第八幕 そして……南
第八幕 そして……南
『Sudonai』
セントラル・サウススクエアにある町で、鉄道網の最南端の地でもある。
サウスエリアに向かうといっても、実際に線路があるのはここまでである。ゆえにサウスに向かう狩人達は、ここからは自力で南を目指すしかないのだ。
セミリオとカインもこの町で列車を降りた。町は意外にも活気があり、露天があちらこちらに立っていた。
酒を飲み、どうでもいい話を延々と繰り返す人々。
石造りと木造の建物の入り混じった通りはお世辞にも治安が良いとはいえなかったが、ある種の抑圧されたような雰囲気が漂ってい。
「サウスに行く度胸もないくせに、一目見てきたって自慢する奴らがここから望遠鏡で覗いてやがるんだ」
カインが町一番の高台を眺めながら、皮肉をたっぷりと込めて言った。
もちろん、セミリオもカインもそんなものには目もくれず、バイクのレンタルショップを目指して歩いて行く。
未知なる地、サウスエリア。
モウソンのくれた地図があるとは言え、そこはあまりにも広くさらに手掛かりも乏しいため、徒歩で歩き回るなどとてもではないが不可能である。
中型の二人乗りバイクを借り、野宿用の必需品を買い揃えると、その日のうちにスドナイを後にしたのだった。
「ちょっと寄り道するぞ、セミリオ」
スドナイを出てしばらくして、カインがいつに無く真剣な口調でセミリオに呼びかけてきた。いつもと違うことを感じ取った彼女は、カインには見えないことを承知でこっくりと頷いた。
やがてカインが運転するバイクは、小高い丘の上にやってきた。
「カイン、ここは?」
セミリオが聞くと、カインは黙って前方を指差した。そしてそのまま歩き出す。
「ここまでバイクで乗り入れたくなくてな」
カインが口を開いたときは、すでにセミリオにもここがどういう所なのか分かっていた。
丘は歩いていくうちに崖になり、それを背にして一本の板が立っている。
それは、ガイアの墓だった。
「……ここに、おやっさんを埋葬した。サウスに行く前に、復讐の天使団と戦う前に、どうしてもお前さんと来たくてな」
墓に向かって帽子を取ったカインをセミリオは見ていたが、不意に、自分が泣いていることに気がついた。
「……え? ……あれ? どうしてだろ? 父さんのこと、ほとんど覚えてないのに、なんでこんなに悲しいんだろ……」
「セミリオ……」
しかし次の瞬間には、セミリオは強く涙をぬぐって笑顔になっていた。
「いけない、いけない。泣いてなんかいたらカインには馬鹿にされるし、父さんも安心できないよね。大丈夫、だよ」
彼女は胸のチョーカーに手をやりながら、ガイアの墓の前に立った。
「おやっさん。約束どおりセミリオを、あんたの娘を連れてきたよ」
カインが寂しげに呟いている。彼のそんな態度を見るのは初めてだった。セミリオが横に立ったとき、カインが話し始めた。
「悪かったな、リオ。……俺は薄々気付いてたんだ、復讐の天使団の本拠地がサウスにあるって事は。おやっさんがここで殺されてからずっとな。だが、俺は怖かったんだ、ここに来ることが。それでもやっとここに戻ってくることが出来たぜ、お前さんのおかげでな。……だから、俺ももう大丈夫だ。ありがとな、リオ」
セミリオは微笑みながら首を振った。
「ううん、お礼を言うのはわたしの方だよ。父さんの言葉、ちゃんと守ってくれて、わたしをここまで連れてきてくれた、それだけでも十分だよ。ありがとう、カイン」
二人は互いを見据えると、どちらともなく銃を取り出し、スライドを打ち合わせて天に向けて撃ち上げた。
ガイアの墓がある高台からはサウスエリアをわずかに望める。しかし未知なる地は濃霧に覆われ、全容ははっきりしない。
それでも決意を新たにしたセミリオとカインにとっては、濃霧など何の障害にもならなかった。
そして二人は、ガイアの墓に跪いた後そこを離れ、『未知なる地』サウスエリアへとバイクを走らせた。
「カイン、もう少し右のほうだよ」
バイクを走らせるカインと、ナビゲートするセミリオ。二人の息はぴったりで、これまでの他のエリアでは何の問題も無く進んでくることが出来た。
しかし、今走っているのは『未知なる地』サウスエリア。一筋縄ではいかないこの地は、二人を迷わせるのに十分な複雑さを持っていた。
「多分だが、道が違う気がするな」
「え、ほんと?」
言われてセミリオは地図を眺めて確かめた。
「……うーん」
しばし眉間にしわを寄せて考える。
