とりあえず斬るぞ」
「いや、雪男っちゅうのは――」
遭難した人間を助けるのが趣味なくらい、穏和な種族なんやで。
ダガンが言い終えるより前に、「信じられない」とリリーが低い声で吐き捨てる。
「いきなり斬ろうとするなんて、何考えてるの! スノウは魔物じゃないのに……!」
素早く雪男を背に庇ったリリーは、必死の形相で手を振り上げた。自身の体を躊躇いなく盾にするとは、ずいぶんと思い切った行動だ。感嘆している間に、乾いた音を立てて、アステラの頬は張り飛ばされていた。
「やっぱり着いてきて正解だった! 昨日、森の魔物を討伐するって言ってたの、食堂で聞いてたんだから!」
「ご、誤解だよ、リリー! 俺はただ、その魔物? 野獣? から君を守ろうとしただけで――」
「だから、魔物じゃないし、野獣でもないの! あんたたちみたいな偏見のひどい人たちしかいないから、こんなことになるんじゃない!」
手を振り上げたリリーが、再度アステラの頬を張り飛ばす。
「どういうこと……?」
涙目になったアステラは、途方に暮れて立ち尽くす。
救いを求めて天に祈りを捧げたその時、不意に子供の声が場に割って入ってきた。
「スノウ。ごはんのじゅんび、できたよ」
見れば、幼い子供が草むらから顔を出していた。次いで、神職者のローブを纏った老年の神父が、子供を追いかけるように木の陰から姿を現す。
「これ、ひとりで動き回ったら危ないと言っておるだろう。……おや、リリーさんではないですか。それに、見ない方々まで」
リリーを見て目を見張った神父は、誰も彼もが立ち尽くしている場をぐるりと見渡すと、ふむ、とひとつ頷いた。
「今日の森は賑やかですな。どうも、私は神父のテネルと申します」
白く煌めく日の下で、ホウホウと気の抜けるような鳥の声が、のどかに響いた。
「……えっと、つまり、どういうこと……?」
「俺に聞かんといてや」
朝日に照らされた互いの顔を見つめながら、アステラとダガンは二人揃って首を傾げた。




