4-1 神父様は行方不明
海際の小村・ベルにて。
日暮れ前に村の門をくぐり、無事に換金と物資の調達を済ませたアステラたちは、夕食がてら、さっそく食堂で情報収集に勤しんでいた。
「――教会? あるけど、神父さまは今、行方不明だよ」
「行方不明⁉︎」
素っ頓狂な声を上げたアステラは、焼きエビに伸ばそうとしていた手を止め、店主を見る。隣で水を飲んでいたダガンも、アステラの声に驚いたのか、無言で眉を顰めていた。
二人の顔を交互に見て、食堂の大将は重々しく頷く。
「森に遊びに行った子供が二人、昨日の夜から村に帰ってこなくてね。心配したテネル神父さまが、昼に子供たちを探しに森に入ったきり、まだ帰ってきてねえのよ」
「森って、海岸側の森ですか? 俺たち、あの森を抜けてきたけど、誰にも会いませんでしたよ」
「逆、逆。そっちじゃなくて、街道に抜ける方。明日の朝になっても帰ってこなかったら、警備団の連中で森を探そうって話をしてる。子供たちはともかく、神父さまに限って森で遭難したってことはねえと思うけど、何しろ森で魔物を見たってやつもいるからね……」
その先を口にするのを恐れるように、店主はぶるぶると首を横に振った。
「とにかく! 他所の人が教会に用事って言ったら、大方病気か呪いかどっちかだろう? 急ぎなら、港町の方に行ったほうがいいんじゃないか? 歩きなら三日もあれば着くからさ。地図が見たけりゃ、そこにあるから」
親切な店主は、そう言い残すなり、厨房へと引っ込んでいった。
「……どないするん? 港町に行くか?」
店主の姿が視界から消えるなり、ダガンがぼそりと問いかけてくる。壁に掛けられた地図を睨んだアステラは、少し考えた後で「いや」と首を横に振った。
「港町まで行っちゃうと、日数的に首都には行けなくなる。どういうルートで解呪を目指すか、先に決めてから動きたいな」
「なんや迷う理由があるんか?」
小さく頷いて、アステラは何度か訪れたことのある首都の様子を思い起こした。
才能ひしめく修羅の街には、国中の優秀な人材がこぞって集まる。この国の首都は、金ですべてを買う街として有名なのだ。逆に言えば、金がなければ何もできないということでもある。
「首都には国一番の教会がある。あそこにいけば、解けない呪いは多分ない。でも、強い悪魔祓いが揃ってる代わりに、商売の色がすごく濃いんだ。普通のお布施の額だと、呪いを解いてもらうより、順番待ちで俺が死ぬ方がまず間違いなく早い」
「首都ルートは確実やけど、どっかで金を荒稼ぎせなあかんってことか」
「うん。ただ、あんまり危ない橋は渡りたくない。首都の悪魔祓いを頼らなくてもなんとかなりそうなら、そっちの方が良いと思うんだ」
この村の神父に解呪してもらえるならそれに越したことはないし、そうでなくとも、この呪いがどの程度手強いものなのか、まずは専門家の意見を聞いてみたかった。なにしろアステラに残された時間は、わずか十四日しかないのだから。
ぺろりと焼きエビを平らげた後で、アステラは「よし!」と声を上げた。
「神父さまが森に入ったの、昼ごろだって言ってたよな。土地勘がないから夜は動けないけど、明日の朝一で探しに行ってみよう」
「探しに……? その迷子の子供と、神父をか?」
「うん。天気も良いし、朝まで待っても痕跡は残ってるはずだ」
追跡の心得はあるから大丈夫、と言うと、ダガンは苦笑とも感嘆ともつかぬ微妙な表情を浮かべて、まじまじとアステラを見つめてきた。
「お前はほんまに……色恋さえ絡まなけりゃ、何でもできるやつやな。たまにびっくりするわ」
「へへ、そう?」
監禁されるのが趣味のようなどこぞの人魚を助け出そうと思うと、必然的に追跡やら鍵開けやら幅広い技術を習得する必要があっただけなのだが、褒められて悪い気はしなかった。
気分よく食事を進めつつ、追加の料理が運ばれてきたタイミングで、アステラはさっと店主に声を掛ける。
「俺たちも明日、森に入ってみてもいいですか? 人を探すなら、役に立てるかもしれません」
「そりゃあ助かるけど……、さっきも言った通り、森で毛むくじゃらの魔物を見たってやつが何人もいるんだ。何かあっても責任は取れねえよ?」