「ひょっとしてこの鉄塔見落としたかも」
「貸してみろ」
地図を受け取ったカインは、走ってきた道を頭の中で描き、地図と見比べる。
「そうだな。鉄塔を曲がってねえな」
カインはバイクを反対に向けると、再び走り出した。
「ごめん……。カイン」
珍しくセミリオがしおれてカインの背中に額をくっつけていると、彼はいつもの軽い口調で返してきた。
「気にすんな。大体こんな所で、自由自在に動けるほうがどうかしてる。まして、ひよっ子のお前さんならなおさらだ」
「……言い返せない自分が悔しい」
そして走ることしばし。
「そもそもさ、なんで道とか建物とかあるの? サウスって誰もいないんじゃないの?」
「いないこともないとは思うが、サウスが危険になったのはここ何十年からしいぞ。それ以前もこの薄暗い霧は出やすかっただろうが、人もそれなりにいたらしい。だがいつの頃からか入ったら出てこれねえ呪いの土地みたいな扱いになっちまった。ま、今思えば天使団が根城にしだしたからだろうな」
「それで未知なる地、かあ」
セミリオは地図を眺める。
広大なサウスを人が近づくことのできない恐るべき土地に変えた天使団の影響力に、改めて得体の知れない恐怖を感じた。
昔の街道らしき道を走り、朽ち果て崩れ落ちた看板の横を抜け、かつては集落だったろう腐りきった木造の建物を横目に、二人を乗せたバイクは走り続ける。濃霧がまとわりついて服が少し濡れた。
そのままさらに三十分ほどが過ぎ、濡れた体が冷えてきた頃、二人は同時に小さな集落を見つけた。
「カイン、村……って言うには小さすぎるね」
「ああ。しかしな……、こんな所に集落か……」
この危険すぎるサウスに、集落を作ろうなどと考えるものは一人もいない。他のエリアでは生きていけない賞金首などが逃げ込むことはあるが、それらの者が寄り集まることなどあるはずもない。
しかし現実に、二人の目の前には小さな村がある。
「なんにしろ、まともな奴が住んでないのは明らかだな」
カインはその村にまっすぐバイクを走らせながら言った。
「カイン、行くの?」
セミリオが、腰の銃に手をやりながら聞く。
「ああ。もしここが天使団に関係あるところだったら、そいつらを締め上げて奴らの本拠地の正確な場所を聞き出してやる」
そう言った一瞬だけ、カインの瞳には復讐の暗い光があった。
村から少し離れた場所にバイクを止め、セミリオとカインは静かにそこへ近づいていった。
しかし近づくにつれ、天使団がいるということもなく、不気味に静まり返っているということだけが分かる。
二人は警戒するのをやめ、村に入った。
そこは、何もかもが薄暗い村だった。
かろうじて立っているような家は薄汚れ、通りと呼ぶにはあまりにも汚い場所は、人影すらない。
先日訪れたWノースのミシナでさえも、これよりも人気があったのだ。
「人は住んでるみたいだが……」
村を歩きながら、カインが呟く。
しばらくしてセミリオは気付いた。村のいたるところに墓が乱立しているのだ。整然とした墓地などではなく、通りの横にぞんざいに建てられた墓標などもある。
所々に残る車輪の轍が不自然だった。
「ここ……何……? それにこれ……バイクとか車じゃないよね」
そうセミリオが言ったとき、目の前の家から女が出てきた。
年寄りのように見えたが、実際はそうでもない。ただ、疲れきったように、希望も何もないように見える。
「あの、すみません」
セミリオがこの村の事を聞こうと、女に声をかけた。
その女は、セミリオのほうへゆっくりと顔を向けた。その目は虚ろだった。
しかし一瞬の後、激しい怯えの色を見せ、家へ駆け込んでしまった。
「何なの……? 今の人……」
「さあな……」
少し歩くと一軒の家があった。その家が他のものとは違うのは、煙突から煙が立ち上っている。人間的な営みがあるということだ。
セミリオは少し用心しながら、その家のベルを鳴らした。
少しの沈黙の後、扉が開かれる。
中から出てきたのは、車椅子に乗った、初老の男だった。
「やあ、お客さんとは珍しい。それにまだ目が生きている。まぁ、立ち話もなんだから、中にお入りなさい」
そう言って、その男はセミリオとカインを中へ促した。二人は顔を見合わせた後、中へ入った。
「適当に座りなさい。今何か飲み物を用意するからね」
男は車椅子を器用に操り、家の中を動き回った。
「あの、それよりも聞きたいことが」
「まあ、待ちなさい。ここ、サウスにいる事だけでも、君たちが意味もなく訪ねてきたわけではないということは分かるよ。話はゆっくりしてからでもいいだろう?」
セミリオの言葉をさえぎって、男が言った。
セミリオはやや不満顔で黙った。カインがそれを見てかすかに笑う。
「ちょっと、カイン。何笑ってるのよ」
「いやなに。お前さんの、そのフグみたいな顔を久しぶりに見たんでな」
「誰がフグだって?」
セミリオが声を高くしたとき、座っていたテーブルにコーヒーが三つ置かれた。
「こんな場所の飲み物だ、口には合わんかも知れんが飲んでくれ」
男が言うように、確かに他の地域の物よりも味は下だった。
少しくつろいだあと、男が口を開いた。
「まず、サウスまで来たことの苦労をねぎらおう。申し遅れたね、私の名は、イレ・イ・トニアと言う」
トニアという男は、そう言って会釈した。
「セミリオ・ジュノス」
「カイン・ラステッドだ」
言葉少なに二人も自己紹介をする。まだ正体も分からない人間に、セミリオもカインも心を許していなかった。
「ふむ、まだ私のことを警戒しているようだね。まあ、サウスでは無理の無いことだが。さて、そっちのお嬢さん、セミリオ君といったかな? は、何か聞きたいことがあるようだね。私に答えられる範囲であるなら、何にでも答えてあげるよ」
トニアはそう言って微笑んだ。その笑みに、セミリオの緊張がややほぐれる。
「ありがとう。そうね、まずこの村の事から聞かせて」
セミリオが言うと、トニアは車椅子を動かして窓際に移動した。そして、ゆっくりと口を開いた。
「……この村の人間には会ったかな?」
「ああ、さっき女に会ったぜ。ひどく怯えていたが」
トニアは二人のほうを向くと、首を振った。
「そうだ。それがこの村の姿を表している」
「どういうこと?」
「君たちは狩人だね? そして、このサウスに来たということは、復讐の天使団を追っているのだろう?」
セミリオとカインは深く頷いた。
「ああ、その通りだ」
「やはりか……。君たちは運が良いのか悪いのか……。この村は、その天使団の村だ」
セミリオは再び緊張し、銃に手をやりかけた。しかし、カインがそれを止める。
「カイン君、ありがとう。天使団の村といっても、奴らがここに住んでいるわけではない。ここは、奴らの狩場なんだよ」
「狩場ってどういうこと?」
興味をそそられ、セミリオが尋ねる。トニアは再び、顔を外に向けた。濃霧が一段と濃くなっていた。
「奴らは、時々この村にやって来ては、まるで動物を追うように人間を殺していくんだ。もちろん、奴らにとってここの人間を皆殺しにするのはたやすい事だ。他の地域で殺すこともな。しかし、奴らはそれでもここに来る。何故だか分かるかな?」
「何も知らないうちに突然殺すよりも、怯えさせて、追いかけて殺したほうが楽しいから、だ」
カインが吐き捨てるように言った。
「そうだ。ここの人間は、サウスから出る気力も体力もない。いや、もはやそんな発想すら無いんだろう。ただ生きるだけだ。魂が無いようにね。しかし、それでも殺される恐怖はある。奴らは、そんな人達の顔を見て楽しんでいるんだ」
トニアは、苦しそうに顔を歪めて言った。
「酷い。酷すぎるよ、そんなの!」
セミリオが、怒りに顔を紅潮させて叫んだ。拳をテーブルに叩きつけ、蝋燭が揺らめいた。
復讐の天使団。恐ろしく、そして残酷な集団。
「じゃあ、何であんたはわりと平気な顔をして暮らしてるんだ?」
カインが言う。トニアは苦笑しながら、それに答えた。
「見た目ほど平気じゃないさ。ただ、奴らにとって、逃げ足の鈍い車椅子の獲物はつまらないらしい。私がここに来てから、二十年で何十回も奴らが来たが、見向きもされなかったよ」
「トニアさん……、二十年も、この村に?」
「そうさ。私も、かつては世界中を駆け回っていた狩人だった。しかし復讐の天使団の事を聞いて、ここサウスにやってきたのが運のつきだった。奴らを潰してやろうと、若かった私は無鉄砲なことを考えていた。しかし奴らと対峙して、それがいかに愚かな考えかを嫌というほど知らされた。あっという間に大怪我を負わされた。それでも、何とか逃げ出すことが出来たのは運がよかった。人間、恥も外聞も捨てれば何とかなる、ということかな。それ以来、私もこの村の住民となった。死ぬでもなく、生きるでもなく、いずれ他の連中と同じようになるだろう」
トニアは大きく息をつくと、自嘲気味に笑った。そのさまは痛々しく、セミリオは思わずその両手を握っていた。