「大丈夫です。俺、こう見えても腕には自信があるので。お困りなら、森の魔物もついでに討伐してきますよ!」
「言うねえ。なら、人の良い兄ちゃんたちにサービスだ。ロナマイの海鮮、たっぷり食べて行きな!」
どん、と気前良く出された海鮮の盛り合わせをありがたく受け取りつつ、アステラは黙り込むダガンへちらりと視線を滑らせた。
いつも以上の仏頂面に、まるで借りてきた猫のような緊張感。アステラとは普段通りに話してくれるけれど、他人が近寄ってくると、途端にダガンは口を閉ざしてしまう。人間の集まる場所によほど苦手意識があるのか、それとも単に人見知りなだけか。
焼き貝と素揚げされた小魚が所狭しと盛られた皿を差し出しながら、アステラは「ダガンも食おうよ」と微笑みかけた。ダガンがこうも緊張している理由は分からないけれど、無理を言って旅に連れ出した以上、少しでも陸の旅を楽しませてやりたかった。
「あ……海のもの、食べられるか? 食べたらまずい感じ?」
慌てて言葉を足したアステラは、どれなら食べられるだろうかと、他の皿を検分する。わたわたと忙しなく視線を彷徨わせるアステラを見つめて、ダガンはふっと気が抜けたように苦笑した。
「気ぃ遣わんでええわ。大体のもんは普通に食う。魚は食えへんけどな」
「ああ、イリヤから逃げる時、魚となんか喋ってたもんな――もがっ」
地味ながらも神秘的な光景を思い出しながら呟いた瞬間、ダガンはアステラの言葉を封じるように、口へ海老フライを突っ込んできた。いきなり何をするのかと目を見開くと、ダガンは非難の籠った眼差しを無言でアステラに向けてくる。
「あんたたち今、魚と喋るって言ったかい?」
耳聡く会話を聞いていたらしい店主が、訝しげに口を開く。
「……魚と喋れたら海鮮も食い放題なのになって、馬鹿話ですわ」
素っ気なくダガンが返事をすると、店主は「そうかい、それならいいんだ」と表情を和らげた。しかし、店主のぎこちない笑顔の裏には、嫌悪と恐怖が薄らと透けて見えている。
「余計なお世話かもしれないけど……兄ちゃんたち、冗談でも海辺の集落でそういうことは言わない方がいいよ。魚と喋るのなんざ、人喰い海魔だけだ。都会の人は人魚だなんだってありがたがるけど、船乗りからみりゃ、海魔っていうのは死と不吉の象徴だ。変な誤解をされたくなきゃ、言葉には気をつけな。人に化けてる半魔だって思われたら、大変だからね」
「……覚えときますわ」
俯いたダガンが、らしくもない平坦な声で答える様を、アステラはもしゃもしゃと海老フライを咀嚼しながら見つめていた。
どうやら半魔というものは、アステラが思う以上に人々から偏見の目で見られるものらしい。村に着くなり、ダガンがこうも緊張感を漂わせている理由が、ほんの少し分かってしまった。軽率なことを口にしてしまったと反省しつつ、海老フライを丸々一匹完食したアステラは、空気を切り替えるように、「うまい!」と声を張り上げる。
「店長さん、このフライすごくうまいですね。お代わりもらっていいですか?」
空気を読まずにへらへらと笑うアステラに、店主もつられたように頬を緩める。
「もちろんさ。海老フライはうちの看板料理なんだ。たくさん食べてってくれ。そっちの蒸し焼き貝もオススメだよ」
「貝だって。ダガンも食う? 剥いてやろうか。俺、渦巻き貝から身を出すの、得意なんだ。はい、あーん」
店主の視線からダガンを隠すように身を乗り出しつつ、アステラはダガンの口元へと、剥いた焼き貝をぐいぐい押し付ける。
「自分で食えるわ、アホ」と口元を引きつらせながらも、湯気を立てる貝の身に齧りつくなり、ダガンはかすかに表情を和らげた。
「……うまいな」
「だろ? もっと頼む?」
「これだけあれば十分や。あとはアステラが食べや。森に魔物が出たら、戦うのはお前やねんから」
あったかいもん食べるの久々やわあ、と呟くダガンは、腹が膨れたこともあってか、多少は余裕が出てきたらしい。カウンターに並んだ酒瓶を、何が楽しいのか熱心に眺め回す様子を、アステラはほっとしながら見守った。
しかし、ダガンばかりを気にしていたアステラは、己に向けられる視線に気づかない。
「森の魔物と戦う、ですって……?」
アステラの腰に下げられた剣を睨むように見つめるひとりの女がいたことには、気づかないままだった。