「あきらめないで、トニアさん。わたしとカインが、絶対復讐の天使団を倒すから。だから、その時まで頑張って」
「出来れば、このまま逃げ帰って欲しいと思っていたが……。そうもいかないようだね、セミリオ君。………ありがとう」
そう言ったトニアの目から、一滴、涙が零れて落ちた。
「今日はもう遅い。やつらも来ないだろうから、ここに泊まっていきなさい。何ももてなしは出来ないが、野宿するよりはいいだろう。特にサウスではね」
トニアは車椅子ながら、器用に動き回り、セミリオとカインを一生懸命世話してくれた。
家と呼べるかも怪しい木造の建物が大きく軋むのが印象的だった。
二人は一旦バイクに戻ると、寝るのに必要な道具と一晩分の食料を携え、トニアの家へ戻る。
「あんまろくなもんはねえが、一晩の宿代だと思ってくれ」
カインの差し出した食料に、トニアは微笑んで言った。
「どんなものだってここで手に入る物に比べたらご馳走だよ。ありがとう、二人とも」
そして二人は一時的な休息を得、朝を迎えた。
じっとりとした風が吹き込んできて目を覚ますと、寝床から這い出し、すぐに身支度を整えた。
「ありがとう、トニアさん。お世話になりました」
「ありがとな、トニアさんよ」
「いいや、こちらこそ。久しぶりに楽しかったよ。よければ最後に一つだけ聞かせてくれないか?」
「なに?」
トニアは、セミリオとカインを交互に見て、言った。
「君たちは何故、復讐の天使団を追う?」
「………復讐。父さんの仇よ」
「同じだ」
チョーカーをなぞり、セミリオは硬く言った。
「………そうか。引き返す気はないんだな?」
「質問が二つになってる」
トニアの言葉にセミリオは微笑んだが、その目は笑ってはいなかった。
「……もちろん。わたしのためにも、復讐の天使団を潰さなきゃいけないから」
セミリオは遥か先を見据えるように、独り言のように呟いた。
「決意は固いんだな。……分かった」
そう言うと、トニアは遠くを指差しながら説明してくれた。
「ここから、南南東に十キロほど行った所に、大きな岩が壁のようにそそり立っている所がある。それをくりぬいたような洞窟が、奴らの本拠地の入り口だ。分かりにくいから、注意して探しなさい。君たちの無事を祈っているよ」
「そんなことよく知ってるな、あんた」
カインが言うと、彼は頭を掻きながら言った。
「何しろ、私はそこで撃たれたからね。われながらよく逃げ出せたものだと思っているよ。それじゃあ、気を付けて行くんだよ。くれぐれも無理はしないように」
「ありがとう、トニアさん。絶対帰ってくるからね」
セミリオとカインは、見送るトニアに向けて手を振って見せた。トニアはいつまでも、二人の姿が見えなくなるまで、手を振り続けた。
魂の無い村から出た二人は、近づいてきた戦いに向けて、緊張を高めていた。
「いよいよね、カイン……」
「そうだな。長かったが、これで終わるな」
セミリオはまっすぐ前を向きながら、チョーカーにそっと触れた。
「大丈夫、よね。カイン」
「ああ、大丈夫だ。お前さんも、俺も」
カインは、いつか自分が言われた言葉を、セミリオに繰り返した。
かつてそう言った男は、死んだ。
今度は、救ってみせる。
カインはセミリオに悟られないように、滲んだ視界を、強く目を閉じて元に戻した。
セミリオとカイン、二人の狩人は導かれるように霧深いサウスの地を駆けて行く。行き着く先に、全ての答えがあると信じて。
霧の中から、突如としてそれは現れた。
神が気まぐれに置いたかのように、その岩壁はその場に不釣合いだった。
とてつもなく巨大な一枚岩が、すべてを遮るかのように存在している。
「……ここか」
カインが岩壁を見上げ呟く。
「この岩のどこか、ね」
少し離れた場所でバイクを降り、二人は岩に近づいていった。
近づくにつれ、改めてその巨大さが実感できる。その高みも果ても、濃霧に隠れて全貌が杳として知れないのだった。
しかし運良く、少し探すだけでその入り口は見つかった。
と言うよりも、道に沿ってきたのだ、入り口が近くに現れるのは自然なことなのかも知れない。
それは大型のバイクが三台は並んで通れそうな、大きな穴がぽっかりと開いているのだった。
「行くぜ。覚悟はいいな、セミリオ」
「大丈夫、だよ、カイン。行こう」
先の見えない行く末を暗示するような大きな穴。
しかしためらってばかりでは何も見えない。
二人は銃を構え、その大きな穴から中へと入っていった。